四
浦島 は 海 ば た に 立った まま 、 しばらく そこら を 見まわしました 。 春 の 日 が ぽかぽか あたって 、 いちめんに かすんだ 海 の 上 に 、 どこ から と も なく 、 にぎやかな 舟 うた が きこえました 。 それ は 夢 の なか で 見た ふるさと の 浜 べ の 景色 と ちっとも ちがった ところ は ありません でした 。 けれど よく 見る と 、 そこら の 様子 が なんとなく かわって いて 、 あう 人 も あう 人 も 、 いっこうに 見 知ら ない 顔 ばかり で 、 むこうで も みょうな 顔 を して 、 じろじろ 見 ながら 、 ことば も かけ ず に すまして 行って しまいます 。 「 おかしな こと も ある もの だ 。 たった 三 年 の あいだ に 、 みんな どこ か へ 行って しまう はず は ない 。 まあ 、 なんでも 早く うち へ 行って みよう 」
こう ひとりごと を いい ながら 、 浦島 は じぶん の 家 の 方角 へ あるき 出しました 。 ところが 、 そこ と おもう あたり に は 草 や あし が ぼう ぼう と しげって 、 家 なぞ は かげ も かたち も ありません 。 むかし 家 の 立って いた らしい あと さえ も のこって は いま せ ん でした 。 いったい 、 お とうさん や お かあさん は どう なった のでしょう か 。 浦島 は 、 「 ふしぎだ 。 ふしぎだ 」 と くり返し ながら 、 きつね に つまま れた ような 、 きょとんと した 顔 を して いました 。 すると そこ へ 、 よ ぼ よ ぼ の おばあ さん が ひと り 、 つえ に すがって やってきました 。 浦島 は さっそく 、 「 もしもし 、 おばあ さん 、 浦島 太郎 の うち は どこ でしょう 」 と 、 声 を かけます と 、 おばあ さん は けげん そうに 、 しょ ぼし ょぼ した 目 で 、 浦島 の 顔 を ながめ ながら 、 「 へえ 、 浦島 太郎 。 そんな 人 は きいた こと が ありません よ 」 と いいました 。 浦島 は やっき と なって 、 「 そんな はず は ありません 。 たしか に この へんに 住んで いた のです 」 と いいました 。 そう いわれて 、 おばあ さん は 、 「 はて ね 」 と 、 首 を かしげ ながら 、 つえ で せい のび して しばらく かんがえこんで いました が 、 やがて ぽん と ひざ を たたいて 、 「 ああ 、 そうそう 、 浦島 太郎 さん と いう と 、 あれ は もう 三百 年 も 前 の 人 です よ 。 なんでも 、 わたし が 子ども の じぶん きいた 話 に 、 むかし 、 むかし 、 この 水 の 江 の 浜 に 、 浦島 太郎 と いう 人 が あって 、 ある 日 、 舟 に のって つり に 出た まま 、 帰って こ なく なりました 。 たぶん りゅう 宮 へ でも 行った のだろう と いう こと です 。 なにしろ 大昔 の 話 だ から ね 」
こう いって 、 また 腰 を かがめて 、 よ ぼ よ ぼ あるいて 行って しまいました 。 浦島 は びっくり して しまいました 。 「 はて 、 三百 年 、 おかしな こと も ある もの だ 。 たった 三 年 りゅう 宮 に いた つもりな のに 、 それ が 三百 年 と は 。 すると りゅう 宮 の 三 年 は 、 人間 の 三百 年 に あたる の か しら ん 。 それでは 家 も なくなる はずだ し 、 お とうさん や お かあさん が いらっしゃら ない の も ふしぎ は ない 」
こう おもう と 、 浦島 は きゅうに かなしく なって 、 さびしく なって 、 目 の 前 が くらく なりました 。 いまさら りゅう 宮 が こいしくて たまらなく なりました 。 しおしお と また 浜 べ へ 出て みました が 、 海 の 水 は まんまんと たたえて いて 、 どこ が はて と も しれません 。 もう かめ も 出て きません から 、 どうして りゅう 宮 へ わたろう 手だて も ありません でした 。 その とき 、 浦島 は ふと 、 かかえて いた 玉手 箱 に 気 が つきました 。 「 そうだ 。 この 箱 を あけて みたら ば 、 わかる かも しれ ない 」
こう おもう と うれしく なって 、 浦島 は 、 うっかり 乙姫 さま に いわ れた こと は わすれて 、 箱 の ふた を とりました 。 すると むらさき色 の 雲 が 、 なか から むくむく 立ちのぼって 、 それ が 顔 に かかった か と おもう と 、 すうっと 消えて 行って 箱 の なか に は なんにも のこって いません でした 。 その代り 、 いつのまにか 顔 じゅうし わに なって 、 手 も 足 も ちぢかまって 、 きれいな みぎ わ の 水 に うつった 影 を 見る と 、 髪 も ひげ も 、 まっしろな 、 かわいい お じいさん に なって いました 。 浦島 は から に なった 箱 の なか を のぞいて 、 「 なるほど 、 乙姫 さま が 、 人間 の いちばん だいじな たから を 入れて おく と おっしゃった あれ は 、 人間 の 寿命 だった のだ な 」 と 、 ざんねん そうに つぶやきました 。 春 の 海 は どこまでも 遠く かすんで いました 。 どこ から か いい 声 で 舟 うた を うたう の が 、 また きこえて きました 。 浦島 は 、 ぼんやり と むかし の こと を おもい出して いました 。