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悪人 (Villain) (2nd book), 悪人 下 (10)
悪人 下 (10)
遠い 空 は 晴れ間 が 広がって いる のに 、 フロント ガラス を 雨 粒 が 叩いて いる 。
雨 粒 は い くつ か 混じり合って 、 すっと 音 も なく 流れ 落ちる 。
そして また 、 流れた あと を 雨 粒 が 叩 車 は 海 沿い の 車道 の 路肩 に 停められて いる 。
アスファルト の 路面 が 、 雨 に 濡れ 、 その 色 を 変えられて いく 。
濡れた アスファルト は 、 周囲 の 景色 を 暗く する 。
その せい で 、 光 代 と 祐一 の いる 車 内 まで 、 まるで 夕暮れ 時 の ように 暗く なって いく 。
この 道 の 先 に は 、 警察 署 が ある 。
あと 数 十 メートル 進めば 、 車 は 警察 署 の 敷地 へ 入る 。
もう どれ くらい ここ に じっと して いる の か 。
たった今 、 車 が 停 まったような 気 も する し 、 もう 一晩 も 、 ここ に いる ような 気 も する 。
光代 は 手 を 伸ばして 、 フロント ガラス の 雨 に 触れた 。
もちろん 内側 から 雨 に 触れる こと は でき ない のだ が 、 指先 が 少し 濡れた よ う な 感触 が ある 。
いつの間にか 、 雨脚 は 強く なり 、 もう フロント ガラス の 向こう も 見え ない 。
さっき から 祐一 の 荒い 鼻息 が はっきり と 聞き 取れる 。
横 を 向けば 、 そこ に いる のに 、 光代 は 祐一 の ほう を 見る こと が でき ない 。
見れば 何もかも が 終わる のだ と 思う 気持ち が 、 どうしても 自分 の からだ を 自由に 動かして くれ ない 。
呼子 の 岸壁 で 、 光代 は 、「 警察 まで 一緒に 行く 」 と 祐一 に 言った 。
祐一 は 、「 迷惑 が か かる 」 と 拒んだ が 、 半ば 強引に 助手 席 に 乗り込んだ 。
自分 が 殺人 犯 と 一緒に いる と いう 恐怖 感 は まったく なかった 。
自分 が 殺人 犯 と 出会った と いう より も 、 自分 が 知り合った 人 が 、 殺人 を 犯した と いう 感じ に 近かった 。
出会う 前 の 出来事 な のに 、 何 か して やれた ような 気 が して 悔しかった 。
呼子 の 駐車 場 を 出て 、 車 は 唐津 市 内 へ と 向かった 。
車 内 で は 結局 一言 も 言葉 を 交わさ なかった 。
道 は 空いて いて 、 すぐに 市街 地 へ 近づいた 。
もう すぐ 市街 地 と いう 所 で 、 予 期せ ず 唐津 警察 署 の 看板 が 現れた 。
祐一 も まさか こんなに 早く 行き当たる と は 思って い なかった のだろう 、 一瞬 、 大きく ハンドル を ぶら し 、 スピード を 落とした 。
数 十 メートル 先 に クリーム 色 の 建物 が 広い 敷地 に ぽつんと 建って いた 。
壁 に は 交通 安 全 の 標語 を 記した 垂れ幕 が あり 、 海 から の 寒風 を 大きく 孕んで 揺れて いる 。
通り を 行き交う 車 は ない 。
すぐ そこ に ある 海 から 強い 風 が 吹きつけて いる 。
「 光代 は …… ここ で 降りた ほう が よか 」 ハンドル を 握った まま 、 祐一 は 光代 の 顔 も 見 ず に そう 言った 。
雨 が 降り出した の は その とき だった 。
空 が 暗く なった か と 思ったら 、 フロント ガラス を 幾 粒 か の 雨 が 叩いた 。
ベビーカー を 押して 歩道 を 歩いて いた 若い 母親 が 、 慌てて ベビ ほろ - カー の 幌 を 下ろして いた 。
「 光代 は 、 ここ で 降りた ほう が よか 」 そう 言った きり 、 祐一 は 口 を 開か ない 。
「.:… それ だけ ?
」 と 光代 は 眩 いた 。
祐一 は 顔 を 上げ ず 、 自分 の 足元 を 見つめて いる 。
祐一 に 何 を 言って ほしくて 、 こんな こと を 訊 いて いる の か 分から なかった 。
ただ 、「 ここ で 降りた ほう が よか 」 と いう 一言 だけ で は 、 あまりに も 寂し すぎた 。
また 沈黙 が 続いた 。
フロント ガラス を 濡らす 雨 が 自ら の 重み に 耐え 切れ ず に 流れ 落ち て いく 。
「 俺 と 一緒に おる ところ を 見られたら 、 光代 に 迷惑 かかる ……」 ハンドル を 強く 握りしめた まま 、 祐一 は 眩 いた 。
「 私 が ここ で 降りれば 、 私 に は もう 迷惑 かから ん わけ ?
」 光代 の 乱暴な 物言い に 、 祐一 が すぐ 、「 ごめん 」 と 謝る 。
本当に なんで こんな こと を 言い出して いる の か 分から なかった 。
この 期 に 及んで 祐一 に 悪態 を つきたい わけで は ない 。
「…… ごめん 」 光代 は 小さく 謝った 。
サイドミラー に ベビーカー を 押して いく 若い 母親 の 後ろ姿 が 映って いた 。
若い 母親 は 駆け出したい の を 無理に 抑えて 歩いて いた 。
その 姿 を 見届けて 、 光代 は フー と 息 を 吐 い た 。
もう 何分 も 呼吸 を 忘れて いた ようだった 。
「 警察 に 行ったら 、 その あと どう なる と ?
」 ふと そんな 疑問 が 口 から こぼれる 。
ハンドル を 握る 自分 の 手 を 見つめて いた 祐一 が 顔 か を 上げ 、 自分 に も 分から ない と でも 言う ように 首 を 振る 。
筆 「 自首 したら 、 少し は 刑 も 軽く なる よね ?
」 と 光代 は 言った 。
拙 自分 に は 何も 分から ない と でも 言う ように 祐一 が また 首 を 振る 。
戯 「 いつか また 会える よ ね ?
」 彼 章 ずっと 傭 いて いた 祐一 が 、 驚いた ように 顔 を 上げ 、 その 顔 が 見る見る 泣き顔 に なって 軸 いく 。
「 私 、 待つ よ 。
何 年 でも 」 祐一 の 肩 が 震え 出し 、 激しく 首 を 振り 続ける 。
思わず 光代 は 手 を 伸ばして 、 祐一 の 頬 に 触れた 。
祐一 の 震え が 、 指先 に はっきり と 伝わって くる 。
「 俺 、 怖 か ……。
死刑 かも しれ ん 」 光代 は 祐一 の 耳 を 優しく 掴んだ 。
火傷 する ほど 熱い 耳 だった 。
「 もしも 光代 に 会う と らん なら 、 こんなに 怖く は なかった 。
いつか 捕まる と 思う て ビク ビク し とった けど 、 自分 で は 出て 行け ん やった けど 、 それ でも こげ ん 怖く は なかった 。
ばあさん や じいさん は 泣く やろう けど 、 せっかく 育てて くれた と に 、 本当に 申し訳 なか と は 思う けど 、 こげ ん 苦しゅう は なかった 。
もしも 光代 に 会う と らん なら :..:」 振り絞る ように 出て くる 祐一 の 言葉 を 、 光代 は じっと 聞いて いた 。
触れた 祐一 の 耳 が 、 ますます 熱く なる の が 手 に 伝わって くる 。
「 でも 、 行 かんぱ ……」 と 光代 は 言った 。
祐一 の 震え が 伝わって 、 声 に なら ない 声 だった 。
「 ちゃんと 自首 して 、 自分 の した こと は 償わ ん ば ……」 必死に 出した 光代 の 言葉 に 、 祐一 が 力尽きた ように 頷く 。
「 俺 、 死刑 かも しれ ん ……。
もう 光代 に も 会え ん 」 祐一 の 口 から 出て くる 死刑 と いう 言葉 が 、 光代 に は すんなり 入って こ なかった 。
もち ろん それ が どういう 意味 な の か は 分かって いる のに 、 言葉 から その 意味 が 失われて 、 た だの 「 さよなら 」 に しか 聞こえ ない 。
光代 は 震える 祐一 の 手 を 取った 。
何 か 言おう と する のだ が 、 口 から 言葉 が 出て こ ない 。
今 、 自分 たち は 、 単なる 「 さよなら 」 を して いる わけで は ない 。
「 さよなら 」 に は 、 ま だ 未来 が ある 。
光代 は 何 か 自分 が とんでもない 間違い を して いる ような 気 が して 、 必死 に 祐一 の 手 を 握りしめた 。
何 か が 終わろう と して いる のだ 。
今 、 ここ で 何 か が 決定 的に 終わろう と して いる のだ 。
ある 光景 が 蘇った の は その とき だった 。
あまりに も 一瞬 の こと で 、 今 、 蘇った どこ か の 光景 が 、 いったい いつ の 、 どこ で 見た 光景 な の か 、 分から ない ほど だった 。
光代 は 思 わ ず 目 を 閉じて 、 一瞬 蘇った 光景 を 再現 した 。
必死に 目 を 閉じて いる と 、 また ぼんやり と 、 その 光景 が 浮かび上がって くる 。
どこ ?
ここ 、 どこ ?
光代 は 目 を 閉じた まま 、 心 の 中 で 舷 いた 。
ただ 、 浮かび上がって きた 光景 は 一 枚 の 写 真 の ように 、 いくら 別の 場所 を 見よう と して も 、 それ 以上 に 広がら ない 。
目の前 に 若い 女の子 が 二 人立って いる 。
こちら に 背 を 向けて 、 楽し そうに 笑い 合って いる 。
その 向こう に は 年配 の 女性 の 背中 が 見える 。
女性 は 壁 に 向かって 何 か 話して いる 。
いや 、 違う 。
壁 じゃ なくて 、 どこ か の 窓口 。
透明の ボード の 向こう で 切符 を 売る 男性 の 顔 が ある 。
どこ ?
どこ ?
光代 は また 心 の 中 で 眩 いた 。
必死に 目 を 閉じる と 、 窓口 の 上 に 貼ら れた 路線 図 が 見え 「 あ !
」 光代 は 思わず 声 を 上げ そうに なった 。
見えた の は 、 バス の 路線 図 だった 。
自分 が 立って いる 場所 は 、 佐賀 と 博多 を 結ぶ 長 距離 バス の 切符 売り場 だった のだ 。
それ が 分かった 瞬間 、 静止 して いた 光景 が とつぜん 音 と 共に 動き出す 。
背後 で バス の 到着 を 知らせる アナウンス が 聞こえる 。
背後 に 立って いる 若い 女の子 たち の 笑い声 が す る 。
切符 を 買った おばさん が 、 財布 を しまい ながら 窓口 を 離れ 、 到着 した バス の ほう へ 歩いて いく 。
あの とき だ 。
あの とき に 間違い なかった 。
この バス は 、 この 博多 行き の バス は 、 この あと 一 人 の 少年 に バスジャック さ れる 。
光代 は 蘇った 光景 の 中 、 バス へ と 向かう おばさん に 、「 乗っちゃ 駄目 !
」 と 思わず 叫 んだ 。
ただ 、 蘇った 光景 の 中 、 声 を 出す こと は おろか 、 顔 を そちら に 向ける こと も でき ない 。
すでに 窓口 で は 若い 女の子 が 二 人 、 博多 行き の 切符 を 買って いる 。
「 買っちゃ 駄目 !
」 心 の 中 で は 叫んで いる のに 、 その 声 が 出 ない 。
列 に 並んだ 自分 の 足 が 動かせ ない 。
光 代 は ひどく 震えて いる 自分 に 気づいた 。
このまま で は 自分 まで 切符 を 買って しまう 。
携 帯 だ !
と その とき 思い出した 。
ここ で 友人 から 携帯 に 連絡 が 入る のだ 。
「 子供 が 熱 を 出した から 、 申し訳ない けど 今日 は 会え ない 」 と いう 連絡 が 入る のだ 。
光代 は バッグ を 探った 。
必死に 探る のに 、 ある はずの 携帯 が 見つから ない 。
窓口 で 切 符 を 買った 女の子 たち が 、 嬉し そうに バス へ 向かって 歩いて いく 。
携帯 が ない 。
携帯 が ない 。
窓口 の おじさん が 、「 次の 方 」 と 光代 を 呼ぶ 。
進む つもり は ない のに 、 勝手に 足 が 前 へ 出る 。
必死に 逃げ出そう と する のに 、 顔 が 窓口 に 近づいて 、 口 が 勝手に 動き出す 。
「 天神 まで 、 大人 一 枚 」 携帯 が ない 。
かかって くる はずの 携帯 が ない 。
光代 は 悲鳴 を 上げ そうに なって 目 を 開けた 。
目の前 に は 雨 に 濡れた 車道 が 伸び 、 その 先 に 同じ ように 雨 に 濡れた 警察 署 が 建って いる 。
光代 は 横 に いる 祐一 に 目 を 向けた 。
そ の とき だった 。
対向 車線 を 走って くる 一 台 の パトカー が 見えた 。
スピード を 落とし 、 ウ ィンカー を つけた パトカー が 、 右折 して 警察 署 の 敷地 へ と 走り込んで いく 。
「 イヤ !
」 と 光代 は 叫んだ 。
「 イヤ !
もう 、 あの バス に は 乗り とう ない !
」 車 内 に 反響 する ほど の 声 だった 。
とつぜん の 光代 の 声 に 、 横 で 祐一 が 息 を 呑 む 。
「 車 出して !
お 願い 。
ちょっと だけ 、 ちょっと だけ で い いけ ん 。
ここ から 出して !
」 とつぜん 声 を 上げた 光代 に 、 祐一 は 目 を 見開いて いた 。
「 お 願い -.」 光代 の 言葉 に 、 祐一 が 一 瞬時 曙 する 。
光代 は それ でも 、「 お 願い !
」 と 叫んだ 。
光代 の 焦り が 伝わった の か 、 祐一 が 慌てて ハンドル に 手 を かけ 、 アクセル を 踏む 。
車 は 警察 署 の 前 を 過ぎて 、 すぐに 左 へ 曲がった 。
道 は コンクリート の 堤防 に 沿って い た 。
道 の 先 に は 県営 の ヨット ハーバー が ある らしく 、 大きな 看板 が 雨 に 濡れて いる 。
祐 一 は そこ で 車 を 停めた 。
振り返れば 、 警察 署 が まだ 見える 場所 だった 。
車 が 動き出した とたん に 、 光代 は 声 を 上げて 泣き出して いた 。
このまま ここ で 祐一 と 別れたら 、 自分 は あの バス に 乗って しまう 。
あの バス に 乗って 、 真っ先 に 少年 に ナイフ を 向けられて しまう 。
車 を 停める と 、 祐一 は エンジン を かけた まま 、 ワイパー だけ を 切った 。
あっという間 に フロント ガラス が 雨 に 濡れて 、 景色 が 参 んで いく 。
「 私 、 イヤ !
」 光代 は 雨 に 惨 む フロント ガラス を 睨んだ まま 叫んだ 。
「 私 、 イヤ !
ここ で 祐一 と 別れたら 、 私 に は もう 何にも ないたい 。
…:。
私 、 幸せに な れるって 魁 うた と よ !
祐一 と 出会って 、 やっと これ で 幸せに なれるって ……。
馬鹿に せ んで !
私 の こと 、 馬鹿に せ んで !
」 泣きじゃくる 光代 に 、 祐一 が オドオド と 手 を 伸ばし 、 肩 に 触れる と 、 あと は 一気に 抱 き しめて くる 。
光代 は その 腕 を 乱暴に 振り払おう と した 。
しかし 祐一 が もっと 強く 抱き しめて 、 祐一 の 腕 の 中 、 ただ 泣く だけ で 身動き でき なく なって しまう 。
「 ごめん ……、 ごめん ……」 祐一 の 声 が 首筋 を 噛む ように 聞こえる 。
光代 は 力 の 限り 首 を 振った 。
振る たび に 互い の 頬 が ぶつかり合う 。
「 ごめん ……、 俺 に は 何も して や れん 」 泣いて いる の が 自分 な の か 、 祐一 な の か 分から ない 。
「 お 願い !
私 だけ 置いて いか んで !
お 願い !
もう 一 人 に せ んで !
」 光代 は 祐一 の 肩 に 叫んだ 。
逃げ 切れる わけ が ない のに 、「 逃げて !
一緒に 逃げ て !
」 と 叫んで いた 。
幸せに なれる わけ が ない のに 、「 一緒に おって !
私 だけ 置いて かんで !
」 と 叫んで いた 。
悪人 下 (10)
あくにん|した
The Bad Guy Below (10)
Le méchant, ci-dessous (10).
反派第二部 (10)
遠い 空 は 晴れ間 が 広がって いる のに 、 フロント ガラス を 雨 粒 が 叩いて いる 。
とおい|から||はれま||ひろがって|||ふろんと|がらす||あめ|つぶ||たたいて|
|||break in the clouds|||||||||drop|||
雨 粒 は い くつ か 混じり合って 、 すっと 音 も なく 流れ 落ちる 。
あめ|つぶ|||||まじりあって|す っと|おと|||ながれ|おちる
||||||mixed together|smoothly|||||
そして また 、 流れた あと を 雨 粒 が 叩 車 は 海 沿い の 車道 の 路肩 に 停められて いる 。
||ながれた|||あめ|つぶ||たた|くるま||うみ|ぞい||しゃどう||ろかた||とめ られて|
||||||||tapped||||||||shoulder|||
アスファルト の 路面 が 、 雨 に 濡れ 、 その 色 を 変えられて いく 。
||ろめん||あめ||ぬれ||いろ||かえ られて|
||||||wet||||changed|
濡れた アスファルト は 、 周囲 の 景色 を 暗く する 。
ぬれた|||しゅうい||けしき||くらく|
wet|||||||dark|
|asphalt|||||||
その せい で 、 光 代 と 祐一 の いる 車 内 まで 、 まるで 夕暮れ 時 の ように 暗く なって いく 。
|||ひかり|だい||ゆういち|||くるま|うち|||ゆうぐれ|じ|||くらく||
|||light|代わり|||||||||evening||||dark||
この 道 の 先 に は 、 警察 署 が ある 。
|どう||さき|||けいさつ|しょ||
あと 数 十 メートル 進めば 、 車 は 警察 署 の 敷地 へ 入る 。
|すう|じゅう|めーとる|すすめば|くるま||けいさつ|しょ||しきち||はいる
||||if you advance||||||property||
もう どれ くらい ここ に じっと して いる の か 。
たった今 、 車 が 停 まったような 気 も する し 、 もう 一晩 も 、 ここ に いる ような 気 も する 。
たったいま|くるま||てい|まった ような|き|||||ひとばん||||||き||
||||seems to have stopped||||||||||||||
光代 は 手 を 伸ばして 、 フロント ガラス の 雨 に 触れた 。
てるよ||て||のばして|ふろんと|がらす||あめ||ふれた
もちろん 内側 から 雨 に 触れる こと は でき ない のだ が 、 指先 が 少し 濡れた よ う な 感触 が ある 。
|うちがわ||あめ||ふれる|||||||ゆびさき||すこし|ぬれた||||かんしょく||
|inside||||touching||||||||||||||||
いつの間にか 、 雨脚 は 強く なり 、 もう フロント ガラス の 向こう も 見え ない 。
いつのまにか|あまあし||つよく|||ふろんと|がらす||むこう||みえ|
|rainfall|||||||||||
さっき から 祐一 の 荒い 鼻息 が はっきり と 聞き 取れる 。
||ゆういち||あらい|はないき||||きき|とれる
||||rough|snorting|||||
|||||breathing|||||
横 を 向けば 、 そこ に いる のに 、 光代 は 祐一 の ほう を 見る こと が でき ない 。
よこ||むけば|||||てるよ||ゆういち||||みる||||
||if (one) faces|||||||||||||||
見れば 何もかも が 終わる のだ と 思う 気持ち が 、 どうしても 自分 の からだ を 自由に 動かして くれ ない 。
みれば|なにもかも||おわる|||おもう|きもち|||じぶん||||じゆうに|うごかして||
呼子 の 岸壁 で 、 光代 は 、「 警察 まで 一緒に 行く 」 と 祐一 に 言った 。
よびこ||がんぺき||てるよ||けいさつ||いっしょに|いく||ゆういち||いった
Yobuko||pier|||||||||||
祐一 は 、「 迷惑 が か かる 」 と 拒んだ が 、 半ば 強引に 助手 席 に 乗り込んだ 。
ゆういち||めいわく|||||こばんだ||なかば|ごういんに|じょしゅ|せき||のりこんだ
||trouble|||||refused|||by force||||
|||||||拒否した|||||||
自分 が 殺人 犯 と 一緒に いる と いう 恐怖 感 は まったく なかった 。
じぶん||さつじん|はん||いっしょに||||きょうふ|かん|||
||殺人犯|||||||||||
自分 が 殺人 犯 と 出会った と いう より も 、 自分 が 知り合った 人 が 、 殺人 を 犯した と いう 感じ に 近かった 。
じぶん||さつじん|はん||であった|||||じぶん||しりあった|じん||さつじん||おかした|||かんじ||ちかかった
|||||||||||||||||committed|||||
出会う 前 の 出来事 な のに 、 何 か して やれた ような 気 が して 悔しかった 。
であう|ぜん||できごと|||なん|||||き|||くやしかった
|||||||||could have done|||||regrettable
呼子 の 駐車 場 を 出て 、 車 は 唐津 市 内 へ と 向かった 。
よびこ||ちゅうしゃ|じょう||でて|くるま||からつ|し|うち|||むかった
Yobuko||||||||Karatsu|||||
車 内 で は 結局 一言 も 言葉 を 交わさ なかった 。
くるま|うち|||けっきょく|いちげん||ことば||かわさ|
道 は 空いて いて 、 すぐに 市街 地 へ 近づいた 。
どう||あいて|||しがい|ち||ちかづいた
|||||downtown|||
もう すぐ 市街 地 と いう 所 で 、 予 期せ ず 唐津 警察 署 の 看板 が 現れた 。
||しがい|ち|||しょ||あらかじめ|きせ||からつ|けいさつ|しょ||かんばん||あらわれた
||||||||I|unexpectedly||Karatsu||||||
祐一 も まさか こんなに 早く 行き当たる と は 思って い なかった のだろう 、 一瞬 、 大きく ハンドル を ぶら し 、 スピード を 落とした 。
ゆういち||||はやく|ゆきあたる|||おもって||||いっしゅん|おおきく|はんどる||||すぴーど||おとした
|||||run into|||||||||||sway||||
|||||出会う|||||||||||||||
数 十 メートル 先 に クリーム 色 の 建物 が 広い 敷地 に ぽつんと 建って いた 。
すう|じゅう|めーとる|さき||くりーむ|いろ||たてもの||ひろい|しきち|||たって|
|||||cream||||||site||lonely standing||
壁 に は 交通 安 全 の 標語 を 記した 垂れ幕 が あり 、 海 から の 寒風 を 大きく 孕んで 揺れて いる 。
かべ|||こうつう|やす|ぜん||ひょうご||しるした|たれまく|||うみ|||かんぷう||おおきく|はらんで|ゆれて|
|||||||slogan||written|banners|||||||||pregnant with|swaying|
|||||||||||||||||||膨らんで||
通り を 行き交う 車 は ない 。
とおり||ゆきかう|くるま||
street||coming and going|||
すぐ そこ に ある 海 から 強い 風 が 吹きつけて いる 。
||||うみ||つよい|かぜ||ふきつけて|
|||||||||blowing against|
|||||||||吹きつけている|
「 光代 は …… ここ で 降りた ほう が よか 」 ハンドル を 握った まま 、 祐一 は 光代 の 顔 も 見 ず に そう 言った 。
てるよ||||おりた||||はんどる||にぎった||ゆういち||てるよ||かお||み||||いった
雨 が 降り出した の は その とき だった 。
あめ||ふりだした|||||
空 が 暗く なった か と 思ったら 、 フロント ガラス を 幾 粒 か の 雨 が 叩いた 。
から||くらく||||おもったら|ふろんと|がらす||いく|つぶ|||あめ||たたいた
||dark||||||||several||||||
ベビーカー を 押して 歩道 を 歩いて いた 若い 母親 が 、 慌てて ベビ ほろ - カー の 幌 を 下ろして いた 。
||おして|ほどう||あるいて||わかい|ははおや||あわてて|||かー||ほろ||おろして|
|||||||||||baby|canopy|||canopy|||
「 光代 は 、 ここ で 降りた ほう が よか 」 そう 言った きり 、 祐一 は 口 を 開か ない 。
てるよ||||おりた|||||いった||ゆういち||くち||あか|
「.:… それ だけ ?
」 と 光代 は 眩 いた 。
|てるよ||くら|
|||dazzled|
祐一 は 顔 を 上げ ず 、 自分 の 足元 を 見つめて いる 。
ゆういち||かお||あげ||じぶん||あしもと||みつめて|
祐一 に 何 を 言って ほしくて 、 こんな こと を 訊 いて いる の か 分から なかった 。
ゆういち||なん||いって|||||じん|||||わから|
|||||wanted||||||||||
ただ 、「 ここ で 降りた ほう が よか 」 と いう 一言 だけ で は 、 あまりに も 寂し すぎた 。
|||おりた||||||いちげん||||||さびし|
|||||||||||||||too lonely|
また 沈黙 が 続いた 。
|ちんもく||つづいた
|silence||
フロント ガラス を 濡らす 雨 が 自ら の 重み に 耐え 切れ ず に 流れ 落ち て いく 。
ふろんと|がらす||ぬらす|あめ||おのずから||おもみ||たえ|きれ|||ながれ|おち||
|||wetting|||||weight||endure|||||||
「 俺 と 一緒に おる ところ を 見られたら 、 光代 に 迷惑 かかる ……」 ハンドル を 強く 握りしめた まま 、 祐一 は 眩 いた 。
おれ||いっしょに||||み られたら|てるよ||めいわく||はんどる||つよく|にぎりしめた||ゆういち||くら|
||||||if seen||||||||gripped tightly||||blinded|
「 私 が ここ で 降りれば 、 私 に は もう 迷惑 かから ん わけ ?
わたくし||||おりれば|わたくし||||めいわく|||
||||if I get off||||||||
」 光代 の 乱暴な 物言い に 、 祐一 が すぐ 、「 ごめん 」 と 謝る 。
てるよ||らんぼうな|ものいい||ゆういち|||||あやまる
|||rough words|||||||
|||言い方|||||||
本当に なんで こんな こと を 言い出して いる の か 分から なかった 。
ほんとうに|||||いいだして||||わから|
この 期 に 及んで 祐一 に 悪態 を つきたい わけで は ない 。
|き||およんで|ゆういち||あくたい||つき たい|||
|||reached|||bad attitude||want to curse|||
「…… ごめん 」 光代 は 小さく 謝った 。
|てるよ||ちいさく|あやまった
サイドミラー に ベビーカー を 押して いく 若い 母親 の 後ろ姿 が 映って いた 。
||||おして||わかい|ははおや||うしろすがた||うつって|
|||||||||||reflected|
若い 母親 は 駆け出したい の を 無理に 抑えて 歩いて いた 。
わかい|ははおや||かけだし たい|||むりに|おさえて|あるいて|
|||want to run||||held back||
その 姿 を 見届けて 、 光代 は フー と 息 を 吐 い た 。
|すがた||みとどけて|てるよ||||いき||は||
|||confirming|||||||||
もう 何分 も 呼吸 を 忘れて いた ようだった 。
|なにぶん||こきゅう||わすれて||
|||breathing||||
「 警察 に 行ったら 、 その あと どう なる と ?
けいさつ||おこなったら|||||
」 ふと そんな 疑問 が 口 から こぼれる 。
||ぎもん||くち||
||question||||
ハンドル を 握る 自分 の 手 を 見つめて いた 祐一 が 顔 か を 上げ 、 自分 に も 分から ない と でも 言う ように 首 を 振る 。
はんどる||にぎる|じぶん||て||みつめて||ゆういち||かお|||あげ|じぶん|||わから||||いう||くび||ふる
||||||||||||||||||||||||neck||shake
筆 「 自首 したら 、 少し は 刑 も 軽く なる よね ?
ふで|じしゅ||すこし||けい||かるく||
pen|surrender||||punishment||lighter||right
」 と 光代 は 言った 。
|てるよ||いった
拙 自分 に は 何も 分から ない と でも 言う ように 祐一 が また 首 を 振る 。
せつ|じぶん|||なにも|わから||||いう||ゆういち|||くび||ふる
clumsy||||||||||||||||shake
戯 「 いつか また 会える よ ね ?
ぎ|||あえる||
play|||||
」 彼 章 ずっと 傭 いて いた 祐一 が 、 驚いた ように 顔 を 上げ 、 その 顔 が 見る見る 泣き顔 に なって 軸 いく 。
かれ|しょう||よう|||ゆういち||おどろいた||かお||あげ||かお||みるみる|なきがお|||じく|
|||employed|||||||||||||quickly|crying face|||axis|
「 私 、 待つ よ 。
わたくし|まつ|
何 年 でも 」 祐一 の 肩 が 震え 出し 、 激しく 首 を 振り 続ける 。
なん|とし||ゆういち||かた||ふるえ|だし|はげしく|くび||ふり|つづける
|||||||shaking||intensely||||
思わず 光代 は 手 を 伸ばして 、 祐一 の 頬 に 触れた 。
おもわず|てるよ||て||のばして|ゆういち||ほお||ふれた
祐一 の 震え が 、 指先 に はっきり と 伝わって くる 。
ゆういち||ふるえ||ゆびさき||||つたわって|
||trembling|||||||
「 俺 、 怖 か ……。
おれ|こわ|
死刑 かも しれ ん 」 光代 は 祐一 の 耳 を 優しく 掴んだ 。
しけい||||てるよ||ゆういち||みみ||やさしく|つかんだ
death penalty||||||||||gently|gently held
火傷 する ほど 熱い 耳 だった 。
やけど|||あつい|みみ|
burn|||hot||
「 もしも 光代 に 会う と らん なら 、 こんなに 怖く は なかった 。
|てるよ||あう|||||こわく||
いつか 捕まる と 思う て ビク ビク し とった けど 、 自分 で は 出て 行け ん やった けど 、 それ でも こげ ん 怖く は なかった 。
|つかまる||おもう|||||||じぶん|||でて|いけ||||||||こわく||
|||||startled|||||||||||||||||||
ばあさん や じいさん は 泣く やろう けど 、 せっかく 育てて くれた と に 、 本当に 申し訳 なか と は 思う けど 、 こげ ん 苦しゅう は なかった 。
||||なく||||そだてて||||ほんとうに|もうしわけ||||おもう||||くるしゅう||
|||||||||||||||||||such||suffering||
|||||||||||||||||||こんな||||
もしも 光代 に 会う と らん なら :..:」 振り絞る ように 出て くる 祐一 の 言葉 を 、 光代 は じっと 聞いて いた 。
|てるよ||あう||||ふりしぼる||でて||ゆういち||ことば||てるよ|||きいて|
|||||||squeezing out||||||||||||
|||||||絞り出す||||||||||||
触れた 祐一 の 耳 が 、 ますます 熱く なる の が 手 に 伝わって くる 。
ふれた|ゆういち||みみ|||あつく||||て||つたわって|
touched|||||||||||||
「 でも 、 行 かんぱ ……」 と 光代 は 言った 。
|ぎょう|||てるよ||いった
||will go||||
祐一 の 震え が 伝わって 、 声 に なら ない 声 だった 。
ゆういち||ふるえ||つたわって|こえ||||こえ|
||tremble||||||||
「 ちゃんと 自首 して 、 自分 の した こと は 償わ ん ば ……」 必死に 出した 光代 の 言葉 に 、 祐一 が 力尽きた ように 頷く 。
|じしゅ||じぶん|||||つぐなわ|||ひっしに|だした|てるよ||ことば||ゆういち||ちからつきた||うなずく
|surrender|to do||||||atone for|||||||||||exhausted||
||||||||償う|||||||||||力尽きた||
「 俺 、 死刑 かも しれ ん ……。
おれ|しけい|||
|death penalty|||
もう 光代 に も 会え ん 」 祐一 の 口 から 出て くる 死刑 と いう 言葉 が 、 光代 に は すんなり 入って こ なかった 。
|てるよ|||あえ||ゆういち||くち||でて||しけい|||ことば||てるよ||||はいって||
||||||||||||||||||||easily|||
||||||||||||||||||||すんなり|||
もち ろん それ が どういう 意味 な の か は 分かって いる のに 、 言葉 から その 意味 が 失われて 、 た だの 「 さよなら 」 に しか 聞こえ ない 。
|||||いみ|||||わかって|||ことば|||いみ||うしなわ れて||||||きこえ|
||||||||||||||||||lost|||||||
光代 は 震える 祐一 の 手 を 取った 。
てるよ||ふるえる|ゆういち||て||とった
何 か 言おう と する のだ が 、 口 から 言葉 が 出て こ ない 。
なん||いおう|||||くち||ことば||でて||
今 、 自分 たち は 、 単なる 「 さよなら 」 を して いる わけで は ない 。
いま|じぶん|||たんなる|||||||
||||just|||||||
「 さよなら 」 に は 、 ま だ 未来 が ある 。
|||||みらい||
光代 は 何 か 自分 が とんでもない 間違い を して いる ような 気 が して 、 必死 に 祐一 の 手 を 握りしめた 。
てるよ||なん||じぶん|||まちがい|||||き|||ひっし||ゆういち||て||にぎりしめた
||||||大きな|||||||||||||||
何 か が 終わろう と して いる のだ 。
なん|||おわろう||||
|||about to end||||
今 、 ここ で 何 か が 決定 的に 終わろう と して いる のだ 。
いま|||なん|||けってい|てきに|おわろう||||
||||||decision||||||
ある 光景 が 蘇った の は その とき だった 。
|こうけい||よみがえった|||||
|scene||revived|||||
あまりに も 一瞬 の こと で 、 今 、 蘇った どこ か の 光景 が 、 いったい いつ の 、 どこ で 見た 光景 な の か 、 分から ない ほど だった 。
||いっしゅん||||いま|よみがえった||||こうけい|||||||みた|こうけい||||わから|||
|||||||revived||||scene|||||||||||||||
光代 は 思 わ ず 目 を 閉じて 、 一瞬 蘇った 光景 を 再現 した 。
てるよ||おも|||め||とじて|いっしゅん|よみがえった|こうけい||さいげん|
|||||||closed||revived|scene||recreated|
必死に 目 を 閉じて いる と 、 また ぼんやり と 、 その 光景 が 浮かび上がって くる 。
ひっしに|め||とじて|||||||こうけい||うかびあがって|
||||||||||scene||floats up|
どこ ?
ここ 、 どこ ?
光代 は 目 を 閉じた まま 、 心 の 中 で 舷 いた 。
てるよ||め||とじた||こころ||なか||げん|
||||||||||anchored|
ただ 、 浮かび上がって きた 光景 は 一 枚 の 写 真 の ように 、 いくら 別の 場所 を 見よう と して も 、 それ 以上 に 広がら ない 。
|うかびあがって||こうけい||ひと|まい||うつ|まこと||||べつの|ばしょ||みよう|||||いじょう||ひろがら|
||||||||photo|||||||||||||||will not expand|
目の前 に 若い 女の子 が 二 人立って いる 。
めのまえ||わかい|おんなのこ||ふた|ひとだって|
||||||standing|
こちら に 背 を 向けて 、 楽し そうに 笑い 合って いる 。
||せ||むけて|たのし|そう に|わらい|あって|
||back|||||||
その 向こう に は 年配 の 女性 の 背中 が 見える 。
|むこう|||ねんぱい||じょせい||せなか||みえる
||||elderly||||||
||||||||back||
女性 は 壁 に 向かって 何 か 話して いる 。
じょせい||かべ||むかって|なん||はなして|
いや 、 違う 。
|ちがう
壁 じゃ なくて 、 どこ か の 窓口 。
かべ||||||まどぐち
透明の ボード の 向こう で 切符 を 売る 男性 の 顔 が ある 。
とうめいの|ぼーど||むこう||きっぷ||うる|だんせい||かお||
transparent|board|||||||||||
どこ ?
どこ ?
光代 は また 心 の 中 で 眩 いた 。
てるよ|||こころ||なか||くら|
必死に 目 を 閉じる と 、 窓口 の 上 に 貼ら れた 路線 図 が 見え 「 あ !
ひっしに|め||とじる||まどぐち||うえ||はら||ろせん|ず||みえ|
|||||||||||route map||||
」 光代 は 思わず 声 を 上げ そうに なった 。
てるよ||おもわず|こえ||あげ|そう に|
見えた の は 、 バス の 路線 図 だった 。
みえた|||ばす||ろせん|ず|
自分 が 立って いる 場所 は 、 佐賀 と 博多 を 結ぶ 長 距離 バス の 切符 売り場 だった のだ 。
じぶん||たって||ばしょ||さが||はかた||むすぶ|ちょう|きょり|ばす||きっぷ|うりば||
||||||||||connect||distance||||||
それ が 分かった 瞬間 、 静止 して いた 光景 が とつぜん 音 と 共に 動き出す 。
||わかった|しゅんかん|せいし|||こうけい|||おと||ともに|うごきだす
||||stationary|||||||||starts to move
||||静止していた|||||||||
背後 で バス の 到着 を 知らせる アナウンス が 聞こえる 。
はいご||ばす||とうちゃく||しらせる|あなうんす||きこえる
behind|||||||||
背後 に 立って いる 若い 女の子 たち の 笑い声 が す る 。
はいご||たって||わかい|おんなのこ|||わらいごえ|||
切符 を 買った おばさん が 、 財布 を しまい ながら 窓口 を 離れ 、 到着 した バス の ほう へ 歩いて いく 。
きっぷ||かった|||さいふ||||まどぐち||はなれ|とうちゃく||ばす||||あるいて|
あの とき だ 。
あの とき に 間違い なかった 。
|||まちがい|
この バス は 、 この 博多 行き の バス は 、 この あと 一 人 の 少年 に バスジャック さ れる 。
|ばす|||はかた|いき||ばす||||ひと|じん||しょうねん||||
||||||||||||||||bus hijacking||
光代 は 蘇った 光景 の 中 、 バス へ と 向かう おばさん に 、「 乗っちゃ 駄目 !
てるよ||よみがえった|こうけい||なか|ばす|||むかう|||のっちゃ|だめ
||revived||||||||||don't get on|
」 と 思わず 叫 んだ 。
|おもわず|さけ|
ただ 、 蘇った 光景 の 中 、 声 を 出す こと は おろか 、 顔 を そちら に 向ける こと も でき ない 。
|よみがえった|こうけい||なか|こえ||だす||||かお||||むける||||
|revived|scene|||||||||||||||||
すでに 窓口 で は 若い 女の子 が 二 人 、 博多 行き の 切符 を 買って いる 。
|まどぐち|||わかい|おんなのこ||ふた|じん|はかた|いき||きっぷ||かって|
「 買っちゃ 駄目 !
かっちゃ|だめ
bought|
」 心 の 中 で は 叫んで いる のに 、 その 声 が 出 ない 。
こころ||なか|||さけんで||||こえ||だ|
列 に 並んだ 自分 の 足 が 動かせ ない 。
れつ||ならんだ|じぶん||あし||うごかせ|
|||||||cannot move|
光 代 は ひどく 震えて いる 自分 に 気づいた 。
ひかり|だい|||ふるえて||じぶん||きづいた
このまま で は 自分 まで 切符 を 買って しまう 。
|||じぶん||きっぷ||かって|
携 帯 だ !
けい|おび|
carry||
と その とき 思い出した 。
|||おもいだした
ここ で 友人 から 携帯 に 連絡 が 入る のだ 。
||ゆうじん||けいたい||れんらく||はいる|
「 子供 が 熱 を 出した から 、 申し訳ない けど 今日 は 会え ない 」 と いう 連絡 が 入る のだ 。
こども||ねつ||だした||もうしわけない||きょう||あえ||||れんらく||はいる|
光代 は バッグ を 探った 。
てるよ||ばっぐ||さぐった
||||searched through
必死に 探る のに 、 ある はずの 携帯 が 見つから ない 。
ひっしに|さぐる||||けいたい||みつから|
窓口 で 切 符 を 買った 女の子 たち が 、 嬉し そうに バス へ 向かって 歩いて いく 。
まどぐち||せつ|ふ||かった|おんなのこ|||うれし|そう に|ばす||むかって|あるいて|
|||ticket||||||||||||
携帯 が ない 。
けいたい||
携帯 が ない 。
けいたい||
窓口 の おじさん が 、「 次の 方 」 と 光代 を 呼ぶ 。
まどぐち||||つぎの|かた||てるよ||よぶ
進む つもり は ない のに 、 勝手に 足 が 前 へ 出る 。
すすむ|||||かってに|あし||ぜん||でる
必死に 逃げ出そう と する のに 、 顔 が 窓口 に 近づいて 、 口 が 勝手に 動き出す 。
ひっしに|にげだそう||||かお||まどぐち||ちかづいて|くち||かってに|うごきだす
「 天神 まで 、 大人 一 枚 」 携帯 が ない 。
てんじん||おとな|ひと|まい|けいたい||
かかって くる はずの 携帯 が ない 。
|||けいたい||
光代 は 悲鳴 を 上げ そうに なって 目 を 開けた 。
てるよ||ひめい||あげ|そう に||め||あけた
||scream|||||||
目の前 に は 雨 に 濡れた 車道 が 伸び 、 その 先 に 同じ ように 雨 に 濡れた 警察 署 が 建って いる 。
めのまえ|||あめ||ぬれた|しゃどう||のび||さき||おなじ||あめ||ぬれた|けいさつ|しょ||たって|
光代 は 横 に いる 祐一 に 目 を 向けた 。
てるよ||よこ|||ゆういち||め||むけた
そ の とき だった 。
対向 車線 を 走って くる 一 台 の パトカー が 見えた 。
たいこう|しゃせん||はしって||ひと|だい||ぱとかー||みえた
opposite|traffic lane|||||||||
スピード を 落とし 、 ウ ィンカー を つけた パトカー が 、 右折 して 警察 署 の 敷地 へ と 走り込んで いく 。
すぴーど||おとし|||||ぱとかー||うせつ||けいさつ|しょ||しきち|||はしりこんで|
||||turn signal|||||right turn|||||property||||
|||||||||右折|||||||||
「 イヤ !
いや
」 と 光代 は 叫んだ 。
|てるよ||さけんだ
「 イヤ !
いや
もう 、 あの バス に は 乗り とう ない !
||ばす|||のり||
」 車 内 に 反響 する ほど の 声 だった 。
くるま|うち||はんきょう||||こえ|
|||echo|||||
とつぜん の 光代 の 声 に 、 横 で 祐一 が 息 を 呑 む 。
||てるよ||こえ||よこ||ゆういち||いき||どん|
||||||||||||gasp|
「 車 出して !
くるま|だして
お 願い 。
|ねがい
ちょっと だけ 、 ちょっと だけ で い いけ ん 。
ここ から 出して !
||だして
」 とつぜん 声 を 上げた 光代 に 、 祐一 は 目 を 見開いて いた 。
|こえ||あげた|てるよ||ゆういち||め||みひらいて|
||||||||||eyes wide open|
「 お 願い -.」 光代 の 言葉 に 、 祐一 が 一 瞬時 曙 する 。
|ねがい|てるよ||ことば||ゆういち||ひと|しゅんじ|あけぼの|
|||||||||a moment|dawn|
光代 は それ でも 、「 お 願い !
てるよ|||||ねがい
」 と 叫んだ 。
|さけんだ
光代 の 焦り が 伝わった の か 、 祐一 が 慌てて ハンドル に 手 を かけ 、 アクセル を 踏む 。
てるよ||あせり||つたわった|||ゆういち||あわてて|はんどる||て|||あくせる||ふむ
||anxiety|||||||||||||||
車 は 警察 署 の 前 を 過ぎて 、 すぐに 左 へ 曲がった 。
くるま||けいさつ|しょ||ぜん||すぎて||ひだり||まがった
道 は コンクリート の 堤防 に 沿って い た 。
どう||こんくりーと||ていぼう||そって||
||||embankment||||
道 の 先 に は 県営 の ヨット ハーバー が ある らしく 、 大きな 看板 が 雨 に 濡れて いる 。
どう||さき|||けんえい||よっと|はーばー||||おおきな|かんばん||あめ||ぬれて|
|||||||yacht|yacht harbor||||||||||
|||||||ハーバー|yacht harbor||||||||||
祐 一 は そこ で 車 を 停めた 。
たすく|ひと||||くるま||とめた
振り返れば 、 警察 署 が まだ 見える 場所 だった 。
ふりかえれば|けいさつ|しょ|||みえる|ばしょ|
if I look back|||||||
車 が 動き出した とたん に 、 光代 は 声 を 上げて 泣き出して いた 。
くるま||うごきだした|||てるよ||こえ||あげて|なきだして|
||started moving|||||||||
このまま ここ で 祐一 と 別れたら 、 自分 は あの バス に 乗って しまう 。
|||ゆういち||わかれたら|じぶん|||ばす||のって|
あの バス に 乗って 、 真っ先 に 少年 に ナイフ を 向けられて しまう 。
|ばす||のって|まっさき||しょうねん||ないふ||むけ られて|
||||first||||||pointed at|
車 を 停める と 、 祐一 は エンジン を かけた まま 、 ワイパー だけ を 切った 。
くるま||とめる||ゆういち||えんじん|||||||きった
あっという間 に フロント ガラス が 雨 に 濡れて 、 景色 が 参 んで いく 。
あっというま||ふろんと|がらす||あめ||ぬれて|けしき||さん||
in no time||||||||||distorted||
「 私 、 イヤ !
わたくし|いや
」 光代 は 雨 に 惨 む フロント ガラス を 睨んだ まま 叫んだ 。
てるよ||あめ||さん||ふろんと|がらす||にらんだ||さけんだ
||||suffered|||||||
「 私 、 イヤ !
わたくし|いや
ここ で 祐一 と 別れたら 、 私 に は もう 何にも ないたい 。
||ゆういち||わかれたら|わたくし||||なんにも|ない たい
||||||||||want toない
…:。
私 、 幸せに な れるって 魁 うた と よ !
わたくし|しあわせに||れる って|かい|||
|||can become|first|||
祐一 と 出会って 、 やっと これ で 幸せに なれるって ……。
ゆういち||であって||||しあわせに|なれる って
|||||||can become happy
馬鹿に せ んで !
ばかに||
私 の こと 、 馬鹿に せ んで !
わたくし|||ばかに||
」 泣きじゃくる 光代 に 、 祐一 が オドオド と 手 を 伸ばし 、 肩 に 触れる と 、 あと は 一気に 抱 き しめて くる 。
なきじゃくる|てるよ||ゆういち||||て||のばし|かた||ふれる||||いっきに|いだ|||
sobbing heavily|||||timidly||||||||||||hug|||
sobbing||||||||||||||||||||
光代 は その 腕 を 乱暴に 振り払おう と した 。
てるよ|||うで||らんぼうに|ふりはらおう||
||||||shook off||
しかし 祐一 が もっと 強く 抱き しめて 、 祐一 の 腕 の 中 、 ただ 泣く だけ で 身動き でき なく なって しまう 。
|ゆういち|||つよく|いだき||ゆういち||うで||なか||なく|||みうごき||||
||||||||||||||||unable to move||||
「 ごめん ……、 ごめん ……」 祐一 の 声 が 首筋 を 噛む ように 聞こえる 。
||ゆういち||こえ||くびすじ||かむ||きこえる
||||||nape||bite||
光代 は 力 の 限り 首 を 振った 。
てるよ||ちから||かぎり|くび||ふった
振る たび に 互い の 頬 が ぶつかり合う 。
ふる|||たがい||ほお||ぶつかりあう
to shake|||||||collide
|||||||ぶつかる
「 ごめん ……、 俺 に は 何も して や れん 」 泣いて いる の が 自分 な の か 、 祐一 な の か 分から ない 。
|おれ|||なにも|||れ ん|ないて||||じぶん||||ゆういち||||わから|
|||||||can’t||||||||||||||
「 お 願い !
|ねがい
私 だけ 置いて いか んで !
わたくし||おいて||
お 願い !
|ねがい
もう 一 人 に せ んで !
|ひと|じん|||
」 光代 は 祐一 の 肩 に 叫んだ 。
てるよ||ゆういち||かた||さけんだ
逃げ 切れる わけ が ない のに 、「 逃げて !
にげ|きれる|||||にげて
一緒に 逃げ て !
いっしょに|にげ|
」 と 叫んで いた 。
|さけんで|
幸せに なれる わけ が ない のに 、「 一緒に おって !
しあわせに||||||いっしょに|
私 だけ 置いて かんで !
わたくし||おいて|
」 と 叫んで いた 。
|さけんで|