81. 百日紅 - 高浜 虚 子 (2nd version)
百日紅 - 高浜 虚 子
昔 俳句 を 作り はじめた 時分 に 、 はじめて 百日紅 と いふ 樹 を 見た 。 それ 迄 も 見た こと が あつ た の かも 知れ ない が 、 一 向 気 が つか なか つた 。 成 程 百日紅 と いふ 名前 の ある 通り 真 赤 な 花 が 永い 間 咲いて ゐる も のである わ い と つく /″\ 其梢 を 眺めた 。 又 さるすべり と いふ 別 の 名前 の ある 通り 木 の 膚 の すべ つ こい もの で は ある と 、 其皮 の 無い や う な 膚 を も つく /″\ 見た 。 ・・
其後 百日紅 と いふ 題 で 句 作 する 時分 に 、 私 の 頭 の 中 で は 、 真夏 の 炎天 下 に すべ つ こい 肌 を 持つ た 木 の 真 赤 な 花 を 想像 する ので あつ た 。 さ う して 葉 は どう か と 思 つた が 、 葉 は 全然 眼 に 入ら なか つた から 無 か つたの で あらう 、 葉 は 花 が 散 つた 後 に 出る もの で あらう と 考 へて ゐた 。 た ゞ ぼんやり と さ う 考 へて ゐた 。 ・・
其後 実際 よそ の 垣根 や 森 の 中 など に 百日紅 の 咲いて ゐる の を 見た こと が ある が 、 唯 百日紅 が 咲いて ゐる わ いと 考 へる 許 り で 別に 右 の 印象 を 訂正 する や うな こと に も 出 食 は さなか つた 。 ・・
私 の 庭 に 百日紅 を 植 ゑて から よく 見て 居る と 、 事実 は 全然 間違 つて ゐた 。 葉 が 無い どころ か 、 葉 は ある のである 。 真 赤 な 花 は 葉 の 先 に 咲く のである 。 それ に 真夏 の 炎天 下 に は まだ 花 を つけ はじめた 時分 で 花 の 盛り で は ない のである 。 ・・
先 づ 冬 は 唯 枯木 である 。 他の 落葉 する 木 と 共に 全く 枯木 である が 、 唯 肌 の すべ つ こい の が 特に 目立つ て 見える 。 春 の 間 は 外 の 木 が 花 を つけたり 木 の 芽 を 吹いたり する に 拘ら ず 、 素知らぬ 風 を して 枯木 の ま ゝ である 。 夏 の 始 に な つて も 尚 ほ 枯木 である 。 外 の 木 が 大方 若葉 を 吹き出す 頃 に な つて も 尚 ほ 枯木 である 。 私 の 家 の 庭 に ある 木 の 中 で は 一 番 最後 迄枯 木 の 儘 で あつ た 。 さ う して 外 の 木 の 若葉 が もう 若葉 とい は れ ぬ 位 、 緑 も 濃い 色 に な つた 時分 に 漸 く 若葉 らしい もの を 着け はじめた 。 もと から あつ た 枝 に 一応 葉 が 揃 つた 時分 に 、 新 らしい 枝 が つい /\ と 出 はじめて 其枝 に み づ /\ と 柔 かい 大きな 葉 が 出 はじめた 。 夏 も 末 の 頃 に な つて 漸 く 新 らしい 枝 の さき に 白い 粉 の 吹いた や う な 莟 が 沢山に つき はじめて 、 其 の 苔 が ほころびる と はじめて 赤い 花 が 咲く ので あつ た 。 其 の 赤い 花 は 長い 間 咲いて を る が 、 其 は 夏 の 末 から 秋 に かけて 咲く ので あ つて 、 むしろ 秋 の 部分 が 多い のである 。 ・・
実際 庭 に 植 ゑた 百日紅 を 見て 、 はじめて 右 の や うな こと が 判 つた 。 ・・
が 、 しかし 席 題 に 百日紅 と いふ 題 が 出た 時 など は 、 ふと 真夏 の 炎天 下 に 真 赤 に 咲いて ゐる 、 葉 の 無い 、 花 ばかり が 梢 に ある 、 肌 の つる /\ した 木 を 想像 する のである 。 さ うで は なか つた と 考 へて も どうも 其最 初 の 印象 が こびりついて 居る のである 。 ・・
其最 初 の 印象 と いふ の は 、 子 規 に 俳句 を 見て もら ひ はじめた 時分 の こと である 。 一 本 の 百日紅 を 、 こんな 変てこな 、 肌 の すべ つ こい 、 真 赤 な 花 の 群がり 咲いて ゐる 木 が ある もの か と 、 熱心に 見上げて ゐる 若い 自分 の 姿 さ へ を も は つき り と 思 ひ 浮べる こと が 出来る のである 。 ・・
( 昭和 六 年 九 月 )