68. 水草 - 久生 十 蘭
水草 - 久生 十 蘭
朝 の 十 時 ごろ 、 俳友 の 国 手 石 亭 が 葱 と ビール を さげて やってきた 。 ・・
「 へんな 顔 を して います ね 。 どう しました 」・・
「 田 阪 で 池 の 水 を 落とす の が 耳 に ついて 眠れ ない 。 もう 三 晩 に なる 」・・
「 あれ に は わたし も やられました 。 池 を 乾 して 畑 に する んだ そうです 」・・
「 それ は いい が 、 その ビール は な んだ ね 」・・
「 あい 鴨 で 一 杯 やろう と いう のです 。 尤 も あひる は これ から ひねり に 行く のです が 」・・
田 阪 の あひる が 水門 を ぬけて きて 畑 を 荒 して しようがない から 、 おびきだして ひねって しまう と いう はなし な のである 。 ・・
石 亭 は 田 阪 の 一 人 娘 と むずかしい 仲 に なって いて 、 娘 の 継母 が 二 人 を こっそり 庭 で 逢わ せたり して いた と いう こと だった が 、 復員 して くる と すっかり 風向き が かわり 、 娘 を 隠した と か 逃した と か 、 そういう 噂 を よそ から きいて いた 。 そんな 鬱憤 も 大いに 手伝って いる のだ と 察した 。 ・・
「 釣針 に 泥 鰌 を つけて おびきよせ まして ね 、 その場で 手術 刀 で 処理 して しまう んです 。 中 支 で は よく やりました よ 」・・
そんな こと を いい つつ 尻 は しょり を して 出かけて 行った が 、 なかなか 帰って こ ない 。 ・・
きのう 田 阪 の 女 中 が 来て 、 誰 か あひる を 殺して 藪 の 中 に おしこんで ありました んです が もし お 気持 が わるく ありません でしたら と いって 、 大きな 手羽 を ひと つ 置いて 行った 。 きのう 誰 か に やられ 、 きょう また 石 亭 に しめられた ので は 田 阪 の あひる も 楽じゃ ない など と かんがえて いる ところ へ 、 石 亭 が へんに ぶら り と した ようす で 帰って きて 、 手 に 握って いた もの を 縁 の 端 へ 置いた 。 髪 毛 が 毬 の ように くぐ まった 無気味な もの である 。 ・・
「 それ は な んだ ね 」・・
「 こんな もの が あひる の 胃袋 から 出て きた んです 。 まあ 、 見て いて ごらん なさい 」・・
石 亭 は ひきつった ような 笑い かた を する と も さも さ を 指 で かい さぐって 小さな 翡翠 の 耳 飾 を つまみだした 。 ・・
「 これ は ヒサ子 の 耳 飾 です から 、 髪 毛 も たぶん ヒサ子 のでしょう 。 継母 が ヒサ子 を 殺して 池 へ 沈めた の を 、 あひる が 突つき ちらして これ が 胃 の 中 に 残った と いう わけです 」・・
「 えらい こと を いいだした ね 」・・
「 いや 、 そう いえば 思いあたる こと が ある んです 。 二 た 月 ほど 前 、 継母 が 疲れて こまる と いって ポリモス 錠 を とり に きました が 、 あいつ は 新薬 マニア です から 、 ポリモス 錠 の 亜砒 酸 を どう 使う か ぐらい の こと は ちゃんと 心得て いる んです よ 」・・
あひる が 人間 を 食う か どう か 、 それ も すこぶる あやしい 話 だ が 、 死体 を 池 へ 沈めた もの なら 池 を 乾 したり する はず が ない 。 このごろ 調子 が おかしい と 思って いた が だいぶ いけない らしい と 、 それ と なく 顔 を ながめて いる うち に 、 最近 の 石 亭 の 一 句 が こころ に うかんだ 。 ・・
「 水草 の 冷え たる まま を 夏 枕 」・・
ふと 、 みょうな 気 あたり が して たずねて みた 。 ・・
「 田 阪 で は あひる を たくさん 飼って る の 」・・
「 いいえ 、 一 羽 です 。 あいつ も その 一 羽 の あひる から 足 が つく と は 思わ なかった でしょう 。 よく 出来て います よ 。 理 と いう の は なかなか 油断 の なら ん もの です ね 」・・
「 おそろしい もん だ ね 」・・
これ で 石 亭 が 自白 した ような もの だ と 思う と 、 暗い 水草 を 枕 に して ひっそり と 横たわって いる 娘 の 幽艶 な 死 顔 が ありあり と 眼 に 見えて きた 。 ・・
(〈 宝石 〉 昭和 二十二 年 一 月 号 発表 )・・