三 姉妹 探偵 団 (2) Chapter 15 (1)
15 綾子 、 大いに 怒る
一方 、 夕 里子 の 方 は 、 足早に 、 大学生 たち の 間 を 縫って 行った 。
夕 里子 も 、 もちろん 私服 で 来て いる から 、 大学生 の 間 に 紛れる と 、 まるで 目立た ない 。
しかし 、 急いで 歩いて も 、 梨 山 の 姿 は 目 に 入って 来 なかった 。
よっぽど 先 に 行って しまった のだろう か 。
── もちろん 、 行 先 が 梨 山 の 教授 室 である の は 分 って いる から 、 構わ ない のだ が 。
この 辺り 、 かなり の ベテラン 刑事 みたいに なって 来て いた 。
二 階 へ 上って 行く 。
── 梨 山 の 部屋 の 前 まで 来る と 、 夕 里子 は 、 忍び足 に なった 。
中 の 話 が 聞こえる かしら 。
ドア の 所 で 、 じっと 耳 を 澄まして いた が 、 何も 聞こえて 来 ない 。
じゃ 、 別に どう って こと の ない 用事 だった んだろう か ?
夕 里子 は 、 ちょっと がっかり した 。
少し 粘って みた が 、 まるで 声 も ない 。
諦めて 、 姉 の 待って いる 学生 食堂 へ 戻ろう と 歩き 出した のだ が ── 階段 を 降りよう と して ギョッ と した 。
梨 山 が 上って 来る ところ だった のだ !
まだ 部屋 へ 入って い なかった の か 。
どこ か で 寄り道 して いた の に 違いない 。 それ じゃ 、 いくら 耳 を 澄まして いて も 、 何も 聞こえ ない わけだ 。
とっさに 、 夕 里子 は 逆戻り した 。
と いって ── 廊下 に 突っ立って いたら 、 梨 山 の 目 に 入って しまう 。
ええ い 、 こう なったら !
夕 里子 は 思い切って 、 梨 山 の 部屋 の ドア を 開けて 、 中 へ 入った 。
後ろ手 に ドア を 閉め 、 どこ か 、 隠れる 所 は ない か 、 と 周囲 を 見回す 。
しかし 、 そう そう 都合 よく 、「 避難 場所 」 が ある わけ も ない 。
── そう だ 、 あの 本棚 の 陰 !
もちろん 、 ヒョイ と 覗か れたら おしまい だ が 、 じっと 息 を 殺して いれば 大丈夫だろう 。
夕 里子 は 部屋 を 横切ろう と した が ── いきなり 腕 を ぐ いと つかまれて 、
「 キャッ !
と 、 声 を 上げた 。
「 しっ !
── あら 、 あんた 」
振り向いて 、 夕 里子 は びっくり した 。
どうやら 、 来客 用 の ソファ の 裏 に 隠れて いた らしい 。
「 ホテル で 会った 子 ね 」
と 、 大津 和子 は 言った 。
「 あの ──」
「 いい わ 。
あなた 、 ここ へ 隠れ なさい 」
夕 里子 と して は 、 多少 の ため らい は あった が 、 今 は そんな こと を 言って い られる とき で は ない 。
で は 、 お 言葉 に 甘えて 、 と いう わけで 、 ソファ の 後ろ へ 丸く なって 隠れた 。
ドア が 開いて 、 梨 山 が 入って 来る 。
「 遅かった わ ね 」
と 、 大津 和子 が 言った 。
「 途中 で 学生 に 呼び止め られた んだ 」
と 、 梨 山 は 入って 来る と 、 机 の 方 へ 歩いて 行った 。
そして 、 いささか 古ぼけた 椅子 に 腰 を おろす と 、
「 警察 が お前 を 捜して る ぞ 」
と 言った 。
「 知って る わ 。
だから 、 アパート に 帰れ ない んじゃ ない 」
「 どう する つもりだ 」
「 さあ ね 、 どう しよう か な 」
と 、 大津 和子 は 、 ぶらぶら と 窓 の 方 へ 歩いて 行った 。
夕 里子 は 、 体 を 小さく して 話 に 聞き入って いた が 、 無理な 姿勢 を 取って いる ので 、 何とも 窮屈で は あった 。
しかし 、 それ は 別 と して も 、 梨 山 と 大津 和子 の 話し 方 が 、 どうも 変だった 。
前 に 、 ここ で 大津 和子 が 梨 山 の 膝 に のっかって いた とき の 、 あの ふざけた 調子 と は 、 微妙に 変って いた 。
甘ったれて いる ので は なく 、 しかし 、 もっと 気軽な 調子 で しゃべって いる 。
梨 山 の 方 も 、 そう だ 、 今 は 真面目な 口調 である 。
どうやら 、 ただ 、 教授 と 学生 と いう 仲 で は ない ように 思えた 。
なぜ 大津 和子 が 、 夕 里子 を ここ へ 隠して おいて くれた の か 。
それ は よく 分 ら なかった が ……。
それ に 、 大津 和子 は 、 わざわざ 、 夕 里子 が 見付から ない ように 、 と 窓 の 方 へ 歩いて 行った ようだ 。
梨 山 の 注意 が 、 ソファ の 方 から それる から だ 。
「 全く 、 お前 に も 困った もん だ 」
と 、 梨 山 は ため息 を ついた 。
「 仕方ない でしょ 。
自分 の 娘 な んだ から 」
娘 ?
大津 和子 が 梨 山 の 娘 ?
夕 里子 は 、 思わず 声 を 上げる ところ だった 。
梨 山 に は 子供 が い ない はずだった のに ……。
「 今 、 本棚 を 見て たら 、 面白 そうな 本 を 見付けた わ 」
と 、 大津 和子 は 愉快 そうに 言った 。
「『 火薬 の 話 』 って いう 本 」
「 お前 が そこ の 本棚 に 置いた んだろう 」
「 私 が ?
「 とぼける な 。
この 前 、 ここ へ 来て いた とき に ──」
「 私 、 本 なんか 持って た ?
「 どこ か へ 隠して た んだろう 。
そして 俺 の 目 を 盗んで ──」
「 想像 でもの を 言わ ないで よ 」
と 、 大津 和子 は 言い返した 。
「 お前 の 本 じゃ ない の か 」
「 私 が どうして こんな 本 を 借りる の ?
「 爆弾 事件 が あった 。
知って る だろう 」
「 佐々 本 綾子 さん が 狙わ れた 事件 でしょ 。
私 、 関係ない わ よ 」
「 本当 か ?
あの 姉妹 が 、 国友 って 刑事 と 親戚 な んだ そうだ 。 この 一 件 を 調べ 回って る 」
「── 姉妹 。
── なるほど ね 」
「 何 を 感心 して る んだ 」
「 別に 。
この 本 、 面白い ? 「 知る か 」
「 冷たい の ねえ 。
今夜 は お 父さん の 所 に 泊めて もらおう か と 思って た のに 」
「 俺 だって にらま れて る んだ 」
と 、 梨 山 は 苦り切った 様子 で 言った 。
「 女房 を 殺した 、 だ と さ ! 俺 が どんなに 辛抱強い 男 か 、 誰 も 知ら ない んだ から な 」
「 そういう 人 ほど 怖い の よ 。
たまり に たまった 恨み が 一気に ──」
「 俺 は もう 諦めて た よ 。
女房 を 殺す ような エネルギー は ない 」
「 そう かも ね 。
だけど 、 犯人 が 捕まる まで は 、 やっぱり お 父さん が 一 番 の 容疑 者 でしょう から ね 」
「 早く 捕まえて ほしい もん だ 」
と 、 梨 山 は ため息 を ついた 。
「 しかし 、 お前 ──」
と 言い かけた とき 、 机 の 電話 が 鳴った 。
受話器 を 取る 音 が して 、
「 ああ 、 梨 山 だ 。
── 分 った 。 すぐ 行く よ 」
と 、 いかにも 面倒くさ そうに 言った 。
「 お出かけ ?
「 事務 局長 と 打ち合せ が あった んだ 。
忘れて た よ 」
と 、 立ち上る 様子 。
「 ここ に いて も いい ?
「 ああ 。
どうせ 誰 も 来 やせん 」
足音 が ドア の 方 へ 向 う 。
見付かる 心配 も ある ので 、 夕 里子 は 、 息 を 殺し 、 じっと 身 を 縮めて いた 。
梨 山 が ドア を 開けよう と して 、
「 明日 まで 、 ここ に いる つもり か ?
と 訊 いた 。
「 それ でも いい ?
「 ああ 。
鍵 を かけ といて 、 誰 が ドア を 叩いて も 、 出 なきゃ いい 。 ── 好きに しろ 」
「 ありがとう 」
と 、 大津 和子 は 言った 。
ドア が 開く 音 に 、 夕 里子 は ホッと した 。
しかし 、 梨 山 は 、 また 何 か 思い出した らしい 。
「 明日 だ ぞ 」
と 言った 。
「 分 って る わ 」
「 うまく 神 山田 タカシ を 殺す んだ ぞ 」
そう 言って 、 梨 山 は 出て 行った 。
ドア が 閉る 。
足音 が 遠ざかる 。
夕 里子 は 、 今 聞いた 言葉 が 信じ られ ず に 、 ポカン と して いた 。
カチャリ と 鍵 の かかる 音 で 、 ハッと 我 に 返った 。
「 さあ 」
と 、 大津 和子 が 言った 。
「 もう 出て 来て いい わ 」
七十六 年 の 周期 で やって 来る ハレー 彗星 は 、 もちろん 珍しい もの である 。
しかし 、 少なくとも 、 七十六 年 たてば 、 また やって 来る と いう こと だけ は はっきり して いる 。
だ と すれば 、 この 日 、 某 病院 の 玄関 先 に タクシー が 停 った とき の 光景 の 方 が 、 より 珍しかった と 言える かも しれ ない 。
何といっても 、 将来 、 こんな こと が 二 度 起こる こと が ある と は 、 誰 に も 断言 でき ない に 違いない のである 。
いや 、 あまり 大げさに 言い すぎた かも しれ ない 。
何といっても 、 要するに タクシー が 一 台 、 病院 の 玄関 先 に 停 った 、 と いう 、 ただ それ だけ の こと な のだ から 。
もちろん 、 病院 へ タクシー で 来る 人 は 、 決して 珍しく ない 。
だが 、 この 客 は 、 ひどく 焦って いる 様子 だった 。
ドア が 開く と 、 制服 姿 の 珠美 が 、 鞄 かかえて 、 タクシー から 飛び出して 来た 。
「 ちょっと !
おい ! と 、 運転手 が 、 あわてて 声 を かけた 。
「 払って くれよ ! 「 あ 、 そう か 」
珠美 は 、 財布 を 出す と 、 タクシー の 方 へ 駆け 戻った 。
「 いくら ? 「 二千八百 ──」
「 じゃ 三千 円 。
おつり は いら ない わ 」
千 円 札 を 三 枚 渡し 、 珠美 は 病院 の 中 へ と 駆け込んで 行った 。
三 秒 後 に は 、 珠美 自身 が 、 自分 の 言った 言葉 に びっくり して いた 。
おつり は いら ない ?
── 私 、 もう 長く ない んじゃ ない かしら ?
ま 、 いい や 、 ともかく ……。
「 あの 、 すみません 」
珠美 は 、 受付 の 窓口 へ と 駆け寄った 。
「 姉 が 入院 して る はずな んです けど 」
「 お 名前 は ?
「 佐々 本 綾子 です 」
「 佐々 本 さん ね 」
「 さっき 救急 車 で 運ば れて 来た はずな んです けど 」
「 救急 車 で ?
と 、 窓口 の 女性 は 、 けげんな 表情 で 、「 今日 は 、 救急 の 患者 さん は 受け入れて ませ ん よ 」
「 だって 、 そう 電話 を もらった んです 、 学校 に 」
「 変 ねえ 。
確かに この 病院 ? 「 間違い あり ませ ん 」
と 、 珠美 は 言った 。
「 あら 、 珠美 」
と 声 が した 。
「 ああ 、 綾子 姉ちゃん ──」
と 、 つい 口 から 言葉 が 出て ……、「 お 姉ちゃん !
目 を 丸く して 、 珠美 は 姉 を 見直した 。
「 救急 車 で 運ば れた んじゃ なかった の ?
「 私 じゃ ない わ よ 。
付き添って 来た の 」
「 だって 、 お 友だち の 電話 じゃ 、 お 姉ちゃん が ──」
「 言い 違えた んだ わ 、 きっと 」
「 冗談 じゃ ない わ よ !
珠美 は 、 憤然 と して 、「 タクシー 代 、 おつり も もらわ ず に 払っちゃ った じゃ ない の 」
「 ちょっと !
静かに して よ 」
綾子 は 、 珠美 の 腕 を 取って 、 廊下 を 歩いて 行った 。
「 ここ は 病院 な んだ から 」
「 私 だって 、 ここ が デパート だ なんて 思わ ない わ よ 。
デパート なら 、 タクシー なんか で来 ない わ 」
と 、 変な 腹 の 立て 方 を して いる 。
「 夕 里子 姉ちゃん は ? 「 い なかった の よ 。
それ で あんた に 連絡 して もらった の 」
「 何 が あった の よ ?
「 私 の サンドイッチ に ね 、 毒 が 入って た らしい の 」
「 毒 が ?
「 そう 。
今 、 分析 して くれて る わ 」
と 、 綾子 は 肯 いた 。
「 食べて 大丈夫だった の ?
「 私 は 食べ なかった の よ 。
あの 猫 が 身 替り に 食べて ……」
「 へえ 。
可哀そうに 」
と 言って から 、「── あの ── 何 だって ?
「 猫 よ 。
子 猫 が ね 、 それ を 食べた の 」
「 猫 ?
あの 動物 の ? キャット の 猫 ? 「 そう よ 」
「 その 猫 を お 姉ちゃん ……」
「 救急 車 で 運んで 来た の 。
それ に 付き添って 来た の よ 」
綾子 は 、 ちょっと 暗い 表情 で 、「 一応 、 命 は 取り止めた けど 、 後遺症 が 残る かも しれ ない って ……」
「 呆れた !
珠美 は 首 を 振って 言った 。
「 ここ は 動物 病院 じゃ ない の よ 。 しかも 救急 車 で 、 猫 を 運ぶ なんて ! よく 受けいれて くれた わ ね 」
綾子 は 、 足 を 止める と 、 キッ と 目 を 吊り上げ て 、
「 珠美 !
と 、 凄い 声 で 怒鳴った 。
「 猫 だって 一 つ の 命 な の よ ! 生れて 来た からに は 、 生きる 権利 が ある んだ から ! それ を ── それ を 、 人 の 悪意 で ── 私 が 死ぬ ところ だった の を 、 猫 が 身 替り に なって 、 私 を 助けて くれた の よ ! その 猫 を 救急 車 で 運んで 何 が 悪い って いう の ! 珠美 は 啞然 と して 声 も なかった 。
何しろ 、 綾子 が こんなに 凄い 剣幕 で 怒った の は 、 初めて の こと だった のである 。
── これ が 本当に 綾子 姉ちゃん ? 珠美 は 、 思わず 自問 して いた 。
「 私 ── 私 、 許さ ない !
サンドイッチ に 毒 を 入れた 奴 を 、 絶対 に 許さ ない わ よ ! 綾子 は 、 頰 を 真 赤 に 紅潮 さ せて いた 。
「 この 手 で 捕まえて やる わ ! あの 子 猫 に かわって 、 思い切り 引っかいて やる から ! そう し なきゃ ── そう で も し なきゃ 、 あの 子 猫 が 、 あんまり 可哀そうじゃ ない の ! 綾子 は 、 興奮 の あまり 、 息 を 切らして 、 口 を つぐんだ 。
廊下 の 、 少し 離れた 所 から 、 声 が した 。
「 その 通り だ 」
── 国友 が 立って いた 。
国友 が 歩いて 来る と 、 綾子 は 、 やっと 平静に 戻って 、 今度 は 恥ずかし さ に 顔 を 赤く した まま 、 うつむいた 。
「 今 、 医者 と 話 を した 。
やっぱり 毒物 が 入って いた そうだ よ 。 どう みて も 、 故意 に 入れ られた もの だ 」
国友 の 顔 を 見て 、 綾子 は 、 ちょっと 寂し げ に 言った 。
「 やっぱり 、 誰 か が 私 を 殺そう と して る の ね 」
「 心配 し なくて いい 。
必ず 君 を 守って あげる よ 」
「 人間 は いい んです 」
と 、 綾子 は 言った 。
「 と いう と ?
「 私 だって 、 自分 の 知ら ない 内 に 、 誰 か に 恨ま れる ような こと を して た の かも しれ ない 。
だけど ── あの 子 猫 に は 、 何も あんな 目 に あう 理由 は ない わけでしょう 」
「 そりゃ そうだ 。
だけど 、 君 が 自分 を 責める 必要 は ない よ 」
「 ええ 。
でも …… やっぱり 辛い わ 」
「 ちゃんと 治療 して くれて る さ 」
と 国友 は 、 綾子 の 肩 を 叩いた 。
「 そう です ね 」
綾子 は 、 やっと 笑み を 見せた 。
「 私 、 ちょっと お 見舞 に 行って 来る わ 」
歩いて 行く 綾子 を 見送って 、 珠美 が 、 呆れた ように 言った 。
「 変人 な んだ から !
もう ! 「 いや 、 すばらしい 人 だ 、 君 の 姉さん たち は 」
と 、 国友 が 言った 。