35.1 或る 女
ある|おんな
35.1 Una mujer
葉子 と 倉地 と は 竹 柴 館 以来 たびたび 家 を 明けて 小さな 恋 の 冒険 を 楽しみ 合う ように なった 。
ようこ||くらち|||たけ|しば|かん|いらい||いえ||あけて|ちいさな|こい||ぼうけん||たのしみ|あう||
そういう 時 に 倉地 の 家 に 出入り する 外国 人 や 正井 など が 同伴 する 事 も あった 。
|じ||くらち||いえ||でいり||がいこく|じん||まさい|||どうはん||こと||
|||||||||||||||accompanied||||
外国 人 は おもに 米国 の 人だった が 、 葉子 は 倉地 が そういう 人 たち を 同 座 さ せる 意味 を 知って 、 その なめらかな 英語 と 、 だれ でも ―― ことに 顔 や 手 の 表情 に 本能 的な 興味 を 持つ 外国 人 を ―― 蠱惑 し ない で は 置か ない はなやかな 応接 ぶり と で 、 彼ら を とりこ に する 事 に 成功 した 。
がいこく|じん|||べいこく||ひとだった||ようこ||くらち|||じん|||どう|ざ|||いみ||しって|||えいご|||||かお||て||ひょうじょう||ほんのう|てきな|きょうみ||もつ|がいこく|じん||こわく|||||おか|||おうせつ||||かれら|||||こと||せいこう|
|||mainly|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
それ は 倉地 の 仕事 を 少なからず 助けた に 違いなかった 。
||くらち||しごと||すくなからず|たすけた||ちがいなかった
|||||||helped||
倉地 の 金 まわり は ますます 潤沢に なって 行く らしかった 。
くらち||きむ||||じゅんたくに||いく|
葉子 一家 は 倉地 と 木村 と から 貢が れる 金 で 中流 階級 に は あり 得 ない ほど 余裕 の ある 生活 が できた のみ なら ず 、 葉子 は 充分 の 仕送り を 定子 に して 、 なお 余る 金 を 女らしく 毎月 銀行 に 預け入れる まで に なった 。
ようこ|いっか||くらち||きむら|||みつが||きむ||ちゅうりゅう|かいきゅう||||とく|||よゆう|||せいかつ||||||ようこ||じゅうぶん||しおくり||さだこ||||あまる|きむ||おんならしく|まいつき|ぎんこう||あずけいれる|||
||||||||contributed||||middle|class|||||||||||||||||||||||||||||||||deposited|||
The money given by Kurachi and Kimura not only enabled the Yoko family to live a comfortable life that would be unthinkable for the middle class, but also allowed Yoko to send enough money as a fixed income, and the remaining money was paid monthly to the bank in a feminine manner. I even deposited it in the
・・
しかし それ と ともに 倉地 は ますます すさんで 行った 。
||||くらち||||おこなった
目 の 光 に さえ もと の ように 大海 に のみ 見る 寛 濶 な 無頓着な そして 恐ろしく 力強い 表情 は なくなって 、 いらいら と あて も なく 燃えさかる 石炭 の 火 の ような 熱 と 不安 と が 見られる ように なった 。
め||ひかり||||||たいかい|||みる|ひろし|かつ||むとんちゃくな||おそろしく|ちからづよい|ひょうじょう||||||||もえさかる|せきたん||ひ|||ねつ||ふあん|||み られる||
||||||||ocean||||generosity||||||||||||||||||||||||||||
やや ともすると 倉地 は 突然 わけ も ない 事 に きびしく 腹 を 立てた 。
||くらち||とつぜん||||こと|||はら||たてた
正井 など は 木っ葉 みじん に しかり 飛ばさ れたり した 。
まさい|||き っ は||||とばさ||
||||||scolded|||
そういう 時 の 倉地 は あらし の ような 狂暴な 威力 を 示した 。
|じ||くらち|||||きょうぼうな|いりょく||しめした
・・
葉子 も 自分 の 健康 が だんだん 悪い ほう に 向いて 行く の を 意識 し ない で は いられ なく なった 。
ようこ||じぶん||けんこう|||わるい|||むいて|いく|||いしき|||||いら れ||
倉地 の 心 が すさめば すさむ ほど 葉子 に 対して 要求 する もの は 燃え ただれる 情熱 の 肉体 だった が 、 葉子 も また 知らず知らず 自分 を それ に 適応 さ せ 、 かつ は 自分 が 倉地 から 同様な 狂暴な 愛 撫 を 受けたい 欲 念 から 、 先 の 事 も あと の 事 も 考え ず に 、 現在 の 可能 の すべて を 尽くして 倉地 の 要求 に 応じて 行った 。
くらち||こころ|||||ようこ||たいして|ようきゅう||||もえ||じょうねつ||にくたい|||ようこ|||しらずしらず|じぶん||||てきおう|||||じぶん||くらち||どうような|きょうぼうな|あい|ぶ||うけ たい|よく|ねん||さき||こと||||こと||かんがえ|||げんざい||かのう||||つくして|くらち||ようきゅう||おうじて|おこなった
||||if|to cool||||||||||burned||||||||||||||||||||||||||||received|||||||||||||||||possibility||||||||||
脳 も 心臓 も 振り回して 、 ゆすぶって 、 たたきつけて 、 一気に 猛火 で あぶり 立てる ような 激情 、 魂 ばかり に なった ような 、 肉 ばかり に なった ような 極端な 神経 の 混乱 、 そして その あと に 続く 死滅 と 同然の 倦怠 疲労 。
のう||しんぞう||ふりまわして|||いっきに|もう ひ|||たてる||げきじょう|たましい|||||にく|||||きょくたんな|しんけい||こんらん|||||つづく|しめつ||どうぜんの|けんたい|ひろう
|||||||||||||passion||||||||||||||||||||death||practically||
人間 が 有する 生命 力 を どん底 から ためし 試みる そういう 虐待 が 日 に 二 度 も 三 度 も 繰り返さ れた 。
にんげん||ゆうする|せいめい|ちから||どんぞこ|||こころみる||ぎゃくたい||ひ||ふた|たび||みっ|たび||くりかえさ|
||has||||||試みる|||abuse|||||||||||
そうして その あと で は 倉地 の 心 は きっと 野獣 の ように さらに すさんで いた 。
|||||くらち||こころ|||やじゅう|||||
葉子 は 不快 きわまる 病理 的 の 憂鬱に 襲わ れた 。
ようこ||ふかい||びょうり|てき||ゆううつに|おそわ|
||||pathology|||||
静かに 鈍く 生命 を 脅かす 腰部 の 痛み 、 二 匹 の 小 魔 が 肉 と 骨 と の 間 に はいり込んで 、 肉 を 肩 に あてて 骨 を 踏んばって 、 うんと 力任せに 反り 上がる か と 思わ れる ほど の 肩 の 凝り 、 だんだん 鼓動 を 低めて 行って 、 呼吸 を 苦しく して 、 今 働き を 止める か と あやぶむ と 、 一 時 に 耳 に まで 音 が 聞こえる くらい 激しく 動き出す 不規則な 心臓 の 動作 、 もやもや と 火 の 霧 で 包ま れたり 、 透明な 氷 の 水 で 満たさ れる ような 頭脳 の 狂い 、…… こういう 現象 は 日一日 と 生命 に 対する 、 そして 人生 に 対する 葉子 の 猜疑 を 激しく した 。
しずかに|にぶく|せいめい||おびやかす|ようぶ||いたみ|ふた|ひき||しょう|ま||にく||こつ|||あいだ||はいりこんで|にく||かた|||こつ||ふんばって||ちからまかせに|そり|あがる|||おもわ||||かた||こり||こどう||ひくめて|おこなって|こきゅう||くるしく||いま|はたらき||とどめる|||||ひと|じ||みみ|||おと||きこえる||はげしく|うごきだす|ふきそくな|しんぞう||どうさ|||ひ||きり||つつま||とうめいな|こおり||すい||みたさ|||ずのう||くるい||げんしょう||ひいちにち||せいめい||たいする||じんせい||たいする|ようこ||さいぎ||はげしく|
|||||||||||||||||||||||||||||bracing||with all one's might|arching||||||||||||heartbeat||lowering||||||||||||to worry||||||||||||||irregular||||||||||||transparent||||||||brain||||||||||||||||||||
・・
有頂天の 溺楽 の あと に 襲って 来る さびしい と も 、 悲しい と も 、 はかない と も 形容 の でき ない その 空虚 さ は 何より も 葉子 に つらかった 。
うちょうてんの|できらく||||おそって|くる||||かなしい||||||けいよう|||||くうきょ|||なにより||ようこ||
|sinking|||||||||||||||description||||||||||||
た とい その場で 命 を 絶って も その 空虚 さ は 永遠に 葉子 を 襲う もの の ように も 思わ れた 。
||そのばで|いのち||たって|||くうきょ|||えいえんに|ようこ||おそう|||||おもわ|
|||||ended|||||||||||||||
ただ これ から のがれる ただ 一 つ の 道 は 捨てばち に なって 、 一時的 の もの だ と は 知り 抜き ながら 、 そして その あと に は さらに 苦しい 空虚 さ が 待ち伏せ して いる と は 覚悟 し ながら 、 次の 溺楽 を 逐 う ほか は なかった 。
|||||ひと|||どう||すてばち|||いちじてき||||||しり|ぬき||||||||くるしい|くうきょ|||まちぶせ|||||かくご|||つぎの|できらく||ちく||||
|||||||||||||temporary|||||||||||||||||||ambush|||||||||||pursue||||
気分 の すさんだ 倉地 も 同じ 葉子 と 同じ 心 で 同じ 事 を 求めて いた 。
きぶん|||くらち||おなじ|ようこ||おなじ|こころ||おなじ|こと||もとめて|
||rough|||||||||||||
こうして 二 人 は 底 止 する 所 の ない いずこ か へ 手 を つないで 迷い 込んで 行った 。
|ふた|じん||そこ|や||しょ||||||て|||まよい|こんで|おこなった
||||bottom||||||somewhere||||||||
・・
ある 朝 葉子 は 朝 湯 を 使って から 、 例の 六 畳 で 鏡台 に 向かった が 一 日一日 に 変わって 行く ような 自分 の 顔 に は ただ 驚く ばかりだった 。
|あさ|ようこ||あさ|ゆ||つかって||れいの|むっ|たたみ||きょうだい||むかった||ひと|ひいちにち||かわって|いく||じぶん||かお||||おどろく|
|||||||||||||dressing table|||||||||||||||||
少し 縦 に 長く 見える 鏡 で は ある けれども 、 そこ に 映る 姿 は あまりに 細って いた 。
すこし|たて||ながく|みえる|きよう|||||||うつる|すがた|||ほそって|
||||||||||||||||thinned|
その代わり 目 は 前 に も 増して 大きく 鈴 を 張って 、 化粧 焼け と も 思わ れ ぬ 薄い 紫色 の 色素 が その まわり に 現われて 来て いた 。
そのかわり|め||ぜん|||まして|おおきく|すず||はって|けしょう|やけ|||おもわ|||うすい|むらさきいろ||しきそ|||||あらわれて|きて|
|||||||||||||||||||||pigment|||||||
それ が 葉子 の 目 に たとえば 森林 に 囲ま れた 澄んだ 湖 の ような 深み と 神秘 と を 添える ように も 見えた 。
||ようこ||め|||しんりん||かこま||すんだ|こ|||ふかみ||しんぴ|||そえる|||みえた
|||||||forest|||||||||||||to add|||
鼻筋 は やせ細って 精神 的な 敏感 さ を きわ立た して いた 。
はなすじ||やせほそって|せいしん|てきな|びんかん|||きわだた||
||had become thin||||||||
頬 の 傷 々 しく こけた ため に 、 葉子 の 顔 に いう べ から ざる 暖か み を 与える 笑くぼ を 失おう と して は いた が 、 その 代わり に そこ に は 悩ましく 物 思わしい 張り を 加えて いた 。
ほお||きず||||||ようこ||かお||||||あたたか|||あたえる|えくぼ||うしなおう|||||||かわり|||||なやましく|ぶつ|おもわしい|はり||くわえて|
||wound|repeated character||fell|||||||||||||||||would lose||||||||||||troublesomely||||||
ただ 葉子 が どうしても 弁護 の でき ない の は ますます 目立って 来た 固い 下顎 の 輪郭 だった 。
|ようこ|||べんご|||||||めだって|きた|かたい|したあご||りんかく|
||||defense|||||||||||||
しかし とにもかくにも 肉 情 の 興奮 の 結果 が 顔 に 妖凄 な 精神 美 を 付け加えて いる の は 不思議だった 。
||にく|じょう||こうふん||けっか||かお||ようせい||せいしん|び||つけくわえて||||ふしぎだった
|||emotion||||||||mysterious|||||adding||||
葉子 は これ まで の 化粧 法 を 全然 改める 必要 を その 朝 に なって しみじみ と 感じた 。
ようこ|||||けしょう|ほう||ぜんぜん|あらためる|ひつよう|||あさ|||||かんじた
そして 今 まで 着て いた 衣類 まで が 残ら ず 気 に 食わ なく なった 。
|いま||きて||いるい|||のこら||き||くわ||
そう なる と 葉子 は 矢 も たて も たまらなかった 。
|||ようこ||や||||
・・
葉子 は 紅 の まじった 紅 粉 を ほとんど 使わ ず に 化粧 を した 。
ようこ||くれない|||くれない|こな|||つかわ|||けしょう||
||||mixed||||||||||
顎 の 両側 と 目 の まわり と の 紅 粉 を わざと 薄く ふき取った 。
あご||りょうがわ||め|||||くれない|こな|||うすく|ふきとった
||||||||||||||wiped off
枕 を 入れ ず に 前髪 を 取って 、 束 髪 の 髷 を 思いきり 下げて 結って みた 。
まくら||いれ|||まえがみ||とって|たば|かみ||まげ||おもいきり|さげて|ゆって|
|||||||||||||||tied|
鬢 だけ を 少し ふくらました ので 顎 の 張った の も 目立た ず 、 顔 の 細く なった の も いくらか 調節 されて 、 そこ に は 葉子 自身 が 期待 も し なかった ような 廃 頽的 な 同時に 神経質 的な すごく も 美しい 一 つ の 顔面 が 創造 されて いた 。
びん|||すこし|||あご||はった|||めだた||かお||ほそく|||||ちょうせつ|さ れて||||ようこ|じしん||きたい|||||はい|たいてき||どうじに|しんけいしつ|てきな|||うつくしい|ひと|||がんめん||そうぞう|さ れて|
||||swelled||||||||||||||||||||||||||||||decadent|||||||||||face||creation||
有り合わせ の もの の 中 から できる だけ 地味な 一 そろい を 選んで それ を 着る と 葉子 は すぐ 越後屋 に 車 を 走ら せた 。
ありあわせ||||なか||||じみな|ひと|||えらんで|||きる||ようこ|||えちごや||くるま||はしら|
available||||||||plain||set||||||||||Echigo-ya|||||
・・
昼 すぎ まで 葉子 は 越後屋 に いて 注文 や 買い物 に 時 を 過ごした 。
ひる|||ようこ||えちごや|||ちゅうもん||かいもの||じ||すごした
||||||||||||||spent
衣服 や 身 の まわり の もの の 見立て に ついて は 葉子 は 天才 と いって よかった 。
いふく||み||||||みたて||||ようこ||てんさい|||
||||||||assessment|||||||||
自分 でも その 才能 に は 自信 を 持って いた 。
じぶん|||さいのう|||じしん||もって|
従って 思い 存分の 金 を ふところ に 入れて いて 買い物 を する くらい 興 の 多い もの は 葉子 に 取って は 他 に なかった 。
したがって|おもい|ぞんぶんの|きむ||||いれて||かいもの||||きょう||おおい|||ようこ||とって||た||
越後屋 を 出る 時 に は 、 感 興 と 興奮 と に 自分 を 傷め ちぎった 芸術 家 の ように へとへとに 疲れきって いた 。
えちごや||でる|じ|||かん|きょう||こうふん|||じぶん||いため||げいじゅつ|いえ||||つかれきって|
||||||||||||||hurt|torn|||||exhausted|exhausted|
・・
帰りついた 玄関 の 靴 脱ぎ 石 の 上 に は 岡 の 細長い 華車 な 半 靴 が 脱ぎ捨てられて いた 。
かえりついた|げんかん||くつ|ぬぎ|いし||うえ|||おか||ほそながい|はなくるま||はん|くつ||ぬぎすて られて|
returned||||||||||||||||||discarded|
葉子 は 自分 の 部屋 に 行って 懐中 物 など を しまって 、 湯飲み で なみなみ と 一杯の 白 湯 を 飲む と 、 すぐ 二 階 に 上がって 行った 。
ようこ||じぶん||へや||おこなって|かいちゅう|ぶつ||||ゆのみ||||いっぱいの|しろ|ゆ||のむ|||ふた|かい||あがって|おこなった
||||||||||||teacup||||cup|white|hot water|||||||||
自分 の 新しい 化粧 法 が どんなふうに 岡 の 目 を 刺激 する か 、 葉子 は 子供 らしく それ を 試みて み たかった のだ 。
じぶん||あたらしい|けしょう|ほう|||おか||め||しげき|||ようこ||こども||||こころみて|||
||||||||||||||||||||trying|||
彼女 は 不意に 岡 の 前 に 現われよう ため に 裏 階子 から そっと 登って 行った 。
かのじょ||ふいに|おか||ぜん||あらわれよう|||うら|はしご|||のぼって|おこなった
|||||||would appear||||||||
そして 襖 を あける と そこ に 岡 と 愛子 だけ が いた 。
|ふすま||||||おか||あいこ|||
貞 世 は 苔 香 園 に でも 行って 遊んで いる の か そこ に は 姿 を 見せ なかった 。
さだ|よ||こけ|かおり|えん|||おこなって|あそんで|||||||すがた||みせ|
・・
岡 は 詩集 らしい もの を 開いて 見て いた 。
おか||ししゅう||||あいて|みて|
||collection of poems||||||
そこ に は なお 二三 冊 の 書物 が 散らばって いた 。
||||ふみ|さつ||しょもつ||ちらばって|
愛子 は 縁側 に 出て 手 欄 から 庭 を 見おろして いた 。
あいこ||えんがわ||でて|て|らん||にわ||みおろして|
||||||||||looking down at|
しかし 葉子 は 不思議な 本能 から 、 階子 段 に 足 を かけた ころ に は 、 二 人 は 決して 今 の ような 位置 に 、 今 の ような 態度 で いた ので は ない と いう 事 を 直 覚 して いた 。
|ようこ||ふしぎな|ほんのう||はしご|だん||あし||||||ふた|じん||けっして|いま|||いち||いま|||たいど||||||||こと||なお|あきら||
||||||ladder||||||||||||||||||||||||||||||||||
二 人 が 一 人 は 本 を 読み 、 一 人 が 縁 に 出て いる の は 、 いかにも 自然であり ながら 非常に 不自然だった 。
ふた|じん||ひと|じん||ほん||よみ|ひと|じん||えん||でて|||||しぜんであり||ひじょうに|ふしぜんだった
|||||||||||||||||||natural|||very unnatural
・・
突然 ―― それ は ほんとうに 突然 どこ から 飛び込んで 来た の か 知れ ない 不快 の 念のため に 葉子 の 胸 は かきむしら れた 。
とつぜん||||とつぜん|||とびこんで|きた|||しれ||ふかい||ねんのため||ようこ||むね|||
|||||||||||||||||||||scratched|
岡 は 葉子 の 姿 を 見る と 、 わざっと 寛が せて いた ような 姿勢 を 急に 正して 、 読みふけって いた らしく 見せた 詩集 を あまりに 惜し げ も なく 閉じて しまった 。
おか||ようこ||すがた||みる||わざ っと|くつろが||||しせい||きゅうに|ただして|よみふけって|||みせた|ししゅう|||おし||||とじて|
||||||||deliberately|relaxed||||posture||||||||||||||||
そして いつも より 少し なれなれしく 挨拶 した 。
|||すこし||あいさつ|
愛子 は 縁側 から 静かに こっち を 振り向いて 平生 と 少しも 変わら ない 態度 で 、 柔 順 に 無表情に 縁 板 の 上 に ちょっと 膝 を ついて 挨拶 した 。
あいこ||えんがわ||しずかに|||ふりむいて|へいぜい||すこしも|かわら||たいど||じゅう|じゅん||むひょうじょうに|えん|いた||うえ|||ひざ|||あいさつ|
||||||||||||||||gently||without expression||board|||||||||
しかし その 沈着に も 係わら ず 、 葉子 は 愛子 が 今 まで 涙 を 目 に ためて いた の を つきとめた 。
||ちんちゃくに||かかわら||ようこ||あいこ||いま||なみだ||め||||||
||calmly||||||||||||||||||discovered
岡 も 愛子 も 明らかに 葉子 の 顔 や 髪 の 様子 の 変わった の に 気づいて いない くらい 心 に 余裕 の ない の が 明らかだった 。
おか||あいこ||あきらかに|ようこ||かお||かみ||ようす||かわった|||きづいて|||こころ||よゆう|||||あきらかだった
||||||||||||||||||||||||||clearly
・・
「 貞 ちゃん は 」・・
さだ||
Sadako||
と 葉子 は 立った まま で 尋ねて みた 。
|ようこ||たった|||たずねて|
二 人 は 思わず あわてて 答えよう と した が 、 岡 は 愛子 を ぬすみ 見る ように して 控えた 。
ふた|じん||おもわず||こたえよう||||おか||あいこ|||みる|||ひかえた
・・
「 隣 の 庭 に 花 を 買い に 行って もらいました の 」・・
となり||にわ||か||かい||おこなって|もらい ました|
|||||||||received|
そう 愛子 が 少し 下 を 向いて 髷 だけ を 葉子 に 見える ように して 素直に 答えた 。
|あいこ||すこし|した||むいて|まげ|||ようこ||みえる|||すなおに|こたえた
「 ふ ゝ ん 」 と 葉子 は 腹 の 中 で せ せら 笑った 。
||||ようこ||はら||なか||||わらった
そして 始めて そこ に すわって 、 じっと 岡 の 目 を 見つめ ながら 、・・
|はじめて|||||おか||め||みつめ|
「 何 ?
なん
読んで い らしった の は 」・・
よんで||らし った||
と いって 、 そこ に ある 四六 細 型 の 美しい 表装 の 書物 を 取り上げて 見た 。
|||||しろく|ほそ|かた||うつくしい|ひょうそう||しょもつ||とりあげて|みた
|||||四六|thin|style|||binding|||||
黒 髪 を 乱した 妖艶 な 女 の 頭 、 矢 で 貫か れた 心臓 、 その 心臓 から ぽたぽた 落ちる 血 の したたり が おのずから 字 に なった ように 図案 さ れた 「 乱れ 髪 」 と いう 標題 ―― 文字 に 親しむ 事 の 大きらいな 葉子 も うわさ で 聞いて いた 有名な 鳳晶 子 [# ルビ の 「 お おとり あきこ 」 は ママ ] の 詩集 だった 。
くろ|かみ||みだした|ようえん||おんな||あたま|や||つらぬか||しんぞう||しんぞう|||おちる|ち|||||あざ||||ずあん|||みだれ|かみ|||ひょうだい|もじ||したしむ|こと||だいきらいな|ようこ||||きいて||ゆうめいな|おおとりあき|こ|||||||まま||ししゅう|
|||disheveled||||||||pierced|||||||||||||||||design|||||||||||||||||||||鳳晶||おおとりあきこ||||Akiko|||||
そこ に は 「 明星 」 と いう 文芸 雑誌 だの 、 春雨 の 「 無花果 」 だの 、 兆 民 居士 の 「 一 年 有 半 」 だの と いう 新刊 の 書物 も 散らばって いた 。
|||みょうじょう|||ぶんげい|ざっし||はるさめ||いちじく||ちょう|たみ|こじ||ひと|とし|ゆう|はん||||しんかん||しょもつ||ちらばって|
|||star|||literary|||||fig||兆||gentleman|||||||||new publication|||||
・・
「 まあ 岡 さん も なかなか の ロマンティスト ね 、 こんな もの を 愛読 なさる の 」・・
|おか||||||||||あいどく||
||||||romanticist|||||favorite||
と 葉子 は 少し 皮肉な もの を 口 じ り に 見せ ながら 尋ねて みた 。
|ようこ||すこし|ひにくな|||くち||||みせ||たずねて|
岡 は 静かな 調子 で 訂正 する ように 、・・
おか||しずかな|ちょうし||ていせい||
「 それ は 愛子 さん のです 。
||あいこ||
わたし 今 ちょっと 拝見 した だけ です 」・・
|いま||はいけん|||
「 これ は 」・・
と いって 葉子 は 今度 は 「 一 年 有 半 」 を 取り上げた 。
||ようこ||こんど||ひと|とし|ゆう|はん||とりあげた
|||||||||||featured
・・
「 それ は 岡 さん が きょう 貸して くださいました の 。
||おか||||かして|くださ い ました|
わたし わかり そう も ありません わ 」・・
||||あり ませ ん|
愛子 は 姉 の 毒舌 を あらかじめ 防ごう と する ように 。
あいこ||あね||どくぜつ|||ふせごう|||
||||sharp tongue|||prevent|||
・・
「 へえ 、 それ じゃ 岡 さん 、 あなた は またたいした リアリスト ね 」・・
|||おか||||また たいした||
gee|||||||well|realist|
葉子 は 愛子 を 眼中 に も おか ない ふうで こういった 。
ようこ||あいこ||がんちゅう||||||
|||||||not|||
去年 の 下半期 の 思想 界 を 震 憾 した ような この 書物 と 続編 と は 倉地 の 貧しい 書架 の 中 に も あった のだ 。
きょねん||しもはんき||しそう|かい||ふる|かん||||しょもつ||ぞくへん|||くらち||まずしい|しょか||なか||||
last year||second half|||||shook|shaken||||||sequel|||||poor|bookshelf||||||
そして 葉子 は おもしろく 思い ながら その 中 を 時々 拾い読み して いた のだった 。
|ようこ|||おもい|||なか||ときどき|ひろいよみ|||
||||||||||scanning|||
・・
「 なんだか わたし と は すっかり 違った 世界 を 見る ようで いながら 、 自分 の 心持ち が 残らず いって ある ようで も ある んで …… わたし それ が 好きな んです 。
|||||ちがった|せかい||みる|||じぶん||こころもち||のこらず||||||||||すきな|
リアリスト と いう わけ では ありません けれども ……」・・
|||||あり ませ ん|
「 でも この 本 の 皮肉 は 少し やせ我慢 ね 。
||ほん||ひにく||すこし|やせがまん|
|||||||pretending|
あなた の ような 方 に は ちょっと 不似合いです わ 」・・
|||かた||||ふにあいです|
|||||||not suitable|
「 そう でしょう か 」・・
岡 は 何と は なく 今に でも 腫れ物 に さわら れる か の よう に そわそわ して いた 。
おか||なんと|||いまに||はれもの||||||||||
|||||||sore spot||||||||||
会話 は 少しも いつも の ように は はずま なかった 。
かいわ||すこしも||||||
葉子 は いらいら し ながら も それ を 顔 に は 見せ ないで 今度 は 愛子 の ほう に 槍 先 を 向けた 。
ようこ||||||||かお|||みせ||こんど||あいこ||||やり|さき||むけた
|||||||||||||||||||spear|||
・・
「 愛さ ん お前 こんな 本 を いつ お 買い だった の 」・・
あいさ||おまえ||ほん||||かい||
と いって みる と 、 愛子 は 少し ためらって いる 様子 だった が 、 すぐに 素直な 落ち着き を 見せて 、・・
||||あいこ||すこし|||ようす||||すなおな|おちつき||みせて
|||||||||appearance|||||calm||
「 買った んじゃ ない んです の 。
かった||||
古藤 さん が 送って くださいました の 」・・
ことう|||おくって|くださ い ました|
と いった 。
葉子 は さすが に 驚いた 。
ようこ||||おどろいた
古藤 は あの 会食 の 晩 、 中座 したっきり 、 この 家 に は 足踏み も し なかった のに ……。
ことう|||かいしょく||ばん|ちゅうざ|した っきり||いえ|||あしぶみ||||
|||||||after|||||stepped||||
葉子 は 少し 激しい 言葉 に なった 。
ようこ||すこし|はげしい|ことば||
・・
「 なん だって また こんな 本 を 送って お よこし なさった んだろう 。
||||ほん||おくって||||
あなた お 手紙 でも 上げた の ね 」・・
||てがみ||あげた||
「 え ゝ 、…… くださ いました から 」・・
|||い ました|
「 どんな お 手紙 を 」・・
||てがみ|
愛子 は 少し うつむき かげん に 黙って しまった 、 こういう 態度 を 取った 時 の 愛子 の しぶと さ を 葉子 は よく 知っていた 。
あいこ||すこし||||だまって|||たいど||とった|じ||あいこ|||||ようこ|||しっていた
葉子 の 神経 は びりびり と 緊張 して 来た 。
ようこ||しんけい||||きんちょう||きた
・・
「 持って 来て お 見せ 」・・
もって|きて||みせ
そう 厳格に いい ながら 、 葉子 は そこ に 岡 の いる 事 も 意識 の 中 に 加えて いた 。
|げんかくに|||ようこ||||おか|||こと||いしき||なか||くわえて|
|strictly|||||||||||||||||
愛子 は 執拗に 黙った まま すわって いた 。
あいこ||しつように|だまった|||
しかし 葉子 が もう 一 度 催促 の 言葉 を 出そう と する と 、 その 瞬間 に 愛子 は つと 立ち上がって 部屋 を 出て 行った 。
|ようこ|||ひと|たび|さいそく||ことば||だそう|||||しゅんかん||あいこ|||たちあがって|へや||でて|おこなった
||||||prompt||||||||||||||||||
・・
葉子 は その すきに 岡 の 顔 を 見た 。
ようこ||||おか||かお||みた
|||favorite|||||
それ は また 無垢 童 貞 の 青年 が 不思議な 戦慄 を 胸 の 中 に 感じて 、 反感 を 催す か 、 ひき付けられる か し ない で は いられ ない ような 目 で 岡 を 見た 。
|||むく|わらべ|さだ||せいねん||ふしぎな|せんりつ||むね||なか||かんじて|はんかん||もよおす||ひきつけ られる||||||いら れ|||め||おか||みた
|||innocence|||||||tremor|||||||||呼び起こす|||||||||||||||
岡 は 少女 の ように 顔 を 赤 め て 、 葉子 の 視線 を 受け きれ ないで ひとみ を たじろが し つつ 目 を 伏せて しまった 。
おか||しょうじょ|||かお||あか|||ようこ||しせん||うけ||||||||め||ふせて|
葉子 は いつまでも その デリケートな 横顔 を 注視 つづけた 。
ようこ||||でりけーとな|よこがお||ちゅうし|
岡 は 唾 を 飲みこむ の も はばかる ような 様子 を して いた 。
おか||つば||のみこむ|||||ようす|||
||||swallow||||||||
・・
「 岡 さん 」・・
おか|
そう 葉子 に 呼ばれて 、 岡 は やむ を 得 ず おずおず 頭 を 上げた 。
|ようこ||よば れて|おか||||とく|||あたま||あげた
||||||||||timidly|||
葉子 は 今度 は なじる ように その 若々しい 上品な 岡 を 見つめて いた 。
ようこ||こんど|||||わかわかしい|じょうひんな|おか||みつめて|