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或る女 - 有島武郎(アクセス), 46.2 或る女

46.2 或る 女

憤怒 に 伴って さしこんで 来る 痛 み を 憤怒 と 共に ぐっと 押えつけ ながら 葉子 は わざと 声 を 和らげた 。 そうして 愛子 の 挙動 を 爪 の 先ほど も 見のがす まい と した 。 愛子 は 黙って しまった 。 この 沈黙 は 愛子 の 隠れ家 だった 。 そう なる と さすが の 葉子 も この 妹 を どう 取り扱う 術 も なかった 。 岡 なり 古藤 なり が 告白 を して いる の なら 、 葉子 が この 次に いい出す 言葉 で 様子 は 知れる 。 この 場合 うっかり 葉子 の 口車 に は 乗ら れ ない と 愛子 は 思って 沈黙 を 守って いる の かも しれ ない 。 岡 なり 古藤 なり から 何 か 聞いて いる の なら 、 葉子 は それ を 十 倍 も 二十 倍 も の 強 さ に して 使いこなす 術 を 知っている のだ けれども 、 あいにく その 備え は して い なかった 。 愛子 は 確かに 自分 を あなどり 出して いる と 葉子 は 思わ ないで はいら れ なかった 。 寄ってたかって 大きな 詐偽 の 網 を 造って 、 その 中 に 自分 を 押しこめて 、 周囲 から ながめ ながら おもしろ そうに 笑って いる 。 岡 だろう が 古藤 だろう が 何 が あて に なる もの か 。 …… 葉子 は 手 傷 を 負った 猪 の ように 一直線 に 荒れて 行く より しかたがなく なった 。 ・・

「 さあ お 言い 愛さ ん 、 お前 さん が 黙って しまう の は 悪い 癖 です よ 。 ねえさん を 甘く お 見 で ない よ 。 …… お前 さん ほんとうに 黙って る つもり かい …… そう じゃ ない でしょう 、 あれば ある なければ ないで 、 はっきり わかる ように 話 を して くれる んだろう ね …… 愛さ ん …… あなた は 心から わたし を 見くびって かかる んだ ね 」・・

「 そうじゃ ありません 」・・ あまり 葉子 の 言葉 が 激し て 来る ので 、 愛子 は 少し おそれ を 感じた らしく あわてて こう いって 言葉 で ささえよう と した 。 ・・

「 もっと こっち に おいで 」・・

愛子 は 動か なかった 。 葉子 の 愛子 に 対する 憎悪 は 極点 に 達した 。 葉子 は 腹部 の 痛み も 忘れて 、 寝床 から 跳 り 上がった 。 そうして いきなり 愛子 の た ぶ さ を つかもう と した 。 ・・

愛子 は ふだん の 冷静に 似 ず 、 葉子 の 発作 を 見て取る と 、 敏捷に 葉子 の 手 もと を すり抜けて 身 を かわした 。 葉子 は ふらふら と よろけて 一方 の 手 を 障子 紙 に 突っ込み ながら 、 それ でも 倒れる はずみ に 愛子 の 袖 先 を つかんだ 。 葉子 は 倒れ ながら それ を たぐり寄せた 。 醜い 姉妹 の 争 闘 が 、 泣き 、 わめき 、 叫び 立てる 声 の 中 に 演ぜられた 。 愛子 は 顔 や 手 に 掻き 傷 を 受け 、 髪 を お どろ に 乱し ながら も 、 ようやく 葉子 の 手 を 振り 放して 廊下 に 飛び出した 。 葉子 は よ ろ よ ろ と した 足取り で その あと を 追った が 、 とても 愛子 の 敏捷 さ に は かなわなかった 。 そして 階子 段 の 降り 口 の 所 で つや に 食い止められて しまった 。 葉子 は つや の 肩 に 身 を 投げかけ ながら おいおい と 声 を 立てて 子供 の ように 泣き 沈んで しまった 。 ・・

幾 時間 か の 人事 不 省 の 後 に 意識 が はっきり して みる と 、 葉子 は 愛子 と の いきさつ を ただ 悪夢 の ように 思い出す ばかりだった 。 しかも それ は 事実 に 違いない 。 枕 もと の 障子 に は 葉子 の 手 の さし込ま れた 孔 が 、 大きく 破れた まま 残って いる 。 入院 の その 日 から 、 葉子 の 名 は 口さがない 婦人 患者 の 口 の 端に うるさく のぼって いる に 違いない 。 それ を 思う と 一 時 でも そこ に じっと して いる の が 、 堪えられ ない 事 だった 。 葉子 は すぐ ほか の 病院 に 移ろう と 思って つや に いいつけた 。 しかし つや は どうしても それ を 承知 し なかった 。 自分 が 身 に 引き受けて 看護 する から 、 ぜひとも この 病院 で 手術 を 受けて もらいたい と つや は いい張った 。 葉子 から 暇 を 出さ れ ながら 、 妙に 葉子 に 心 を 引きつけられて いる らしい 姿 を 見る と 、 この 場合 葉子 は つや に しみじみ と した 愛 を 感じた 。 清潔な 血 が 細い しなやかな 血管 を 滞り なく 流れ 回って いる ような 、 すべ すべ と 健康 らしい 、 浅黒い つや の 皮膚 は 何より も 葉子 に は 愛らしかった 。 始終 吹き出物 でも し そうな 、 膿っぽい 女 を 葉子 は 何より も 呪わ し いもの に 思って いた 。 葉子 は つや の まめ や かな 心 と 言葉 に 引か されて そこ に い残る 事 に した 。 ・・

これ だけ 貞 世 から 隔たる と 葉子 は 始めて 少し 気 の ゆるむ の を 覚えて 、 腹部 の 痛み で 突然 目 を さます ほか に は たわいなく 眠る ような 事 も あった 。 しかし なんといっても いちばん 心 に かかる もの は 貞 世 だった 。 ささくれて 、 赤く かわいた 口 び る から もれ 出る あの 囈言 …… それ が どうかする と 近々 と 耳 に 聞こえたり 、 ぼんやり と 目 を 開いたり する その 顔 が 浮き 出して 見えたり した 。 それ ばかり で は ない 、 葉子 の 五官 は 非常に 敏捷に なって 、 おまけに イリュウジョン や ハルシネーション を 絶えず 見たり 聞いたり する ように なって しまった 。 倉地 なん ぞ は すぐ そば に すわって いる な と 思って 、 苦し さ に 目 を つぶり ながら 手 を 延ばして 畳 の 上 を 探って みる 事 など も あった 。 そんなに はっきり 見えたり 聞こえたり する もの が 、 すべて 虚構 である の を 見いだす さびし さ は たとえ よう が なかった 。 ・・

愛子 は 葉子 が 入院 の 日 以来 感心に 毎日 訪れて 貞 世 の 容体 を 話して 行った 。 もう 始め の 日 の ような 狼藉 は し なかった けれども 、 その 顔 を 見た ばかりで 、 葉子 は 病気 が 重 る ように 思った 。 ことに 貞 世 の 病状 が 軽く なって 行く と いう 報告 は 激しく 葉子 を 怒ら した 。 自分 が あれほど の 愛着 を こめて 看護 して も よく なら なかった もの が 、 愛子 なん ぞ の 通り一ぺんの 世話で な おる はず が ない 。 また 愛子 は いいかげんな 気休め に 虚 言 を ついて いる のだ 。 貞 世 は もう ひょっとすると 死んで いる かも しれ ない 。 そう 思って 岡 が 尋ねて 来た 時 に 根掘り葉掘り 聞いて みる が 、 二 人 の 言葉 が あまりに 符合 する ので 、 貞 世 の だんだん よく なって 行き つつ ある の を 疑う 余地 は なかった 。 葉子 に は 運命 が 狂い 出した ように しか 思わ れ なかった 。 愛情 と いう もの なし に 病気 が なおせる なら 、 人 の 生命 は 機械 でも 造り上げる 事 が できる わけだ 。 そんな はず は ない 。 それ だ のに 貞 世 は だんだん よく なって 行って いる 。 人 ばかり で は ない 、 神 まで が 、 自分 を 自然 法 の 他 の 法則 で もてあそぼう と して いる のだ 。 ・・

葉子 は 歯が み を し ながら 貞 世 が 死ね かし と 祈る ような 瞬間 を 持った 。 ・・

日 は たつ けれども 倉地 から は ほんとうに なんの 消息 も なかった 。 病的に 感覚 の 興奮 した 葉子 は 、 時々 肉体 的に 倉地 を 慕う 衝動 に 駆り立てられた 。 葉子 の 心 の 目 に は 、 倉地 の 肉体 の すべて の 部分 は 触れる 事 が できる と 思う ほど 具体 的に 想像 さ れた 。 葉子 は 自分 で 造り出した 不思議な 迷宮 の 中 に あって 、 意識 の しびれ きる ような 陶酔 に ひたった 。 しかし その 酔い が さめた あと の 苦痛 は 、 精神 の 疲弊 と 一緒に 働いて 、 葉子 を 半死半生 の 堺 に 打ちのめした 。 葉子 は 自分 の 妄想 に 嘔吐 を 催し ながら 、 倉地 と いわ ず すべて の 男 を 呪い に 呪った 。 ・・

いよいよ 葉子 が 手術 を 受ける べき 前 の 日 が 来た 。 葉子 は それ を さほど 恐ろしい 事 と は 思わ なかった 。 子宮 後 屈 症 と 診断 さ れた 時 、 買って 帰って 読んだ 浩 澣 な 医 書 に よって 見て も 、 その 手術 は 割合 に 簡単な もの である の を 知り 抜いて いた から 、 その 事 に ついて は 割合 に 安 々 と した 心持ち で いる 事 が できた 。 ただ 名 状 し 難い 焦 躁 と 悲哀 と は どう 片づけ よう も なかった 。 毎日 来て いた 愛子 の 足 は 二 日 おき に なり 三 日 おき に なり だんだん 遠ざかった 。 岡 など は 全く 姿 を 見せ なく なって しまった 。 葉子 は 今さら に 自分 の まわり を さびしく 見回して みた 。 出あう かぎり の 男 と 女 と が 何 が なし に ひき 着けられて 、 離れる 事 が でき なく なる 、 そんな 磁力 の ような 力 を 持って いる と いう 自負 に 気負って 、 自分 の 周囲 に は 知る と 知ら ざる と を 問わ ず 、 いつでも 無数の 人々 の 心 が 待って いる ように 思って いた 葉子 は 、 今 は すべて の 人 から 忘られ 果てて 、 大事な 定子 から も 倉地 から も 見放し 見放されて 、 荷物 の ない 物 置き 部屋 の ような 貧しい 一室 の すみっこ に 、 夜具 に くるまって 暑気 に 蒸さ れ ながら くずれ かけた 五 体 を たよりなく 横たえ ねば なら ぬ のだ 。 それ は 葉子 に 取って は あるべき 事 と は 思わ れ ぬ まで だった 。 しかし それ が 確かな 事実 である の を どう しよう 。 ・・

それ でも 葉子 は まだ 立ち上がろう と した 。 自分 の 病気 が 癒え きった その 時 を 見て いる が いい 。 どうして 倉地 を もう 一 度 自分 の もの に 仕遂 せる か 、 それ を 見て いる が いい 。 ・・

葉子 は 脳 心 に たぐり 込ま れる ような 痛 み を 感ずる 両眼 から 熱い 涙 を 流し ながら 、 徒然 な まま に 火 の ような 一 心 を 倉地 の 身の上 に 集めた 。 葉子 の 顔 に は いつでも ハンケチ が あてがわれて いた 。 それ が 十分 も たた ない うち に 熱く ぬれ 通って 、 つや に 新しい の と 代え させ ねば なら なかった 。

46.2 或る 女 ある|おんな 46,2 Una mujer 46.2 某女子

憤怒 に 伴って さしこんで 来る 痛 み を 憤怒 と 共に ぐっと 押えつけ ながら 葉子 は わざと 声 を 和らげた 。 ふんぬ||ともなって||くる|つう|||ふんぬ||ともに||おさえつけ||ようこ|||こえ||やわらげた そうして 愛子 の 挙動 を 爪 の 先ほど も 見のがす まい と した 。 |あいこ||きょどう||つめ||さきほど||みのがす||| 愛子 は 黙って しまった 。 あいこ||だまって| この 沈黙 は 愛子 の 隠れ家 だった 。 |ちんもく||あいこ||かくれが| そう なる と さすが の 葉子 も この 妹 を どう 取り扱う 術 も なかった 。 |||||ようこ|||いもうと|||とりあつかう|じゅつ|| 岡 なり 古藤 なり が 告白 を して いる の なら 、 葉子 が この 次に いい出す 言葉 で 様子 は 知れる 。 おか||ことう|||こくはく||||||ようこ|||つぎに|いいだす|ことば||ようす||しれる If Nari Oka and Nari Furuto are confessing, Yoko's next words will reveal the situation. この 場合 うっかり 葉子 の 口車 に は 乗ら れ ない と 愛子 は 思って 沈黙 を 守って いる の かも しれ ない 。 |ばあい||ようこ||くちぐるま|||のら||||あいこ||おもって|ちんもく||まもって||||| 岡 なり 古藤 なり から 何 か 聞いて いる の なら 、 葉子 は それ を 十 倍 も 二十 倍 も の 強 さ に して 使いこなす 術 を 知っている のだ けれども 、 あいにく その 備え は して い なかった 。 おか||ことう|||なん||きいて||||ようこ||||じゅう|ばい||にじゅう|ばい|||つよ||||つかいこなす|じゅつ||しっている|||||そなえ|||| 愛子 は 確かに 自分 を あなどり 出して いる と 葉子 は 思わ ないで はいら れ なかった 。 あいこ||たしかに|じぶん|||だして|||ようこ||おもわ|||| 寄ってたかって 大きな 詐偽 の 網 を 造って 、 その 中 に 自分 を 押しこめて 、 周囲 から ながめ ながら おもしろ そうに 笑って いる 。 よってたかって|おおきな|さにせ||あみ||つくって||なか||じぶん||おしこめて|しゅうい|||||そう に|わらって| 岡 だろう が 古藤 だろう が 何 が あて に なる もの か 。 おか|||ことう|||なん|||||| …… 葉子 は 手 傷 を 負った 猪 の ように 一直線 に 荒れて 行く より しかたがなく なった 。 ようこ||て|きず||おった|いのしし|||いっちょくせん||あれて|いく||| ・・

「 さあ お 言い 愛さ ん 、 お前 さん が 黙って しまう の は 悪い 癖 です よ 。 ||いい|あいさ||おまえ|||だまって||||わるい|くせ|| ねえさん を 甘く お 見 で ない よ 。 ||あまく||み||| …… お前 さん ほんとうに 黙って る つもり かい …… そう じゃ ない でしょう 、 あれば ある なければ ないで 、 はっきり わかる ように 話 を して くれる んだろう ね …… 愛さ ん …… あなた は 心から わたし を 見くびって かかる んだ ね 」・・ おまえ|||だまって|||||||||||||||はなし||||||あいさ||||こころから|||みくびって|||

「 そうじゃ ありません 」・・ そう じゃ|あり ませ ん あまり 葉子 の 言葉 が 激し て 来る ので 、 愛子 は 少し おそれ を 感じた らしく あわてて こう いって 言葉 で ささえよう と した 。 |ようこ||ことば||はげし||くる||あいこ||すこし|||かんじた|||||ことば|||| ・・

「 もっと こっち に おいで 」・・

愛子 は 動か なかった 。 あいこ||うごか| 葉子 の 愛子 に 対する 憎悪 は 極点 に 達した 。 ようこ||あいこ||たいする|ぞうお||きょくてん||たっした 葉子 は 腹部 の 痛み も 忘れて 、 寝床 から 跳 り 上がった 。 ようこ||ふくぶ||いたみ||わすれて|ねどこ||と||あがった そうして いきなり 愛子 の た ぶ さ を つかもう と した 。 ||あいこ|||||||| ・・

愛子 は ふだん の 冷静に 似 ず 、 葉子 の 発作 を 見て取る と 、 敏捷に 葉子 の 手 もと を すり抜けて 身 を かわした 。 あいこ||||れいせいに|に||ようこ||ほっさ||みてとる||びんしょうに|ようこ||て|||すりぬけて|み|| Unlike her usual calmness, Aiko saw Yoko's seizure and quickly slipped past Yoko's hand to dodge. 葉子 は ふらふら と よろけて 一方 の 手 を 障子 紙 に 突っ込み ながら 、 それ でも 倒れる はずみ に 愛子 の 袖 先 を つかんだ 。 ようこ|||||いっぽう||て||しょうじ|かみ||つっこみ||||たおれる|||あいこ||そで|さき|| 葉子 は 倒れ ながら それ を たぐり寄せた 。 ようこ||たおれ||||たぐりよせた 醜い 姉妹 の 争 闘 が 、 泣き 、 わめき 、 叫び 立てる 声 の 中 に 演ぜられた 。 みにくい|しまい||あらそ|たたか||なき||さけび|たてる|こえ||なか||えんぜ られた 愛子 は 顔 や 手 に 掻き 傷 を 受け 、 髪 を お どろ に 乱し ながら も 、 ようやく 葉子 の 手 を 振り 放して 廊下 に 飛び出した 。 あいこ||かお||て||かき|きず||うけ|かみ|||||みだし||||ようこ||て||ふり|はなして|ろうか||とびだした 葉子 は よ ろ よ ろ と した 足取り で その あと を 追った が 、 とても 愛子 の 敏捷 さ に は かなわなかった 。 ようこ||||||||あしどり|||||おった|||あいこ||びんしょう|||| そして 階子 段 の 降り 口 の 所 で つや に 食い止められて しまった 。 |はしご|だん||ふり|くち||しょ||||くいとめ られて| 葉子 は つや の 肩 に 身 を 投げかけ ながら おいおい と 声 を 立てて 子供 の ように 泣き 沈んで しまった 。 ようこ||||かた||み||なげかけ||||こえ||たてて|こども|||なき|しずんで| ・・

幾 時間 か の 人事 不 省 の 後 に 意識 が はっきり して みる と 、 葉子 は 愛子 と の いきさつ を ただ 悪夢 の ように 思い出す ばかりだった 。 いく|じかん|||じんじ|ふ|しょう||あと||いしき||||||ようこ||あいこ||||||あくむ|||おもいだす| しかも それ は 事実 に 違いない 。 |||じじつ||ちがいない 枕 もと の 障子 に は 葉子 の 手 の さし込ま れた 孔 が 、 大きく 破れた まま 残って いる 。 まくら|||しょうじ|||ようこ||て||さしこま||あな||おおきく|やぶれた||のこって| 入院 の その 日 から 、 葉子 の 名 は 口さがない 婦人 患者 の 口 の 端に うるさく のぼって いる に 違いない 。 にゅういん|||ひ||ようこ||な||くちさがない|ふじん|かんじゃ||くち||はしたに|||||ちがいない Ever since the day she was admitted to the hospital, Yoko's name must have been on the lips of the taciturn female patient. それ を 思う と 一 時 でも そこ に じっと して いる の が 、 堪えられ ない 事 だった 。 ||おもう||ひと|じ|||||||||こらえ られ||こと| 葉子 は すぐ ほか の 病院 に 移ろう と 思って つや に いいつけた 。 ようこ|||||びょういん||うつろう||おもって||| しかし つや は どうしても それ を 承知 し なかった 。 ||||||しょうち|| 自分 が 身 に 引き受けて 看護 する から 、 ぜひとも この 病院 で 手術 を 受けて もらいたい と つや は いい張った 。 じぶん||み||ひきうけて|かんご|||||びょういん||しゅじゅつ||うけて|もらい たい||||いいはった 葉子 から 暇 を 出さ れ ながら 、 妙に 葉子 に 心 を 引きつけられて いる らしい 姿 を 見る と 、 この 場合 葉子 は つや に しみじみ と した 愛 を 感じた 。 ようこ||いとま||ださ|||みょうに|ようこ||こころ||ひきつけ られて|||すがた||みる|||ばあい|ようこ|||||||あい||かんじた 清潔な 血 が 細い しなやかな 血管 を 滞り なく 流れ 回って いる ような 、 すべ すべ と 健康 らしい 、 浅黒い つや の 皮膚 は 何より も 葉子 に は 愛らしかった 。 せいけつな|ち||ほそい||けっかん||とどこおり||ながれ|まわって||||||けんこう||あさぐろい|||ひふ||なにより||ようこ|||あいらしかった 始終 吹き出物 でも し そうな 、 膿っぽい 女 を 葉子 は 何より も 呪わ し いもの に 思って いた 。 しじゅう|ふきでもの|||そう な|うみ っぽい|おんな||ようこ||なにより||のろわ||||おもって| More than anything else, Yoko thought of the pus-like woman who seemed to have breakouts all the time as something cursed. 葉子 は つや の まめ や かな 心 と 言葉 に 引か されて そこ に い残る 事 に した 。 ようこ|||||||こころ||ことば||ひか|さ れて|||いのこる|こと|| ・・

これ だけ 貞 世 から 隔たる と 葉子 は 始めて 少し 気 の ゆるむ の を 覚えて 、 腹部 の 痛み で 突然 目 を さます ほか に は たわいなく 眠る ような 事 も あった 。 ||さだ|よ||へだたる||ようこ||はじめて|すこし|き|||||おぼえて|ふくぶ||いたみ||とつぜん|め|||||||ねむる||こと|| しかし なんといっても いちばん 心 に かかる もの は 貞 世 だった 。 |||こころ|||||さだ|よ| ささくれて 、 赤く かわいた 口 び る から もれ 出る あの 囈言 …… それ が どうかする と 近々 と 耳 に 聞こえたり 、 ぼんやり と 目 を 開いたり する その 顔 が 浮き 出して 見えたり した 。 |あかく||くち|||||でる||うわごと|||どうか する||ちかぢか||みみ||きこえたり|||め||あいたり|||かお||うき|だして|みえたり| それ ばかり で は ない 、 葉子 の 五官 は 非常に 敏捷に なって 、 おまけに イリュウジョン や ハルシネーション を 絶えず 見たり 聞いたり する ように なって しまった 。 |||||ようこ||ごかん||ひじょうに|びんしょうに|||||||たえず|みたり|きいたり|||| 倉地 なん ぞ は すぐ そば に すわって いる な と 思って 、 苦し さ に 目 を つぶり ながら 手 を 延ばして 畳 の 上 を 探って みる 事 など も あった 。 くらち|||||||||||おもって|にがし|||め||||て||のばして|たたみ||うえ||さぐって||こと||| そんなに はっきり 見えたり 聞こえたり する もの が 、 すべて 虚構 である の を 見いだす さびし さ は たとえ よう が なかった 。 ||みえたり|きこえたり|||||きょこう||||みいだす||||||| ・・

愛子 は 葉子 が 入院 の 日 以来 感心に 毎日 訪れて 貞 世 の 容体 を 話して 行った 。 あいこ||ようこ||にゅういん||ひ|いらい|かんしんに|まいにち|おとずれて|さだ|よ||ようだい||はなして|おこなった Ever since the day Yoko was hospitalized, Aiko visited him every day with great admiration and told him about Sadayo's condition. もう 始め の 日 の ような 狼藉 は し なかった けれども 、 その 顔 を 見た ばかりで 、 葉子 は 病気 が 重 る ように 思った 。 |はじめ||ひ|||ろうぜき||||||かお||みた||ようこ||びょうき||おも|||おもった Although she no longer had the same panic as she had on the first day, the mere sight of her face made Yoko feel more ill. ことに 貞 世 の 病状 が 軽く なって 行く と いう 報告 は 激しく 葉子 を 怒ら した 。 |さだ|よ||びょうじょう||かるく||いく|||ほうこく||はげしく|ようこ||いから| 自分 が あれほど の 愛着 を こめて 看護 して も よく なら なかった もの が 、 愛子 なん ぞ の 通り一ぺんの 世話で な おる はず が ない 。 じぶん||||あいちゃく|||かんご||||||||あいこ||||とおりいっぺんの|せわで||||| また 愛子 は いいかげんな 気休め に 虚 言 を ついて いる のだ 。 |あいこ|||きやすめ||きょ|げん|||| 貞 世 は もう ひょっとすると 死んで いる かも しれ ない 。 さだ|よ||||しんで|||| そう 思って 岡 が 尋ねて 来た 時 に 根掘り葉掘り 聞いて みる が 、 二 人 の 言葉 が あまりに 符合 する ので 、 貞 世 の だんだん よく なって 行き つつ ある の を 疑う 余地 は なかった 。 |おもって|おか||たずねて|きた|じ||ねほりはほり|きいて|||ふた|じん||ことば|||ふごう|||さだ|よ|||||いき|||||うたがう|よち|| 葉子 に は 運命 が 狂い 出した ように しか 思わ れ なかった 。 ようこ|||うんめい||くるい|だした|||おもわ|| 愛情 と いう もの なし に 病気 が なおせる なら 、 人 の 生命 は 機械 でも 造り上げる 事 が できる わけだ 。 あいじょう||||||びょうき||||じん||せいめい||きかい||つくりあげる|こと||| そんな はず は ない 。 それ だ のに 貞 世 は だんだん よく なって 行って いる 。 |||さだ|よ|||||おこなって| 人 ばかり で は ない 、 神 まで が 、 自分 を 自然 法 の 他 の 法則 で もてあそぼう と して いる のだ 。 じん|||||かみ|||じぶん||しぜん|ほう||た||ほうそく|||||| ・・

葉子 は 歯が み を し ながら 貞 世 が 死ね かし と 祈る ような 瞬間 を 持った 。 ようこ||しが|||||さだ|よ||しね|||いのる||しゅんかん||もった ・・

日 は たつ けれども 倉地 から は ほんとうに なんの 消息 も なかった 。 ひ||||くらち|||||しょうそく|| 病的に 感覚 の 興奮 した 葉子 は 、 時々 肉体 的に 倉地 を 慕う 衝動 に 駆り立てられた 。 びょうてきに|かんかく||こうふん||ようこ||ときどき|にくたい|てきに|くらち||したう|しょうどう||かりたて られた Yoko, who was morbidly agitated, was sometimes driven by the urge to physically yearn for Kurachi. 葉子 の 心 の 目 に は 、 倉地 の 肉体 の すべて の 部分 は 触れる 事 が できる と 思う ほど 具体 的に 想像 さ れた 。 ようこ||こころ||め|||くらち||にくたい||||ぶぶん||ふれる|こと||||おもう||ぐたい|てきに|そうぞう|| 葉子 は 自分 で 造り出した 不思議な 迷宮 の 中 に あって 、 意識 の しびれ きる ような 陶酔 に ひたった 。 ようこ||じぶん||つくりだした|ふしぎな|めいきゅう||なか|||いしき|||||とうすい|| しかし その 酔い が さめた あと の 苦痛 は 、 精神 の 疲弊 と 一緒に 働いて 、 葉子 を 半死半生 の 堺 に 打ちのめした 。 ||よい|||||くつう||せいしん||ひへい||いっしょに|はたらいて|ようこ||はんしはんしょう||さかい||うちのめした 葉子 は 自分 の 妄想 に 嘔吐 を 催し ながら 、 倉地 と いわ ず すべて の 男 を 呪い に 呪った 。 ようこ||じぶん||もうそう||おうと||もよおし||くらち||||||おとこ||まじない||のろった While vomiting at her own delusions, Yoko cursed all the men, including Kurachi. ・・

いよいよ 葉子 が 手術 を 受ける べき 前 の 日 が 来た 。 |ようこ||しゅじゅつ||うける||ぜん||ひ||きた 葉子 は それ を さほど 恐ろしい 事 と は 思わ なかった 。 ようこ|||||おそろしい|こと|||おもわ| 子宮 後 屈 症 と 診断 さ れた 時 、 買って 帰って 読んだ 浩 澣 な 医 書 に よって 見て も 、 その 手術 は 割合 に 簡単な もの である の を 知り 抜いて いた から 、 その 事 に ついて は 割合 に 安 々 と した 心持ち で いる 事 が できた 。 しきゅう|あと|くっ|しょう||しんだん|||じ|かって|かえって|よんだ|ひろし|かん||い|しょ|||みて|||しゅじゅつ||わりあい||かんたんな|||||しり|ぬいて||||こと||||わりあい||やす||||こころもち|||こと|| When I was diagnosed with retroflexion of the uterus , I bought it and read it when I got home , and I knew that the surgery would be relatively simple , so I thought about it . I was able to feel relatively at ease. ただ 名 状 し 難い 焦 躁 と 悲哀 と は どう 片づけ よう も なかった 。 |な|じょう||かたい|あせ|そう||ひあい||||かたづけ||| 毎日 来て いた 愛子 の 足 は 二 日 おき に なり 三 日 おき に なり だんだん 遠ざかった 。 まいにち|きて||あいこ||あし||ふた|ひ||||みっ|ひ|||||とおざかった 岡 など は 全く 姿 を 見せ なく なって しまった 。 おか|||まったく|すがた||みせ||| 葉子 は 今さら に 自分 の まわり を さびしく 見回して みた 。 ようこ||いまさら||じぶん|||||みまわして| 出あう かぎり の 男 と 女 と が 何 が なし に ひき 着けられて 、 離れる 事 が でき なく なる 、 そんな 磁力 の ような 力 を 持って いる と いう 自負 に 気負って 、 自分 の 周囲 に は 知る と 知ら ざる と を 問わ ず 、 いつでも 無数の 人々 の 心 が 待って いる ように 思って いた 葉子 は 、 今 は すべて の 人 から 忘られ 果てて 、 大事な 定子 から も 倉地 から も 見放し 見放されて 、 荷物 の ない 物 置き 部屋 の ような 貧しい 一室 の すみっこ に 、 夜具 に くるまって 暑気 に 蒸さ れ ながら くずれ かけた 五 体 を たよりなく 横たえ ねば なら ぬ のだ 。 であう|||おとこ||おんな|||なん|||||つけ られて|はなれる|こと||||||じりょく|||ちから||もって||||じふ||きおって|じぶん||しゅうい|||しる||しら||||とわ|||むすうの|ひとびと||こころ||まって|||おもって||ようこ||いま||||じん||ぼう られ|はてて|だいじな|さだこ|||くらち|||みはなし|みはなさ れて|にもつ|||ぶつ|おき|へや|||まずしい|いっしつ||すみ っこ||やぐ|||しょき||むさ|||||いつ|からだ|||よこたえ|||| Every man and woman I meet is attracted to me for some reason, and I can't let go. Regardless of the situation, Yoko, who always seemed to be waiting in the hearts of countless people, is now completely forgotten by everyone, abandoned by both Teishi and Kurachi, who are important to her, and is left behind in her luggage. In the corner of a poor room that looked like an empty storage room, I had to lie down, wrapped in nightgowns and steamed by the heat, and was about to collapse. それ は 葉子 に 取って は あるべき 事 と は 思わ れ ぬ まで だった 。 ||ようこ||とって|||こと|||おもわ|||| しかし それ が 確かな 事実 である の を どう しよう 。 |||たしかな|じじつ||||| ・・

それ でも 葉子 は まだ 立ち上がろう と した 。 ||ようこ|||たちあがろう|| 自分 の 病気 が 癒え きった その 時 を 見て いる が いい 。 じぶん||びょうき||いえ|||じ||みて||| どうして 倉地 を もう 一 度 自分 の もの に 仕遂 せる か 、 それ を 見て いる が いい 。 |くらち|||ひと|たび|じぶん||||しすい|||||みて||| Just look at how he manages to make Kurachi his own once again. ・・

葉子 は 脳 心 に たぐり 込ま れる ような 痛 み を 感ずる 両眼 から 熱い 涙 を 流し ながら 、 徒然 な まま に 火 の ような 一 心 を 倉地 の 身の上 に 集めた 。 ようこ||のう|こころ|||こま|||つう|||かんずる|りょうがん||あつい|なみだ||ながし||つれづれ||||ひ|||ひと|こころ||くらち||みのうえ||あつめた Hot tears flowed from her eyes as she felt a pain that seemed to sink into her brain, and in idleness she gathered her fiery single-mindedness over Kurachi. 葉子 の 顔 に は いつでも ハンケチ が あてがわれて いた 。 ようこ||かお||||||あてがわ れて| それ が 十分 も たた ない うち に 熱く ぬれ 通って 、 つや に 新しい の と 代え させ ねば なら なかった 。 ||じゅうぶん||||||あつく||かよって|||あたらしい|||かえ|さ せ||| It didn't take long enough to get hot and wet, and I had to let the gloss replace it with a new one.