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芥川 龍之介, Akutagawa Ryūnosuke, 羅生門 (1914) (アクセス)

羅生門 (1914) (アクセス)

羅 生 門

ある 日 の 暮 方 の 事 である 。 一 人 の 下 人 が 、 羅 生 門 の 下 で 雨 やみ を 待って いた 。 ・・

広い 門 の 下 に は 、 この 男 の ほか に 誰 も いない 。 ただ 、 所々 丹 塗 の 剥げた 、 大きな 円柱 に 、 蟋蟀 が 一 匹 と まって いる 。 羅 生 門 が 、 朱雀 大路 に ある 以上 は 、 この 男 の ほか に も 、 雨 やみ を する 市 女 笠 や 揉 烏帽子 が 、 もう 二三 人 は あり そうな もの である 。 それ が 、 この 男 の ほか に は 誰 も いない 。 ・・

何故 か と 云 う と 、 この 二三 年 、 京都 に は 、 地震 と か 辻 風 と か 火事 と か 饑饉 と か 云 う 災 が つづいて 起った 。 そこ で 洛中 の さびれ 方 は 一 通り で は ない 。 旧 記 に よる と 、 仏像 や 仏具 を 打砕いて 、 その 丹 が ついたり 、 金銀 の 箔 が ついたり した 木 を 、 路 ば た に つみ重ねて 、 薪 の 料 に 売って いた と 云 う 事 である 。 洛中 が その 始末 である から 、 羅 生 門 の 修理 など は 、 元 より 誰 も 捨てて 顧 る 者 が なかった 。 する と その 荒れ果てた の を よい 事 に して 、 狐 狸 が 棲 む 。 盗人 が 棲 む 。 とうとう しまい に は 、 引取り手 の ない 死人 を 、 この 門 へ 持って 来て 、 棄 て て 行く と 云 う 習慣 さえ 出来た 。 そこ で 、 日 の 目 が 見え なく なる と 、 誰 でも 気味 を 悪 る がって 、 この 門 の 近所 へ は 足ぶみ を し ない 事 に なって しまった のである 。 ・・

その 代り また 鴉 が どこ から か 、 たくさん 集って 来た 。 昼間 見る と 、 その 鴉 が 何 羽 と なく 輪 を 描いて 、 高い 鴟尾 の まわり を 啼 き ながら 、 飛びまわって いる 。 ことに 門 の 上の空 が 、 夕焼け で あかく なる 時 に は 、 それ が 胡麻 を まいた ように はっきり 見えた 。 鴉 は 、 勿論 、 門 の 上 に ある 死人 の 肉 を 、 啄み に 来る のである 。 ―― もっとも 今日 は 、 刻限 が 遅い せい か 、 一 羽 も 見え ない 。 ただ 、 所々 、 崩れ かかった 、 そうして その 崩れ 目 に 長い 草 の はえた 石段 の 上 に 、 鴉 の 糞 が 、 点々 と 白く こびりついて いる の が 見える 。 下 人 は 七 段 ある 石段 の 一 番 上 の 段 に 、 洗いざらし た 紺 の 襖 の 尻 を 据えて 、 右 の 頬 に 出来た 、 大きな 面 皰 を 気 に し ながら 、 ぼんやり 、 雨 の ふる の を 眺めて いた 。 ・・

作者 は さっき 、「 下 人 が 雨 やみ を 待って いた 」 と 書いた 。 しかし 、 下 人 は 雨 が やんで も 、 格別 どう しよう と 云 う 当て は ない 。 ふだん なら 、 勿論 、 主人 の 家 へ 帰る 可 き 筈 である 。 所 が その 主人 から は 、 四五 日 前 に 暇 を 出さ れた 。 前 に も 書いた ように 、 当時 京都 の 町 は 一 通り なら ず 衰微 して いた 。 今 この 下 人 が 、 永年 、 使われて いた 主人 から 、 暇 を 出さ れた の も 、 実は この 衰微 の 小さな 余波 に ほかなら ない 。 だ から 「 下 人 が 雨 やみ を 待って いた 」 と 云 う より も 「 雨 に ふりこめられた 下 人 が 、 行き 所 が なくて 、 途方 に くれて いた 」 と 云 う 方 が 、 適当である 。 その 上 、 今日 の 空模様 も 少から ず 、 この 平安朝 の 下 人 の Sentimentalisme に 影響 した 。 申 の 刻 下り から ふり出した 雨 は 、 いまだに 上る けしき が ない 。 そこ で 、 下 人 は 、 何 を おいて も 差 当り 明日 の 暮し を どうにか しよう と して ―― 云 わ ば どうにも なら ない 事 を 、 どうにか しよう と して 、 とりとめ も ない 考え を たどり ながら 、 さっき から 朱雀 大路 に ふる 雨 の 音 を 、 聞く と も なく 聞いて いた のである 。 ・・

雨 は 、 羅 生 門 を つつんで 、 遠く から 、 ざ あっと 云 う 音 を あつめて 来る 。 夕闇 は 次第に 空 を 低く して 、 見上げる と 、 門 の 屋根 が 、 斜 に つき出した 甍 の 先 に 、 重たく うす暗い 雲 を 支えて いる 。 ・・

どうにも なら ない 事 を 、 どうにか する ため に は 、 手段 を 選んで いる 遑 は ない 。 選んで いれば 、 築 土 の 下 か 、 道ばた の 土 の 上 で 、 饑死 を する ばかりである 。 そうして 、 この 門 の 上 へ 持って 来て 、 犬 の ように 棄 てられて しまう ばかりである 。 選ば ない と すれば ―― 下 人 の 考え は 、 何度 も 同じ 道 を 低 徊 した 揚句 に 、 やっと この 局所 へ 逢 着した 。 しかし この 「 すれば 」 は 、 いつまで たって も 、 結局 「 すれば 」 であった 。 下 人 は 、 手段 を 選ば ない と いう 事 を 肯定 し ながら も 、 この 「 すれば 」 の かた を つける ため に 、 当然 、 その後 に 来る 可 き 「 盗人 に なる より ほか に 仕方 が ない 」 と 云 う 事 を 、 積極 的に 肯定 する だけ の 、 勇気 が 出 ず に いた のである 。 ・・

下 人 は 、 大きな 嚔 を して 、 それ から 、 大 儀 そうに 立 上った 。 夕 冷え の する 京都 は 、 もう 火 桶 が 欲しい ほど の 寒 さ である 。 風 は 門 の 柱 と 柱 と の 間 を 、 夕闇 と 共に 遠慮 なく 、 吹きぬける 。 丹 塗 の 柱 に とまって いた 蟋蟀 も 、 もう どこ か へ 行って しまった 。 ・・

下 人 は 、 頸 を ちぢめ ながら 、 山吹 の 汗 袗 に 重ねた 、 紺 の 襖 の 肩 を 高く して 門 の まわり を 見まわした 。 雨 風 の 患 の ない 、 人目 に かかる 惧 の ない 、 一晩 楽に ねられ そうな 所 が あれば 、 そこ で ともかくも 、 夜 を 明かそう と 思った から である 。 する と 、 幸い 門 の 上 の 楼 へ 上る 、 幅 の 広い 、 これ も 丹 を 塗った 梯子 が 眼 に ついた 。 上 なら 、 人 が いた に して も 、 どうせ 死人 ばかり である 。 下 人 は そこ で 、 腰 に さげた 聖 柄 の 太刀 が 鞘 走ら ない ように 気 を つけ ながら 、 藁 草履 を はいた 足 を 、 その 梯子 の 一 番 下 の 段 へ ふみ かけた 。 ・・

それ から 、 何分 か の 後 である 。 羅 生 門 の 楼 の 上 へ 出る 、 幅 の 広い 梯子 の 中段 に 、 一 人 の 男 が 、 猫 の ように 身 を ちぢめて 、 息 を 殺し ながら 、 上 の 容子 を 窺って いた 。 楼 の 上 から さす 火 の 光 が 、 かすかに 、 その 男 の 右 の 頬 を ぬらして いる 。 短い 鬚 の 中 に 、 赤く 膿 を 持った 面 皰 の ある 頬 である 。 下 人 は 、 始め から 、 この上 に いる 者 は 、 死人 ばかり だ と 高 を 括って いた 。 それ が 、 梯子 を 二三 段 上って 見る と 、 上 で は 誰 か 火 を とぼし て 、 しかも その 火 を そこ ここ と 動かして いる らしい 。 これ は 、 その 濁った 、 黄いろい 光 が 、 隅々 に 蜘蛛 の 巣 を かけた 天井 裏 に 、 揺れ ながら 映った ので 、 すぐに それ と 知れた のである 。 この 雨 の 夜 に 、 この 羅 生 門 の 上 で 、 火 を ともして いる から は 、 どうせ ただ の 者 で は ない 。 ・・

下 人 は 、 守宮 の ように 足音 を ぬすんで 、 やっと 急な 梯子 を 、 一 番 上 の 段 まで 這う ように して 上りつめた 。 そうして 体 を 出来る だけ 、 平に し ながら 、 頸 を 出来る だけ 、 前 へ 出して 、 恐る恐る 、 楼 の 内 を 覗いて 見た 。 ・・

見る と 、 楼 の 内 に は 、 噂 に 聞いた 通り 、 幾 つ か の 死骸 が 、 無造作に 棄 て て ある が 、 火 の 光 の 及ぶ 範囲 が 、 思った より 狭い ので 、 数 は 幾 つ と も わから ない 。 ただ 、 おぼろげ ながら 、 知れる の は 、 その 中 に 裸 の 死骸 と 、 着物 を 着た 死骸 と が ある と いう 事 である 。 勿論 、 中 に は 女 も 男 も まじって いる らしい 。 そうして 、 その 死骸 は 皆 、 それ が 、 かつて 、 生きて いた 人間 だ と 云 う 事実 さえ 疑わ れる ほど 、 土 を 捏ねて 造った 人形 の ように 、 口 を 開いたり 手 を 延ばしたり して 、 ごろごろ 床 の 上 に ころがって いた 。 しかも 、 肩 と か 胸 と か の 高く なって いる 部分 に 、 ぼんやり した 火 の 光 を うけて 、 低く なって いる 部分 の 影 を 一層 暗く し ながら 、 永久 に 唖 の 如く 黙って いた 。 ・・

下 人 は 、 それ ら の 死骸 の 腐 爛 した 臭気 に 思わず 、 鼻 を 掩った 。 しかし 、 その 手 は 、 次の 瞬間 に は 、 もう 鼻 を 掩 う 事 を 忘れて いた 。 ある 強い 感情 が 、 ほとんど ことごとく この 男 の 嗅覚 を 奪って しまった から だ 。 ・・

下 人 の 眼 は 、 その 時 、 はじめて その 死骸 の 中 に 蹲って いる 人間 を 見た 。 檜 皮 色 の 着物 を 着た 、 背 の 低い 、 痩せた 、 白髪 頭 の 、 猿 の ような 老婆 である 。 その 老婆 は 、 右 の 手 に 火 を ともした 松 の 木片 を 持って 、 その 死骸 の 一 つ の 顔 を 覗きこむ ように 眺めて いた 。 髪 の 毛 の 長い 所 を 見る と 、 多分 女 の 死骸 であろう 。 ・・

下 人 は 、 六 分 の 恐怖 と 四 分 の 好奇心 と に 動かされて 、 暫時 は 呼吸 を する の さえ 忘れて いた 。 旧 記 の 記者 の 語 を 借りれば 、「 頭 身 の 毛 も 太る 」 よう に 感じた のである 。 する と 老婆 は 、 松 の 木片 を 、 床板 の 間 に 挿して 、 それ から 、 今 まで 眺めて いた 死骸 の 首 に 両手 を かける と 、 丁度 、 猿 の 親 が 猿 の 子 の 虱 を とる ように 、 その 長い 髪 の 毛 を 一 本 ずつ 抜き はじめた 。 髪 は 手 に 従って 抜ける らしい 。 ・・

その 髪 の 毛 が 、 一 本 ずつ 抜ける の に 従って 、 下 人 の 心 から は 、 恐怖 が 少しずつ 消えて 行った 。 そうして 、 それ と 同時に 、 この 老婆 に 対する はげしい 憎悪 が 、 少しずつ 動いて 来た 。 ―― いや 、 この 老婆 に 対する と 云って は 、 語弊 が ある かも 知れ ない 。 むしろ 、 あらゆる 悪 に 対する 反感 が 、 一 分 毎 に 強 さ を 増して 来た のである 。 この 時 、 誰 か が この 下 人 に 、 さっき 門 の 下 で この 男 が 考えて いた 、 饑死 を する か 盗人 に なる か と 云 う 問題 を 、 改めて 持出したら 、 恐らく 下 人 は 、 何の 未練 も なく 、 饑死 を 選んだ 事 であろう 。 それほど 、 この 男 の 悪 を 憎む 心 は 、 老婆 の 床 に 挿した 松 の 木片 の ように 、 勢い よく 燃え上り 出して いた のである 。 ・・

下 人 に は 、 勿論 、 何故 老婆 が 死人 の 髪 の 毛 を 抜く か わから なかった 。 従って 、 合理 的に は 、 それ を 善悪 の いずれ に 片づけて よい か 知ら なかった 。 しかし 下 人 に とって は 、 この 雨 の 夜 に 、 この 羅 生 門 の 上 で 、 死人 の 髪 の 毛 を 抜く と 云 う 事 が 、 それ だけ で 既に 許す べ から ざる 悪 であった 。 勿論 、 下 人 は 、 さっき まで 自分 が 、 盗人 に なる 気 で いた 事 なぞ は 、 とうに 忘れて いた のである 。 ・・

そこ で 、 下 人 は 、 両足 に 力 を 入れて 、 いきなり 、 梯子 から 上 へ 飛び上った 。 そうして 聖 柄 の 太刀 に 手 を かけ ながら 、 大股 に 老婆 の 前 へ 歩みよった 。 老婆 が 驚いた の は 云 うま で も ない 。 ・・

老婆 は 、 一目 下 人 を 見る と 、 まるで 弩 に でも 弾か れた ように 、 飛び上った 。 ・・

「 おのれ 、 どこ へ 行く 。」 ・・

下 人 は 、 老婆 が 死骸 に つまずき ながら 、 慌てふためいて 逃げよう と する 行 手 を 塞いで 、 こう 罵った 。 老婆 は 、 それ でも 下 人 を つき のけて 行こう と する 。 下 人 は また 、 それ を 行か すまい と して 、 押しもどす 。 二 人 は 死骸 の 中 で 、 しばらく 、 無言 の まま 、 つかみ 合った 。 しかし 勝敗 は 、 はじめ から わかって いる 。 下 人 は とうとう 、 老婆 の 腕 を つかんで 、 無理に そこ へ (※(「 てへん + 丑 」、 第 4 水準 2-12-93) 扭 じ 倒した 。 丁度 、 鶏 の 脚 の ような 、 骨 と 皮 ばかり の 腕 である 。 ・・

「 何 を して いた 。 云 え 。 云 わ ぬ と 、 これ だ ぞ よ 。」 ・・

下 人 は 、 老婆 を つき放す と 、 いきなり 、 太刀 の 鞘 を 払って 、 白い 鋼 の 色 を その 眼 の 前 へ つきつけた 。 けれども 、 老婆 は 黙って いる 。 両手 を わなわな ふるわせて 、 肩 で 息 を 切り ながら 、 眼 を 、 眼球 が ※(「 目 + 匡 」、 第 3 水準 1-88-81) 眶 の 外 へ 出 そうに なる ほど 、 見開いて 、 唖 の ように 執拗 く 黙って いる 。 これ を 見る と 、 下 人 は 始めて 明白に この 老婆 の 生死 が 、 全然 、 自分 の 意志 に 支配 されて いる と 云 う 事 を 意識 した 。 そうして この 意識 は 、 今 まで けわしく 燃えて いた 憎悪 の 心 を 、 いつの間にか 冷まして しまった 。 後 に 残った の は 、 ただ 、 ある 仕事 を して 、 それ が 円満に 成就 した 時 の 、 安らかな 得意 と 満足 と が ある ばかりである 。 そこ で 、 下 人 は 、 老婆 を 見下し ながら 、 少し 声 を 柔 ら げ て こう 云った 。 ・・

「 己 は 検非 違 使 の 庁 の 役人 など で は ない 。 今し方 この 門 の 下 を 通りかかった 旅 の 者 だ 。 だ から お前 に 縄 を かけて 、 どう しよう と 云 う ような 事 は ない 。 ただ 、 今 時分 この 門 の 上 で 、 何 を して 居た のだ か 、 それ を 己 に 話し さえ すれば いい のだ 。」 ・・

する と 、 老婆 は 、 見開いて いた 眼 を 、 一層 大きく して 、 じっと その 下 人 の 顔 を 見守った 。 ※(「 目 + 匡 」、 第 3 水準 1-88-81) 眶 の 赤く なった 、 肉食 鳥 の ような 、 鋭い 眼 で 見た のである 。 それ から 、 皺 で 、 ほとんど 、 鼻 と 一 つ に なった 唇 を 、 何 か 物 でも 噛んで いる ように 動かした 。 細い 喉 で 、 尖った 喉 仏 の 動いて いる の が 見える 。 その 時 、 その 喉 から 、 鴉 の 啼 くよう な 声 が 、 喘ぎ喘ぎ 、 下 人 の 耳 へ 伝わって 来た 。 ・・

「 この 髪 を 抜いて な 、 この 髪 を 抜いて な 、 鬘 に しよう と 思う た のじゃ 。」 ・・

下 人 は 、 老婆 の 答 が 存外 、 平凡な の に 失望 した 。 そうして 失望 する と 同時に 、 また 前 の 憎悪 が 、 冷やかな 侮 蔑 と 一しょに 、 心 の 中 へ は いって 来た 。 する と 、 その 気色 が 、 先方 へ も 通じた のであろう 。 老婆 は 、 片手 に 、 まだ 死骸 の 頭 から 奪った 長い 抜け毛 を 持った なり 、 蟇 の つぶやく ような 声 で 、 口ごもり ながら 、 こんな 事 を 云った 。 ・・

「 成 程 な 、 死人 の 髪 の 毛 を 抜く と 云 う 事 は 、 何 ぼう 悪い 事 かも 知れ ぬ 。 じゃ が 、 ここ に いる 死人 ども は 、 皆 、 その くらい な 事 を 、 されて も いい 人間 ばかり だ ぞ よ 。 現在 、 わし が 今 、 髪 を 抜いた 女 など は な 、 蛇 を 四 寸 ばかり ずつ に 切って 干した の を 、 干 魚 だ と 云 うて 、 太刀 帯 の 陣 へ 売り に 往 んだ わ 。 疫病 に かかって 死な なんだら 、 今 で も 売り に 往 んで いた 事 で あ ろ 。 それ も よ 、 この 女 の 売る 干 魚 は 、 味 が よい と 云 うて 、 太刀 帯 ども が 、 欠かさ ず 菜料 に 買って いた そうな 。 わし は 、 この 女 の した 事 が 悪い と は 思う てい ぬ 。 せ ねば 、 饑死 を する のじゃ て 、 仕方 が なくした 事 で あ ろ 。 されば 、 今 また 、 わし の して いた 事 も 悪い 事 と は 思わぬ ぞ よ 。 これ とて もや は りせ ねば 、 饑死 を する じゃ て 、 仕方がなく する 事 じゃ わ い の 。 じゃ て 、 その 仕方 が ない 事 を 、 よく 知っていた この 女 は 、 大方 わし の する 事 も 大 目 に 見て くれる であ ろ 。」 ・・

老婆 は 、 大体 こんな 意味 の 事 を 云った 。 ・・

下 人 は 、 太刀 を 鞘 に おさめて 、 その 太刀 の 柄 を 左 の 手 で おさえ ながら 、 冷 然 と して 、 この 話 を 聞いて いた 。 勿論 、 右 の 手 で は 、 赤く 頬 に 膿 を 持った 大きな 面 皰 を 気 に し ながら 、 聞いて いる のである 。 しかし 、 これ を 聞いて いる 中 に 、 下 人 の 心 に は 、 ある 勇気 が 生まれて 来た 。 それ は 、 さっき 門 の 下 で 、 この 男 に は 欠けて いた 勇気 である 。 そうして 、 また さっき この 門 の 上 へ 上って 、 この 老婆 を 捕えた 時 の 勇気 と は 、 全然 、 反対な 方向 に 動こう と する 勇気 である 。 下 人 は 、 饑死 を する か 盗人 に なる か に 、 迷わ なかった ばかり で は ない 。 その 時 の この 男 の 心もち から 云 えば 、 饑死 など と 云 う 事 は 、 ほとんど 、 考える 事 さえ 出来 ない ほど 、 意識 の 外 に 追い出されて いた 。 ・・

「 きっと 、 そう か 。」 ・・

老婆 の 話 が 完 る と 、 下 人 は 嘲る ような 声 で 念 を 押した 。 そうして 、 一足 前 へ 出る と 、 不意に 右 の 手 を 面 皰 から 離して 、 老婆 の 襟 上 を つかみ ながら 、 噛みつく ように こう 云った 。 ・・

「 では 、 己 が 引 剥 を しよう と 恨む まい な 。 己 も そう しなければ 、 饑死 を する 体 な のだ 。」 ・・

下 人 は 、 すばやく 、 老婆 の 着物 を 剥ぎとった 。 それ から 、 足 に しがみつこう と する 老婆 を 、 手荒く 死骸 の 上 へ 蹴 倒した 。 梯子 の 口 まで は 、 僅に 五 歩 を 数える ばかりである 。 下 人 は 、 剥ぎとった 檜 皮 色 の 着物 を わき に かかえて 、 またたく間に 急な 梯子 を 夜 の 底 へ かけ 下りた 。 ・・

しばらく 、 死んだ ように 倒れて いた 老婆 が 、 死骸 の 中 から 、 その 裸 の 体 を 起した の は 、 それ から 間もなく の 事 である 。 老婆 は つぶやく ような 、 うめく ような 声 を 立て ながら 、 まだ 燃えて いる 火 の 光 を たより に 、 梯子 の 口 まで 、 這って 行った 。 そうして 、 そこ から 、 短い 白髪 を 倒 に して 、 門 の 下 を 覗きこんだ 。 外 に は 、 ただ 、 黒 洞々たる 夜 が ある ばかりである 。 ・・

下 人 の 行方 は 、 誰 も 知ら ない 。 ・・

( 大正 四 年 九 月 )

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羅生門 (1914) (アクセス) ら せい もん|あくせす |访问链接 Rashomon (1914) (access) Rashomon (1914) (acedido) 羅生門 (1914)(訪問)

羅 生 門 ら|せい|もん silk|| porta de entrada para a vida

ある 日 の 暮 方 の 事 である 。 |ひ||くら|かた||こと| Um dia, ao anoitecer. 一 人 の 下 人 が 、 羅 生 門 の 下 で 雨 やみ を 待って いた 。 ひと|じん||した|じん||ら|せい|もん||した||あめ|||まって| Um criado estava à espera que a chuva parasse debaixo de Rashomon. ・・

広い 門 の 下 に は 、 この 男 の ほか に 誰 も いない 。 ひろい|もん||した||||おとこ||||だれ|| ||的||||||||||| ただ 、 所々 丹 塗 の 剥げた 、 大きな 円柱 に 、 蟋蟀 が 一 匹 と まって いる 。 |ところどころ|まこと|ぬ||はげた|おおきな|えんちゅう||こおろぎ||ひと|ひき||| |||||剥落的||圆柱体|||||||| Há apenas um grilo pousado numa grande coluna, que foi pintada de bronze em alguns sítios. 然而,在某些地方,有一只蟋蟀停在剥落的大圆柱上。 羅 生 門 が 、 朱雀 大路 に ある 以上 は 、 この 男 の ほか に も 、 雨 やみ を する 市 女 笠 や 揉 烏帽子 が 、 もう 二三 人 は あり そうな もの である 。 ら|せい|もん||すじゃく|おおじ|||いじょう|||おとこ|||||あめ||||し|おんな|かさ||も|えぼし|||ふみ|じん|||そう な|| Enquanto o Portão de Rashomon estiver localizado na Vermilion Bridge Road, deve haver pelo menos mais dois ou três chapéus e bonés que usam chuva. 因为罗生门位于朱雀大路上,除了这个男人之外,很可能还有几个市井女人戴着笠子和摩天帽等待雨停。 それ が 、 この 男 の ほか に は 誰 も いない 。 |||おとこ|||||だれ|| 除了这个男人,没有其他人在那里。 ・・

何故 か と 云 う と 、 この 二三 年 、 京都 に は 、 地震 と か 辻 風 と か 火事 と か 饑饉 と か 云 う 災 が つづいて 起った 。 なぜ|||うん||||ふみ|とし|みやこ|||じしん|||つじ|かぜ|||かじ|||ききん|||うん||わざわい|||おこった |||||||||京都 -> 京都|||地震|||路口|||||||饥荒||||称作|灾害||持续发生|发生了 |||to say|||this|||||||||||||||||||||||| Nos últimos 23 anos, Quioto foi atingida por uma série de catástrofes, como terramotos, ventos Tsuji, incêndios e fome. そこ で 洛中 の さびれ 方 は 一 通り で は ない 。 ||らくちゅう|||かた||ひと|とおり||| The desolation in the center of Kyoto is not all the same. Portanto, não há uma única maneira de enferrujar em Rakuchu. 在洛中,荒废的方式并不是唯一种。 旧 記 に よる と 、 仏像 や 仏具 を 打砕いて 、 その 丹 が ついたり 、 金銀 の 箔 が ついたり した 木 を 、 路 ば た に つみ重ねて 、 薪 の 料 に 売って いた と 云 う 事 である 。 きゅう|き||||ぶつぞう||ぶつぐ||うちくだいて||まこと|||きんぎん||はく||||き||じ||||つみかさねて|まき||りょう||うって|||うん||こと| |记录||||||佛具||打碎||||沾上|金银||金箔||沾上||||路边||||堆积|柴火||材料||出售|||||| According to old records, it is said that statues and Buddhist utensils were smashed, and wood with cinnabar or gold and silver leaf attached to it was piled up on the roadside and sold as firewood. Segundo uma crónica antiga, as estátuas e alfaias budistas foram esmagadas e a madeira, que tinha sido coberta com folhas de ouro ou prata, foi empilhada na berma da estrada e vendida como lenha. 据古书记载,他们将打碎的佛像和佛具,路边叠放着带有丹砂或金银箔的木头,作为柴料出售。 洛中 が その 始末 である から 、 羅 生 門 の 修理 など は 、 元 より 誰 も 捨てて 顧 る 者 が なかった 。 らくちゅう|||しまつ|||ら|せい|もん||しゅうり|||もと||だれ||すてて|こ||もの|| |||下场|||||||修缮|||||||丢弃|照顾|||| Because it was the center of Kyoto, no one paid attention to repairs such as Rashomon gate. Devido à forma como as coisas eram feitas em Rakuchu, a reparação do Portão de Rashomon foi inicialmente abandonada e não havia ninguém para cuidar dela. 由于洛中是相关当事人,因此洛生门的修缮等事宜,从一开始就没有人愿意去处理。 する と その 荒れ果てた の を よい 事 に して 、 狐 狸 が 棲 む 。 |||あれはてた||||こと|||きつね|たぬき||せい| 做|||||||||||狸猫||栖息| 盗人 が 棲 む 。 ぬすびと||せい| |||住在 とうとう しまい に は 、 引取り手 の ない 死人 を 、 この 門 へ 持って 来て 、 棄 て て 行く と 云 う 習慣 さえ 出来た 。 ||||ひきとりて|||しにん|||もん||もって|きて|き|||いく||うん||しゅうかん||できた ||||||没有|死者||||||||||||说|||| そこ で 、 日 の 目 が 見え なく なる と 、 誰 でも 気味 を 悪 る がって 、 この 門 の 近所 へ は 足ぶみ を し ない 事 に なって しまった のである 。 ||ひ||め||みえ||||だれ||きみ||あく||||もん||きんじょ|||あしぶみ||||こと|||| ||||||||||||||恶劣||感到害怕|||||||止步|||||||| ・・

その 代り また 鴉 が どこ から か 、 たくさん 集って 来た 。 |かわり||からす||||||つどって|きた |||乌鸦||||||| 昼間 見る と 、 その 鴉 が 何 羽 と なく 輪 を 描いて 、 高い 鴟尾 の まわり を 啼 き ながら 、 飛びまわって いる 。 ひるま|みる|||からす||なん|はね|||りん||えがいて|たかい|とびお||||てい|||とびまわって| |||||||只|||圈||画出||鸱尾||周围||鸣叫|||飞来飞去| 白天看到,那只乌鸦围着高高的鬼头绕圈飞舞,一边啼叫。 ことに 門 の 上の空 が 、 夕焼け で あかく なる 時 に は 、 それ が 胡麻 を まいた ように はっきり 見えた 。 |もん||うわのそら||ゆうやけ||||じ|||||ごま|||||みえた |||心不在焉|||||||||||芝麻||撒下了||清楚地|看得清楚 尤其在门上的天空在夕阳映照下变得很红的时候,它清晰地看起来就像撒了芝麻一样。 鴉 は 、 勿論 、 門 の 上 に ある 死人 の 肉 を 、 啄み に 来る のである 。 からす||もちろん|もん||うえ|||しにん||にく||ついばみ||くる| ||||||||||||啄食||| 乌鸦当然是为了啄食门上的尸体而来的。 ―― もっとも 今日 は 、 刻限 が 遅い せい か 、 一 羽 も 見え ない 。 |きょう||こくげん||おそい|||ひと|はね||みえ| ||||||因为|||||| ただ 、 所々 、 崩れ かかった 、 そうして その 崩れ 目 に 長い 草 の はえた 石段 の 上 に 、 鴉 の 糞 が 、 点々 と 白く こびりついて いる の が 見える 。 |ところどころ|くずれ||||くずれ|め||ながい|くさ|||いしだん||うえ||からす||くそ||てんてん||しろく|||||みえる ||坍塌||||||||||生长着|石阶||||||鸟粪||斑斑点点||白色地|粘附着|||| 下 人 は 七 段 ある 石段 の 一 番 上 の 段 に 、 洗いざらし た 紺 の 襖 の 尻 を 据えて 、 右 の 頬 に 出来た 、 大きな 面 皰 を 気 に し ながら 、 ぼんやり 、 雨 の ふる の を 眺めて いた 。 した|じん||なな|だん||いしだん||ひと|ばん|うえ||だん||あらいざらし||こん||ふすま||しり||すえて|みぎ||ほお||できた|おおきな|おもて|ほう||き|||||あめ|||||ながめて| ||||||||||||||洗净的||深蓝色||袍子||屁股||放置着|||脸颊||||痘痘|痘痘||||||发呆地||||||凝视着| ・・

作者 は さっき 、「 下 人 が 雨 やみ を 待って いた 」 と 書いた 。 さくしゃ|||した|じん||あめ|||まって|||かいた ||刚才|||||雨停|||||写了 しかし 、 下 人 は 雨 が やんで も 、 格別 どう しよう と 云 う 当て は ない 。 |した|じん||あめ||||かくべつ||||うん||あて|| ||||||||特别||||||目标|| 然而,仆人不管下雨停了之后该怎么做都没有特别的打算。 ふだん なら 、 勿論 、 主人 の 家 へ 帰る 可 き 筈 である 。 ||もちろん|あるじ||いえ||かえる|か||はず| ||||||||||应该| 通常情况下,当然应该回主人的家里。 所 が その 主人 から は 、 四五 日 前 に 暇 を 出さ れた 。 しょ|||あるじ|||しご|ひ|ぜん||いとま||ださ| ||||||四五天||||||解雇| 但是那位主人几天前却给了我假期。 前 に も 書いた ように 、 当時 京都 の 町 は 一 通り なら ず 衰微 して いた 。 ぜん|||かいた||とうじ|みやこ||まち||ひと|とおり|||すいび|| ||||||||||||||衰落|| 今 この 下 人 が 、 永年 、 使われて いた 主人 から 、 暇 を 出さ れた の も 、 実は この 衰微 の 小さな 余波 に ほかなら ない 。 いま||した|じん||ながねん|つかわ れて||あるじ||いとま||ださ||||じつは||すいび||ちいさな|よは||| |||||多年||||||||||||||||余波||正是因为| 现在,这个下人,长期受雇于的主人突然给了他假期,其实也不过是这种衰微的小小余波。 だ から 「 下 人 が 雨 やみ を 待って いた 」 と 云 う より も 「 雨 に ふりこめられた 下 人 が 、 行き 所 が なくて 、 途方 に くれて いた 」 と 云 う 方 が 、 適当である 。 ||した|じん||あめ|||まって|||うん||||あめ||ふりこめ られた|した|じん||いき|しょ|||とほう|||||うん||かた||てきとうである |||||||||||||||||困住||||||||困惑|||||||||更合适 因此,与其说"下人在等待停雨",不如说"被雨淋湿无处可去,感到困惑的下人"更为合适。 その 上 、 今日 の 空模様 も 少から ず 、 この 平安朝 の 下 人 の Sentimentalisme に 影響 した 。 |うえ|きょう||そらもよう||しょう から|||へいあんちょう||した|じん||sentimentalisme||えいきょう| ||||天空状况||||||||||感伤情绪||影响| 而且,今天的天空状况也在一定程度上受到这个平安时代下人的感情主义影响。 申 の 刻 下り から ふり出した 雨 は 、 いまだに 上る けしき が ない 。 さる||きざ|くだり||ふりだした|あめ|||のぼる||| ||时辰||||||仍然|||| そこ で 、 下 人 は 、 何 を おいて も 差 当り 明日 の 暮し を どうにか しよう と して ―― 云 わ ば どうにも なら ない 事 を 、 どうにか しよう と して 、 とりとめ も ない 考え を たどり ながら 、 さっき から 朱雀 大路 に ふる 雨 の 音 を 、 聞く と も なく 聞いて いた のである 。 ||した|じん||なん||||さ|あたり|あした||くらし||||||うん||||||こと|||||||||かんがえ||||||すじゃく|おおじ|||あめ||おと||きく||||きいて|| ・・

雨 は 、 羅 生 門 を つつんで 、 遠く から 、 ざ あっと 云 う 音 を あつめて 来る 。 あめ||ら|せい|もん|||とおく|||あっ と|うん||おと|||くる 夕闇 は 次第に 空 を 低く して 、 見上げる と 、 門 の 屋根 が 、 斜 に つき出した 甍 の 先 に 、 重たく うす暗い 雲 を 支えて いる 。 ゆうやみ||しだいに|から||ひくく||みあげる||もん||やね||しゃ||つきだした|いらか||さき||おもたく|うすぐらい|くも||ささえて| ・・

どうにも なら ない 事 を 、 どうにか する ため に は 、 手段 を 選んで いる 遑 は ない 。 |||こと|||||||しゅだん||えらんで||こう|| 選んで いれば 、 築 土 の 下 か 、 道ばた の 土 の 上 で 、 饑死 を する ばかりである 。 えらんで||きず|つち||した||みちばた||つち||うえ||きし||| そうして 、 この 門 の 上 へ 持って 来て 、 犬 の ように 棄 てられて しまう ばかりである 。 ||もん||うえ||もって|きて|いぬ|||き|てら れて|| 選ば ない と すれば ―― 下 人 の 考え は 、 何度 も 同じ 道 を 低 徊 した 揚句 に 、 やっと この 局所 へ 逢 着した 。 えらば||||した|じん||かんがえ||なんど||おなじ|どう||てい|かい||あげく||||きょくしょ||あ|ちゃくした しかし この 「 すれば 」 は 、 いつまで たって も 、 結局 「 すれば 」 であった 。 |||||||けっきょく|| 下 人 は 、 手段 を 選ば ない と いう 事 を 肯定 し ながら も 、 この 「 すれば 」 の かた を つける ため に 、 当然 、 その後 に 来る 可 き 「 盗人 に なる より ほか に 仕方 が ない 」 と 云 う 事 を 、 積極 的に 肯定 する だけ の 、 勇気 が 出 ず に いた のである 。 した|じん||しゅだん||えらば||||こと||こうてい||||||||||||とうぜん|そのご||くる|か||ぬすびと||||||しかた||||うん||こと||せっきょく|てきに|こうてい||||ゆうき||だ|||| ・・

下 人 は 、 大きな 嚔 を して 、 それ から 、 大 儀 そうに 立 上った 。 した|じん||おおきな|てい|||||だい|ぎ|そう に|た|のぼった 夕 冷え の する 京都 は 、 もう 火 桶 が 欲しい ほど の 寒 さ である 。 ゆう|ひえ|||みやこ|||ひ|おけ||ほしい|||さむ|| 風 は 門 の 柱 と 柱 と の 間 を 、 夕闇 と 共に 遠慮 なく 、 吹きぬける 。 かぜ||もん||ちゅう||ちゅう|||あいだ||ゆうやみ||ともに|えんりょ||ふきぬける 丹 塗 の 柱 に とまって いた 蟋蟀 も 、 もう どこ か へ 行って しまった 。 まこと|ぬ||ちゅう||||こおろぎ||||||おこなって| ・・

下 人 は 、 頸 を ちぢめ ながら 、 山吹 の 汗 袗 に 重ねた 、 紺 の 襖 の 肩 を 高く して 門 の まわり を 見まわした 。 した|じん||けい||||やまぶき||あせ|しん||かさねた|こん||ふすま||かた||たかく||もん||||みまわした 雨 風 の 患 の ない 、 人目 に かかる 惧 の ない 、 一晩 楽に ねられ そうな 所 が あれば 、 そこ で ともかくも 、 夜 を 明かそう と 思った から である 。 あめ|かぜ||わずら|||ひとめ|||く|||ひとばん|らくに|ねら れ|そう な|しょ||||||よ||あかそう||おもった|| する と 、 幸い 門 の 上 の 楼 へ 上る 、 幅 の 広い 、 これ も 丹 を 塗った 梯子 が 眼 に ついた 。 ||さいわい|もん||うえ||ろう||のぼる|はば||ひろい|||まこと||ぬった|はしご||がん|| 上 なら 、 人 が いた に して も 、 どうせ 死人 ばかり である 。 うえ||じん|||||||しにん|| 下 人 は そこ で 、 腰 に さげた 聖 柄 の 太刀 が 鞘 走ら ない ように 気 を つけ ながら 、 藁 草履 を はいた 足 を 、 その 梯子 の 一 番 下 の 段 へ ふみ かけた 。 した|じん||||こし|||せい|え||たち||さや|はしら|||き||||わら|ぞうり|||あし|||はしご||ひと|ばん|した||だん||| ・・

それ から 、 何分 か の 後 である 。 ||なにぶん|||あと| 羅 生 門 の 楼 の 上 へ 出る 、 幅 の 広い 梯子 の 中段 に 、 一 人 の 男 が 、 猫 の ように 身 を ちぢめて 、 息 を 殺し ながら 、 上 の 容子 を 窺って いた 。 ら|せい|もん||ろう||うえ||でる|はば||ひろい|はしご||ちゅうだん||ひと|じん||おとこ||ねこ|||み|||いき||ころし||うえ||ようこ||き って| 楼 の 上 から さす 火 の 光 が 、 かすかに 、 その 男 の 右 の 頬 を ぬらして いる 。 ろう||うえ|||ひ||ひかり||||おとこ||みぎ||ほお||| 短い 鬚 の 中 に 、 赤く 膿 を 持った 面 皰 の ある 頬 である 。 みじかい|ひげ||なか||あかく|うみ||もった|おもて|ほう|||ほお| 下 人 は 、 始め から 、 この上 に いる 者 は 、 死人 ばかり だ と 高 を 括って いた 。 した|じん||はじめ||このうえ|||もの||しにん||||たか||くくって| それ が 、 梯子 を 二三 段 上って 見る と 、 上 で は 誰 か 火 を とぼし て 、 しかも その 火 を そこ ここ と 動かして いる らしい 。 ||はしご||ふみ|だん|のぼって|みる||うえ|||だれ||ひ||||||ひ|||||うごかして|| これ は 、 その 濁った 、 黄いろい 光 が 、 隅々 に 蜘蛛 の 巣 を かけた 天井 裏 に 、 揺れ ながら 映った ので 、 すぐに それ と 知れた のである 。 |||にごった|きいろい|ひかり||すみずみ||くも||す|||てんじょう|うら||ゆれ||うつった|||||しれた| この 雨 の 夜 に 、 この 羅 生 門 の 上 で 、 火 を ともして いる から は 、 どうせ ただ の 者 で は ない 。 |あめ||よ|||ら|せい|もん||うえ||ひ|||||||||もの||| ・・

下 人 は 、 守宮 の ように 足音 を ぬすんで 、 やっと 急な 梯子 を 、 一 番 上 の 段 まで 這う ように して 上りつめた 。 した|じん||やもり|||あしおと||||きゅうな|はしご||ひと|ばん|うえ||だん||はう|||のぼりつめた そうして 体 を 出来る だけ 、 平に し ながら 、 頸 を 出来る だけ 、 前 へ 出して 、 恐る恐る 、 楼 の 内 を 覗いて 見た 。 |からだ||できる||ひらに|||けい||できる||ぜん||だして|おそるおそる|ろう||うち||のぞいて|みた ・・

見る と 、 楼 の 内 に は 、 噂 に 聞いた 通り 、 幾 つ か の 死骸 が 、 無造作に 棄 て て ある が 、 火 の 光 の 及ぶ 範囲 が 、 思った より 狭い ので 、 数 は 幾 つ と も わから ない 。 みる||ろう||うち|||うわさ||きいた|とおり|いく||||しがい||むぞうさに|き|||||ひ||ひかり||およぶ|はんい||おもった||せまい||すう||いく||||| ただ 、 おぼろげ ながら 、 知れる の は 、 その 中 に 裸 の 死骸 と 、 着物 を 着た 死骸 と が ある と いう 事 である 。 |||しれる||||なか||はだか||しがい||きもの||きた|しがい||||||こと| 勿論 、 中 に は 女 も 男 も まじって いる らしい 。 もちろん|なか|||おんな||おとこ|||| そうして 、 その 死骸 は 皆 、 それ が 、 かつて 、 生きて いた 人間 だ と 云 う 事実 さえ 疑わ れる ほど 、 土 を 捏ねて 造った 人形 の ように 、 口 を 開いたり 手 を 延ばしたり して 、 ごろごろ 床 の 上 に ころがって いた 。 ||しがい||みな||||いきて||にんげん|||うん||じじつ||うたがわ|||つち||こねて|つくった|にんぎょう|||くち||あいたり|て||のばしたり|||とこ||うえ||| しかも 、 肩 と か 胸 と か の 高く なって いる 部分 に 、 ぼんやり した 火 の 光 を うけて 、 低く なって いる 部分 の 影 を 一層 暗く し ながら 、 永久 に 唖 の 如く 黙って いた 。 |かた|||むね||||たかく|||ぶぶん||||ひ||ひかり|||ひくく|||ぶぶん||かげ||いっそう|くらく|||えいきゅう||おし||ごとく|だまって| ・・

下 人 は 、 それ ら の 死骸 の 腐 爛 した 臭気 に 思わず 、 鼻 を 掩った 。 した|じん|||||しがい||くさ|らん||しゅうき||おもわず|はな||えん った しかし 、 その 手 は 、 次の 瞬間 に は 、 もう 鼻 を 掩 う 事 を 忘れて いた 。 ||て||つぎの|しゅんかん||||はな||えん||こと||わすれて| ある 強い 感情 が 、 ほとんど ことごとく この 男 の 嗅覚 を 奪って しまった から だ 。 |つよい|かんじょう|||||おとこ||きゅうかく||うばって||| ・・

下 人 の 眼 は 、 その 時 、 はじめて その 死骸 の 中 に 蹲って いる 人間 を 見た 。 した|じん||がん|||じ|||しがい||なか||うずくまって||にんげん||みた 檜 皮 色 の 着物 を 着た 、 背 の 低い 、 痩せた 、 白髪 頭 の 、 猿 の ような 老婆 である 。 ひのき|かわ|いろ||きもの||きた|せ||ひくい|やせた|しらが|あたま||さる|||ろうば| その 老婆 は 、 右 の 手 に 火 を ともした 松 の 木片 を 持って 、 その 死骸 の 一 つ の 顔 を 覗きこむ ように 眺めて いた 。 |ろうば||みぎ||て||ひ|||まつ||もくへん||もって||しがい||ひと|||かお||のぞきこむ||ながめて| 髪 の 毛 の 長い 所 を 見る と 、 多分 女 の 死骸 であろう 。 かみ||け||ながい|しょ||みる||たぶん|おんな||しがい| ・・

下 人 は 、 六 分 の 恐怖 と 四 分 の 好奇心 と に 動かされて 、 暫時 は 呼吸 を する の さえ 忘れて いた 。 した|じん||むっ|ぶん||きょうふ||よっ|ぶん||こうきしん|||うごかさ れて|ざんじ||こきゅう|||||わすれて| 旧 記 の 記者 の 語 を 借りれば 、「 頭 身 の 毛 も 太る 」 よう に 感じた のである 。 きゅう|き||きしゃ||ご||かりれば|あたま|み||け||ふとる|||かんじた| する と 老婆 は 、 松 の 木片 を 、 床板 の 間 に 挿して 、 それ から 、 今 まで 眺めて いた 死骸 の 首 に 両手 を かける と 、 丁度 、 猿 の 親 が 猿 の 子 の 虱 を とる ように 、 その 長い 髪 の 毛 を 一 本 ずつ 抜き はじめた 。 ||ろうば||まつ||もくへん||ゆかいた||あいだ||さして|||いま||ながめて||しがい||くび||りょうて||||ちょうど|さる||おや||さる||こ||しらみ|||||ながい|かみ||け||ひと|ほん||ぬき| 髪 は 手 に 従って 抜ける らしい 。 かみ||て||したがって|ぬける| ・・

その 髪 の 毛 が 、 一 本 ずつ 抜ける の に 従って 、 下 人 の 心 から は 、 恐怖 が 少しずつ 消えて 行った 。 |かみ||け||ひと|ほん||ぬける|||したがって|した|じん||こころ|||きょうふ||すこしずつ|きえて|おこなった そうして 、 それ と 同時に 、 この 老婆 に 対する はげしい 憎悪 が 、 少しずつ 動いて 来た 。 |||どうじに||ろうば||たいする||ぞうお||すこしずつ|うごいて|きた ―― いや 、 この 老婆 に 対する と 云って は 、 語弊 が ある かも 知れ ない 。 ||ろうば||たいする||うん って||ごへい||||しれ| むしろ 、 あらゆる 悪 に 対する 反感 が 、 一 分 毎 に 強 さ を 増して 来た のである 。 ||あく||たいする|はんかん||ひと|ぶん|まい||つよ|||まして|きた| この 時 、 誰 か が この 下 人 に 、 さっき 門 の 下 で この 男 が 考えて いた 、 饑死 を する か 盗人 に なる か と 云 う 問題 を 、 改めて 持出したら 、 恐らく 下 人 は 、 何の 未練 も なく 、 饑死 を 選んだ 事 であろう 。 |じ|だれ||||した|じん|||もん||した|||おとこ||かんがえて||きし||||ぬすびと|||||うん||もんだい||あらためて|もちだしたら|おそらく|した|じん||なんの|みれん|||きし||えらんだ|こと| それほど 、 この 男 の 悪 を 憎む 心 は 、 老婆 の 床 に 挿した 松 の 木片 の ように 、 勢い よく 燃え上り 出して いた のである 。 ||おとこ||あく||にくむ|こころ||ろうば||とこ||さした|まつ||もくへん|||いきおい||もえあがり|だして|| ・・

下 人 に は 、 勿論 、 何故 老婆 が 死人 の 髪 の 毛 を 抜く か わから なかった 。 した|じん|||もちろん|なぜ|ろうば||しにん||かみ||け||ぬく||| 従って 、 合理 的に は 、 それ を 善悪 の いずれ に 片づけて よい か 知ら なかった 。 したがって|ごうり|てきに||||ぜんあく||||かたづけて|||しら| しかし 下 人 に とって は 、 この 雨 の 夜 に 、 この 羅 生 門 の 上 で 、 死人 の 髪 の 毛 を 抜く と 云 う 事 が 、 それ だけ で 既に 許す べ から ざる 悪 であった 。 |した|じん|||||あめ||よ|||ら|せい|もん||うえ||しにん||かみ||け||ぬく||うん||こと|||||すでに|ゆるす||||あく| 勿論 、 下 人 は 、 さっき まで 自分 が 、 盗人 に なる 気 で いた 事 なぞ は 、 とうに 忘れて いた のである 。 もちろん|した|じん||||じぶん||ぬすびと|||き|||こと||||わすれて|| ・・

そこ で 、 下 人 は 、 両足 に 力 を 入れて 、 いきなり 、 梯子 から 上 へ 飛び上った 。 ||した|じん||りょうあし||ちから||いれて||はしご||うえ||とびあがった そうして 聖 柄 の 太刀 に 手 を かけ ながら 、 大股 に 老婆 の 前 へ 歩みよった 。 |せい|え||たち||て||||おおまた||ろうば||ぜん||あゆみよった 老婆 が 驚いた の は 云 うま で も ない 。 ろうば||おどろいた|||うん|||| ・・

老婆 は 、 一目 下 人 を 見る と 、 まるで 弩 に でも 弾か れた ように 、 飛び上った 。 ろうば||いちもく|した|じん||みる|||ど|||はじか|||とびあがった ・・

「 おのれ 、 どこ へ 行く 。」 |||いく ・・

下 人 は 、 老婆 が 死骸 に つまずき ながら 、 慌てふためいて 逃げよう と する 行 手 を 塞いで 、 こう 罵った 。 した|じん||ろうば||しがい||||あわてふためいて|にげよう|||ぎょう|て||ふさいで||ののしった 老婆 は 、 それ でも 下 人 を つき のけて 行こう と する 。 ろうば||||した|じん||||いこう|| 下 人 は また 、 それ を 行か すまい と して 、 押しもどす 。 した|じん|||||いか||||おしもどす 二 人 は 死骸 の 中 で 、 しばらく 、 無言 の まま 、 つかみ 合った 。 ふた|じん||しがい||なか|||むごん||||あった しかし 勝敗 は 、 はじめ から わかって いる 。 |しょうはい||||| 下 人 は とうとう 、 老婆 の 腕 を つかんで 、 無理に そこ へ (※(「 てへん + 丑 」、 第 4 水準 2-12-93) 扭 じ 倒した 。 した|じん|||ろうば||うで|||むりに||||うし|だい|すいじゅん|||たおした 丁度 、 鶏 の 脚 の ような 、 骨 と 皮 ばかり の 腕 である 。 ちょうど|にわとり||あし|||こつ||かわ|||うで| ・・

「 何 を して いた 。 なん||| 云 え 。 うん| 云 わ ぬ と 、 これ だ ぞ よ 。」 うん||||||| ・・

下 人 は 、 老婆 を つき放す と 、 いきなり 、 太刀 の 鞘 を 払って 、 白い 鋼 の 色 を その 眼 の 前 へ つきつけた 。 した|じん||ろうば||つきはなす|||たち||さや||はらって|しろい|はがね||いろ|||がん||ぜん|| けれども 、 老婆 は 黙って いる 。 |ろうば||だまって| 両手 を わなわな ふるわせて 、 肩 で 息 を 切り ながら 、 眼 を 、 眼球 が ※(「 目 + 匡 」、 第 3 水準 1-88-81) 眶 の 外 へ 出 そうに なる ほど 、 見開いて 、 唖 の ように 執拗 く 黙って いる 。 りょうて||||かた||いき||きり||がん||がんきゅう||め|きよう|だい|すいじゅん|||がい||だ|そう に|||みひらいて|おし|||しつよう||だまって| これ を 見る と 、 下 人 は 始めて 明白に この 老婆 の 生死 が 、 全然 、 自分 の 意志 に 支配 されて いる と 云 う 事 を 意識 した 。 ||みる||した|じん||はじめて|めいはくに||ろうば||せいし||ぜんぜん|じぶん||いし||しはい|さ れて|||うん||こと||いしき| そうして この 意識 は 、 今 まで けわしく 燃えて いた 憎悪 の 心 を 、 いつの間にか 冷まして しまった 。 ||いしき||いま|||もえて||ぞうお||こころ||いつのまにか|さまして| 後 に 残った の は 、 ただ 、 ある 仕事 を して 、 それ が 円満に 成就 した 時 の 、 安らかな 得意 と 満足 と が ある ばかりである 。 あと||のこった|||||しごと|||||えんまんに|じょうじゅ||じ||やすらかな|とくい||まんぞく|||| そこ で 、 下 人 は 、 老婆 を 見下し ながら 、 少し 声 を 柔 ら げ て こう 云った 。 ||した|じん||ろうば||みくだし||すこし|こえ||じゅう|||||うん った ・・

「 己 は 検非 違 使 の 庁 の 役人 など で は ない 。 おのれ||けんひ|ちが|つか||ちょう||やくにん|||| 今し方 この 門 の 下 を 通りかかった 旅 の 者 だ 。 いましがた||もん||した||とおりかかった|たび||もの| だ から お前 に 縄 を かけて 、 どう しよう と 云 う ような 事 は ない 。 ||おまえ||なわ||||||うん|||こと|| ただ 、 今 時分 この 門 の 上 で 、 何 を して 居た のだ か 、 それ を 己 に 話し さえ すれば いい のだ 。」 |いま|じぶん||もん||うえ||なん|||いた|||||おのれ||はなし|||| ・・

する と 、 老婆 は 、 見開いて いた 眼 を 、 一層 大きく して 、 じっと その 下 人 の 顔 を 見守った 。 ||ろうば||みひらいて||がん||いっそう|おおきく||||した|じん||かお||みまもった ※(「 目 + 匡 」、 第 3 水準 1-88-81) 眶 の 赤く なった 、 肉食 鳥 の ような 、 鋭い 眼 で 見た のである 。 め|きよう|だい|すいじゅん|||あかく||にくしょく|ちょう|||するどい|がん||みた| それ から 、 皺 で 、 ほとんど 、 鼻 と 一 つ に なった 唇 を 、 何 か 物 でも 噛んで いる ように 動かした 。 ||しわ|||はな||ひと||||くちびる||なん||ぶつ||かんで|||うごかした 細い 喉 で 、 尖った 喉 仏 の 動いて いる の が 見える 。 ほそい|のど||とがった|のど|ふつ||うごいて||||みえる その 時 、 その 喉 から 、 鴉 の 啼 くよう な 声 が 、 喘ぎ喘ぎ 、 下 人 の 耳 へ 伝わって 来た 。 |じ||のど||からす||てい|||こえ||あえぎあえぎ|した|じん||みみ||つたわって|きた ・・

「 この 髪 を 抜いて な 、 この 髪 を 抜いて な 、 鬘 に しよう と 思う た のじゃ 。」 |かみ||ぬいて|||かみ||ぬいて||まん||||おもう|| ・・

下 人 は 、 老婆 の 答 が 存外 、 平凡な の に 失望 した 。 した|じん||ろうば||こたえ||ぞんがい|へいぼんな|||しつぼう| そうして 失望 する と 同時に 、 また 前 の 憎悪 が 、 冷やかな 侮 蔑 と 一しょに 、 心 の 中 へ は いって 来た 。 |しつぼう|||どうじに||ぜん||ぞうお||ひややかな|あなど|さげす||いっしょに|こころ||なか||||きた する と 、 その 気色 が 、 先方 へ も 通じた のであろう 。 |||けしき||せんぽう|||つうじた| 老婆 は 、 片手 に 、 まだ 死骸 の 頭 から 奪った 長い 抜け毛 を 持った なり 、 蟇 の つぶやく ような 声 で 、 口ごもり ながら 、 こんな 事 を 云った 。 ろうば||かたて|||しがい||あたま||うばった|ながい|ぬけげ||もった||がま||||こえ||くちごもり|||こと||うん った ・・

「 成 程 な 、 死人 の 髪 の 毛 を 抜く と 云 う 事 は 、 何 ぼう 悪い 事 かも 知れ ぬ 。 しげ|ほど||しにん||かみ||け||ぬく||うん||こと||なん||わるい|こと||しれ| じゃ が 、 ここ に いる 死人 ども は 、 皆 、 その くらい な 事 を 、 されて も いい 人間 ばかり だ ぞ よ 。 |||||しにん|||みな||||こと||さ れて|||にんげん|||| 現在 、 わし が 今 、 髪 を 抜いた 女 など は な 、 蛇 を 四 寸 ばかり ずつ に 切って 干した の を 、 干 魚 だ と 云 うて 、 太刀 帯 の 陣 へ 売り に 往 んだ わ 。 げんざい|||いま|かみ||ぬいた|おんな||||へび||よっ|すん||||きって|ほした|||ひ|ぎょ|||うん||たち|おび||じん||うり||おう|| 疫病 に かかって 死な なんだら 、 今 で も 売り に 往 んで いた 事 で あ ろ 。 えきびょう|||しな||いま|||うり||おう|||こと||| それ も よ 、 この 女 の 売る 干 魚 は 、 味 が よい と 云 うて 、 太刀 帯 ども が 、 欠かさ ず 菜料 に 買って いた そうな 。 ||||おんな||うる|ひ|ぎょ||あじ||||うん||たち|おび|||かかさ||なりょう||かって||そう な わし は 、 この 女 の した 事 が 悪い と は 思う てい ぬ 。 |||おんな|||こと||わるい|||おもう|| せ ねば 、 饑死 を する のじゃ て 、 仕方 が なくした 事 で あ ろ 。 ||きし|||||しかた|||こと||| されば 、 今 また 、 わし の して いた 事 も 悪い 事 と は 思わぬ ぞ よ 。 |いま||||||こと||わるい|こと|||おもわぬ|| これ とて もや は りせ ねば 、 饑死 を する じゃ て 、 仕方がなく する 事 じゃ わ い の 。 ||||||きし|||||しかた が なく||こと|||| じゃ て 、 その 仕方 が ない 事 を 、 よく 知っていた この 女 は 、 大方 わし の する 事 も 大 目 に 見て くれる であ ろ 。」 |||しかた|||こと|||しっていた||おんな||おおかた||||こと||だい|め||みて||| ・・

老婆 は 、 大体 こんな 意味 の 事 を 云った 。 ろうば||だいたい||いみ||こと||うん った ・・

下 人 は 、 太刀 を 鞘 に おさめて 、 その 太刀 の 柄 を 左 の 手 で おさえ ながら 、 冷 然 と して 、 この 話 を 聞いて いた 。 した|じん||たち||さや||||たち||え||ひだり||て||||ひや|ぜん||||はなし||きいて| 勿論 、 右 の 手 で は 、 赤く 頬 に 膿 を 持った 大きな 面 皰 を 気 に し ながら 、 聞いて いる のである 。 もちろん|みぎ||て|||あかく|ほお||うみ||もった|おおきな|おもて|ほう||き||||きいて|| しかし 、 これ を 聞いて いる 中 に 、 下 人 の 心 に は 、 ある 勇気 が 生まれて 来た 。 |||きいて||なか||した|じん||こころ||||ゆうき||うまれて|きた それ は 、 さっき 門 の 下 で 、 この 男 に は 欠けて いた 勇気 である 。 |||もん||した|||おとこ|||かけて||ゆうき| そうして 、 また さっき この 門 の 上 へ 上って 、 この 老婆 を 捕えた 時 の 勇気 と は 、 全然 、 反対な 方向 に 動こう と する 勇気 である 。 ||||もん||うえ||のぼって||ろうば||とらえた|じ||ゆうき|||ぜんぜん|はんたいな|ほうこう||うごこう|||ゆうき| 下 人 は 、 饑死 を する か 盗人 に なる か に 、 迷わ なかった ばかり で は ない 。 した|じん||きし||||ぬすびと|||||まよわ||||| その 時 の この 男 の 心もち から 云 えば 、 饑死 など と 云 う 事 は 、 ほとんど 、 考える 事 さえ 出来 ない ほど 、 意識 の 外 に 追い出されて いた 。 |じ|||おとこ||こころもち||うん||きし|||うん||こと|||かんがえる|こと||でき|||いしき||がい||おいださ れて| ・・

「 きっと 、 そう か 。」 ・・

老婆 の 話 が 完 る と 、 下 人 は 嘲る ような 声 で 念 を 押した 。 ろうば||はなし||かん|||した|じん||あざける||こえ||ねん||おした そうして 、 一足 前 へ 出る と 、 不意に 右 の 手 を 面 皰 から 離して 、 老婆 の 襟 上 を つかみ ながら 、 噛みつく ように こう 云った 。 |ひとあし|ぜん||でる||ふいに|みぎ||て||おもて|ほう||はなして|ろうば||えり|うえ||||かみつく|||うん った ・・

「 では 、 己 が 引 剥 を しよう と 恨む まい な 。 |おのれ||ひ|む||||うらむ|| 己 も そう しなければ 、 饑死 を する 体 な のだ 。」 おのれ|||し なければ|きし|||からだ|| ・・

下 人 は 、 すばやく 、 老婆 の 着物 を 剥ぎとった 。 した|じん|||ろうば||きもの||はぎとった それ から 、 足 に しがみつこう と する 老婆 を 、 手荒く 死骸 の 上 へ 蹴 倒した 。 ||あし|||||ろうば||てあらく|しがい||うえ||け|たおした 梯子 の 口 まで は 、 僅に 五 歩 を 数える ばかりである 。 はしご||くち|||わずかに|いつ|ふ||かぞえる| 下 人 は 、 剥ぎとった 檜 皮 色 の 着物 を わき に かかえて 、 またたく間に 急な 梯子 を 夜 の 底 へ かけ 下りた 。 した|じん||はぎとった|ひのき|かわ|いろ||きもの|||||またたくまに|きゅうな|はしご||よ||そこ|||おりた ・・

しばらく 、 死んだ ように 倒れて いた 老婆 が 、 死骸 の 中 から 、 その 裸 の 体 を 起した の は 、 それ から 間もなく の 事 である 。 |しんだ||たおれて||ろうば||しがい||なか|||はだか||からだ||おこした|||||まもなく||こと| 老婆 は つぶやく ような 、 うめく ような 声 を 立て ながら 、 まだ 燃えて いる 火 の 光 を たより に 、 梯子 の 口 まで 、 這って 行った 。 ろうば||||||こえ||たて|||もえて||ひ||ひかり||||はしご||くち||はって|おこなった そうして 、 そこ から 、 短い 白髪 を 倒 に して 、 門 の 下 を 覗きこんだ 。 |||みじかい|しらが||たお|||もん||した||のぞきこんだ 外 に は 、 ただ 、 黒 洞々たる 夜 が ある ばかりである 。 がい||||くろ|とうとうたる|よ||| ・・

下 人 の 行方 は 、 誰 も 知ら ない 。 した|じん||ゆくえ||だれ||しら| ・・

( 大正 四 年 九 月 ) たいしょう|よっ|とし|ここの|つき