10. 数の子 は 音 を 食う もの - 北 大路 魯山 人
数の子 は 音 を 食う もの - 北 大路 魯山 人
お 正月 に なる と 、 大概 の 人 は 数の子 を 食う 。 私 は 正月 で なくて も 、 好物 と して 、 ふだん でも よろこんで 食って いる 。 なかなか 美味 いもの だ 。 ・・
さて 、 どんな 味 が ある か と 言われて も ちょっと 困る が 、 とにかく 美味 い 。 しかし 、 考えて みる と 、 数の子 を 歯 の 上 に 載せて パチパチプツプツ と 噛む 、 あの 音 の 響き が よい 。 もし 数の子 から この 音 の 響き を 取り除けたら 、 到底 あの 美味 は なかろう 。 ・・
音 が 味 を 助ける と か 、 音響 が 味 の 重き を なして いる もの に は 、 魚 の 卵 など の ほか に 、 海 月 、 木 耳 、 かき 餅 、 煎餅 、 沢庵 など 。 そのほか 、 音 の 響き が ある ため に 美味 い と いう もの を 数え上げたら 切り が ない 。 ・・
もともと たべもの は 、 舌 の 上 の 味わい ばかりで 美味 いと して いる ので は ない 。 シャキシャキ して 美味 いも の 、 グミグミ して いる こと が 佳 いも の 、 シコシコ して 美味 いも の 、 ネチネチ して 良い もの 、 カリカリ して 善 なる もの 、 グニャグニャ して 旨 いも の 、 モチ モチ また ボクボク して 可 なる もの 、 ザラザラ して いて 旨 いも の 、 ネバネバ する の が 良い もの 、 シャリシャリ して 美味 いも の 、 コリコリ した もの 、 弾力 が あって 美味 いも の 、 弾力 の ない ため に うまい もの 、 柔らかくて 善い もの 悪い もの 、 硬くて 可 いも の 悪い もの …… ざっと 考えて も 、 以上 の ように 触覚 が たべもの の 美味 さ 不 味 さ の 大部分 を 支配 して いる もの である 。 そういう 意味 に おいて 、 数の子 も 口 中 に 魚 卵 の 弾丸 の ように 炸裂 する 交響 楽 に よって 、 数の子 の 真 味 を 発揮 して いる のである 。 それゆえ 、 歯 の わるい 人 に は 、 これほど つまらない もの は ない だろう 。 ・・
数の子 は 他の 魚 と ちがい 、 親 にしん の 胎 中 に いる 時 から 、 乾物 を 水 で もどした もの と ほぼ 同じ 硬 さ を もって いて 、 生 で 食べて も パリ パリ 音 を 発する もの である 。 このごろ は 冷蔵 の おかげ で 生 の 数の子 や 、 生 を 塩漬け した もの が 都会 に きて 賞 美 さ れ 、 料理 屋 なぞ は 、 見た目 が 美しい ところ から 、 これ を 用いて いる が 、 味 本位 の 美味 さ から いう と 、 一旦 干もの に した もの を 水 で もどして やわらかく して 、 昔 から の 仕来 り 通り の 数の子 に して 食べる ほう が 美味 い 。 ・・
干した もの を 水 で もどした ほう が 元 の 生 より 美味 い と いう ような もの は 、 海 鼠 と か 、 ふか の ひ れ 、 ある 種 の きのこ 類 など に その 例 を 見る が 、 あまり 多く ある 例 で は ない 。 ・・
数の子 の 親 魚 、 すなわち にしん から して そうであって 、 にしん の 生 は 煮て も 焼いて も さほど 美味 くない が 、 これ を 一旦 四 つ 裂き に した の を 乾物 に し 、 それ を また 水 で もどして やわらかく し 、 その 上 、 料理 した もの は 立派に 美食 と して 取扱い 得る 力 を もって いる 。 ・・
にしん 、 棒 だ ら なぞ と いう もの は 、 料理 が 不 味 いと 感心 し ない もの である が 、 料理 が 適当に 塩 梅 さ れる と 、 堂々と 美食 家 を よろこば す だけ の 特殊の 美味 さ を もって いる 。 にしん や 棒 だ ら を 美味 と して 食わ ない ような 美食 家 が ある と したら 、 それ は にせもの である 。 ・・
数の子 を 食う のに 他の 味 を 滲 み込ま せる こと は 禁物 だ 。 だから 味噌 漬け や 粕漬 け は 、 ほんとうに 数の子 の 美味 さ を 知る 者 は 決して よろこば ない 。 醤油 に 漬け込んで おく こと も 禁物 だ 。 水 に もどして やわらかく なった もの を よく 洗い 、 適当 の 大き さ に 指先 で ほぐし 、 花 がつお か または 粉 がつお の よい もの を 、 少し 余計 目 に かけて 、 その 上 に 醤油 を かけ 、 醤油 が あまり 卵 の 中 に 滲 み込ま ない 中 に 食う の が 、 数の子 を 美味 く 食う 一 番 の 方法 である 。 しかも 、 これ が 在来 、 世間 で ふつうに 行われて いる 方法 である 。 これ 以外 、 変った 料理 を して みて も 、 ただ 目先 が 変って いる と いう だけ で 、 味覚 に 、 これ が 美味 い と いう ような もの に 出くわさ ない 。 ・・
生 または 塩漬け の 数の子 は 、 庖丁 で 斜めに 薄く 切った もの を 、 甘 酢 に しばらく 漬けて おいて も よい が 、 いや 、 その ほう が よい ようで も ある が 、 干し 数の子 は 、 庖丁 で 切る と 、 どうも 面白く ない し 、 美味 くも ない 。 これ は やはり 指先 で ほぐした もの に かぎる ようだ 。 ・・
数の子 に は 、 口 中 で パリ パリ 炸裂 せ ず 、 型 の 如き 音 の 響き を 発せ ず 、 シコシコ 、 ニチャニチャ して 、 少し 渋味 の ある ような もの が ある が 、 それ は 卵 が 胎 中 に おいて 成熟 して いない のである 。 言わば 臨月 間際 の もの で なくて 、 妊娠 五 カ月 六 カ月 程度 の 未熟な もの である 。 このような 成熟 し ない もの は 、 いかに 数の子 と いえ ども 、 不 味 いもの である 。 ・・
( 昭和 五 年 )