第 九 章 アムリッツァ (3)
たちまち の うち に 、 ビッテンフェルト 艦隊 は 旗 艦 以下 数 隻 に まで 撃ち 減らされて いた 。 なおも 反撃 を 叫ぶ 指揮 官 を 、 オイゲン 大佐 ら の 幕僚 が 必死に 制止 し なかったら 、 彼ら は 文字どおり 全滅 した だろう 。
こうして 確保 した 退路 から 、 ヤン の ひきいる 同盟 軍 第 一三 艦隊 は つぎつぎ と 戦場 を 離脱 して いった 。 秩序 を たもって 流れ さる 光 点 の 群 を 、 ビッテンフェルト は ちかく から 呆然と 、 ラインハルト は 遠く から 怒り と 失望 に 身 を 慄 わせ つつ 、 ともに 見送る こと に なった のである 。
両者 の 中間 に は 、 ミッターマイヤー 、 ロイエンタール 、 そして 退路 遮断 を 断念 せ ざる を え なかった キルヒアイス が いた 。 三 人 の 若い 有能な 提督 は 、 通信 回線 を 開いて 会話 を かわして いる 。
「 どうして 、たいした 奴 が いる な 、 叛乱 軍 に も 」 率直な 口調 で ミッターマイヤー が 賞 賛 する と 、 ロイエンタール が 同意 した 。
「 ああ 、 今度 会う とき が 楽しみだ 」
ロイエンタール は 黒 に ちかい ダーク ・ ブラウン の 髪 を した なかなか の 美男 子 だ が 、 はじめて 彼 を 見る 者 が 驚く の は 、 左右 の 瞳 の 色 が ちがって いる から だ 。
右 目 が 黒 、 左 目 が 青 で 、〝 金銀 妖瞳 〟 と 呼ば れる 一種 の 異 相 である 。
追撃 しよう 、 と は 誰 も 言わ ない 。
その チャンス を 失った こと を 彼ら は 知って おり 、 深追い を さける 分別 を はたらかせて いた 。 闘争 本能 だけ で は 、 自分 自身 が 生存 する こと も 部下 を 生存 さ せる こと も でき ない のだ 。
「 叛乱 軍 は 帝国 領 内 から 追いださ れ 、 イゼルローン に 逃げこむ だろう 。 これ だけ 勝てば 、 さし あたって は 充分だ 。 まず 当分 は 、 再 侵攻 する 気 に は なら んだろう し 、 また その 力 も なくなった はずだ しな 」
ロイエンタール の 声 に 、 今度 は ミッターマイヤー が うなずく 。
キルヒアイス は 消えさる 光 点 を 目 で おって いた 。 ラインハルト さま が どう お 考え に なる か 、 と 思う 。 アスターテ 会戦 に つづいて 、 最後 の 段階 で また も 完勝 の 自負 を つき崩さ れた のだ 。 前回 ほど 寛大な 気分 に は なれ ない ので は ない か 。
「 総 司令 部 より 入電 ! 残 敵 を 掃討 し つつ 帰 投 せよ と の こと です 」
通信 士官 が 告げた 。
Ⅱ 「 卿 ら は よく やった 」 旗 艦 ブリュンヒルト の 艦 橋 で 、 帰 投 して きた 提督 たち を ラインハルト は ねぎらった 。
ロイエンタール 、 ミッターマイヤー 、 ケンプ 、 メックリンガー 、 ワーレン 、 ルッツ ら の 手 を つぎつぎ と にぎり 、 その 武 勲 を たたえ 、 昇進 を 約束 する 。 キルヒアイス にたいして は 、 左 の 肩 を かるく たたいた だけ で なにも 言わ なかった が 、 ふた り に は これ で 充分な のだった 。 若い 帝国 元帥 の 秀 麗 な 顔 に にがにがしい 翳 り が さした の は 、 ビッテンフェルト の 来 艦 を オーベルシュタイン が 告げた とき である 。
フリッツ ・ ヨーゼフ ・ ビッテンフェルト の 艦隊 は ―― なお 艦隊 と 呼び える なら 、 だが ―― 悄然 と 帰 投 して きた ところ だった 。 この 会戦 で 帝国 軍 に おいて 彼 ほど 部下 と 艦艇 を 失った 者 は い なかった 。 同僚 の ロイエンタール や ミッターマイヤー も 一貫 して 激闘 の なか に あった のだ から 、 彼 と して は 損害 の 大き さ を 他人 の せい に する こと は でき ない のである 。
戦勝 の 歓喜 が 、 気まずい 沈黙 に 席 を 譲った 。 青白い 顔 の ビッテンフェルト は 覚悟 を 決めた ように 上官 の 前 に 歩みより 、 深々と 頭 を たれた 。
「 戦い は 勝った こと だ し 、 卿 も 敢闘 した と 言いたい ところ だ が 、 そう も ゆか ぬ 」 ラインハルト の 声 は 鞭 の ひびき を 思わ せた 。 敵 の 大 艦隊 に 直面 して 、 眉 ひと つ うごかさ ない 勇 将 たち が 、 思わず 首 を すくめる 。
「 わかって いよう ―― 卿 は 功 を あせって 、 すすんで は なら ない 時機 に 猪突 した 。 一 歩 誤れば 全 戦線 の バランス が 崩れ 、 別動隊 が 来る 前 にわ が 軍 は 敗北 して いた かも しれ ぬ 。 しかも 無益に 皇帝 陛下 の 軍隊 を そこねた 。 私 の 言う こと に 異議 が ある か ? 」 「 ございませ ん 」 返答 する 声 は 低く 、 元気 が ない 。 ラインハルト は ひと つ 息 を つく と つづけた 。
「 信 賞 必罰 は 武 門 の よって 立つ ところ だ 。 帝国 首都 に 帰還 し しだい 、 卿 の 責任 を 問う こと に する 。 卿 の 艦隊 は キルヒアイス 提督 の 指揮 下 に おく 。 卿 自身 は 自室 に おいて 謹慎 せよ 」
これ は きびしい 、 と 誰 も が 感じた であろう 。 声 の ない ざわめき が ガス 雲 の ように たち 昇る の を 、
「 解散 ! 」 の ひと 声 で ラインハルト は 断ちきり 、 自室 へ と 大股 に 歩み だした 。 不運な ビッテンフェルト の 周囲 に 同僚 たち が 集まって 慰め の 声 を かけ はじめる 。 それ を ちらり と 見て 、 キルヒアイス が ラインハルト の あと を 追った 。 その 姿 を じっと 見つめて いる の は オーベルシュタイン であった 。
「 有能な 男 だ が ……」
心 の なか で 、 参謀 長 は 独 語 した 。
「 ローエングラム 伯 と の 仲 を 、 あまり 特権 的に 考え られて は こまる な 。 覇者 は 、 私情 と 無縁である べきな のだ 」
総 司令 官 の 私 室 だけ に つうじる 無人の 廊下 で 、 キルヒアイス は ラインハルト に おいつき 、 声 を かけた 。
「 閣下 、 お 考え なおし ください 」
ラインハルト は 激しい 勢い で ふりむいた 。 蒼氷 色 の 瞳 の なか で 炎 が 燃えて いる 。 他人 の いる 前 で は 抑えて いた 怒り を 、 彼 は 爆発 さ せた 。
「 なぜ 、 とめる のだ ? ビッテンフェルト は 自己 の 任務 を まっとうし なかった のだ ぞ 。 弁解 の しよう が ある まい 。 罰されて 当然で は ない か ! 」 「 閣下 、 怒って おら れる のです か ? 」 「 怒って 悪い か ! 」 「 私 が お 訊 きして いる の は 、 なに にたいして 怒って おら れる の か 、 と いう こと な のです 」 意味 を 測り かねて 、 ラインハルト は 赤毛 の 親友 の 顔 を 見 やった 。 キルヒアイス は 沈着に その 視線 を うけとめた 。
「 閣下 ……」
「 閣下 は よせ 、 なに が 言いたい のだ 。 キルヒアイス 、 はっきり 言え 」
「 では 、 ラインハルト さま 、 あなた が 怒って おら れる の は 、 ビッテンフェルト の 失敗 にたいして です か ? 」 「 知れた こと を 」 「 私 に は そう は 思えません 、 ラインハルト さま 、 あなた の お 怒り は 、 ほんとう は あなた 自身 に むけ られて います 。 ヤン 提督 に 名 を なさ しめた ご 自身 に 。 ビッテンフェルト は 、 その とばっちり を うけて いる に すぎません 」 ラインハルト は なに か 言い かけて 声 を のんだ 。 にぎりしめた 両手 に 神経質な 戦慄 が はしる 。 キルヒアイス は かるく ため息 を つく と 、 不意に いたわり を こめて 金髪 の 若者 を 見つめた 。
「 ヤン 提督 に 名 を なさ しめた こと が 、 それほど くやしい のです か 」
「 くやしい さ 、 決まって いる ! 」 ラインハルト は 叫んで 、 両手 を 激しく 打ちあわせた 。 「 アスターテ の とき は 我慢 できた 。 だが 、 二 度 も つづけば 充分だ ! 奴 は なぜ 、 いつも おれ が 完全に 勝とう と いう とき に あらわれて 、 おれ の 邪魔 を する のだ !?」
「 彼 に は 彼 の 不満 が ありましょう 。 なぜ 、 自分 は こと の 最初 から ローエングラム 伯 と 対局 でき ない の か と 」
「…………」
「 ラインハルト さま 、 道 は 平坦で ない こと を お わきまえ ください 。 至高 の 座 に お 登り に なる に は 、 困難 が あって 当然で は ございませ ん か 。 覇道 の 障害 と なる の は ヤン 提督 だけ では ありません 。 それ を お ひと り で 排除 できる と 、 そう お 考え です か 」
「…………」
「 ひと つ の 失敗 を もって 多く の 功績 を 無視 なさる ようで は 、 人心 を える こと は できません 。 ラインハルト さま は すでに 、 前面 に ヤン 提督 、 後 背 に 門 閥 貴族 と 、 ふた つ の 強敵 を かかえて おいで です 。 このうえ 、 部下 の なか に まで 敵 を お つくり に なります な 」 ラインハルト は しばらく 、 微動 だに し なかった が 、 大きな 吐息 と ともに 全身 から 力 を ぬいた 。
「 わかった 。 おれ が まちがって いた 。 ビッテンフェルト の 罪 は 問わ ぬ 」
キルヒアイス は 頭 を さげた 。 ビッテンフェルト 個人 の こと ばかり で 安堵 した ので は なかった 。 ラインハルト に 直言 を 容 れる 度量 が ある こと を 確認 できて 嬉しく 思った のである 。
「 その こと を お前 が 伝えて くれ ない か 」
「 いえ 、 それ は いけません 」 キルヒアイス が 言下 に 拒む と 、 ラインハルト は その 意 を 諒 解して うなずいた 。
「 そう だ な 、 おれ 自身 で 言わ ねば 意味 が ない な 」
キルヒアイス が 、 寛 恕 の 意 を 伝えた 場合 、 ラインハルト に 叱責 さ れた ビッテンフェルト は 、 ラインハルト を 怨 む いっぽう で キルヒアイス に 感謝 する ように なる だろう 。 人 の 心理 と は そういう もの だ 。 それでは けっきょく 、 ラインハルト に 寛 恕 を 請うた 意味 が ない 、 と して キルヒアイス は 拒んだ のである 。
ラインハルト は きび す を 返し かけた が 、 うごき を 止めて ふたたび 腹心 の 友 にたいした 。 「 キルヒアイス 」
「 はい 、 ラインハルト さま 」
「…… おれ は 宇宙 を 手 に いれる こと が できる と 思う か ? 」 ジークフリード ・ キルヒアイス は 、 まっすぐ 親友 の 蒼氷 色 の 瞳 を 見かえした 。 「 ラインハルト さま 以外 の 何者 に 、 それ が かないましょう 」 自由 惑星 同盟 軍 は 、 悄然 たる 敗 残 の 列 を つくって 、 イゼルローン 要塞 へ の 帰途 に 着いて いる 。
戦死 および 行方 不明 者 、 概算 二〇〇〇万 。 コンピューター が 算出 した 数字 は 、 生存 者 の 心 を 寒く した 。
死闘 の 渦中 に あり ながら 、 第 一三 艦隊 だけ が 、 過半数 の 生存 者 を たもって いる 。
魔術 師 ヤン は ここ でも 奇 蹟 を おこした ―― 黒 髪 の 若い 提督 を 見る 部下 の 目 に は 、 もはや 信仰 に ちかい 光 が あった 。
その 絶対 的 信頼 の 対象 は 、 旗 艦 ヒューベリオン の 艦 橋 に いた 。 指揮 卓 の 上 に 行儀 悪く 両 脚 を 投げだし 、 腹 の うえ で 両手 の 指 を くみ 、 眼 を 閉じて いる 。 若々しい 皮膚 の 下 に 疲労 の 翳 が 濃く よどんで いた 。
「 閣下 ……」
薄 目 を あける と 、 副 官 の フレデリカ ・ グリーンヒル 中尉 が ためらい がちに たたずんで いた 。
ヤン は 黒い 軍用 ベレー に 片手 を かけた 。
「 レディー の 前 だ けど 失礼 する 」
「 どうぞ ―― コーヒー でも お 持ち しよう か と 思った のです 。 いかが です か 」
「 紅茶 が いい な 」
「 はい 」
「 できれば ブランデー を たっぷり いれて 」
「 はい 」
フレデリカ が 歩き だそう と する と 、 不意に ヤン が 彼女 を 呼び 停めた 。
「 中尉 …… 私 は すこし 歴史 を 学んだ 。 それ で 知った のだ が 、 人間 の 社会 に は 思想 の 潮流 が 二 つ ある んだ 。 生命 以上 の 価値 が 存在 する 、 と いう 説 と 、 生命 に 優 る もの は ない 、 と いう 説 と だ 。 人 は 戦い を はじめる とき 前者 を 口実 に し 、 戦い を やめる とき 後者 を 理由 に する 。 それ を 何 百 年 、 何 千 年 も つづけて きた ……」
「…………」
「 このさき 、 何 千 年 も そう な んだろう か 」
「…… 閣下 」
「 いや 、 人類 全体 なんて どう で も いい 。 私 は ぜんたい 、 流した 血 の 量 に 値する だけ の なに か を やれる んだろう か 」
フレデリカ は 返答 でき ず 、 ただ 立ちつくして いた 。 ふと 、 ヤン は それ に 気づいた ようで 、 自分 の ほう が かるい 困惑 の 表情 に なった 。
「 悪かった な 、 変な こと を 言って 、 気 に し ないで くれ 」
「…… いえ 、 よろしい んです 。 紅茶 を 淹れて きます 、 ブランデー を すこし でした ね 」 「 たっぷり 」
「 はい 、 たっぷり 」
ブランデー を 許して くれた の は ご ほうび な の か な 、 と 思った が 、 フレデリカ の 後ろ姿 を 、 ヤン は 最後 まで 見て い なかった 。 彼 は ふたたび 眼 を 閉じ 、 閉じ ながら つぶやいた 。
「…… ローエングラム 伯 は 、 もし かして 第 二 の ルドルフ に なりたい のだろう か ……」 もちろん 誰 も 答え ない 。
フレデリカ が 紅茶 を 盆 に 載せて は こんで きた とき 、 ヤン ・ ウェンリー は そのまま の 姿勢 で 、 ベレー を 顔 の 上 に のせて 眠って いた 。