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或る女 - 有島武郎(アクセス), 45.2 或る女

45.2 或る 女

そのころ から 葉子 は しばしば 自殺 と いう 事 を 深く 考える ように なった 。 それ は 自分 でも 恐ろしい ほど だった 。 肉体 の 生命 を 絶つ 事 の できる ような 物 さえ 目 に 触れれば 、 葉子 の 心 は おびえ ながら も はっと 高鳴った 。 薬局 の 前 を 通る と ずらっと ならんだ 薬 びん が 誘惑 の ように 目 を 射た 。 看護 婦 が 帽子 を 髪 に とめる ため の 長い 帽子 ピン 、 天井 の 張って ない 湯 殿 の 梁 、 看護 婦 室 に 薄 赤い 色 を して 金 だ らい に たたえられた 昇 汞水 、 腐敗 した 牛乳 、 剃刀 、 鋏 、 夜ふけ など に 上野 の ほう から 聞こえて 来る 汽車 の 音 、 病室 から ながめられる 生理 学 教室 の 三 階 の 窓 、 密閉 さ れた 部屋 、 しごき 帯 、…… なんでも か でも が 自分 の 肉 を 喰 む 毒 蛇 の ごとく 鎌 首 を 立てて 自分 を 待ち伏せ して いる ように 思えた 。 ある 時 は それ ら を この上 なく 恐ろしく 、 ある 時 は また この上 なく 親しみ 深く ながめ やった 。 一 匹 の 蚊 に ささ れた 時 さえ それ が マラリヤ を 伝える 種類 である か ない か を 疑ったり した 。 ・・

「 もう 自分 は この 世の中 に 何の 用 が あろう 。 死 に さえ すれば それ で 事 は 済む のだ 。 この上 自身 も 苦しみ たく ない 。 他人 も 苦しめ たく ない 。 いやだ いやだ と 思い ながら 自分 と 他人 と を 苦しめて いる の が 堪えられ ない 。 眠り だ 。 長 い眠り だ 。 それ だけ の もの だ 」・・

と 貞 世 の 寝息 を うかがい ながら しっかり 思い込む ような 時 も あった が 、 同時に 倉地 が どこ か で 生きて いる の を 考える と 、 たちまち 燕 返し に 死 から 生 の ほう へ 、 苦しい 煩悩 の 生 の ほう へ 激しく 執着 して 行った 。 倉地 の 生きて る 間 に 死んで なる もの か …… それ は 死 より も 強い 誘惑 だった 。 意地 に かけて も 、 肉体 の すべて の 機関 が めちゃめちゃに なって も 、 それ でも 生きて いて 見せる 。 …… 葉子 は そして その どちら に も ほんとうの 決心 の つか ない 自分 に また 苦しま ねば なら なかった 。 ・・

すべて の もの を 愛して いる の か 憎んで いる の か わから なかった 。 貞 世に 対して で すら そう だった 。 葉子 は どうかする と 、 熱 に 浮かされて 見さかい の なくなって いる 貞 世 を 、 継母 が まま 子 を いびり 抜く ように 没 義道 に 取り扱った 。 そして 次の 瞬間 に は 後悔 しきって 、 愛子 の 前 でも 看護 婦 の 前 でも 構わ ず に おいおい と 泣 きくず おれた 。 ・・

貞 世 の 病状 は 悪く なる ばかりだった 。 ・・

ある 時 伝染 病室 の 医 長 が 来て 、 葉子 が 今 の まま で いて は とても 健康 が 続か ない から 、 思いきって 手術 を したら どう だ と 勧告 した 。 黙って 聞いて いた 葉子 は 、 すぐ 岡 の 差し入れ 口 だ と 邪推 して 取った 。 その 後ろ に は 愛子 が いる に 違いない 。 葉子 が 付いて いた ので は 貞 世 の 病気 は な おる どころ か 悪く なる ばかりだ ( それ は 葉子 も そう 思って いた 。 葉子 は 貞 世 を 全快 さ せて やりたい のだ 。 けれども どうしても いびら なければ いら れ ない のだ 。 それ は よく 葉子 自身 が 知っている と 思って いた )。 それ に は 葉子 を なんとか して 貞 世 から 離して おく の が 第 一 だ 。 そんな 相談 を 医 長 と した もの が いない はず が ない 。 ふむ 、…… うまい 事 を 考えた もの だ 。 その 復讐 は きっと して やる 。 根本 的に 病気 を なおして から して やる から 見て いる が いい 。 葉子 は 医 長 と の 対話 の 中 に 早くも こう 決心 した 。 そうして 思いのほか 手っ取り早く 手術 を 受けよう と 進んで 返答 した 。 ・・

婦人 科 の 室 は 伝染 病室 と は ずっと 離れた 所 に 近ごろ 新築 さ れた 建て 物 の 中 に あった 。 七 月 の なかば に 葉子 は そこ に 入院 する 事 に なった が 、 その 前 に 岡 と 古藤 と に 依頼 して 、 自分 の 身 ぢか に ある 貴重 品 から 、 倉地 の 下宿 に 運んで ある 衣類 まで を 処分 して もらわ なければ なら なかった 。 金 の 出所 は 全く とだえて しまって いた から 。 岡 が しきりと 融通 しよう と 申し出た の も すげなく 断わった 。 弟 同様 の 少年 から 金 まで 融通 して もらう の は どうしても 葉子 の プライド が 承知 し なかった 。 ・・

葉子 は 特等 を 選んで 日当たり の いい 広々 と した 部屋 に はいった 。 そこ は 伝染 病室 と は 比べもの に も なら ない くらい 新式 の 設備 の 整った 居心地 の いい 所 だった 。 窓 の 前 の 庭 は まだ 掘り くり返した まま で 赤土 の 上 に 草 も 生えて い なかった けれども 、 広い 廊下 の 冷ややかな 空気 は 涼しく 病室 に 通りぬけた 。 葉子 は 六 月 の 末 以来 始めて 寝床 の 上 に 安 々 と からだ を 横たえた 。 疲労 が 回復 する まで しばらく の 間 手術 は 見合わせる と いう ので 葉子 は 毎日 一 度 ずつ 内 診 を して もらう だけ で する 事 も なく 日 を 過ごした 。 ・・

しかし 葉子 の 精神 は 興奮 する ばかりだった 。 一 人 に なって 暇に なって みる と 、 自分 の 心身 が どれほど 破壊 されて いる か が 自分 ながら 恐ろしい くらい 感ぜられた 。 よく こんな ありさま で 今 まで 通して 来た と 驚く ばかりだった 。 寝 台 の 上 に 臥 て みる と 二度と 起きて 歩く 勇気 も なく 、 また 実際 でき も し なかった 。 ただ 鈍痛 と のみ 思って いた 痛み は 、 どっち に 臥 返って みて も 我慢 の でき ない ほど な 激痛 に なって いて 、 気 が 狂う ように 頭 は 重く うずいた 。 我慢 に も 貞 世 を 見舞う など と いう 事 は でき なかった 。 ・・

こうして 臥 ながら に も 葉子 は 断片 的に いろいろな 事 を 考えた 。 自分 の 手 もと に ある 金 の 事 を まず 思案 して みた 。 倉地 から 受け取った 金 の 残り と 、 調度 類 を 売り払って もらって できた まとまった 金 と が 何も か に も これ から 姉妹 三 人 を 養って 行く ただ 一 つ の 資本 だった 。 その 金 が 使い 尽くさ れた 後 に は 今 の ところ 、 何 を どう する と いう 目途 は 露 ほど も なかった 。 葉子 は ふだん の 葉子 に 似合わ ず それ が 気 に なり 出して しかたがなかった 。 特等 室 なぞ に はいり込んだ 事 が 後悔 さ れる ばかりだった 。 と いって 今に なって 等級 の 下がった 病室 に 移して もらう など と は 葉子 と して は 思い も よら なかった 。 ・・

葉子 は ぜいたくな 寝 台 の 上 に 横 に なって 、 羽根 枕 に 深々と 頭 を 沈めて 、 氷嚢 を 額 に あてがい ながら 、 かんかん と 赤土 に さして いる 真夏 の 日 の 光 を 、 広々 と 取った 窓 を 通して ながめ やった 。 そうして 物心 ついて から の 自分 の 過去 を 針 で 揉み 込む ような 頭 の 中 で ずっと 見渡す ように 考え たどって みた 。 そんな 過去 が 自分 の もの な の か 、 そう 疑って 見 ねば なら ぬ ほど に それ は はるかに も かけ 隔たった 事 だった 。 父母 ―― ことに 父 の なめる ような 寵愛 の 下 に 何一つ 苦労 を 知ら ず に 清い 美しい 童 女 と して すら すら と 育った あの 時分 が やはり 自分 の 過去 な のだろう か 。 木部 と の 恋 に 酔い ふけって 、 国分寺 の 櫟 の 林 の 中 で 、 その 胸 に 自分 の 頭 を 託して 、 木部 の いう 一 語 一 語 を 美 酒 の ように 飲みほした あの 少女 は やはり 自分 な のだろう か 。 女 の 誇り と いう 誇り を 一身 に 集めた ような 美貌 と 才能 の 持ち主 と して 、 女 たち から は 羨望 の 的 と なり 、 男 たち から は 嘆 美 の 祭壇 と さ れた あの 青春 の 女性 は やはり この 自分 な のだろう か 。 誤解 の 中 に も 攻撃 の 中 に も 昂 然 と 首 を もたげて 、 自分 は 今 の 日本 に 生まれて 来 べき 女 で は なかった のだ 。 不幸に も 時 と 所 と を 間違えて 天上 から 送ら れた 王女 である と まで 自分 に 対する 矜誇 に 満ちて いた 、 あの 妖婉 な 女性 は ま ごう かた なく 自分 な のだろう か 。 絵 島 丸 の 中 で 味わい 尽くし なめ 尽くした 歓楽 と 陶酔 と の 限り は 、 始めて 世に 生まれ 出た 生きがい を しみじみ と 感じた 誇り が な しばらく は 今 の 自分 と 結びつけて いい 過去 の 一 つ な のだろう か …… 日 は かんかん と 赤土 の 上 に 照りつけて いた 。 油蝉 の 声 は 御殿 の 池 を めぐる 鬱蒼たる 木立 ち の ほう から し み入る ように 聞こえて いた 。 近い 病室 で は 軽 病 の 患者 が 集まって 、 何 か みだら らしい 雑談 に 笑い 興じて いる 声 が 聞こえて 来た 。 それ は 実際 な の か 夢 な の か 。 それ ら の すべて は 腹立たしい 事 な の か 、 哀しい 事 な の か 、 笑い 捨 つ べき 事 な の か 、 嘆き 恨ま ねば なら ぬ 事 な の か 。 …… 喜怒哀楽 の どれ か 一 つ だけ で は 表わし 得 ない 、 不思議に 交錯 した 感情 が 、 葉子 の 目 から とめど なく 涙 を 誘い出した 。 あんな 世界 が こんな 世界 に 変わって しまった 。 そうだ 貞 世 が 生死 の 境 に さまよって いる の は まちがい よう の ない 事実 だ 。 自分 の 健康 が 衰え 果てた の も 間違い の ない 出来事 だ 。 もし 毎日 貞 世 を 見舞う 事 が できる のならば このまま ここ に いる の も いい 。 しかし 自分 の からだ の 自由 さえ 今 は きか なく なった 。 手術 を 受ければ どうせ 当分 は 身動き も でき ない のだ 。 岡 や 愛子 …… そこ まで 来る と 葉子 は 夢 の 中 に いる 女 で は なかった 。 まざまざ と した 煩悩 が 勃然 と して その 歯 が み した 物 すごい 鎌 首 を きっと もたげる のだった 。 それ も よし 。 近く いて も 看視 の きか ない の を 利用 した くば 思う さま 利用 する が いい 。 倉地 と 三 人 で 勝手な 陰謀 を 企てる が いい 。 どうせ 看視 の きか ない もの なら 、 自分 は 貞 世 の ため に どこ か 第 二流 か 第 三流 の 病院 に 移ろう 。 そして いくら でも 貞 世 の ほう を 安楽に して やろう 。 葉子 は 貞 世 から 離れる と いちずに その あわれ さ が 身 に しみて こう 思った 。 ・・

葉子 は ふと つや の 事 を 思い出した 。 つや は 看護 婦 に なって 京 橋 あたり の 病院 に いる と 双 鶴 館 から いって 来た の を 思い出した 。 愛子 を 呼び寄せて 電話 で さがさ せよう と 決心 した 。

45.2 或る 女 ある|おんな 45,2 Una mujer

そのころ から 葉子 は しばしば 自殺 と いう 事 を 深く 考える ように なった 。 ||ようこ|||じさつ|||こと||ふかく|かんがえる|| それ は 自分 でも 恐ろしい ほど だった 。 ||じぶん||おそろしい|| 肉体 の 生命 を 絶つ 事 の できる ような 物 さえ 目 に 触れれば 、 葉子 の 心 は おびえ ながら も はっと 高鳴った 。 にくたい||せいめい||たつ|こと||||ぶつ||め||ふれれば|ようこ||こころ||||||たかなった 薬局 の 前 を 通る と ずらっと ならんだ 薬 びん が 誘惑 の ように 目 を 射た 。 やっきょく||ぜん||とおる||ず ら っと||くすり|||ゆうわく|||め||いた 看護 婦 が 帽子 を 髪 に とめる ため の 長い 帽子 ピン 、 天井 の 張って ない 湯 殿 の 梁 、 看護 婦 室 に 薄 赤い 色 を して 金 だ らい に たたえられた 昇 汞水 、 腐敗 した 牛乳 、 剃刀 、 鋏 、 夜ふけ など に 上野 の ほう から 聞こえて 来る 汽車 の 音 、 病室 から ながめられる 生理 学 教室 の 三 階 の 窓 、 密閉 さ れた 部屋 、 しごき 帯 、…… なんでも か でも が 自分 の 肉 を 喰 む 毒 蛇 の ごとく 鎌 首 を 立てて 自分 を 待ち伏せ して いる ように 思えた 。 かんご|ふ||ぼうし||かみ|||||ながい|ぼうし|ぴん|てんじょう||はって||ゆ|しんがり||りょう|かんご|ふ|しつ||うす|あかい|いろ|||きむ||||たたえ られた|のぼる|こうみず|ふはい||ぎゅうにゅう|かみそり|やっとこ|よふけ|||うえの||||きこえて|くる|きしゃ||おと|びょうしつ||ながめ られる|せいり|まな|きょうしつ||みっ|かい||まど|みっぺい|||へや||おび|||||じぶん||にく||しょく||どく|へび|||かま|くび||たてて|じぶん||まちぶせ||||おもえた The long hat pins that nurses use to fasten their hats to their hair, the beams of the bathhouse with no ceiling, the pale red water that fills the nurses' room with gold, rotten milk, and razors. , scissors, the sound of trains coming from Ueno in the late hours of the night, the third-floor window of the physiology classroom that can be seen from the hospital room, the sealed room, the ironing belt... everything eats its own meat. Like a poisonous snake, it seemed to be lying in wait for me with its scythe upright. ある 時 は それ ら を この上 なく 恐ろしく 、 ある 時 は また この上 なく 親しみ 深く ながめ やった 。 |じ|||||このうえ||おそろしく||じ|||このうえ||したしみ|ふかく|| 一 匹 の 蚊 に ささ れた 時 さえ それ が マラリヤ を 伝える 種類 である か ない か を 疑ったり した 。 ひと|ひき||か||||じ||||||つたえる|しゅるい||||||うたがったり| ・・

「 もう 自分 は この 世の中 に 何の 用 が あろう 。 |じぶん|||よのなか||なんの|よう|| 死 に さえ すれば それ で 事 は 済む のだ 。 し||||||こと||すむ| この上 自身 も 苦しみ たく ない 。 このうえ|じしん||くるしみ|| 他人 も 苦しめ たく ない 。 たにん||くるしめ|| いやだ いやだ と 思い ながら 自分 と 他人 と を 苦しめて いる の が 堪えられ ない 。 |||おもい||じぶん||たにん|||くるしめて||||こらえ られ| 眠り だ 。 ねむり| 長 い眠り だ 。 ちょう|いねむり| それ だけ の もの だ 」・・

と 貞 世 の 寝息 を うかがい ながら しっかり 思い込む ような 時 も あった が 、 同時に 倉地 が どこ か で 生きて いる の を 考える と 、 たちまち 燕 返し に 死 から 生 の ほう へ 、 苦しい 煩悩 の 生 の ほう へ 激しく 執着 して 行った 。 |さだ|よ||ねいき|||||おもいこむ||じ||||どうじに|くらち|||||いきて||||かんがえる|||つばめ|かえし||し||せい||||くるしい|ぼんのう||せい||||はげしく|しゅうちゃく||おこなった But at the same time, when I thought that Kurachi was still alive somewhere, I immediately turned from death to life, to a life of painful worldly desires. I was obsessed with it. 倉地 の 生きて る 間 に 死んで なる もの か …… それ は 死 より も 強い 誘惑 だった 。 くらち||いきて||あいだ||しんで||||||し|||つよい|ゆうわく| 意地 に かけて も 、 肉体 の すべて の 機関 が めちゃめちゃに なって も 、 それ でも 生きて いて 見せる 。 いじ||||にくたい||||きかん|||||||いきて||みせる …… 葉子 は そして その どちら に も ほんとうの 決心 の つか ない 自分 に また 苦しま ねば なら なかった 。 ようこ||||||||けっしん||||じぶん|||くるしま||| ・・

すべて の もの を 愛して いる の か 憎んで いる の か わから なかった 。 ||||あいして||||にくんで||||| 貞 世に 対して で すら そう だった 。 さだ|よに|たいして|||| 葉子 は どうかする と 、 熱 に 浮かされて 見さかい の なくなって いる 貞 世 を 、 継母 が まま 子 を いびり 抜く ように 没 義道 に 取り扱った 。 ようこ||どうか する||ねつ||うかさ れて|みさかい||||さだ|よ||ままはは|||こ|||ぬく||ぼつ|よしみち||とりあつかった For some reason, Yoko treated Sadayo, who was overwhelmed with fever and had no respect for him, as if a stepmother was bullying her child. そして 次の 瞬間 に は 後悔 しきって 、 愛子 の 前 でも 看護 婦 の 前 でも 構わ ず に おいおい と 泣 きくず おれた 。 |つぎの|しゅんかん|||こうかい||あいこ||ぜん||かんご|ふ||ぜん||かまわ|||||なき|| ・・

貞 世 の 病状 は 悪く なる ばかりだった 。 さだ|よ||びょうじょう||わるく|| ・・

ある 時 伝染 病室 の 医 長 が 来て 、 葉子 が 今 の まま で いて は とても 健康 が 続か ない から 、 思いきって 手術 を したら どう だ と 勧告 した 。 |じ|でんせん|びょうしつ||い|ちょう||きて|ようこ||いま|||||||けんこう||つづか|||おもいきって|しゅじゅつ||||||かんこく| 黙って 聞いて いた 葉子 は 、 すぐ 岡 の 差し入れ 口 だ と 邪推 して 取った 。 だまって|きいて||ようこ|||おか||さしいれ|くち|||じゃすい||とった その 後ろ に は 愛子 が いる に 違いない 。 |うしろ|||あいこ||||ちがいない 葉子 が 付いて いた ので は 貞 世 の 病気 は な おる どころ か 悪く なる ばかりだ ( それ は 葉子 も そう 思って いた 。 ようこ||ついて||||さだ|よ||びょうき||||||わるく|||||ようこ|||おもって| If Yoko was with him, Sadayo's illness would only get worse rather than better (Yoko thought so too. 葉子 は 貞 世 を 全快 さ せて やりたい のだ 。 ようこ||さだ|よ||ぜんかい|||やり たい| けれども どうしても いびら なければ いら れ ない のだ 。 それ は よく 葉子 自身 が 知っている と 思って いた )。 |||ようこ|じしん||しっている||おもって| それ に は 葉子 を なんとか して 貞 世 から 離して おく の が 第 一 だ 。 |||ようこ||||さだ|よ||はなして||||だい|ひと| そんな 相談 を 医 長 と した もの が いない はず が ない 。 |そうだん||い|ちょう|||||||| ふむ 、…… うまい 事 を 考えた もの だ 。 ||こと||かんがえた|| その 復讐 は きっと して やる 。 |ふくしゅう|||| 根本 的に 病気 を なおして から して やる から 見て いる が いい 。 こんぽん|てきに|びょうき||なお して|||||みて||| 葉子 は 医 長 と の 対話 の 中 に 早くも こう 決心 した 。 ようこ||い|ちょう|||たいわ||なか||はやくも||けっしん| そうして 思いのほか 手っ取り早く 手術 を 受けよう と 進んで 返答 した 。 |おもいのほか|てっとりばやく|しゅじゅつ||うけよう||すすんで|へんとう| ・・

婦人 科 の 室 は 伝染 病室 と は ずっと 離れた 所 に 近ごろ 新築 さ れた 建て 物 の 中 に あった 。 ふじん|か||しつ||でんせん|びょうしつ||||はなれた|しょ||ちかごろ|しんちく|||たて|ぶつ||なか|| 七 月 の なかば に 葉子 は そこ に 入院 する 事 に なった が 、 その 前 に 岡 と 古藤 と に 依頼 して 、 自分 の 身 ぢか に ある 貴重 品 から 、 倉地 の 下宿 に 運んで ある 衣類 まで を 処分 して もらわ なければ なら なかった 。 なな|つき||||ようこ||||にゅういん||こと|||||ぜん||おか||ことう|||いらい||じぶん||み||||きちょう|しな||くらち||げしゅく||はこんで||いるい|||しょぶん||||| In mid-July, Yoko was to be hospitalized there, but before that, she asked Oka and Furuto to help her with all the valuables she had on hand, as well as the clothes she had brought to Kurachi's boarding house. I had to get rid of it. 金 の 出所 は 全く とだえて しまって いた から 。 きむ||しゅっしょ||まったく|||| 岡 が しきりと 融通 しよう と 申し出た の も すげなく 断わった 。 おか|||ゆうずう|||もうしでた||||ことわった 弟 同様 の 少年 から 金 まで 融通 して もらう の は どうしても 葉子 の プライド が 承知 し なかった 。 おとうと|どうよう||しょうねん||きむ||ゆうずう||||||ようこ||ぷらいど||しょうち|| ・・

葉子 は 特等 を 選んで 日当たり の いい 広々 と した 部屋 に はいった 。 ようこ||とくとう||えらんで|ひあたり|||ひろびろ|||へや|| そこ は 伝染 病室 と は 比べもの に も なら ない くらい 新式 の 設備 の 整った 居心地 の いい 所 だった 。 ||でんせん|びょうしつ|||くらべもの||||||しんしき||せつび||ととのった|いごこち|||しょ| 窓 の 前 の 庭 は まだ 掘り くり返した まま で 赤土 の 上 に 草 も 生えて い なかった けれども 、 広い 廊下 の 冷ややかな 空気 は 涼しく 病室 に 通りぬけた 。 まど||ぜん||にわ|||ほり|くりかえした|||あかつち||うえ||くさ||はえて||||ひろい|ろうか||ひややかな|くうき||すずしく|びょうしつ||とおりぬけた The garden in front of the window was still dug up, and the red soil had no grass growing on it, but the cold air from the wide corridor passed coolly through to the hospital room. 葉子 は 六 月 の 末 以来 始めて 寝床 の 上 に 安 々 と からだ を 横たえた 。 ようこ||むっ|つき||すえ|いらい|はじめて|ねどこ||うえ||やす|||||よこたえた 疲労 が 回復 する まで しばらく の 間 手術 は 見合わせる と いう ので 葉子 は 毎日 一 度 ずつ 内 診 を して もらう だけ で する 事 も なく 日 を 過ごした 。 ひろう||かいふく|||||あいだ|しゅじゅつ||みあわせる||||ようこ||まいにち|ひと|たび||うち|み|||||||こと|||ひ||すごした ・・

しかし 葉子 の 精神 は 興奮 する ばかりだった 。 |ようこ||せいしん||こうふん|| However, Yoko's spirit was just excited. 一 人 に なって 暇に なって みる と 、 自分 の 心身 が どれほど 破壊 されて いる か が 自分 ながら 恐ろしい くらい 感ぜられた 。 ひと|じん|||ひまに||||じぶん||しんしん|||はかい|さ れて||||じぶん||おそろしい||かんぜ られた When I was alone and had some free time, I felt a frightening sense of how much my body and mind had been destroyed. よく こんな ありさま で 今 まで 通して 来た と 驚く ばかりだった 。 ||||いま||とおして|きた||おどろく| 寝 台 の 上 に 臥 て みる と 二度と 起きて 歩く 勇気 も なく 、 また 実際 でき も し なかった 。 ね|だい||うえ||が||||にどと|おきて|あるく|ゆうき||||じっさい|||| ただ 鈍痛 と のみ 思って いた 痛み は 、 どっち に 臥 返って みて も 我慢 の でき ない ほど な 激痛 に なって いて 、 気 が 狂う ように 頭 は 重く うずいた 。 |どんつう|||おもって||いたみ||||が|かえって|||がまん||||||げきつう||||き||くるう||あたま||おもく| 我慢 に も 貞 世 を 見舞う など と いう 事 は でき なかった 。 がまん|||さだ|よ||みまう||||こと||| ・・

こうして 臥 ながら に も 葉子 は 断片 的に いろいろな 事 を 考えた 。 |が||||ようこ||だんぺん|てきに||こと||かんがえた 自分 の 手 もと に ある 金 の 事 を まず 思案 して みた 。 じぶん||て||||きむ||こと|||しあん|| 倉地 から 受け取った 金 の 残り と 、 調度 類 を 売り払って もらって できた まとまった 金 と が 何も か に も これ から 姉妹 三 人 を 養って 行く ただ 一 つ の 資本 だった 。 くらち||うけとった|きむ||のこり||ちょうど|るい||うりはらって||||きむ|||なにも||||||しまい|みっ|じん||やしなって|いく||ひと|||しほん| その 金 が 使い 尽くさ れた 後 に は 今 の ところ 、 何 を どう する と いう 目途 は 露 ほど も なかった 。 |きむ||つかい|つくさ||あと|||いま|||なん||||||めど||ろ||| After the money was exhausted, there was not much of an idea of what to do. 葉子 は ふだん の 葉子 に 似合わ ず それ が 気 に なり 出して しかたがなかった 。 ようこ||||ようこ||にあわ||||き|||だして| 特等 室 なぞ に はいり込んだ 事 が 後悔 さ れる ばかりだった 。 とくとう|しつ|||はいりこんだ|こと||こうかい||| I could only regret having entered the special room. と いって 今に なって 等級 の 下がった 病室 に 移して もらう など と は 葉子 と して は 思い も よら なかった 。 ||いまに||とうきゅう||さがった|びょうしつ||うつして|||||ようこ||||おもい||| ・・

葉子 は ぜいたくな 寝 台 の 上 に 横 に なって 、 羽根 枕 に 深々と 頭 を 沈めて 、 氷嚢 を 額 に あてがい ながら 、 かんかん と 赤土 に さして いる 真夏 の 日 の 光 を 、 広々 と 取った 窓 を 通して ながめ やった 。 ようこ|||ね|だい||うえ||よこ|||はね|まくら||しんしんと|あたま||しずめて|ひょうのう||がく||||||あかつち||||まなつ||ひ||ひかり||ひろびろ||とった|まど||とおして|| そうして 物心 ついて から の 自分 の 過去 を 針 で 揉み 込む ような 頭 の 中 で ずっと 見渡す ように 考え たどって みた 。 |ぶっしん||||じぶん||かこ||はり||もみ|こむ||あたま||なか|||みわたす||かんがえ|| そんな 過去 が 自分 の もの な の か 、 そう 疑って 見 ねば なら ぬ ほど に それ は はるかに も かけ 隔たった 事 だった 。 |かこ||じぶん|||||||うたがって|み|||||||||||へだたった|こと| 父母 ―― ことに 父 の なめる ような 寵愛 の 下 に 何一つ 苦労 を 知ら ず に 清い 美しい 童 女 と して すら すら と 育った あの 時分 が やはり 自分 の 過去 な のだろう か 。 ふぼ||ちち||||ちょうあい||した||なにひとつ|くろう||しら|||きよい|うつくしい|わらべ|おんな||||||そだった||じぶん|||じぶん||かこ||| I wonder if that time when I grew up smoothly as a pure, beautiful little girl without knowing a single hardship under the affection of my parents, especially my father, is my past. 木部 と の 恋 に 酔い ふけって 、 国分寺 の 櫟 の 林 の 中 で 、 その 胸 に 自分 の 頭 を 託して 、 木部 の いう 一 語 一 語 を 美 酒 の ように 飲みほした あの 少女 は やはり 自分 な のだろう か 。 きべ|||こい||よい|ふけ って|こくぶんじ||くぬぎ||りん||なか|||むね||じぶん||あたま||たくして|きべ|||ひと|ご|ひと|ご||び|さけ|||のみほした||しょうじょ|||じぶん||| Indulged in love with Kibe, in the oak grove of Kokubunji, that girl who rested her head on his chest and drank every word Kibe said like a fine wine, was herself. I wonder what it is. 女 の 誇り と いう 誇り を 一身 に 集めた ような 美貌 と 才能 の 持ち主 と して 、 女 たち から は 羨望 の 的 と なり 、 男 たち から は 嘆 美 の 祭壇 と さ れた あの 青春 の 女性 は やはり この 自分 な のだろう か 。 おんな||ほこり|||ほこり||いっしん||あつめた||びぼう||さいのう||もちぬし|||おんな||||せんぼう||てき|||おとこ||||なげ|び||さいだん|||||せいしゅん||じょせい||||じぶん||| As the owner of beauty and talent that seems to have gathered all the pride of a woman in her body, she was the object of envy among women and an altar of beauty among men in her youth. Is it me? 誤解 の 中 に も 攻撃 の 中 に も 昂 然 と 首 を もたげて 、 自分 は 今 の 日本 に 生まれて 来 べき 女 で は なかった のだ 。 ごかい||なか|||こうげき||なか|||たかし|ぜん||くび|||じぶん||いま||にっぽん||うまれて|らい||おんな|||| 不幸に も 時 と 所 と を 間違えて 天上 から 送ら れた 王女 である と まで 自分 に 対する 矜誇 に 満ちて いた 、 あの 妖婉 な 女性 は ま ごう かた なく 自分 な のだろう か 。 ふこうに||じ||しょ|||まちがえて|てんじょう||おくら||おうじょ||||じぶん||たいする|きょうこ||みちて|||ようえん||じょせい||||||じぶん||| I wondered if that enchanting woman, who was so proud of herself that she was a princess sent from heaven at the wrong time and place, was really me. 絵 島 丸 の 中 で 味わい 尽くし なめ 尽くした 歓楽 と 陶酔 と の 限り は 、 始めて 世に 生まれ 出た 生きがい を しみじみ と 感じた 誇り が な しばらく は 今 の 自分 と 結びつけて いい 過去 の 一 つ な のだろう か …… 日 は かんかん と 赤土 の 上 に 照りつけて いた 。 え|しま|まる||なか||あじわい|つくし|な め|つくした|かんらく||とうすい|||かぎり||はじめて|よに|うまれ|でた|いきがい||||かんじた|ほこり|||||いま||じぶん||むすびつけて||かこ||ひと|||||ひ||||あかつち||うえ||てりつけて| As far as the joy and euphoria that I savored inside the Eshima Maru, I felt the pride of being born into the world for the first time. The sun was shining brightly on the red clay. 油蝉 の 声 は 御殿 の 池 を めぐる 鬱蒼たる 木立 ち の ほう から し み入る ように 聞こえて いた 。 あぶらぜみ||こえ||ごてん||いけ|||うっそうたる|こだち||||||みいる||きこえて| The cries of the oil cicadas seemed to pierce through the dense grove of trees surrounding the palace pond. 近い 病室 で は 軽 病 の 患者 が 集まって 、 何 か みだら らしい 雑談 に 笑い 興じて いる 声 が 聞こえて 来た 。 ちかい|びょうしつ|||けい|びょう||かんじゃ||あつまって|なん||||ざつだん||わらい|きょうじて||こえ||きこえて|きた それ は 実際 な の か 夢 な の か 。 ||じっさい||||ゆめ||| それ ら の すべて は 腹立たしい 事 な の か 、 哀しい 事 な の か 、 笑い 捨 つ べき 事 な の か 、 嘆き 恨ま ねば なら ぬ 事 な の か 。 |||||はらだたしい|こと||||かなしい|こと||||わらい|しゃ|||こと||||なげき|うらま||||こと||| …… 喜怒哀楽 の どれ か 一 つ だけ で は 表わし 得 ない 、 不思議に 交錯 した 感情 が 、 葉子 の 目 から とめど なく 涙 を 誘い出した 。 きどあいらく||||ひと|||||あらわし|とく||ふしぎに|こうさく||かんじょう||ようこ||め||||なみだ||さそいだした A strange mixture of emotions that could not be expressed with just one of emotions, anger, sorrow, and pleasure, brought endless tears to Yoko's eyes. あんな 世界 が こんな 世界 に 変わって しまった 。 |せかい|||せかい||かわって| そうだ 貞 世 が 生死 の 境 に さまよって いる の は まちがい よう の ない 事実 だ 。 そう だ|さだ|よ||せいし||さかい||||||||||じじつ| Yes, it is an undeniable fact that Sadayo is hovering between life and death. 自分 の 健康 が 衰え 果てた の も 間違い の ない 出来事 だ 。 じぶん||けんこう||おとろえ|はてた|||まちがい|||できごと| もし 毎日 貞 世 を 見舞う 事 が できる のならば このまま ここ に いる の も いい 。 |まいにち|さだ|よ||みまう|こと|||||||||| しかし 自分 の からだ の 自由 さえ 今 は きか なく なった 。 |じぶん||||じゆう||いま|||| 手術 を 受ければ どうせ 当分 は 身動き も でき ない のだ 。 しゅじゅつ||うければ||とうぶん||みうごき|||| 岡 や 愛子 …… そこ まで 来る と 葉子 は 夢 の 中 に いる 女 で は なかった 。 おか||あいこ|||くる||ようこ||ゆめ||なか|||おんな||| Oka and Aiko... By the time I got there, Yoko was no longer the woman in my dreams. まざまざ と した 煩悩 が 勃然 と して その 歯 が み した 物 すごい 鎌 首 を きっと もたげる のだった 。 |||ぼんのう||ぼつぜん||||は||||ぶつ||かま|くび|||| A vivid affliction broke out, and I was sure it would raise its terrifying neck with its teeth clenched. それ も よし 。 近く いて も 看視 の きか ない の を 利用 した くば 思う さま 利用 する が いい 。 ちかく|||かんし||||||りよう|||おもう||りよう||| 倉地 と 三 人 で 勝手な 陰謀 を 企てる が いい 。 くらち||みっ|じん||かってな|いんぼう||くわだてる|| どうせ 看視 の きか ない もの なら 、 自分 は 貞 世 の ため に どこ か 第 二流 か 第 三流 の 病院 に 移ろう 。 |かんし||||||じぶん||さだ|よ||||||だい|にりゅう||だい|さんりゅう||びょういん||うつろう そして いくら でも 貞 世 の ほう を 安楽に して やろう 。 |||さだ|よ||||あんらくに|| And I'll do whatever it takes to make Sadayo feel more comfortable. 葉子 は 貞 世 から 離れる と いちずに その あわれ さ が 身 に しみて こう 思った 。 ようこ||さだ|よ||はなれる|||||||み||||おもった As soon as Yoko left Sadayo, his pity was deeply felt in her body. ・・

葉子 は ふと つや の 事 を 思い出した 。 ようこ|||||こと||おもいだした つや は 看護 婦 に なって 京 橋 あたり の 病院 に いる と 双 鶴 館 から いって 来た の を 思い出した 。 ||かんご|ふ|||けい|きょう|||びょういん||||そう|つる|かん|||きた|||おもいだした Tsuya remembered coming from Sokakukan to become a nurse and to be at a hospital near Kyobashi. 愛子 を 呼び寄せて 電話 で さがさ せよう と 決心 した 。 あいこ||よびよせて|でんわ|||||けっしん| I decided to call Aiko over and have her look for her over the phone.