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悪人 (Villain) (2nd book), 悪人 下 (8)
悪人 下 (8)
祐一 は ハンドル を 握った まま 、 じっと 森 の 赤い 眼 を 見つめて いた 。
峠 だけ が 呼吸 して いる ようだった 。
次の 瞬間 、 車 の ルーム ライト が ついた 。
光 の 中 、 佳乃 と 男 の 影 が 動 い た 。
あっという間 だった 。
ドア が 開き 、 佳乃 が 降りよう と した 。
その 背中 を 男 が 蹴った のだ 。
佳乃 は 車 に 跳ねられた 動物 の ようだった 。
路肩 に 崩れ落ち 、 後 頭部 を ガードレー ル で 強打 した 。
うずく ま ガード レール を 背 に 跨った 佳乃 を 置いて 、 男 の 車 が 走り出す 。
祐一 は 一瞬 、 自分 が 何 を 見た の か 分から なく なり 、 慌てて 男 の 車 を 追おう と した 。
しかし サイド ブレーキ を 下 ろ した 途端 、 道ばた に 置き去り に さ れた 佳乃 の 姿 が 、 車 の 走り去った 後 の 風景 に 、 ぽつ ん と 残されて いる の が 見えた 。
テールランプ に 染まった 佳乃 の 姿 は 、 まるで 燃えて いる ようだった 。
祐一 は サイド ブレーキ を 引き 直した 。
あまりに も 強く 引いた ので 、 車体 の 底 で 妙な 音 が 立つ 。
男 の 車 が 先 の カーブ を 曲がって しまう と 、 辺り から すべて の 色 が 消えた 。
赤く 染 まっていた 佳乃 の 姿 は 、 今や 峠 の 暗闇 に 呑み込まれて いた 。
男 の 車 が 去って 、 どれ くらい 経った の か 、 祐一 は 恐る恐る 車 の ライト を つけた 。
光 は 佳乃 が 鱒った 場所 まで 届か なかった が 、 それ でも 冬 の 月光 より も 役 に は 立った 。
サイド ブレーキ を 下ろし 、 かすかに 足 を アクセル に 乗せた 。
峠 の 道 を 照らす 青い ライ ト が 、 水 が 染みる ような 速度 で 、 佳乃 の 元 へ 近づいて いく 。
ライト が はっきり と 佳乃 の 姿 を 捕らえた とき 、 青白い 光 の 中 で 佳乃 は 怯え 、 光 の 中 を 見よう と 、 必死に 目 を 細めて いた 。
再び サイド ブレーキ を 引いて 、 祐一 は 運転 席 の ドア を 開けた 。
佳乃 が 身構える ように 、 バッグ を 抱きかかえる 。
「 大丈夫 ?
」 祐一 は 声 を かけた 。
が 、 真っ暗な 峠 に 声 は すぐに 呑み込ま れる 。
遠い 地鳴り の ように 、 車 の エンジン 音 だけ が する 。
祐一 が 光 の 中 に 踏み込む と 、 佳乃 の 表情 に 変化 が あった 。
「 なんで 、 ここ に おる と ?
も しか して つけて 来た わけ ?
もう 、 やめて よ !
」 ほ バッグ を 抱えて 、 路肩 に 樽って いる 女 が そう 吠えた 。
男 に 蹴り 降ろさ れ 、 暗い 峠 に 置 き 去り に さ れた 女 だった 。
「 だ 、 大丈夫 ?
」 祐一 は それ でも 佳乃 へ 近づいて 、 立ち上がら せよう と 手 を 差し伸べた 。
しかし 佳乃 は その 手 を 払い 、「 見とった わけ ?
もう 信じられ ん !
」 と 悪態 を つき ながら 自分 で 立ち 上がろう と する 。
「 ど 、 どうした と ね ?
」 と 祐一 は 訊 いた 。
ヒール の 高い ブーツ で よろける 佳乃 の 手 を 取 る と 、 手のひら に 小石 が 埋まって いる 感触 が した 。
「 どうも こう も ない !
あんた に 教える 義務 なか や ん !
」 祐一 の 手 を 払って 、 佳乃 は 歩き 出そう と した 。
祐一 は その 腕 を また 取った 。
「 車 に 乗ら ん ね 。
送って やる けん 」 祐一 の 言葉 に 、 佳乃 が ちらっと 車 の ほう へ 目 を 向ける 。
二 人 と も ライト の 中 に 立って いた 。
そこ に だけ 世界 が ある ようだった 。
祐一 が 腕 を 引く と 、「 もう 、 よかって !
放つ と いて よ !
」 と 、 また 佳乃 が 振り払う 。
「 ここ から 歩いて 帰ら れ ん やろ !
」 売り言葉 に 買い 言葉 で 、 祐一 は 強く 佳乃 の 腕 を 引いた 。
タイミング が 悪く 、 その 反動 で 歩き 出そう と して いた 佳乃 の 足 が 宙 を 滑る 。
バランス を 崩して 倒れ込んだ ところ が 、 ちょうど 車 の 真っ正面 だった 。
慌てて 支えよう と した 祐一 の 肘 が 、 運 悪く 佳乃 の 背 を 押 した 。
佳乃 は 奇妙な 格好で から だ を くねら せて 、 そのまま 車体 の フロント に ぶつかった 。
思わず 手 を ついた 場所 に 、 佳乃 の 小指 が 差し込ま れる 。
「 痛 ッ !
」 叫び声 が こだま した 。
暗い 森 で 眠って いた 烏 たち が 一斉に 飛び立つ ほど だった 。
「 だ 、 大丈夫 ?
」 祐一 は 慌てて 抱き 起こそう と した 。
バンパー と 車体 の 間 に 入り込んで しまった 指 がそ の まま だった 。
起こそう と 佳乃 の 腋 の 下 を 持ち上げた とたん 、 悲鳴 と 共に 、 小指 が 奇妙 な 形 で 曲がった 。
何もかも が 一瞬 の 出来事 だった 。
血の気 が 引いた 。
ライト の 前 に しゃがみ込んで しまった 佳乃 の 顔 を 、 強い ライト が 照らし 、 髪 の 毛 一 本 一 本 が 逆 立って いた 。
「 ご 、 ごめん 。
…… ごめん 」 痛み に 顔 を 歪めた 佳乃 が 、 やっと 抜けた 指 を 握り 、 奥歯 を 噛み締めて いる 。
「 人殺し !
」 祐一 が 肩 に 手 を 置いた 途端 、 佳乃 が そう 叫んだ 。
祐一 は 思わず 手 を 引いた 。
らち 「 人殺し !
警察 に 言って やる けん ね !
襲わ れたって 言って やる !
ここ まで 拉致 ら れたって !
拉致られて 、 レイプ さ れ そうに なったって !
私 の 親戚 に 弁護 士 おる つち やけん 。
馬鹿に せ んで よ !
私 、 あんた みたいな 男 と 付き合う ような 女 じゃ ない つち や けん !
人殺し !
」 佳乃 が 叫ぶ 。
まったく の 嘘 な のに 、 祐一 は なぜ か 膝 が 震えて 止まら なかった 。
佳乃 は それ だけ 言い放つ と 、 痛む 指 を 握って 歩き 出した 。
車 の 周囲 を 離れれば 、 街灯 も ない 峠 道 で 、 すぐに 佳乃 の 姿 は 闇 に 呑 ま れる 。
「 ちよ 、 ちょっと 、 待てって 」 と 祐一 は 声 を かけた が 、 それ でも 佳乃 は 歩いて いく 。
佳乃 の 足音 が 遠ざかる 闇 の 中 へ 、 祐一 は たまら ず に 駆け込んだ 。
「 嘘 つく な !
俺 は 何も し とら ん ぞ !
」 叫び ながら 駆け込む と 、 立ち止まった 佳乃 が 振り返り 、「 絶対 に 言う て やる !
拉致られたって 、 レイプ さ れたって 言う て やる !
」 と 叫び 返して くる 。
真冬 の 峠 の 中 な のに 、 せみ 山 全体 から 蝉 の 声 が 聞こえた 。
耳 を 塞ぎ たく なる ほど の 鳴き声 だった 。
自分 でも 何 に 怯えて いる の か 分から なかった 。
ここ まで 拉致 さ れた 。
レイプ さ れた 。
佳乃 の 言葉 は まったく の 嘘 な のに 、 まるで 自分 が それ を 犯して しまった ようで 、 血の気 ぬぎ ぬ が 引いた 。
必死に 、「 嘘 だ !
濡れ衣 だ !
」 と 、 心 の 中 で 叫ぶ のだ が 、「 誰 が 信じて くれ る ?
誰 が お前 の こと なんか 信じて くれる ?
」 と 真っ暗な 峠 が 畷 き かけて くる 。
そこ に は 暗い 峠 道 しか なかった 。
証人 が い なかった 。
俺 が ここ で 何も して いない と い う こと を 証明 して くれる 者 が い なかった 。
婆さん に 、「 俺 は 何も やつ とら ん !
」 と 弁解 する 自分 の 姿 が 見えた 。
「 俺 は 何も やつ とら ん !
」 と 、 自分 を 取り囲む 人々 に 叫び 続け る 自分 の 姿 が 見えた 。
その とき ふいに 「 母ちゃん は ここ に 戻って くる !
」 と フェリー 乗 り 場 で 叫んだ 、 幼い 自分 の 声 が 蘇った 。
誰 も 信じて くれ なかった あの とき の 声 が 。
祐一 は 佳乃 の 肩 を 掴んだ 。
「 触ら んで !
」 振り払おう と した 佳乃 の 腕 が 、 祐一 の 耳 に 当たった 。
まるで 金 棒 を 差し込ま れた よう な 痛 み が 走る 。
祐一 は 思わず 佳乃 の 腕 を 取った 。
逃げよう と する 佳乃 を 押さえ 込もう と して いる うち に 、 冷たい 路面 で 馬乗り に なって いた 。
月 明かり に 照らさ れた 佳乃 の 顔 が 怒り に 歪んで いた 。
「::: 俺 は 何も し とら ん 」 佳乃 の 両 肩 を 強く 押さえた 。
痛み に 声 を 漏らす 佳乃 が 、 それ でも 噛みつく ように 、 「 誰 が あんた の こと なんか 信じる と よ !
」 と 叫ぶ 。
「 人殺し !
助けて !
人殺し !
」 佳乃 の 悲鳴 が 峠 の 樹 々 を 揺らす 。
佳乃 が 声 を 上げる たび 、 祐一 は 恐ろし さ に 身 が 震え た 。
こんな 嘘 を 誰 か に 聞か れたら ……。
「…… 俺 は 何も し とら ん 。
俺 は 何も し とら ん 」 祐一 は 目 を 閉じて いた 。
佳乃 の 喉 を 必死に 押さえつけて いた 。
恐ろしくて 仕方 なかった 。
佳乃 の 嘘 を 誰 に も 聞か せる わけに は いか なかった 。
早く 嘘 を 殺さ ない と 、 真実の ほ う が 殺さ れ そうで 怖かった 。
◇ 岸壁 に いろんな ゴミ が 打ち寄せて いる 。
洗剤 の ペットボトル 。
汚れた 発泡 スチロール 347 第 四 章 彼 は 誰 に 出会った か ?
の 箱 。
片方 だけ の ビーチ サンダル 。
それぞれ に 藻 や ビニール 袋 が 絡まって 、 いくら 波 に 揺られて も 、 岸壁 に ぶつかって は 跳ね返り 、 どこ へ も 逃げ出せ ず に いる 。
たわ 岸壁 に は 数 艘 の イカ 釣り 漁船 が 停泊 して いる 。
ロープ が 僥 み 、 船底 から 小魚 の 群れ が 泳ぎ 出て くる 。
岸壁 の 背後 に は 干し イカ を 売る 露店 が 並び 、 行き交う 観光 客 に 声 を かけ て いる 。
さっき から 小さな 女の子 が 三輪車 に 乗って 、 岸壁 に 立つ 光代 と 祐一 の 元 へ 来て は 、 また 露店 に 立つ 母親 の 元 へ 戻って いく 。
結局 、 料理 の 途中 で 光代 と 祐一 は 店 を 出て きた 。
運ば れた とき 、 皿 の 上 で 生々しく 動 いて いた イカ の 脚 も 、 祐一 の 話 が 終わる ころ に なる と 、 ぐったり と 動か なく なって いた 。
幸い 、 他の 客 が 広間 に 入って くる こと は なかった 。
代わり に 給仕 の おばさん が 何度 も 様 子 を 見 に きた 。
話 が 終わる と 、 祐一 は 、「 ごめん 」 と 小声 で 眩 いた 。
そして 黙り 込んだ まま の 光代 に 、 「 これ から 、 警察 に 行く けん 」 と 言った 。
光代 は ほとんど 何も 考え ず に 頷いた 。
ちょうど 給仕 の おばさん が 現れて 、「 刺身 は 苦 手 です か ?
」 と 訊 く ので 、「…… すいません 、 ちょっと 気分 が 悪くて 」 と 光代 は 嘘 を つ いた 。
立ち上がる 光代 を 、 祐一 が 諦めた ように 見上げて いた 。
光代 は 、「 ねえ 、 出よ う 」 と 声 を かけた 。
自分 は 置いて いか れる と 思って いた のだろう 、 祐一 は ひどく 驚いて いた 。
おばさん に 詫びる と 、「 お 金 はいらん けん ね 」 と 言って くれた 。
店 を 出て 、 漁船 の 停泊 する 岸壁 を 歩いた 。
足 が 自然 と 駐車 場 に 向いて いた 。
人 を 殺し た 男 の 車 に また 乗り込もう と して いる 。
頭 で は 分かって いる のだ が 、 冷たい 潮風 の 吹き 抜ける 岸壁 で 、 他 に 向かう 場所 も なかった 。
祐一 の 話 を 最後 まで 悲鳴 も 上げ ず 、 逃げ出 し も せ ず 、 聞き 終えた 自分 が 不思議だった 。
あまりに も 話 の 内容 が 大き すぎた 。
あまり に も 大き すぎて 、 何も 考えられ なかった 。
岸壁 の 端 まで 来る と 、 光代 は 立ち止まった 。
足元 の 岸壁 に 、 いろんな ゴミ が 集まって 、 静かに 波 に 揺られて いた 。
「 今 から 、 警察 に 行く けん 」 祐一 の 声 に 、 光代 は ゴミ を 見つめた まま 頷いた 。
「 ごめん 。
光代 に 迷惑 かける 気 は …。
:」 言葉 の 途中 で 、 光代 は また 頷いた 。
三輪車 に 乗った 女の子 が 、 再び こちら に 近寄って くる 。
ハンドル に ついた ピンク 色 の リボン が 、 冷たい 潮風 に 千 切れ そうに 扉 いて いる 。
近寄って きた 三輪車 は 、 光代 と 祐一 の 間 を 抜けて 、 また 露店 の 母親 の 元 へ 戻った 。
光 代 は 必死に ペダル を 漕ぐ 女の子 の 小さな 背中 を 見送った 。
その とき 、「 本当に 、 ごめん 」 と 頭 を 下げた 祐一 が 、 一 人 で 駐車 場 の ほう へ 歩き 出す 。
一回り 背中 が 縮んだ ように 見えた 。
少し でも 触れる と 、 泣き出し そうな 背中 だった 。
「 警察って 、 どこ の ?
」 と 光代 は 声 を かけた 。
振り向いた 祐一 が 、「 分から ん 、 この 辺 なら 唐津 まで 出れば ある やろ 」 と 答える 。
祐一 の 答え を 訊 き ながら 、 そんな こと もう どうでも いい じゃ ない か と 光代 は 思った 。
早く 逃げ出せ と いう 声 も 聞こえた 。
それなのに 、 なぜ か 悔しくて 仕方なかった 。
何 か 言って やり たくて 仕方なかった 。
「 私 だけ 、 こげ ん 所 に 置いて いか んで よ 」 と 光代 は 言った 。
「…… こげ ん 所 に 、 一 人 で 置いて かれて も 困るたい 。
…: 私 も 一緒に 行く 。
警察 まで 、 一緒に 行く 」 と 。
海 から の 突風 が 、 光代 の 言葉 を 千切り 取る 。
祐一 は じっと 光代 を 見つめて いた 。
そし て 何も 言わ ず に 、 また 一 人 で 歩き 出した 。
「 待って よ !
」 光代 が 叫ぶ と 、 足 を 止めた 祐一 が 、「 ごめん 。
そげ ん こと したら 、 光代 に 迷惑 かか る 」 と 振り返ら ず に 言う 。
「 もう 迷惑 か かつ とる !
」 光代 は その 背中 に 怒鳴った 。
道 の 向こう で イカ を 割いて いた おばさん が 、 ちらっと こ ちら に 目 を 向ける 。
返事 も せ ず に 歩き 出した 祐一 を 、 光代 は 追いかけた 。
何 か 言って やり たかった 。
でも 、 こんな こと を 言って やりたい わけじゃ なかった 。
駐車 場 へ 入る と 、 祐一 は また 足 を 止めた 。
両手 を 握りしめ 、 肩 を 震わせて いた 。
◇ 雲行き が 怪しく なった の は 、 午後 二 時 を 過ぎた ころ だった 。
警察 から の 説明 を 受けて 、 思わず 店 を 飛び出した 石橋 佳男 は 、 自宅 から 歩いて 三 分 ほど の 所 に 借りて いる 駐車 場 へ 向かい 、 行く 当て も なく 車 に 乗り込んだ 。
福岡 の 大学生 が 犯人 で は なく 、 出会い 系 サイト で 知り合った 男 が 犯人 の ようだ 、 とい う 警察 の 説明 が 、 いくら 納得 しよう と して も でき なかった 。
いや 、 もっと 言えば 、 この 事件 に 娘 の 佳乃 が 関わって いる と いう こと さえ 、 何 か の 間違い の ような 気 が して 、 誰 か が 何 か の 目的 の ため 、 よってたかって 自分 や 妻 を 鯛 して いる ような 気 さえ した 。
佳乃 は まだ どこ か で 生きて いる んじゃ ない か 。
どこ か で 自分 が 助け に 来る の を 待って 「…… なんで 、 こげ ん こと に なって しも うた と やる 」 洩 を 畷 る 祐一 の 声 が 、 遠い 波 止め に ぶつかる 波 の 音 に 重なる 。
光代 は 祐一 の 前 へ 回り 込む と 、 硬く 握ら れた その 拳 を 手 に とった 。
「 行こう 、 警察 に 。
一緒に 行こう よ 。
…: 怖かった と やる ?
一 人 で 行く の 、 怖かった と やる ?
私 が 一緒に 行って やる けん 。
一緒 なら :.…、 一緒 なら 行ける やろ ?
」 光代 の 両手 の 中 で 、 祐一 の 拳 が 震えて いた 。
その 震え が 伝わる ように 、 祐一 が 何度 も 「…… うん 、 うん 」 と 頷く 。
いる ので は ない か ……。
でも どこ に 佳乃 が いる の か 分から ない 。
誰 に 訊 いて も 、 佳乃 は もう 死んだ のだ と 言う 。
行く 当て も なく 久留米 市街 を 車 で 走った 。
見慣れた 景色 な のに 、 涙 に くもる 目 で 見 知 ら ぬ 街 の ようだった 。
佳男 が 運転 する 車 は 、 まだ 高校 に 入った ばかりの 佳乃 が 選んだ もの だった 。
派手な 車 は 嫌だ と 言った のに 、「 絶対 、 赤い ほう が 可愛 か よ !
」 と 佳乃 は 譲ら ず 、 結局 、 折衷 案 で 決まった 薄い グリーン の 軽 自動車 だった 。
納 車 の 日 、 家族 三 人 で 写真 を 撮った 。
佳乃 は 新しい 車 を 喜び 、 佳男 が いくら 説得 して は も 、 シート の ビニール を 剥がす こと を 許さ なかった 。
もう 何 時間 も 久留米 市 内 を 走り回って いた 。
ただ 佳乃 に 会い たかった 。
佳乃 が どこ に いる の か 知り たかった 。
助け を 求める 声 は 聞こえる のに 、 娘 が どこ に いる の か 分から な かった 。
気 が つく と 、 佳男 は ハンドル を 三瀬 峠 へ 向けて いた 。
久留米 市街 を 出た 車 は 国道 に 乗 り 、 川 を 渡り 、 気 が つけば 、 佐賀 平野 に 伸びる 田園 の 一 本道 を 走って いた 。
道 の 先 に は 、 三瀬 峠 を 含む 脊振 山地 の 山々 が あった 。
とつぜん 雲行き が 怪しく なって きた の は 、 ガソリン スタンド に 寄った ころ だった 。
給 油 を 待つ 間 に 便所 へ 行く と 、 便所 の 小 窓 から 見えた 脊振 山地 の 上空 に 黒い 雨雲 が 迫って 見えた 。
雨雲 は 峠 の 頂上 を 隠す ように 広がって 、 佳男 が いる 平野 部 の ほう へ も 迫って く ワー 便所 を 出る と 、 雨 が ぱらぱら と 降り出した 。
佳男 は 屋外 に あった 洗面 所 で 手 も 洗わ ず に 、 給油 の 終わった 自分 の 車 に 駆け込んだ 。
佳乃 と 同じ 年 くらい の 女の子 が 、 領収 書 を 持って 駆けて くる 。
渡さ れた 領収 書 が 雨 に 濡れて いた 。
佳男 は 代金 を 払って アクセル を 踏んだ 。
雨 の 中 、 女の子 が いつまでも 見送る 姿 が 、 ルームミラー に 映って いた 。
車 が 峠 道 に 入る ころ に は どしゃぶり だった 。
まだ 午後 の 三 時 前 だ と 言う のに 、 低い 空 に 広がった 雨雲 が 、 峠 道 を 暗く して いた 。
佳男 は ライト を つけた 。
激しく 動く ワイパー の 先 に 、 青白く アスファルト 道路 が 浮か び 上がる 。
フロント ガラス を 滝 の ように 雨 が 流れ 、 まるで 千切れ そうに ワイパー が 動き 続ける 。
峠 を 下りて くる 対向 車 の ライト で 、 フロント ガラス の 雨 粒 が 光る 。
エンジン 音 は 聞こ え ず 、 辺り の 樹 々 を 叩く 雨音 が 、 閉め切った 車 内 に も 響いて くる 。
い 、 とこ 葬儀 の 日 、 久留米 の 工場 で 働く 従兄 に 、「 佳乃 ちゃん の 亡くなった 場所 に 、 一緒に 線 香 あげて やら ん や 」 と 言わ れた 。
あまりに も いろんな こと が 立て続け に 起こり 、 佳男 が 返事 も でき ず に いる と 、 そば に いた 親戚 の 女 たち が 、「 行 くん なら 、 私 たち も 行くたい 。
お 花 も 供えて 、 佳乃 ちゃん の 好き やった お 菓子 と か ・・・…」 と ざ わ ついた 。
みんな が 親切で 言って くれて いる の は 分かって いた が 、 その 親切 を 受けた 途端 に 、 二 度 と 佳乃 に 会え ない ような 気 が して 仕方なかった 。
佳男 は 、「 俺 は 、 行か ん 」 と だけ 言った 。
ざ わ ついて いた 親戚 たち が その 一言 で 黙り 込んだ 。
あれ は いつごろ だった か 、 テレビ 中継 されて いた 峠 の 現場 に 、 花 や ジュース が 並べ られて いる 映像 を 見た 。
親戚 たち が こっそり 行って くれた の か 、 それとも 見ず知らず の 誰 か が 、 佳乃 に 、 テレビ や 雑誌 であれ だけ 非難 さ れた 佳乃 に 、 花 を 手 向けて くれた の か 。
佳男 は その 映像 を 見て 、 声 を 上げて 泣いた 。
テレビ や 雑誌 で は 遠回しに 表現 されて いて も 、 手元 に 届く 嫌がらせ の ファックス や 手紙 は 、 やはり 露骨だった 。
ぱい た 「 売 女 の 娘 が 殺されて 悲しい か ?
自業自得 」 「 俺 も お前 の 娘 買いました 。
一晩 五百 円 」 「 あんな 女 、 殺されて 当然 。
売春 は 違法です 」 「 仕送り して やれよ -」 直筆 の もの も あれば 、 パソコン から プリント アウト さ れた もの も あった 。
毎朝 、 郵便 配達 員 が 来る の が 恐ろしかった 。
電話 線 を 抜いて も 、 夢 の 中 で 電話 が 鳴った 。
娘 が 日本 中 から 嫌われて いる ようだった .
悪人 下 (8)
あくにん|した
Evil Man (8)
L'homme maléfique à terre (8)
祐一 は ハンドル を 握った まま 、 じっと 森 の 赤い 眼 を 見つめて いた 。
ゆういち||はんどる||にぎった|||しげる||あかい|がん||みつめて|
||||||||||eyes|||
峠 だけ が 呼吸 して いる ようだった 。
とうげ|||こきゅう|||
mountain pass|||breathing|||
次の 瞬間 、 車 の ルーム ライト が ついた 。
つぎの|しゅんかん|くるま||るーむ|らいと||
光 の 中 、 佳乃 と 男 の 影 が 動 い た 。
ひかり||なか|よしの||おとこ||かげ||どう||
|||||||shadow||||
あっという間 だった 。
あっというま|
in no time|
ドア が 開き 、 佳乃 が 降りよう と した 。
どあ||あき|よしの||おりよう||
その 背中 を 男 が 蹴った のだ 。
|せなか||おとこ||けった|
|back|||||
|back||||kicked|
佳乃 は 車 に 跳ねられた 動物 の ようだった 。
よしの||くるま||はね られた|どうぶつ||
||||hit by car|||
路肩 に 崩れ落ち 、 後 頭部 を ガードレー ル で 強打 した 。
ろかた||くずれおち|あと|とうぶ|||||きょうだ|
||collapsed||back of the head||guardrail|||strong impact|
||崩れ落ちた|||||||強打した|
うずく ま ガード レール を 背 に 跨った 佳乃 を 置いて 、 男 の 車 が 走り出す 。
||がーど|れーる||せ||またがった|よしの||おいて|おとこ||くるま||はしりだす
to throb|||||||straddled|||left|||||
祐一 は 一瞬 、 自分 が 何 を 見た の か 分から なく なり 、 慌てて 男 の 車 を 追おう と した 。
ゆういち||いっしゅん|じぶん||なん||みた|||わから|||あわてて|おとこ||くるま||おおう||
||||||||||||||||||try to catch||
しかし サイド ブレーキ を 下 ろ した 途端 、 道ばた に 置き去り に さ れた 佳乃 の 姿 が 、 車 の 走り去った 後 の 風景 に 、 ぽつ ん と 残されて いる の が 見えた 。
|さいど|ぶれーき||した|||とたん|みちばた||おきざり||||よしの||すがた||くるま||はしりさった|あと||ふうけい|||||のこさ れて||||みえた
|||||||just as|roadside||left behind||||||||||ran away||||||||||||
テールランプ に 染まった 佳乃 の 姿 は 、 まるで 燃えて いる ようだった 。
||そまった|よしの||すがた|||もえて||
||stained||||||||
祐一 は サイド ブレーキ を 引き 直した 。
ゆういち||さいど|ぶれーき||ひき|なおした
||||||pulled again
あまりに も 強く 引いた ので 、 車体 の 底 で 妙な 音 が 立つ 。
||つよく|ひいた||しゃたい||そこ||みょうな|おと||たつ
|||||||bottom|||||
男 の 車 が 先 の カーブ を 曲がって しまう と 、 辺り から すべて の 色 が 消えた 。
おとこ||くるま||さき||かーぶ||まがって|||あたり||||いろ||きえた
||||||||turned|||||||||
赤く 染 まっていた 佳乃 の 姿 は 、 今や 峠 の 暗闇 に 呑み込まれて いた 。
あかく|し|まって いた|よしの||すがた||いまや|とうげ||くらやみ||のみこま れて|
|dyed|waiting|||||now|||||swallowed up|
男 の 車 が 去って 、 どれ くらい 経った の か 、 祐一 は 恐る恐る 車 の ライト を つけた 。
おとこ||くるま||さって|||たった|||ゆういち||おそるおそる|くるま||らいと||
|||||||passed|||||with hesitation|||||
光 は 佳乃 が 鱒った 場所 まで 届か なかった が 、 それ でも 冬 の 月光 より も 役 に は 立った 。
ひかり||よしの||ます った|ばしょ||とどか|||||ふゆ||げっこう|||やく|||たった
light||||squirmed||||||||||moonlight||||||
サイド ブレーキ を 下ろし 、 かすかに 足 を アクセル に 乗せた 。
さいど|ぶれーき||おろし||あし||あくせる||のせた
峠 の 道 を 照らす 青い ライ ト が 、 水 が 染みる ような 速度 で 、 佳乃 の 元 へ 近づいて いく 。
とうげ||どう||てらす|あおい||||すい||しみる||そくど||よしの||もと||ちかづいて|
|||||||||||soaks in|||||||||
ライト が はっきり と 佳乃 の 姿 を 捕らえた とき 、 青白い 光 の 中 で 佳乃 は 怯え 、 光 の 中 を 見よう と 、 必死に 目 を 細めて いた 。
らいと||||よしの||すがた||とらえた||あおじろい|ひかり||なか||よしの||おびえ|ひかり||なか||みよう||ひっしに|め||ほそめて|
||||||||captured||pale blue|||||||afraid|light|||||||||squinted|
|||||||||||||||||||||||||||細めていた|
再び サイド ブレーキ を 引いて 、 祐一 は 運転 席 の ドア を 開けた 。
ふたたび|さいど|ぶれーき||ひいて|ゆういち||うんてん|せき||どあ||あけた
again||||||||||||
佳乃 が 身構える ように 、 バッグ を 抱きかかえる 。
よしの||みがまえる||ばっぐ||だきかかえる
||brace oneself||||hugging tightly
||構える||||
「 大丈夫 ?
だいじょうぶ
」 祐一 は 声 を かけた 。
ゆういち||こえ||
が 、 真っ暗な 峠 に 声 は すぐに 呑み込ま れる 。
|まっくらな|とうげ||こえ|||のみこま|
|pitch dark||||||was swallowed|
遠い 地鳴り の ように 、 車 の エンジン 音 だけ が する 。
とおい|じなり|||くるま||えんじん|おと|||
|rumbling|||||||||
祐一 が 光 の 中 に 踏み込む と 、 佳乃 の 表情 に 変化 が あった 。
ゆういち||ひかり||なか||ふみこむ||よしの||ひょうじょう||へんか||
||||||stepped into||||||||
「 なんで 、 ここ に おる と ?
も しか して つけて 来た わけ ?
||||きた|
もう 、 やめて よ !
」 ほ バッグ を 抱えて 、 路肩 に 樽って いる 女 が そう 吠えた 。
|ばっぐ||かかえて|ろかた||たる って||おんな|||ほえた
|||holding|||squatting|||||barked
|||||||||||吠えた
男 に 蹴り 降ろさ れ 、 暗い 峠 に 置 き 去り に さ れた 女 だった 。
おとこ||けり|おろさ||くらい|とうげ||お||さり||||おんな|
||kick|||||||||||||
「 だ 、 大丈夫 ?
|だいじょうぶ
」 祐一 は それ でも 佳乃 へ 近づいて 、 立ち上がら せよう と 手 を 差し伸べた 。
ゆういち||||よしの||ちかづいて|たちあがら|||て||さしのべた
||||||||||||extended
しかし 佳乃 は その 手 を 払い 、「 見とった わけ ?
|よしの|||て||はらい|みとった|
||||||brushed away|watching|
もう 信じられ ん !
|しんじ られ|
」 と 悪態 を つき ながら 自分 で 立ち 上がろう と する 。
|あくたい||||じぶん||たち|あがろう||
|bad language|||||||let's stand up||
|悪態|||||||||
「 ど 、 どうした と ね ?
」 と 祐一 は 訊 いた 。
|ゆういち||じん|
ヒール の 高い ブーツ で よろける 佳乃 の 手 を 取 る と 、 手のひら に 小石 が 埋まって いる 感触 が した 。
||たかい|ぶーつ|||よしの||て||と|||てのひら||こいし||うずまって||かんしょく||
|||boots||stumble||||||||||||buried in||||
|||||つまずく||||||||||||||||
「 どうも こう も ない !
どうしても|||
あんた に 教える 義務 なか や ん !
||おしえる|ぎむ|||
」 祐一 の 手 を 払って 、 佳乃 は 歩き 出そう と した 。
ゆういち||て||はらって|よしの||あるき|だそう||
祐一 は その 腕 を また 取った 。
ゆういち|||うで|||とった
|||arm|||
「 車 に 乗ら ん ね 。
くるま||のら||
送って やる けん 」 祐一 の 言葉 に 、 佳乃 が ちらっと 車 の ほう へ 目 を 向ける 。
おくって|||ゆういち||ことば||よしの|||くるま||||め||むける
|||||||||glanced|||||||
二 人 と も ライト の 中 に 立って いた 。
ふた|じん|||らいと||なか||たって|
そこ に だけ 世界 が ある ようだった 。
|||せかい|||
祐一 が 腕 を 引く と 、「 もう 、 よかって !
ゆういち||うで||ひく|||よか って
|||||||it's fine
放つ と いて よ !
はなつ|||
release|||
」 と 、 また 佳乃 が 振り払う 。
||よしの||ふりはらう
||Yoshino||shakes off
「 ここ から 歩いて 帰ら れ ん やろ !
||あるいて|かえら|||
」 売り言葉 に 買い 言葉 で 、 祐一 は 強く 佳乃 の 腕 を 引いた 。
うりことば||かい|ことば||ゆういち||つよく|よしの||うで||ひいた
provocative remark||buy||||||||||
selling words||||||||||||
タイミング が 悪く 、 その 反動 で 歩き 出そう と して いた 佳乃 の 足 が 宙 を 滑る 。
たいみんぐ||わるく||はんどう||あるき|だそう||||よしの||あし||ちゅう||すべる
|||||||||||||||air||
バランス を 崩して 倒れ込んだ ところ が 、 ちょうど 車 の 真っ正面 だった 。
ばらんす||くずして|たおれこんだ||||くるま||まっしょうめん|
||lost|||||||directly in front|
慌てて 支えよう と した 祐一 の 肘 が 、 運 悪く 佳乃 の 背 を 押 した 。
あわてて|ささえよう|||ゆういち||ひじ||うん|わるく|よしの||せ||お|
|try to support|||||elbow|||||||||
佳乃 は 奇妙な 格好で から だ を くねら せて 、 そのまま 車体 の フロント に ぶつかった 。
よしの||きみょうな|かっこうで|||||||しゃたい||ふろんと||
||strange|||||twisted|||||||
思わず 手 を ついた 場所 に 、 佳乃 の 小指 が 差し込ま れる 。
おもわず|て|||ばしょ||よしの||こゆび||さしこま|
||||||||little finger||inserted|
「 痛 ッ !
つう|
ouch|
」 叫び声 が こだま した 。
さけびごえ|||
||echo|
||echo|
暗い 森 で 眠って いた 烏 たち が 一斉に 飛び立つ ほど だった 。
くらい|しげる||ねむって||からす|||いっせいに|とびたつ||
||||||||all at once|took off||
「 だ 、 大丈夫 ?
|だいじょうぶ
」 祐一 は 慌てて 抱き 起こそう と した 。
ゆういち||あわてて|いだき|おこそう||
バンパー と 車体 の 間 に 入り込んで しまった 指 がそ の まま だった 。
||しゃたい||あいだ||はいりこんで||ゆび||||
bumper|||||||||just|||
bumper||||||||||||
起こそう と 佳乃 の 腋 の 下 を 持ち上げた とたん 、 悲鳴 と 共に 、 小指 が 奇妙 な 形 で 曲がった 。
おこそう||よしの||わき||した||もちあげた||ひめい||ともに|こゆび||きみょう||かた||まがった
||||armpit||||||scream||together with|||||shape||
何もかも が 一瞬 の 出来事 だった 。
なにもかも||いっしゅん||できごと|
||a moment|||
血の気 が 引いた 。
ちのけ||ひいた
color drained||
ライト の 前 に しゃがみ込んで しまった 佳乃 の 顔 を 、 強い ライト が 照らし 、 髪 の 毛 一 本 一 本 が 逆 立って いた 。
らいと||ぜん||しゃがみこんで||よしの||かお||つよい|らいと||てらし|かみ||け|ひと|ほん|ひと|ほん||ぎゃく|たって|
||||squatting down||||||||||||||||||逆立って||
「 ご 、 ごめん 。
…… ごめん 」 痛み に 顔 を 歪めた 佳乃 が 、 やっと 抜けた 指 を 握り 、 奥歯 を 噛み締めて いる 。
|いたみ||かお||ゆがめた|よしの|||ぬけた|ゆび||にぎり|おくば||かみしめて|
|pain||face||twisted|||||||gripped|back tooth||biting down|
「 人殺し !
ひとごろし
murderer
」 祐一 が 肩 に 手 を 置いた 途端 、 佳乃 が そう 叫んだ 。
ゆういち||かた||て||おいた|とたん|よしの|||さけんだ
|||||||at that moment||||screamed
祐一 は 思わず 手 を 引いた 。
ゆういち||おもわず|て||ひいた
|||||pulled back
|||手||
らち 「 人殺し !
|ひとごろし
hostage|
警察 に 言って やる けん ね !
けいさつ||いって|||
襲わ れたって 言って やる !
おそわ|れた って|いって|
was attacked|||
ここ まで 拉致 ら れたって !
||らち||れた って
||abduction||
||誘拐||
拉致られて 、 レイプ さ れ そうに なったって !
らち られて|れいぷ|||そう に|なった って
abducted|||||
私 の 親戚 に 弁護 士 おる つち やけん 。
わたくし||しんせき||べんご|し|||
||relatives||lawyer||||
馬鹿に せ んで よ !
ばかに|||
私 、 あんた みたいな 男 と 付き合う ような 女 じゃ ない つち や けん !
わたくし|||おとこ||つきあう||おんな|||||
人殺し !
ひとごろし
」 佳乃 が 叫ぶ 。
よしの||さけぶ
||screams
まったく の 嘘 な のに 、 祐一 は なぜ か 膝 が 震えて 止まら なかった 。
||うそ|||ゆういち||||ひざ||ふるえて|とまら|
|||||||||knee||shaking||
佳乃 は それ だけ 言い放つ と 、 痛む 指 を 握って 歩き 出した 。
よしの||||いいはなつ||いたむ|ゆび||にぎって|あるき|だした
||||blurted out|||||gripped||
車 の 周囲 を 離れれば 、 街灯 も ない 峠 道 で 、 すぐに 佳乃 の 姿 は 闇 に 呑 ま れる 。
くるま||しゅうい||はなれれば|がいとう|||とうげ|どう|||よしの||すがた||やみ||どん||
||surroundings||if離れる|streetlight|||||||||||||swallowed||
「 ちよ 、 ちょっと 、 待てって 」 と 祐一 は 声 を かけた が 、 それ でも 佳乃 は 歩いて いく 。
||まて って||ゆういち||こえ||||||よしの||あるいて|
||wait a minute|||||||||||||
佳乃 の 足音 が 遠ざかる 闇 の 中 へ 、 祐一 は たまら ず に 駆け込んだ 。
よしの||あしおと||とおざかる|やみ||なか||ゆういち|||||かけこんだ
||||fades away|||||||couldn't bear|not||
|||||||||||たまらず|||
「 嘘 つく な !
うそ||
俺 は 何も し とら ん ぞ !
おれ||なにも||||
」 叫び ながら 駆け込む と 、 立ち止まった 佳乃 が 振り返り 、「 絶対 に 言う て やる !
さけび||かけこむ||たちどまった|よしの||ふりかえり|ぜったい||いう||
scream||rushed in|||||looking back|||||
拉致られたって 、 レイプ さ れたって 言う て やる !
らち られた って|れいぷ||れた って|いう||
was abducted||||||
」 と 叫び 返して くる 。
|さけび|かえして|
|shout||
真冬 の 峠 の 中 な のに 、 せみ 山 全体 から 蝉 の 声 が 聞こえた 。
まふゆ||とうげ||なか||||やま|ぜんたい||せみ||こえ||きこえた
|||||||cicada||||cicada||||
|||||||||||蝉の||||
耳 を 塞ぎ たく なる ほど の 鳴き声 だった 。
みみ||ふさぎ|||||なきごえ|
自分 でも 何 に 怯えて いる の か 分から なかった 。
じぶん||なん||おびえて||||わから|
||||afraid|||||
ここ まで 拉致 さ れた 。
||らち||
レイプ さ れた 。
れいぷ||
佳乃 の 言葉 は まったく の 嘘 な のに 、 まるで 自分 が それ を 犯して しまった ようで 、 血の気 ぬぎ ぬ が 引いた 。
よしの||ことば||||うそ||||じぶん||||おかして|||ちのけ||||ひいた
|||||||||||||||||loss of color|blood drained|||
必死に 、「 嘘 だ !
ひっしに|うそ|
濡れ衣 だ !
ぬれぎぬ|
false accusation|
false accusation|
」 と 、 心 の 中 で 叫ぶ のだ が 、「 誰 が 信じて くれ る ?
|こころ||なか||さけぶ|||だれ||しんじて||
誰 が お前 の こと なんか 信じて くれる ?
だれ||おまえ||||しんじて|
」 と 真っ暗な 峠 が 畷 き かけて くる 。
|まっくらな|とうげ||なわて|||
||||crossing|||
そこ に は 暗い 峠 道 しか なかった 。
|||くらい|とうげ|どう||
|||dark||||
証人 が い なかった 。
しょうにん|||
witness|||
俺 が ここ で 何も して いない と い う こと を 証明 して くれる 者 が い なかった 。
おれ||||なにも||||||||しょうめい|||もの|||
婆さん に 、「 俺 は 何も やつ とら ん !
ばあさん||おれ||なにも|||
」 と 弁解 する 自分 の 姿 が 見えた 。
|べんかい||じぶん||すがた||みえた
|excuse||||||
「 俺 は 何も やつ とら ん !
おれ||なにも|||
」 と 、 自分 を 取り囲む 人々 に 叫び 続け る 自分 の 姿 が 見えた 。
|じぶん||とりかこむ|ひとびと||さけび|つづけ||じぶん||すがた||みえた
|||surrounding||||||||||
その とき ふいに 「 母ちゃん は ここ に 戻って くる !
|||かあちゃん||||もどって|
||suddenly||||||
」 と フェリー 乗 り 場 で 叫んだ 、 幼い 自分 の 声 が 蘇った 。
|ふぇりー|じょう||じょう||さけんだ|おさない|じぶん||こえ||よみがえった
||||||shouted|young|||||returned
誰 も 信じて くれ なかった あの とき の 声 が 。
だれ||しんじて||||||こえ|
祐一 は 佳乃 の 肩 を 掴んだ 。
ゆういち||よしの||かた||つかんだ
||||||grabbed
「 触ら んで !
さわら|
don't touch|
」 振り払おう と した 佳乃 の 腕 が 、 祐一 の 耳 に 当たった 。
ふりはらおう|||よしの||うで||ゆういち||みみ||あたった
shook off|||||||||||
まるで 金 棒 を 差し込ま れた よう な 痛 み が 走る 。
|きむ|ぼう||さしこま||||つう|||はしる
|gold||||||||||
|金||||||||||
祐一 は 思わず 佳乃 の 腕 を 取った 。
ゆういち||おもわず|よしの||うで||とった
逃げよう と する 佳乃 を 押さえ 込もう と して いる うち に 、 冷たい 路面 で 馬乗り に なって いた 。
にげよう|||よしの||おさえ|こもう||||||つめたい|ろめん||うまのり|||
|||||pinned down|press down|||||||road surface||on horseback|||
|||||||||||||||馬に乗る|||
月 明かり に 照らさ れた 佳乃 の 顔 が 怒り に 歪んで いた 。
つき|あかり||てらさ||よしの||かお||いかり||ゆがんで|
|||||||||anger||twisted|
「::: 俺 は 何も し とら ん 」 佳乃 の 両 肩 を 強く 押さえた 。
おれ||なにも||||よしの||りょう|かた||つよく|おさえた
||||||||||||held
痛み に 声 を 漏らす 佳乃 が 、 それ でも 噛みつく ように 、 「 誰 が あんた の こと なんか 信じる と よ !
いたみ||こえ||もらす|よしの||||かみつく||だれ||||||しんじる||
|||||||||bites||||||||||
」 と 叫ぶ 。
|さけぶ
|to shout
「 人殺し !
ひとごろし
助けて !
たすけて
人殺し !
ひとごろし
」 佳乃 の 悲鳴 が 峠 の 樹 々 を 揺らす 。
よしの||ひめい||とうげ||き|||ゆらす
佳乃 が 声 を 上げる たび 、 祐一 は 恐ろし さ に 身 が 震え た 。
よしの||こえ||あげる||ゆういち||おそろし|||み||ふるえ|
||||||||fearful||||||
こんな 嘘 を 誰 か に 聞か れたら ……。
|うそ||だれ|||きか|
「…… 俺 は 何も し とら ん 。
おれ||なにも|||
俺 は 何も し とら ん 」 祐一 は 目 を 閉じて いた 。
おれ||なにも||||ゆういち||め||とじて|
佳乃 の 喉 を 必死に 押さえつけて いた 。
よしの||のど||ひっしに|おさえつけて|
|||||pressed down|
恐ろしくて 仕方 なかった 。
おそろしくて|しかた|
佳乃 の 嘘 を 誰 に も 聞か せる わけに は いか なかった 。
よしの||うそ||だれ|||きか|||||
早く 嘘 を 殺さ ない と 、 真実の ほ う が 殺さ れ そうで 怖かった 。
はやく|うそ||ころさ|||しんじつの||||ころさ||そう で|こわかった
||||||true|||||||
◇ 岸壁 に いろんな ゴミ が 打ち寄せて いる 。
がんぺき|||ごみ||うちよせて|
pier|||||washed up|
洗剤 の ペットボトル 。
せんざい||ぺっとぼとる
detergent||
汚れた 発泡 スチロール 347 第 四 章 彼 は 誰 に 出会った か ?
けがれた|はっぽう||だい|よっ|しょう|かれ||だれ||であった|
|styrofoam||||||||||
の 箱 。
|はこ
|box
片方 だけ の ビーチ サンダル 。
かたほう|||びーち|さんだる
それぞれ に 藻 や ビニール 袋 が 絡まって 、 いくら 波 に 揺られて も 、 岸壁 に ぶつかって は 跳ね返り 、 どこ へ も 逃げ出せ ず に いる 。
||も||びにーる|ふくろ||からまって||なみ||ゆられて||がんぺき||||はねかえり||||にげだせ|||
||seaweed||plastic|||tangled up||||rocked by||pier||||bounced back||||cannot escape|||
たわ 岸壁 に は 数 艘 の イカ 釣り 漁船 が 停泊 して いる 。
|がんぺき|||すう|そう||いか|つり|ぎょせん||ていはく||
locative particle|||||boats||squid|squid fishing|||anchored||
ロープ が 僥 み 、 船底 から 小魚 の 群れ が 泳ぎ 出て くる 。
ろーぷ||ぎょう||せんてい||こざかな||むれ||およぎ|でて|
||suddenly stopped||bottom of the boat||small fish||school||swimming||
||揺れ||||||||||
岸壁 の 背後 に は 干し イカ を 売る 露店 が 並び 、 行き交う 観光 客 に 声 を かけ て いる 。
がんぺき||はいご|||ほし|いか||うる|ろてん||ならび|ゆきかう|かんこう|きゃく||こえ||||
pier||behind||||||selling|street vendor||lined up|coming and going||||||||
さっき から 小さな 女の子 が 三輪車 に 乗って 、 岸壁 に 立つ 光代 と 祐一 の 元 へ 来て は 、 また 露店 に 立つ 母親 の 元 へ 戻って いく 。
||ちいさな|おんなのこ||さんりんしゃ||のって|がんぺき||たつ|てるよ||ゆういち||もと||きて|||ろてん||たつ|ははおや||もと||もどって|
|||||tricycle||||||Mitsuyo|||||||||||||||||
結局 、 料理 の 途中 で 光代 と 祐一 は 店 を 出て きた 。
けっきょく|りょうり||とちゅう||てるよ||ゆういち||てん||でて|
運ば れた とき 、 皿 の 上 で 生々しく 動 いて いた イカ の 脚 も 、 祐一 の 話 が 終わる ころ に なる と 、 ぐったり と 動か なく なって いた 。
はこば|||さら||うえ||なまなましく|どう|||いか||あし||ゆういち||はなし||おわる|||||||うごか|||
was carried||||||||||||||||||||||||sluggishly|||||
幸い 、 他の 客 が 広間 に 入って くる こと は なかった 。
さいわい|たの|きゃく||ひろま||はいって||||
fortunately||||large room||||||
代わり に 給仕 の おばさん が 何度 も 様 子 を 見 に きた 。
かわり||きゅうじ||||なんど||さま|こ||み||
instead of||waitress||||||situation|||||
||waitress|||||||||||
話 が 終わる と 、 祐一 は 、「 ごめん 」 と 小声 で 眩 いた 。
はなし||おわる||ゆういち||||こごえ||くら|
そして 黙り 込んだ まま の 光代 に 、 「 これ から 、 警察 に 行く けん 」 と 言った 。
|だまり|こんだ|||てるよ||||けいさつ||いく|||いった
|silently|||||||||||||
光代 は ほとんど 何も 考え ず に 頷いた 。
てるよ|||なにも|かんがえ|||うなずいた
|||||||nodded
ちょうど 給仕 の おばさん が 現れて 、「 刺身 は 苦 手 です か ?
|きゅうじ||||あらわれて|さしみ||く|て||
|waitress||||||||||
」 と 訊 く ので 、「…… すいません 、 ちょっと 気分 が 悪くて 」 と 光代 は 嘘 を つ いた 。
|じん|||||きぶん||わるくて||てるよ||うそ|||
立ち上がる 光代 を 、 祐一 が 諦めた ように 見上げて いた 。
たちあがる|てるよ||ゆういち||あきらめた||みあげて|
|||||gave up|||
光代 は 、「 ねえ 、 出よ う 」 と 声 を かけた 。
てるよ|||でよ|||こえ||
|||let's go|||||
自分 は 置いて いか れる と 思って いた のだろう 、 祐一 は ひどく 驚いて いた 。
じぶん||おいて||||おもって|||ゆういち|||おどろいて|
||left||||||||||greatly surprised|
おばさん に 詫びる と 、「 お 金 はいらん けん ね 」 と 言って くれた 。
||わびる|||きむ|||||いって|
||apologize to||||doesn't need|||||
店 を 出て 、 漁船 の 停泊 する 岸壁 を 歩いた 。
てん||でて|ぎょせん||ていはく||がんぺき||あるいた
|||fishing boat||anchorage||||
足 が 自然 と 駐車 場 に 向いて いた 。
あし||しぜん||ちゅうしゃ|じょう||むいて|
人 を 殺し た 男 の 車 に また 乗り込もう と して いる 。
じん||ころし||おとこ||くるま|||のりこもう|||
|||||||||will board|||
頭 で は 分かって いる のだ が 、 冷たい 潮風 の 吹き 抜ける 岸壁 で 、 他 に 向かう 場所 も なかった 。
あたま|||わかって||||つめたい|しおかぜ||ふき|ぬける|がんぺき||た||むかう|ばしょ||
祐一 の 話 を 最後 まで 悲鳴 も 上げ ず 、 逃げ出 し も せ ず 、 聞き 終えた 自分 が 不思議だった 。
ゆういち||はなし||さいご||ひめい||あげ||にげだ|||||きき|おえた|じぶん||ふしぎだった
||||||scream||||ran away|||||||||
あまりに も 話 の 内容 が 大き すぎた 。
||はなし||ないよう||おおき|
あまり に も 大き すぎて 、 何も 考えられ なかった 。
|||おおき||なにも|かんがえ られ|
岸壁 の 端 まで 来る と 、 光代 は 立ち止まった 。
がんぺき||はし||くる||てるよ||たちどまった
足元 の 岸壁 に 、 いろんな ゴミ が 集まって 、 静かに 波 に 揺られて いた 。
あしもと||がんぺき|||ごみ||あつまって|しずかに|なみ||ゆられて|
||||||||quietly|||swayed by|
「 今 から 、 警察 に 行く けん 」 祐一 の 声 に 、 光代 は ゴミ を 見つめた まま 頷いた 。
いま||けいさつ||いく||ゆういち||こえ||てるよ||ごみ||みつめた||うなずいた
「 ごめん 。
光代 に 迷惑 かける 気 は …。
てるよ||めいわく||き|
||trouble|||
:」 言葉 の 途中 で 、 光代 は また 頷いた 。
ことば||とちゅう||てるよ|||うなずいた
三輪車 に 乗った 女の子 が 、 再び こちら に 近寄って くる 。
さんりんしゃ||のった|おんなのこ||ふたたび|||ちかよって|
tricycle||||||||approaching|
ハンドル に ついた ピンク 色 の リボン が 、 冷たい 潮風 に 千 切れ そうに 扉 いて いる 。
はんどる|||ぴんく|いろ||りぼん||つめたい|しおかぜ||せん|きれ|そう に|とびら||
||||||ribbon|||||about to|||door||
||||||ribbon||||||||||
近寄って きた 三輪車 は 、 光代 と 祐一 の 間 を 抜けて 、 また 露店 の 母親 の 元 へ 戻った 。
ちかよって||さんりんしゃ||てるよ||ゆういち||あいだ||ぬけて||ろてん||ははおや||もと||もどった
||tricycle||||||||||||||||
光 代 は 必死に ペダル を 漕ぐ 女の子 の 小さな 背中 を 見送った 。
ひかり|だい||ひっしに|ぺだる||こぐ|おんなのこ||ちいさな|せなか||みおくった
||||pedal||||||||
||||ペダル||||||||
その とき 、「 本当に 、 ごめん 」 と 頭 を 下げた 祐一 が 、 一 人 で 駐車 場 の ほう へ 歩き 出す 。
||ほんとうに|||あたま||さげた|ゆういち||ひと|じん||ちゅうしゃ|じょう||||あるき|だす
一回り 背中 が 縮んだ ように 見えた 。
ひとまわり|せなか||ちぢんだ||みえた
a full turn|||shrunk||
少し でも 触れる と 、 泣き出し そうな 背中 だった 。
すこし||ふれる||なきだし|そう な|せなか|
「 警察って 、 どこ の ?
けいさつ って||
police||
」 と 光代 は 声 を かけた 。
|てるよ||こえ||
振り向いた 祐一 が 、「 分から ん 、 この 辺 なら 唐津 まで 出れば ある やろ 」 と 答える 。
ふりむいた|ゆういち||わから|||ほとり||からつ||でれば||||こたえる
looked back||||||||Karatsu||if you go out||||
祐一 の 答え を 訊 き ながら 、 そんな こと もう どうでも いい じゃ ない か と 光代 は 思った 。
ゆういち||こたえ||じん||||||||||||てるよ||おもった
||||||||||||||||Mitsuyo||
早く 逃げ出せ と いう 声 も 聞こえた 。
はやく|にげだせ|||こえ||きこえた
それなのに 、 なぜ か 悔しくて 仕方なかった 。
|||くやしくて|しかたなかった
|||frustrated|
何 か 言って やり たくて 仕方なかった 。
なん||いって|||しかたなかった
「 私 だけ 、 こげ ん 所 に 置いて いか んで よ 」 と 光代 は 言った 。
わたくし||||しょ||おいて|||||てるよ||いった
||burned|||||||||||
「…… こげ ん 所 に 、 一 人 で 置いて かれて も 困るたい 。
||しょ||ひと|じん||おいて|||こまる たい
||||||||||troublesome
…: 私 も 一緒に 行く 。
わたくし||いっしょに|いく
警察 まで 、 一緒に 行く 」 と 。
けいさつ||いっしょに|いく|
海 から の 突風 が 、 光代 の 言葉 を 千切り 取る 。
うみ|||とっぷう||てるよ||ことば||ちぎり|とる
|||sudden wind||Mitsuyo||||snatches|
|||||||||引き裂く|
祐一 は じっと 光代 を 見つめて いた 。
ゆういち|||てるよ||みつめて|
そし て 何も 言わ ず に 、 また 一 人 で 歩き 出した 。
||なにも|いわ||||ひと|じん||あるき|だした
「 待って よ !
まって|
」 光代 が 叫ぶ と 、 足 を 止めた 祐一 が 、「 ごめん 。
てるよ||さけぶ||あし||とどめた|ゆういち||
||screams|||||||
そげ ん こと したら 、 光代 に 迷惑 かか る 」 と 振り返ら ず に 言う 。
||||てるよ||めいわく||||ふりかえら|||いう
|||||||will befall|||without looking back|||
「 もう 迷惑 か かつ とる !
|めいわく|||
」 光代 は その 背中 に 怒鳴った 。
てるよ|||せなか||どなった
道 の 向こう で イカ を 割いて いた おばさん が 、 ちらっと こ ちら に 目 を 向ける 。
どう||むこう||いか||さいて||||||||め||むける
||||||splitting||||||||||
返事 も せ ず に 歩き 出した 祐一 を 、 光代 は 追いかけた 。
へんじ|||||あるき|だした|ゆういち||てるよ||おいかけた
|||||||||||chased after
何 か 言って やり たかった 。
なん||いって||
でも 、 こんな こと を 言って やりたい わけじゃ なかった 。
||||いって|やり たい||
駐車 場 へ 入る と 、 祐一 は また 足 を 止めた 。
ちゅうしゃ|じょう||はいる||ゆういち|||あし||とどめた
両手 を 握りしめ 、 肩 を 震わせて いた 。
りょうて||にぎりしめ|かた||ふるわせて|
|||||shaking|
◇ 雲行き が 怪しく なった の は 、 午後 二 時 を 過ぎた ころ だった 。
くもゆき||あやしく||||ごご|ふた|じ||すぎた||
cloudiness||suspiciously||||||||||
警察 から の 説明 を 受けて 、 思わず 店 を 飛び出した 石橋 佳男 は 、 自宅 から 歩いて 三 分 ほど の 所 に 借りて いる 駐車 場 へ 向かい 、 行く 当て も なく 車 に 乗り込んだ 。
けいさつ|||せつめい||うけて|おもわず|てん||とびだした|いしばし|よしお||じたく||あるいて|みっ|ぶん|||しょ||かりて||ちゅうしゃ|じょう||むかい|いく|あて|||くるま||のりこんだ
|||||||||||Yoshio|||||||||||rented||||||||||||
福岡 の 大学生 が 犯人 で は なく 、 出会い 系 サイト で 知り合った 男 が 犯人 の ようだ 、 とい う 警察 の 説明 が 、 いくら 納得 しよう と して も でき なかった 。
ふくおか||だいがくせい||はんにん||||であい|けい|さいと||しりあった|おとこ||はんにん|||||けいさつ||せつめい|||なっとく||||||
|||||||||||||||||||||||||understood||||||
いや 、 もっと 言えば 、 この 事件 に 娘 の 佳乃 が 関わって いる と いう こと さえ 、 何 か の 間違い の ような 気 が して 、 誰 か が 何 か の 目的 の ため 、 よってたかって 自分 や 妻 を 鯛 して いる ような 気 さえ した 。
||いえば||じけん||むすめ||よしの||かかわって||||||なん|||まちがい|||き|||だれ|||なん|||もくてき||||じぶん||つま||たい||||き||
||||incident||||||involved with|||||||||mistake|||||||||||||||ganging up|||wife||target||||||
||||||||||||||||||||||||||||||||||集まって|||||||||||
佳乃 は まだ どこ か で 生きて いる んじゃ ない か 。
よしの||||||いきて||||
どこ か で 自分 が 助け に 来る の を 待って 「…… なんで 、 こげ ん こと に なって しも うた と やる 」 洩 を 畷 る 祐一 の 声 が 、 遠い 波 止め に ぶつかる 波 の 音 に 重なる 。
|||じぶん||たすけ||くる|||まって|||||||||||えい||なわて||ゆういち||こえ||とおい|なみ|とどめ|||なみ||おと||かさなる
|||||help||||||||||||||||leak|||||||||||||||||
光代 は 祐一 の 前 へ 回り 込む と 、 硬く 握ら れた その 拳 を 手 に とった 。
てるよ||ゆういち||ぜん||まわり|こむ||かたく|にぎら|||けん||て||
|||||||||firmly|gripped|||fist||||
「 行こう 、 警察 に 。
いこう|けいさつ|
一緒に 行こう よ 。
いっしょに|いこう|
…: 怖かった と やる ?
こわかった||
一 人 で 行く の 、 怖かった と やる ?
ひと|じん||いく||こわかった||
私 が 一緒に 行って やる けん 。
わたくし||いっしょに|おこなって||
一緒 なら :.…、 一緒 なら 行ける やろ ?
いっしょ||いっしょ||いける|
」 光代 の 両手 の 中 で 、 祐一 の 拳 が 震えて いた 。
てるよ||りょうて||なか||ゆういち||けん||ふるえて|
||||||||fist|||
その 震え が 伝わる ように 、 祐一 が 何度 も 「…… うん 、 うん 」 と 頷く 。
|ふるえ||つたわる||ゆういち||なんど|||||うなずく
||||||||||||nodding
いる ので は ない か ……。
でも どこ に 佳乃 が いる の か 分から ない 。
|||よしの|||||わから|
誰 に 訊 いて も 、 佳乃 は もう 死んだ のだ と 言う 。
だれ||じん|||よしの|||しんだ|||いう
行く 当て も なく 久留米 市街 を 車 で 走った 。
いく|あて|||くるめ|しがい||くるま||はしった
||||Kurume|city||||
見慣れた 景色 な のに 、 涙 に くもる 目 で 見 知 ら ぬ 街 の ようだった 。
みなれた|けしき|||なみだ|||め||み|ち|||がい||
familiar||||||clouded|||||||town||
||||||涙|||||||||
佳男 が 運転 する 車 は 、 まだ 高校 に 入った ばかりの 佳乃 が 選んだ もの だった 。
よしお||うんてん||くるま|||こうこう||はいった||よしの||えらんだ||
|||||||||||||chosen||
派手な 車 は 嫌だ と 言った のに 、「 絶対 、 赤い ほう が 可愛 か よ !
はでな|くるま||いやだ||いった||ぜったい|あかい|||かわい||
flashy|||don't like||||definitely||||||
」 と 佳乃 は 譲ら ず 、 結局 、 折衷 案 で 決まった 薄い グリーン の 軽 自動車 だった 。
|よしの||ゆずら||けっきょく|せっちゅう|あん||きまった|うすい|ぐりーん||けい|じどうしゃ|
|||gave way|||compromise|proposal|||light|||light|light vehicle|
||||||compromise|||||||||
納 車 の 日 、 家族 三 人 で 写真 を 撮った 。
おさむ|くるま||ひ|かぞく|みっ|じん||しゃしん||とった
delivery||||||||||
佳乃 は 新しい 車 を 喜び 、 佳男 が いくら 説得 して は も 、 シート の ビニール を 剥がす こと を 許さ なかった 。
よしの||あたらしい|くるま||よろこび|よしお|||せっとく||||しーと||びにーる||はがす|||ゆるさ|
|||||joy|good man|||persuasion||||||||peel off||||
もう 何 時間 も 久留米 市 内 を 走り回って いた 。
|なん|じかん||くるめ|し|うち||はしりまわって|
||||Kurume|||||
ただ 佳乃 に 会い たかった 。
|よしの||あい|
佳乃 が どこ に いる の か 知り たかった 。
よしの|||||||しり|
助け を 求める 声 は 聞こえる のに 、 娘 が どこ に いる の か 分から な かった 。
たすけ||もとめる|こえ||きこえる||むすめ|||||||わから||
help||to seek||||||||||||||
気 が つく と 、 佳男 は ハンドル を 三瀬 峠 へ 向けて いた 。
き||||よしお||はんどる||みつせ|とうげ||むけて|
||||good man||||||||
久留米 市街 を 出た 車 は 国道 に 乗 り 、 川 を 渡り 、 気 が つけば 、 佐賀 平野 に 伸びる 田園 の 一 本道 を 走って いた 。
くるめ|しがい||でた|くるま||こくどう||じょう||かわ||わたり|き|||さが|へいや||のびる|でんえん||ひと|ほんどう||はしって|
Kurume||||||||||||crossed||||Saga|plains||stretched|farmland||||||
道 の 先 に は 、 三瀬 峠 を 含む 脊振 山地 の 山々 が あった 。
どう||さき|||みつせ|とうげ||ふくむ|せふり|さんち||やまやま||
||||||||including|Sefuri|mountain range||mountains||
|||||||||脊振山地|||||
とつぜん 雲行き が 怪しく なって きた の は 、 ガソリン スタンド に 寄った ころ だった 。
|くもゆき||あやしく|||||がそりん|すたんど||よった||
|cloudiness||suspiciously||||||||stopped by||
給 油 を 待つ 間 に 便所 へ 行く と 、 便所 の 小 窓 から 見えた 脊振 山地 の 上空 に 黒い 雨雲 が 迫って 見えた 。
きゅう|あぶら||まつ|あいだ||べんじょ||いく||べんじょ||しょう|まど||みえた|せふり|さんち||じょうくう||くろい|あまぐも||せまって|みえた
to give|oil|||||||||||||||Sefuri|||above|||rain cloud||approaching|
雨雲 は 峠 の 頂上 を 隠す ように 広がって 、 佳男 が いる 平野 部 の ほう へ も 迫って く ワー 便所 を 出る と 、 雨 が ぱらぱら と 降り出した 。
あまぐも||とうげ||ちょうじょう||かくす||ひろがって|よしお|||へいや|ぶ|||||せまって|||べんじょ||でる||あめ||||ふりだした
||||summit||hide||||||flat land||||||approaching||wow|||||||drizzling||
佳男 は 屋外 に あった 洗面 所 で 手 も 洗わ ず に 、 給油 の 終わった 自分 の 車 に 駆け込んだ 。
よしお||おくがい|||せんめん|しょ||て||あらわ|||きゅうゆ||おわった|じぶん||くるま||かけこんだ
good man||outdoors|||wash basin||||||||refueling|||||||
佳乃 と 同じ 年 くらい の 女の子 が 、 領収 書 を 持って 駆けて くる 。
よしの||おなじ|とし|||おんなのこ||りょうしゅう|しょ||もって|かけて|
渡さ れた 領収 書 が 雨 に 濡れて いた 。
わたさ||りょうしゅう|しょ||あめ||ぬれて|
was not given||||||||
佳男 は 代金 を 払って アクセル を 踏んだ 。
よしお||だいきん||はらって|あくせる||ふんだ
||payment|||||pressed
雨 の 中 、 女の子 が いつまでも 見送る 姿 が 、 ルームミラー に 映って いた 。
あめ||なか|おんなのこ|||みおくる|すがた||||うつって|
|||||forever|||||||
車 が 峠 道 に 入る ころ に は どしゃぶり だった 。
くるま||とうげ|どう||はいる|||||
|||||||||downpour|
まだ 午後 の 三 時 前 だ と 言う のに 、 低い 空 に 広がった 雨雲 が 、 峠 道 を 暗く して いた 。
|ごご||みっ|じ|ぜん|||いう||ひくい|から||ひろがった|あまぐも||とうげ|どう||くらく||
||||||||||low||||rain cloud|||||||
佳男 は ライト を つけた 。
よしお||らいと||
激しく 動く ワイパー の 先 に 、 青白く アスファルト 道路 が 浮か び 上がる 。
はげしく|うごく|||さき||あおじろく||どうろ||うか||あがる
violently||||||pale blue||||||
||wiper||||||||||
フロント ガラス を 滝 の ように 雨 が 流れ 、 まるで 千切れ そうに ワイパー が 動き 続ける 。
ふろんと|がらす||たき|||あめ||ながれ||ちぎれ|そう に|||うごき|つづける
|||waterfall|||||||about to break|||||
峠 を 下りて くる 対向 車 の ライト で 、 フロント ガラス の 雨 粒 が 光る 。
とうげ||おりて||たいこう|くるま||らいと||ふろんと|がらす||あめ|つぶ||ひかる
||||oncoming|||||||||raindrop||shines
エンジン 音 は 聞こ え ず 、 辺り の 樹 々 を 叩く 雨音 が 、 閉め切った 車 内 に も 響いて くる 。
えんじん|おと||ききこ|||あたり||き|||たたく|あまおと||しめきった|くるま|うち|||ひびいて|
||||||||||||sound of rain||sealed|||||echoing|
||||||||||||||閉め切った||||||
い 、 とこ 葬儀 の 日 、 久留米 の 工場 で 働く 従兄 に 、「 佳乃 ちゃん の 亡くなった 場所 に 、 一緒に 線 香 あげて やら ん や 」 と 言わ れた 。
||そうぎ||ひ|くるめ||こうじょう||はたらく|いとこ||よしの|||なくなった|ばしょ||いっしょに|せん|かおり||||||いわ|
||funeral|||Kurume|||||cousin|||||||||incense||||||||
||||||||||いとこ|||||||||||||||||
あまりに も いろんな こと が 立て続け に 起こり 、 佳男 が 返事 も でき ず に いる と 、 そば に いた 親戚 の 女 たち が 、「 行 くん なら 、 私 たち も 行くたい 。
|||||たてつづけ||おこり|よしお||へんじ||||||||||しんせき||おんな|||ぎょう|||わたくし|||いく たい
|||||one after another|||||||||||||||relatives|||||||||||want to go
お 花 も 供えて 、 佳乃 ちゃん の 好き やった お 菓子 と か ・・・…」 と ざ わ ついた 。
|か||そなえて|よしの|||すき|||かし||||||
|||offered|||||||||||||
|||供えた|||||||||||ざっ||
みんな が 親切で 言って くれて いる の は 分かって いた が 、 その 親切 を 受けた 途端 に 、 二 度 と 佳乃 に 会え ない ような 気 が して 仕方なかった 。
||しんせつで|いって|||||わかって||||しんせつ||うけた|とたん||ふた|たび||よしの||あえ|||き|||しかたなかった
||kind|||||||||||||the moment|||||||||||||
佳男 は 、「 俺 は 、 行か ん 」 と だけ 言った 。
よしお||おれ||いか||||いった
ざ わ ついて いた 親戚 たち が その 一言 で 黙り 込んだ 。
||||しんせき||||いちげん||だまり|こんだ
あれ は いつごろ だった か 、 テレビ 中継 されて いた 峠 の 現場 に 、 花 や ジュース が 並べ られて いる 映像 を 見た 。
|||||てれび|ちゅうけい|さ れて||とうげ||げんば||か||じゅーす||ならべ|||えいぞう||みた
||||||broadcast|||||||flower|||||||video||
親戚 たち が こっそり 行って くれた の か 、 それとも 見ず知らず の 誰 か が 、 佳乃 に 、 テレビ や 雑誌 であれ だけ 非難 さ れた 佳乃 に 、 花 を 手 向けて くれた の か 。
しんせき||||おこなって|||||みずしらず||だれ|||よしの||てれび||ざっし|||ひなん|||よしの||か||て|むけて|||
|||secretly||||||stranger||||||||||||criticism|||||||||||
|||||||||||||||||||||非難|||||||||||
佳男 は その 映像 を 見て 、 声 を 上げて 泣いた 。
よしお|||えいぞう||みて|こえ||あげて|ないた
good man|||video||||||
テレビ や 雑誌 で は 遠回しに 表現 されて いて も 、 手元 に 届く 嫌がらせ の ファックス や 手紙 は 、 やはり 露骨だった 。
てれび||ざっし|||とおまわしに|ひょうげん|さ れて|||てもと||とどく|いやがらせ||ふぁっくす||てがみ|||ろこつだった
|||||indirectly|expression||||||arrives at|harassment||fax|||||blatant
|||||間接的に|||||||||||||||あからさまだった
ぱい た 「 売 女 の 娘 が 殺されて 悲しい か ?
||う|おんな||むすめ||ころさ れて|かなしい|
pai||selling|||daughter||||
||売|女||||||
自業自得 」 「 俺 も お前 の 娘 買いました 。
じごうじとく|おれ||おまえ||むすめ|かい ました
one's own fault||||||bought
自業自得||||||
一晩 五百 円 」 「 あんな 女 、 殺されて 当然 。
ひとばん|ごひゃく|えん||おんな|ころさ れて|とうぜん
売春 は 違法です 」 「 仕送り して やれよ -」 直筆 の もの も あれば 、 パソコン から プリント アウト さ れた もの も あった 。
ばいしゅん||いほうです|しおくり|||じきひつ|||||ぱそこん||ぷりんと|あうと|||||
prostitution||illegal|remittance||just do it|handwritten|||||||printed||||||
||illegal|sending money|||handwritten||||||||||印刷された|||
毎朝 、 郵便 配達 員 が 来る の が 恐ろしかった 。
まいあさ|ゆうびん|はいたつ|いん||くる|||おそろしかった
|mail|delivery||||||
電話 線 を 抜いて も 、 夢 の 中 で 電話 が 鳴った 。
でんわ|せん||ぬいて||ゆめ||なか||でんわ||なった
|||pulled out||||||||
娘 が 日本 中 から 嫌われて いる ようだった .
むすめ||にっぽん|なか||きらわ れて||