第 四 章 第 一三 艦隊 誕生 (3)
しかし 孫 は ヤン の 顔 を 見 ながら も 、 祖母 の 服 に しがみついて 離れよう と し ない 。
「 なん です 、 ウィル 、 そんな こと で 勇敢な 軍人 に なれる と 思う の 」
「 メイヤー 夫人 」
心 の なか で 汗 を ぬぐい ながら ヤン は 声 を かけた 。
「 ウィル 坊や が 成人 する ころ は 平和な 時代 に なって います よ 。 無理に 軍人 に なる 必要 は なく なって る でしょう …… 坊や 、 元気で 」
かるく 一礼 する と 、 ヤン は きび す を 返して 速い 歩調 で その 場 を たち去った 。 要するに 逃げだした のである 。 それ を 不名誉 と は 思わ なかった 。
Ⅲ ヤン が 、 シルバーブリッジ 街 二四 番地 の 官舎 に 帰った とき 、 ハイネセン 標準 時 の 二〇 時 を 腕 時計 は しめして いた 。 その 一帯 は 独身 者 または 小 家族 を 対象 と する 高級 士官 用 の 住宅 地区 で 、 自然の 葉緑素 の さわやかな 香気 が 漂って いる 。
と は いって も 、 建物 や 設備 は かならずしも あたらしい と か 豪華だ と か は 言え ない 。 土地 に 余裕 が あり 緑 に 富んで いる の は 、 新築 または 増改築 に 要する 費用 が 慢性 的に 不足 して いる から である 。
低 速度 の 走 路 から おりて 、 ヤン は 手入れ の 悪い 広い 共用 芝生 を 横断 した 。 識別 装置 を そなえた 門扉 が 、 過重 労働 にたいする 不平 の きしみ を たて ながら も B 六 号 官舎 の 主人 を 迎えいれる 。 私費 を 投じて も そろそろ とりかえる べき か な 、 と ヤン は 思った 。 経理 部 に 交渉 して も なかなか らち が あか ない のだ 。
「 お 帰り なさい 、 准将 」
ユリアン ・ ミンツ 少年 が ポーチ に 彼 を 出迎えた 。
「 もしかしたら 帰って いらっしゃら ない か と 思って いた んです 。 でも よかった 。 お 好きな アイリッシュ ・ シチュー を つくって ある んです よ 」
「 そい つ は 空腹で 帰って きた 甲 が あった 。 だけど 、 なぜ そう 思った んだ 」
「 キャゼルヌ 少将 から ご 連絡 を いただいた んです 」
ヤン の 軍用 ベレー を うけとり ながら 少年 は 答えた 。
「 あいつ は 式典 の 途中 で 美人 と 手 に 手 を とって 抜けだしたって 言って おら れ ました よ 」 「 あの 野郎 ……」
玄関 に はいり ながら ヤン は 苦笑 した 。
ユリアン ・ ミンツ 少年 は ヤン の 被 保護 者 で 、 一四 歳 に なる 。 身長 は 年齢 相応 だ 。 亜麻 色 の 頭髪 と ダーク ・ ブラウン の 瞳 と 繊細な 容貌 を もって おり 、 キャゼルヌ など は 「 ヤン の お 小 姓 」 と 呼ぶ こと が ある 。
ユリアン 少年 は 二 年 前 、〝 軍人 子女 福祉 戦時 特例 法 〟 に よって ヤン の 被 保護 者 と なった のだ 。 これ は 発案 者 の 名 を とって 〝 トラバース 法 〟 と 通称 されて いる 。 自由 惑星 同盟 は 、 一 世紀 半 に わたって 銀河 帝国 と 戦争 状態 に ある 。 それ は 慢性 的な 戦死 者 、 戦災 者 の 発生 を 意味 する 。 親族 の ない 戦争 孤児 の 救済 と 、 人 的 資源 確保 の 一石二鳥 を 目的 と して つくら れた の が トラバース 法 だった 。
孤児 たち が 軍人 の 家庭 で 養育 さ れる 。 一定 額 の 養育 費 が 政府 から 貸与 さ れる 。 孤児 たち は 一五 歳 まで 一般 の 学校 に かよう 。 以後 の 進路 選択 は 本人 の 意思 しだい だ が 、 軍隊 に 志願 して 少年 兵 と なったり 士官 学校 や 技術 学校 等 の 軍 関係 の 学校 に 入学 すれば 、 養育 費 の 返還 は 免除 さ れる のだ 。
軍隊 に とって は 、 女性 も 後方 勤務 に は 欠かせ ない 人 的 資源 であり 、 補給 、 経理 、 輸送 、 通信 、 管制 、 情報 処理 、 施設 管理 など に 必要な のである 。
「 要するに 中世 以来 の 徒弟 制度 と 思えば よろしい 。 もっと 悪質 か な 、 金銭 で 将来 を 縛ろう と いう んだ から 」
当時 、 後方 勤務 本部 に 所属 して いた キャゼルヌ は そう 皮肉 たっぷり に 説明 した もの だ 。
「 しかし とにかく 、 餌 が なければ 人間 は 生きて いけ ん 、 これ は 事実 だ から な 。 で 、 飼育 係 が 必要な わけだ が 、 お前 さん に も ひと り ぐらい ひきうけて もらいたい 」 「 私 は 家庭 もち じゃ ありません よ 」 「 だ から だ 、 妻子 を 養う と いう 社会 的 義務 を はたして いない わけだろう が 。 養育 費 も でる こと だ し 、 これ ぐらい は ひきうけて もらわ ん と な 、 ええ 、 独身 貴族 」
「 わかり ました 。 でも ひと り だけ です よ 」
「 なんなら 二 名 で も いい んだ が 」
「 ひと り で 充分です 」
「 そう か 、 では 二 人 前 食う ような 奴 を 探して きて やる 」
両者 の あいだ で 以上 の ような 会話 が かわされて から 四 日 後 、 ユリアン 少年 は ヤン 宅 の 玄関 に 立った のだった 。 ユリアン は 即日 、 ヤン 家 の なか に 自分 の 位置 を 確保 した 。 それ まで ヤン 家 の 唯一 の 構成 員 は 有能 勤勉な 家庭 経営 者 と は 称し がたく 、 せっかく ホーム ・ コンピューター が あって も 情報 を いれる こと を 怠る もの だ から けっきょく は 無用の 長 物 と 化し 、 それ に ともなって あらゆる 生活 機器 も 埃 を かぶる と いう ありさま だった のである 。
ユリアン は 自分 自身 の ため に も 家庭 の 物質 的 環境 を 整備 しよう と 決意 した らしい 。 ユリアン が ヤン 家 の 住人 と なった 翌々日 、 若い 当主 は 短 期間 の 出張 に でかけた が 、 一 週間 後 に 帰宅 して 、 整頓 と 能率 の 連合 軍 に 占領 さ れた わが家 を 見いだした のだった 。
「 ホーム ・ コンピューター の 情報 を 六 部門 に 分類 して 整理 し ました 」
一二 歳 の 占領 軍 司令 官 は 、 呆然と 立ちすくむ 当主 に そう 報告 した 。
「 ええ と 、1 家庭 経営 管理 、2 機器 制御 、3 保安 、4 情報 収集 、5 家庭 学習 、6 娯楽 です 。 家計 簿 と か 毎日 の メニュー が 1、 冷暖房 と か 掃除 機 と か 洗濯 機 と か が 2、 防犯 や 消火 装置 が 3、 ニュース や 天気 予報 や 買物 情報 が 4…… おぼえて おいて ください ね 、 大佐 」
当時 、 ヤン は 大佐 だった 。 彼 は 無言 で 居間 兼 食堂 の ソファー に 腰 を おろし 、 この 無邪気な 笑顔 の 小さな 侵略 者 に なんと 言って やろう か と 考えた 。
「 それ と 掃除 も して おき ました 。 ベッド の シーツ も 洗濯 して あります 。 あの 、 家中 きちんと 整頓 できた と 思います けど 、 ご 不満 が あったら おっしゃって ください 。 なに かご 用 は ありません か ? 」 「…… 紅茶 を 一杯 もらおう か 」 そう ヤン が 言った の は 、 好きな 紅茶 で 喉 を 湿して から 苦情 を 言って やろう と 思った から だ が 、 キッチン に とんで いった 少年 が 、 新品 同様に 綺麗に なった ティーセット を はこんで きて 彼 の 眼前 で シロン 星 産 の 茶 を 淹 れた 、 その 手 さばき に 驚いた 。
さしださ れた 茶 を ひと 口 すすって 、 彼 は 少年 に 降伏 する こと に した 。 それほど 香り も 味 も よかった のだ 。 ユリアン の 亡父 は 宇宙 艦隊 の 大尉 だった が 、 ヤン 以上 の 茶 道楽 で 、 息子 に 茶 の 種類 や 淹 れ かた を 伝授 した のだ と いう 。
ヤン が ユリアン 少年 式 の 家庭 経営 を うけいれて から 半月 後 、 三 次元 チェス を やり に 訪問 した キャゼルヌ が 室 内 を 見わたして 論評 した 。
「 有 史 以来 初めて 、 お前 さん の 家 が 清潔に なった じゃ ない か 。 親 が 無能 なら そのぶん 、 子供 が しっかり する と いう の は 真実 らしい な 」
ヤン は 反論 し なかった 。
…… それ から 二 年 たつ 。 ユリアン は 身長 も 一〇 センチ 以上 伸び 、 ほんの すこし だ が おとなっぽく なった 。 学業 成績 も よい ようだ 。 ようだ 、 と 言う の は 、 落第 でも し ない かぎり いちいち 報告 無用 と 保護 者 が 宣告 する いっぽう で 、 被 保護 者 の ほう は ときおり 表彰 メダル など もち帰って くる から である 。 キャゼルヌ に 言わ せれば 〝 出 藍 の 誉 〟 と いう こと に なる 。
「 今日 、 学校 で 来年 以降 の 進路 を 訊 かれ ました 」
食事 を し ながら ユリアン が そう 言った の は 珍しい こと だった 。 ヤン は シチュー を すくう スプーン の うごき を 停めて 、 少年 を 見 やった 。
「 卒業 は 来年 六 月 じゃ ない の か 」
「 単位 を 取得 して 半年 早く 卒業 できる 制度 が ある んです よ 」
「 ほう 」
と 無責任な 保護 者 は 感心 した 。
「 で 、 軍人 に なる つもりな の か ? 」 「 ええ 、 ぼく は 軍人 の 子 です から 」 「 親 の 職業 を 子 が つが なきゃ なら ん と いう 法 は ない さ 。 現に 私 の 父親 は 交易 商 だった 」
ほか に なりたい 職業 が あれば それ に つく こと だ 、 と ヤン は 言った 。 宇宙 港 で 会った ウィル 坊や の 幼い 顔 が 想い ださ れた 。
「 でも 軍務 に つか ない と 養育 費 を 返さ なければ なりません から ……」 「 返す さ 」
「 え ? 」 「 お前 の 保護 者 を 過小 評価 する な よ 。 それ ぐらい の 貯蓄 は ある 。 だいいち 、 そんなに 早く 卒業 する 必要 は ない んだ 。 もう すこし 遊んで たら どう だ ? 」 少年 は なめらかな 頰 を 染めた ようである 。 「 そこ まで ご 迷惑 は かけ られません 」 「 生意気 言う な 、 子供 の くせ に 。 子供って の はな 、 おとな を 喰物 に して 成長 する もの だ 」 「 ありがとう ございます 、 でも ……」
「 でも なんだ 。 そんなに 軍人 に なりたい の か 」 ユリアン は 不審 そうに ヤン の 顔 を 見た 。
「 なんだか 軍人 が お 嫌い みたいに 聞こえます けど ……」 「 嫌いだ よ 」
簡明な ヤン の 返答 は 少年 を 困惑 さ せた 。
「 だって 、 それ じゃ なぜ 、 軍人 に お なり に なった んです ? 」 「 決まって る 。 ほか に 能 が なかった から だ 」
ヤン は シチュー を 食べ 終わり 、 ナプキン で 口 を ぬぐった 。 ユリアン は 食器 を さげ 、 キッチン の 皿 洗 機 を ホーム ・ コンピューター で 操作 した 。 ティーセット を はこんで きて 、 シロン 葉 の 紅茶 を 淹 れ はじめる 。
「 まあ 、 もう すこし 考えて から 決め なさい 。 あわてる こと は なにも ない 」
「 はい 、 そう します 。 でも 、 准将 、 ニュース で 言って ました けど 、 ローエングラム 伯 が 軍務 に ついた の は 一五 歳 の とき で すって ね 」
「 そう らしい な 」
「 顔 が 映り ました けど 、 すごい 美男 子 です ね 。 ご存じ でした か ? 」 ローエングラム 伯 ラインハルト の 顔 なら 、 直接で は ない が レーザー 立体 像 など で ヤン は 幾 度 か 見た こと が ある 。 後方 勤務 本部 の 女性 兵 たち の あいだ で は 、 同盟 軍 の どの 士官 より も 人気 が 高い 、 と の 噂 も 聞いた 。 さも あろう 。 あれほど 美貌 の 若者 を 、 ヤン も ほか に 見た こと が ない 。
「 だけど 私 だって そう 悪く は ない はずだ 。 そう だろう 、 ユリアン ? 」 「 紅茶 に は ミルク を いれます か 、 ブランデー に なさ います か ? 」 「…… ブランデー 」 その とき 神経質な 音 と ともに 防犯 システム の 赤い ランプ が 点滅 した 。 ユリアン が モニター TV の スイッチ を いれる と 、 赤外線 利用 の 画面 に 多く の 人影 が 映った 。 その 全員 が 白い 頭巾 を 頭から かぶり 、 両眼 だけ を だして いる 。
「 ユリアン 」
「 はい ? 」 「 最近 は ああいう 道化 師 ども が 集団 で 家庭 訪問 する の が 流行って いる の か 」 「 あれ は 憂国 騎士 団 です よ 」
「 そんな サーカス 団 は 知ら ない な 」
「 過激な 国家 主義 者 の 集団 な んです 。 反 国家 的 、 反戦 的な 言動 を する 人 に いろんな いやがらせ を する んで 、 最近 有名な んです …… でも 変だ な 、 なんで うち に おしかけて くる んだろう 。 准将 は 賞 められる こと は あって も 非難 さ れる ような こと は ありません よ ね 」 「 奴 ら は 何 人 いる ? 」 と ヤン は 何気なく 話題 を そら せた 。 ユリアン が モニター 画面 の 隅 の 数字 を 読んだ 。
「 四二 人 です 、 敷地 内 に 侵入 した の は 。 あ 、 四三 人 、 四四 人 に なり ました 」
「 ヤン 准将 ! 」 マイク を とおした 大声 が 特殊 ガラス の 壁面 を 微妙に 震わせた 。 「 は いはい 」
ヤン は つぶやいた が 、 屋外 に つうじる はず は ない 。
「 吾々 は 真に 国 を 愛する 者 の 集団 、 憂国 騎士 団 だ 。 吾々 は きみ を 弾劾 する ! 戦 功 に 驕った か 、 きみ は 軍 の 意思 統一 を 乱し 戦意 を そこなう 行動 を しめした 。