三 姉妹 探偵 団 01 chapter 10 (1)
10 恐怖 の 部屋
「 琴江 ……」
植松 は 、 しばし 呆然と して 、 目の前 の 妻 を 、 見つめて いた 。
「 何 よ 、 幽霊 でも 見た みたいな 顔 を して 」
と 、 琴江 は 笑った 。
「 い 、 いや …… お前 、 同窓 会 じゃ なかった の か 」
「 予定 を くり上げて 帰って 来た の よ 。 役員 会 だった の を 忘れて て ね 」
「 役員 会 ? 「 そう 。 今夜 の ね 」
「 今夜 ? ── 私 は 全然 知ら ない よ 」
「 そう ? じゃ 、 連絡 が 悪かった の ね 。 今夜 は 役員 会 よ 。 必ず 出席 し なきゃ ね 」
琴江 は 、「 必ず 」 と いう 言葉 を 強調 した 。
「 しかし …… そりゃ まずい よ 。 明日 は 午前 中 に 札幌 で 仕事 が ある 。 お 得意 を す っぽ かす わけに いか ない じゃ ない か 」
「 それ なら 心配 し なくて いい わ 」
と 琴江 は 言った 。 「 中村 さん に 代り に 行って もらった から 。 もう 出かけた わ 。 あなた は 安心 して 役員 会 に 出て ちょうだい 。 私 は 役員 室 に いる から ね 」
琴江 が 歩いて 行く 。 ── 五 時 の チャイム が 鳴った 。
机 や 椅子 の ガタガタ 動く 音 が 、 オフィス に 満ちた 。 しかし 、 植松 に は 、 何一つ 耳 に 入ら なかった 。
琴江 は 知っている のだ 。 長田 洋子 の こと も 、 この 札幌 行 の 本当の 目的 も ……。
植松 は 青ざめて 、 椅子 に 身 を 沈めた 。
後 で の 琴江 の 仕返し が 怖かった 。 自分 の 立場 も そう だ が 、 洋子 の 方 に も 手 を 出す かも しれ ない 、 と 思った 。
おそらく 、 前 から 琴江 は 気付いて いた 。 そして 、 人 を 使って 、 二 人 の 行動 を 見張ら せて いた のだろう 。
「── 課長 、 お出かけ に なら ない んです か ? 声 を かけ られて 、 植松 は 我 に 返った 。
「 佐々 本 君 か ……」
「 札幌 でしょう 。 少し 骨休め を なさって いらっしゃる と いい です よ 」
「 札幌 に は 行か ない 」
「 え ? 「 女房 が 変更 して しまった んだ 」
「 ああ 、 奥様 が みえて い ました ね 。 急な 役員 会 だ と か 。 総務 が ぼやいて ました よ 」
「 急な ? 「 ええ 。 午後 に なって 突然 言わ れた と か 。 休み を 取って る 役員 も 呼び出さ れて 大変 らしい です 。 課長 も お 出 に なる んです か 」
「 琴江 の 夫 と して だ 。 課長 と して で は ない 」
植松 は 苦々し げ に 言った 。 佐々 本 は 黙って 微笑んだ 。 ── 植松 は 、 ふと 思い付いて 、
「 ちょっと 来て くれ 」
と 、 佐々 本 を 連れて 、 小さな 空いて いる 会議 室 に 行った 。
「 何 です ? 「 佐々 本 君 、 済ま ん が 君 に 頼み が ある 」
「 何 でしょう ? 「 例の …… 長田 洋子 の こと な んだ 」
「 彼女 です か 。 別れ話 でも ? 「 違う ! 一緒に 札幌 へ 行く つもりだった 。 だが 、 琴江 の 奴 、 それ に 気付いて る んだ 」
「 それ で 役員 会 を ……。 そう でした か 」
佐々 本 は 肯 いた 。
植松 は 佐々 本 と ホテル で 顔 を 合わせた こと が ある 。 植松 は 洋子 と 一緒で 、 佐々 本 も もちろん 女性 を 連れて いた 。 それ 以来 、 二 人 の 間 に は 、 一種 の 共犯 者 意識 の ような もの が あった のである 。
「 佐々 本 君 、 洋子 と 一緒に 旅行 へ 行って くれ ない か 」
「 私 が です か ? 佐々 本 は 目 を 丸く した 。
「 頼む ! この 通り だ 」
と 植松 は 頭 を 下げた 。
「 課長 、 待って 下さい 。 彼女 の 方 で いやがり ます よ 」
「 いや 、 行って くれた 方 が いい んだ 」
と 、 植松 は 言った 。 「 琴江 の 奴 の こと だ 、 洋子 に も 何 を する か 分 らん 。 当然 、 洋子 は 監視 さ れて いる だろう 。 そこ へ 君 が 一緒に 行って くれれば 、 琴江 の 方 も 戸惑う に 違いない 。 洋子 の 安全 の ため で も ある 。 ── 佐々 本 君 、 どうか 頼む ! 植松 は 深々と 頭 を 下げた ……。
「 それ で 、 佐々 本 さん は 急な 出張 に なった わけです ね 」
と 、 国友 は 言った 。
「 うん 。 しかし 、 一応 社 内 的に は 〈 休暇 〉 扱い に せ ざる を 得 なかった 。 まさか 、 課長 の 愛人 を 連れて 回る の が 出張 だ と も 言え ん から な 」
夕 里子 は 黙って いた 。 ── 植松 の 話 そのもの は ともかく 、 その 中 で 、 父 が 女 を 連れて ホテル へ 行って いた と いう ところ が ショック だった のである 。
いや 、 父親 に 女 が 必要で なかった と は 思わ ない 。 男 なら 女 を 抱く 欲望 が あって 当然だ 。 そんな こと は 分 って いた 。
しかし 、 父 が 、 女 と ホテル に 行った と いう の が 、 ひっかかった のである 。 好きな 女性 なら 、 堂々と 家 へ 連れて くれば いい !
しかし 、 父 の 身 に なって みれば 、 中学生 の 珠美 も いる のだ から ── いや 、 むしろ 綾子 の 方 が 心配 かも しれ ない が ── 女 を 家 へ 連れて 行く の を 避けて いた の かも しれ ない ……。
「 で 、 佐々 本 さん は 、 今 どこ に いる んです ? と 国友 が 訊 いた 。
「 そりゃ 分 らん 」
「 しかし ──」
「 任せる 、 と 言った んだ よ 。 ともかく 札幌 へ 連れて 行って も いい し 、 九州 だって 構わ ん 。 ともかく 、 彼女 を 三 日間 、 連れ 歩いて 、 楽しま せて やって ほしい 、 と ……」
「 そんな こと して 、 もし 二 人 が ──」
と 幸代 が 言い かけ 、 あわてて 口 を つぐんだ 。
「 いい んです 」
と 、 夕 里子 は 言った 。 「 その 点 、 どう な んです か ? 「 うん 、 佐々 本 君 なら …… たとえ そう なって も 仕方ない と 思 っと った 」
「 情 ない 男 ねえ 」
と 幸代 は 顔 を しかめた 。 「 そういう 風 だ から 奥さん に コケ に さ れる の よ 」
「 仕方ない さ 。 私 は こういう 男 だ 」
植松 は 投げ出す ように 言った 。 「── そんな わけ で 、 あの 事件 が 起った とき 、 私 は 仰天 した 。 佐々 本 君 は 洋子 と 二 人 で どこ か へ 行って いる はずだ 。 それ が 殺人 容疑 で 指名 手配 さ れて しまった んだ から な 。 私 と して は 事実 を 話す わけに いか なかった 。 そんな こと を すれば 女房 に 家 から も 会社 から も 叩き出さ れる 。 だから 、 何も 知ら ん と 言い 続けた んだ 。 そして 、 あんた が やって 来たり した もん だ から 、 心配に なって 、〈 休暇 届 〉 を でっち上げた 」
「 あり ゃあ 、 下手な 偽造 でした ね 」
「 私 は 生来 不器用な のだ 」
植松 は 急に 涙ぐんで 、「 だ から 、 いつも 誰 か の 言う なり に ……」
夕 里子 は 、 無性に 腹 が 立って 来た 。 こんな 情 ない 男 の ため に 、 パパ は あんな 窮地 に 立た さ れる は めに なった んだ 。
「 泣く な ! 夕 里子 が 怒鳴った 。 植松 が ギョッ と して 、 ツバ でも 喉 に つっかえた の か 、 ゴホンゴホン と むせ返った 。
「 本当 よ 」
と 、 幸代 が 言った 。
「 この 娘 さん を 見なさ い 。 父親 は 行方 不明 、 家 は 焼け 出さ れて 、 無一文 、 特に 美人 でも なく ──」
「 ちょっと 、 今 の は 余計です 」
夕 里子 が 口 を 挟んだ 。
「 失礼 。 ともかく 、 こんな 十七 歳 の 子 が 頑張って ん のに 、 課長 は 情 ない と 思わ ない の ! 「 だから 言 っと る だろう 。 私 は だめな 男 な んだ 」
「 そんな こと より 、 その後 、 洋子 さん から も 父 から も 連絡 は ない んです か ? と 、 夕 里子 は 訊 いた 。
「 全然 ない 。 もう …… 生き とら ん の かも しれ ん 。 佐々 本 君 なら 、 一緒に 死んで も いい と 思う ような 男 だ から な 。 私 じゃ 阿呆らしくて 死ね んだろう が 」
こう いじけて いて 、 よく 課長 が やって られる もの だ 、 と 夕 里子 は 感心 した 。
「 昨日 、 浮 浪 者 たち を 使って 、 この 娘 さん を 襲わ せ ませ ん でした か ? と 、 国友 が 訊 く 。
「 知ら ん よ 。 何の 話 だ ! ── 野上 君 が この 子 と 会って いる の は 見た が 、 こっち は どう しよう も ない じゃ ない か 」
「 どうして 今日 は 逃げ出した んです ? 「 覚悟 して いた から な 。 昨日 、 野上 君 が 私 に 伝票 を 書か せた とき 、 妙だ と 思った 。 そして この 娘 と 会って いる の を 見た 。 ── 今日 、 男 と 一緒に やって 来た と 聞いて 、 こりゃ いか ん 、 と 思った んだ 」
たぶん 植松 の 話 は 噓 で は ある まい と 、 夕 里子 は 思った 。 とっさに 浮 浪 者 に 金 を 握ら せて 、 夕 里子 から あの 伝票 を 奪い 返す ような 、 器用な 真似 は でき ない だろう 。
しかし 、 そう なる と 一体 誰 が ……。 それとも 浮 浪 者 たち が 襲って 来た の は 、 偶然な のだろう か ?
植松 は 、 くれぐれも この 話 は 女房 に 秘密に 、 と 念 を 押して 帰って 行った 。
「── あんまり 進歩 ない わ ね 」
と 、 幸代 が 言った 。
「 でも 、 父 が 失踪 した 理由 は 分 り ました 」
「 そうだ 。 すると 水口 淳子 の 件 と は どう 結びつく の か なあ 」
「 水口 淳子 が 父 の 愛人 だった って 証拠 は 一 つ も ない んです 。 死体 が あの 家 に あった 、 と いう こと 以外 に は 」
「 その 通り だ 。 同時に 、 お 父さん が 姿 を 消した 。 だから 容疑 が かかった わけだ が 」
「 でも 姿 を 消した 方 の 理由 は 分 った わけでしょ 。 今 、 どこ に いて 、 なぜ 出て 来 ない の か 、 そこ が 分 ら ない けど 」
「 犯人 は 君 の お 父さん に 罪 を 着せよう と して 水口 淳子 の 死体 を 君 の 家 へ 持ち込み 、 火 を つけた 。 お 父さん が もし 一緒に 焼け 死んで いたら 、 完全に 事件 は そこ で 終って いた だろう ね 」
「 だから 犯人 は 父 が 出張 して いる こと を 知ら なかった んだ と 思い ます 」
と 、 夕 里子 は 、 姉 と 妹 に 聞か せた 推理 を くり返した 。
しかし 、 犯人 は 家 の 中 へ 入って 来た のだ 。 ── 鍵 の 問題 が ある 。
夕 里子 に して も 、 徐々に 父 の 容疑 が 晴れて 行く の は 、 嬉しかった けれど 、 根本 的に は 何一つ 解決 して い ない のだ と 、 改めて 憂鬱に なって いた 。
父 は 生きて いる の か どう か 。 そして 犯人 は 誰 な の か 。
もう 一 つ 、 片瀬 紀子 を 殺した 犯人 も 気 に かかる 。 全く 関係 の ない 事件 な のだろう か ?
夕 里子 の 直感 は 、 二 つ の 事件 が 、 どこ か で つながって いる 、 と 教えて いた 。
「 何 だ 、 また あんた ? パン 屋 の 女 主人 は 、 呆れ顔 で 綾子 を 見た 。
「 すみません 」
綾子 だって 、 好きで 三 度 も 同じ 所 へ 出て 来て いる わけで は ない のである 。
何しろ 札 つき 永久 保証 つき の 方向 音痴 な ので 、 何度 聞か さ れて も 、 うまく 目的 地 に 行き着く こと が でき ない 。 毎年 通い 慣れた 大学 へ だって 、 時として 、 歩き ながら 、 この 道 で よかった かしら と 不安に なる こと が ある のだ 。
「 また 一回り して 来ちゃ ったら しいん です 」
綾子 は 、 神田 初江 の アパート を 捜し 回って いる のである 。 この パン 屋 の 女 主人 に 教えて もらって 、 言わ れた 通り に 道 を 曲って 行く のだ が 、 なぜ か 、 また ここ に 出て 来て しまう のだった 。
「 あんた も ひどい 方向 音痴 だ ねえ 、 うち の 主人 も 凄い けど 」
と 女 主人 が 笑って 、「 じゃ 、 ついて行って あげる よ 」
「 すみません 」
と 綾子 は 小さく なって いる 。 「 お 店 の 方 は 大丈夫です か ? 「 盗ま れた って 、 せいぜい パン 一 つ さ 、 おいで 」
「 どうも 」
綾子 は 、 ホッと した 気分 で 、 その 女 主人 の 後 に ついて 歩き 出した 。 もう 大丈夫 。 もっとも 、 綾子 の こと だ から 、 女 主人 を 見失う と いう 心配 も ある 。
しかし 、 ほんの 二 、 三 分 の 距離 であり 、 何とか 見失う こと なく 済んだ 。
「── ほら 、 この アパート よ 」
簡単である 。 こうして 連れて 来て もらう と 、 どうして 迷った の か 、 首 を ひねる 。
この アパート 、 さっき も ここ に あった の かしら 、 と 綾子 は 思った 。 どう 考えて も 、 同じ 道 を 同じ ように 歩いて 来た のだ が ……。
何度 も パン 屋 の 女 主人 に 礼 を 言って 、 アパート へ 入って 行く 。
「 ええ と …… 神田 …… 二 階 だ わ 」
幸い 、 アパート の 中 は 迷う ほど 広く なかった 。 二 階 へ 上って 、 神田 初江 の 部屋 は すぐに 見付かった 。
ブザー を 押して 、 待った が 返事 が ない 。 もう 一 度 押す 。
「 神田 さん ……。 佐々 本 綾子 です 」
声 を かけて みた が 、 やはり 部屋 の 中 は 静まり返って いた 。
変 ねえ 、 わざわざ 来 いって 電話 して 来て おいて 。 私 を からかった の かしら ?
「 神田 さん 。 ── い ない んです か ? ドア の ノブ を 回して みる と 、 開いて 来た 。
「 あの …… 失礼 し ます 」
恐る恐る 首 を 突っ込む 。 部屋 の 中 は 空っぽで 、 人 の いる 様子 は ない 。