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Readings (6-7mins), 11. 化粧 - 神西清

11. 化粧 - 神 西 清

化粧 - 神 西 清

これ は 昔 ば なし である 。 ――

二 人 は おさない 頃 から 仲よし だ つた 。 家 は 大和 の 国 の 片 ほとり 、 貧しい 部落 に 、 今 ならば さ しづ め 葭簀 ば り の 屋台 で 、 かす とり 焼酎 でも 商 な ふところ か 、 日ごと に 行商 を して 暮らし を 立てる 、 隣 どうし で あつ た 。 ・・

幼い 二 人 は 背 戸 の 井筒 の ほとり で 、 ままごと や 竹馬 あそび を して ゐた 。 遊び に あきる と 二 人 で 井筒 に 寄り添 つて 丈くらべ を した 。 年 は 少年 が 三 つ 上 だ つた が 、 背丈 は 少女 の 方 が 高 か つた 。 少年 は いつも 負けて 口惜し が つた 。 ・・

井筒 に つける 二 人 の 爪 の 痕 が 、 だんだん 上 へ 伸びて い つた 。 やがて 井筒 の 丈 で は 間に合 は なく な つた 。 二 人 は あまり 遊ば なく な つた 。 水 を 汲 み に 来て ばつ たり 出会 ふと 、 二 人 は 頬 を 赤らめた 。 ・・

さ う して 何 年 かた つた 。 ・・

「 さあ 今では もう 、 井筒 に 印 し を つける こと も ゐる まい ね 。 僕 は こんな 脊高 の つ ぽに な つた から ね 」 と 、 ある 日 の こと 青年 が 言 つた 。 ・・

「 わたし の 振 分 髪 も 、 あの 頃 は あなた と 追 つつか つつ でした が 、 ほら もう こんなに 、 肩 の 下 まで 来ました わ 。 この 髪 を 掻き あげて くださる の は 誰 かしら ? 」 と 、 乙女 は 答 へた 。 ・・

そうして 二 人 は 結婚 した 。 ・・

やがて 女 の 母親 も 死んだ 。 二 人 は 自分 で 暮らし を 立てる こと に な つた 。 ・・

そこ で 男 は やはり 行商 に 出る こと に きめて 、 河内 の 国 の 高安 の 市 へ 、 仕入れ に 出かける こと に な つた 。 市 の 商人 は 愛想 が よか つた 。 娘 たち は 花 や か に 着かざ つて ゐた 。 若者 は 目 が さめた や う な 気 が した 。 ・・

その うち 彼 に は 恋人 が できた 。 仕入れ の 旅 が だんだん 長びいて 、 十 日 に なり 、 半月 に な つた 。 若い 妻 は その わけ を さ と つた 。 けれど 怨 む 様子 も 妬む 気色 も 、 一向に 見え なか つた 。 ・・

若い 妻 は 、 甲斐 々々 しく 立ち働いて 、 を つと の 旅立ち の 仕度 に して も 、 却 つて 前 より 念入りに する 。 男 は ふしぎに 思 つた 。 ひよ つ と する と これ は 、 別の 男 でも できた ので は ない か と 疑 つた 。 ・・

嫉妬 に 責められ だした の は 、 却 つて 男 の 方 だ つた 。 ・・

そこ で 男 は 、 ある 日 やはり 河内 へ 旅だつ た 振り を して 、 村 は ずれ まで 来る と 、 こつ そり 後 へ 引き返した 。 さ う して 庭先 の 萩 の しげみ に 身 を 忍ばせて 、 夕闇 の 迫る まで 、 ひそかに 妻 の 様子 を うか が つて ゐた 。 ・・

若い 妻 は 夕方 に なる と 、 身 じまい を し 、 薄 つ すら と 化粧 まで して 、 膳 部 を 二 つ 、 縁先 ちかく ならべて 据えた 。 けれど 、 箸 を 手 に とる でも なく 、 そのまま 縁 へ にじ り 出て 、 ぼんやり 庭先 など を 眺めて ゐる 。 その物 案じ 顔 が 、 男 の 心 に は 人 待ち 顔 に 見える のである 。 ・・

す つかり 夜 に な つて 、 裏山 に 月 が 出た 。 男 の かくれて ゐる 萩 の しげみ が 、 さ や さ や と 鳴る 。 妻 は ふと 、・・

「 ああ 風 が 出た 。 竜田 山 の 草 も 木 も 、 さぞ 白 波 の や う に そよぐ こと だ ら う 。 その なか を 、 ちや うど 真 夜中 ごろ 、 あの 方 は 一 人 で お 越え に なる のだ 」 と 独り ご ち た 。 ・・

男 は どき り と した 。 恥 かし さ と 、 い と ほし さ が 、 胸 に こみ上げて きた 。 清らかに 化粧 した 妻 の 顔 が 、 月 かげ に 濡れて ゐる の を 、 男 は 吾 を 忘れて 見まも つて ゐた 。 ……・・

それ から のち 、 男 は もう 河内 の 女 の ところ へ 、 あまり 通 は ない や うに な つた 。 ・・

--

それ でも 時たま は 、 仕入れ の 旅 の 疲れ を 、 高安 の 女 の ところ で 休める こと が 、 ない で は なか つた 。 その 女 は 、 はじめ の うち こそ 念入りに 化粧 を して 迎 へる のだ つた が 、 やがて だんだん 気 を ゆるして 、 男 の 泊 つて ゆく や う な 晩 でも 、 しどけない 細 帯 すがた で 、 膝 を くずして ゐた りした 。 ・・

ある 日 、 ふと 前ぶれ も なく 、 その 女 の 家 へ 寄る こと に な つて 、 垣 の すきま から 何気なし に 覗いて みる と 、 女 は ちや うど 食事 を する ところ で あつ た 。 例 に よ つて 細 帯 すがた で 、 横 坐り を して 、 召使 も ゐ ない で は ない のに 、 手 づ から 杓文字 を にぎ つて 、 大きな 飯びつ から 飯 を お 椀 に 盛 つて ゐる 。 面長 な 色 の 白い 女 である 。 唇 ばかり 毒々しく 塗り 立てて ゐる 。 それ が 何だか 赤 児 でも 食 つた や う に 見えた 。 ・・

男 は 身 ぶる ひ を して 、 そのまま 立ち去 つた 。 ・・

--

女 から は 歌 を 添 へ など した 消息 が 度々 きた が 、 男 は もはや ふ つ つ り 通 は なく な つた 。 ・・

これ は 古い 物語 である 。 ――

11. 化粧 - 神 西 清 けしょう|かみ|にし|きよし 11. make-up - Kiyoshi KAMINISHI

化粧 - 神 西 清 けしょう|かみ|にし|きよし

これ は 昔 ば なし である 。 ||むかし||| ――

二 人 は おさない 頃 から 仲よし だ つた 。 ふた|じん|||ころ||なかよし|| 家 は 大和 の 国 の 片 ほとり 、 貧しい 部落 に 、 今 ならば さ しづ め 葭簀 ば り の 屋台 で 、 かす とり 焼酎 でも 商 な ふところ か 、 日ごと に 行商 を して 暮らし を 立てる 、 隣 どうし で あつ た 。 いえ||だいわ||くに||かた||まずしい|ぶらく||いま|||しず||よしず||||やたい||||しょうちゅう||しょう||||ひごと||ぎょうしょう|||くらし||たてる|となり|どう し||| ・・

幼い 二 人 は 背 戸 の 井筒 の ほとり で 、 ままごと や 竹馬 あそび を して ゐた 。 おさない|ふた|じん||せ|と||いずつ||||||たけうま|||| 遊び に あきる と 二 人 で 井筒 に 寄り添 つて 丈くらべ を した 。 あそび||||ふた|じん||いずつ||よりそ||たけくらべ|| 年 は 少年 が 三 つ 上 だ つた が 、 背丈 は 少女 の 方 が 高 か つた 。 とし||しょうねん||みっ||うえ||||せたけ||しょうじょ||かた||たか|| 少年 は いつも 負けて 口惜し が つた 。 しょうねん|||まけて|くちおし|| ・・

井筒 に つける 二 人 の 爪 の 痕 が 、 だんだん 上 へ 伸びて い つた 。 いずつ|||ふた|じん||つめ||あと|||うえ||のびて|| やがて 井筒 の 丈 で は 間に合 は なく な つた 。 |いずつ||たけ|||まにあ|||| 二 人 は あまり 遊ば なく な つた 。 ふた|じん|||あそば||| 水 を 汲 み に 来て ばつ たり 出会 ふと 、 二 人 は 頬 を 赤らめた 。 すい||きゅう|||きて|||であ||ふた|じん||ほお||あからめた ・・

さ う して 何 年 かた つた 。 |||なん|とし|| ・・

「 さあ 今では もう 、 井筒 に 印 し を つける こと も ゐる まい ね 。 |いまでは||いずつ||いん|||||||| 僕 は こんな 脊高 の つ ぽに な つた から ね 」 と 、 ある 日 の こと 青年 が 言 つた 。 ぼく|||せきたか||||||||||ひ|||せいねん||げん| ・・

「 わたし の 振 分 髪 も 、 あの 頃 は あなた と 追 つつか つつ でした が 、 ほら もう こんなに 、 肩 の 下 まで 来ました わ 。 ||ふ|ぶん|かみ|||ころ||||つい||||||||かた||した||きました| この 髪 を 掻き あげて くださる の は 誰 かしら ? |かみ||かき|||||だれ| 」 と 、 乙女 は 答 へた 。 |おとめ||こたえ| ・・

そうして 二 人 は 結婚 した 。 |ふた|じん||けっこん| ・・

やがて 女 の 母親 も 死んだ 。 |おんな||ははおや||しんだ 二 人 は 自分 で 暮らし を 立てる こと に な つた 。 ふた|じん||じぶん||くらし||たてる|||| ・・

そこ で 男 は やはり 行商 に 出る こと に きめて 、 河内 の 国 の 高安 の 市 へ 、 仕入れ に 出かける こと に な つた 。 ||おとこ|||ぎょうしょう||でる||||かわうち||くに||たかやす||し||しいれ||でかける|||| 市 の 商人 は 愛想 が よか つた 。 し||しょうにん||あいそ||| 娘 たち は 花 や か に 着かざ つて ゐた 。 むすめ|||か||||きかざ|| 若者 は 目 が さめた や う な 気 が した 。 わかもの||め||||||き|| ・・

その うち 彼 に は 恋人 が できた 。 ||かれ|||こいびと|| 仕入れ の 旅 が だんだん 長びいて 、 十 日 に なり 、 半月 に な つた 。 しいれ||たび|||ながびいて|じゅう|ひ|||はんつき||| 若い 妻 は その わけ を さ と つた 。 わかい|つま||||||| けれど 怨 む 様子 も 妬む 気色 も 、 一向に 見え なか つた 。 |えん||ようす||ねたむ|けしき||いっこうに|みえ|| ・・

若い 妻 は 、 甲斐 々々 しく 立ち働いて 、 を つと の 旅立ち の 仕度 に して も 、 却 つて 前 より 念入りに する 。 わかい|つま||かい|||たちはたらいて||||たびだち||したく||||きゃく||ぜん||ねんいりに| 男 は ふしぎに 思 つた 。 おとこ|||おも| ひよ つ と する と これ は 、 別の 男 でも できた ので は ない か と 疑 つた 。 |||||||べつの|おとこ||||||||うたが| ・・

嫉妬 に 責められ だした の は 、 却 つて 男 の 方 だ つた 。 しっと||せめられ||||きゃく||おとこ||かた|| ・・

そこ で 男 は 、 ある 日 やはり 河内 へ 旅だつ た 振り を して 、 村 は ずれ まで 来る と 、 こつ そり 後 へ 引き返した 。 ||おとこ|||ひ||かわうち||たびだつ||ふり|||むら||||くる||||あと||ひきかえした さ う して 庭先 の 萩 の しげみ に 身 を 忍ばせて 、 夕闇 の 迫る まで 、 ひそかに 妻 の 様子 を うか が つて ゐた 。 |||にわさき||はぎ||||み||しのばせて|ゆうやみ||せまる|||つま||ようす||||| ・・

若い 妻 は 夕方 に なる と 、 身 じまい を し 、 薄 つ すら と 化粧 まで して 、 膳 部 を 二 つ 、 縁先 ちかく ならべて 据えた 。 わかい|つま||ゆうがた||||み||||うす||||けしょう|||ぜん|ぶ||ふた||えんさき|||すえた けれど 、 箸 を 手 に とる でも なく 、 そのまま 縁 へ にじ り 出て 、 ぼんやり 庭先 など を 眺めて ゐる 。 |はし||て||||||えん||||でて||にわさき|||ながめて| その物 案じ 顔 が 、 男 の 心 に は 人 待ち 顔 に 見える のである 。 そのもの|あんじ|かお||おとこ||こころ|||じん|まち|かお||みえる| ・・

す つかり 夜 に な つて 、 裏山 に 月 が 出た 。 ||よ||||うらやま||つき||でた 男 の かくれて ゐる 萩 の しげみ が 、 さ や さ や と 鳴る 。 おとこ||||はぎ|||||||||なる 妻 は ふと 、・・ つま||

「 ああ 風 が 出た 。 |かぜ||でた 竜田 山 の 草 も 木 も 、 さぞ 白 波 の や う に そよぐ こと だ ら う 。 たつた|やま||くさ||き|||しろ|なみ||||||||| その なか を 、 ちや うど 真 夜中 ごろ 、 あの 方 は 一 人 で お 越え に なる のだ 」 と 独り ご ち た 。 |||||まこと|よなか|||かた||ひと|じん|||こえ|||||ひとり||| ・・

男 は どき り と した 。 おとこ||||| 恥 かし さ と 、 い と ほし さ が 、 胸 に こみ上げて きた 。 はじ|||||||||むね||こみあげて| 清らかに 化粧 した 妻 の 顔 が 、 月 かげ に 濡れて ゐる の を 、 男 は 吾 を 忘れて 見まも つて ゐた 。 きよらかに|けしょう||つま||かお||つき|||ぬれて||||おとこ||われ||わすれて|みまも|| ……・・

それ から のち 、 男 は もう 河内 の 女 の ところ へ 、 あまり 通 は ない や うに な つた 。 |||おとこ|||かわうち||おんな|||||つう|||||| ・・

--

それ でも 時たま は 、 仕入れ の 旅 の 疲れ を 、 高安 の 女 の ところ で 休める こと が 、 ない で は なか つた 。 ||ときたま||しいれ||たび||つかれ||たかやす||おんな||||やすめる||||||| その 女 は 、 はじめ の うち こそ 念入りに 化粧 を して 迎 へる のだ つた が 、 やがて だんだん 気 を ゆるして 、 男 の 泊 つて ゆく や う な 晩 でも 、 しどけない 細 帯 すがた で 、 膝 を くずして ゐた りした 。 |おんな||||||ねんいりに|けしょう|||むかい|||||||き|||おとこ||はく||||||ばん|||ほそ|おび|||ひざ|||| ・・

ある 日 、 ふと 前ぶれ も なく 、 その 女 の 家 へ 寄る こと に な つて 、 垣 の すきま から 何気なし に 覗いて みる と 、 女 は ちや うど 食事 を する ところ で あつ た 。 |ひ||まえぶれ||||おんな||いえ||よる|||||かき||||なにげなし||のぞいて|||おんな||||しょくじ|||||| 例 に よ つて 細 帯 すがた で 、 横 坐り を して 、 召使 も ゐ ない で は ない のに 、 手 づ から 杓文字 を にぎ つて 、 大きな 飯びつ から 飯 を お 椀 に 盛 つて ゐる 。 れい||||ほそ|おび|||よこ|すわり|||めしつかい||||||||て|||しゃもじ||||おおきな|めしびつ||めし|||わん||さかり|| 面長 な 色 の 白い 女 である 。 おもなが||いろ||しろい|おんな| 唇 ばかり 毒々しく 塗り 立てて ゐる 。 くちびる||どくどくしく|ぬり|たてて| それ が 何だか 赤 児 でも 食 つた や う に 見えた 。 ||なんだか|あか|じ||しょく|||||みえた ・・

男 は 身 ぶる ひ を して 、 そのまま 立ち去 つた 。 おとこ||み||||||たちさ| ・・

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女 から は 歌 を 添 へ など した 消息 が 度々 きた が 、 男 は もはや ふ つ つ り 通 は なく な つた 。 おんな|||うた||そえ||||しょうそく||たびたび|||おとこ|||||||つう|||| ・・

これ は 古い 物語 である 。 ||ふるい|ものがたり| ――