36.2 或る 女
ある|おんな
36.2 Una mujer
一 時間 ほど の 後 に は 葉子 は しかし たった今 ひき起こさ れた 乱脈 騒ぎ を けろりと 忘れた もの の ように 快活で 無邪気に なって いた 。
ひと|じかん|||あと|||ようこ|||たったいま|ひきおこさ||らんみゃく|さわぎ|||わすれた||||かいかつで|むじゃきに||
|||||||||||||disorder||||||||cheerful|||
そして 二 人 は 楽しげに 下宿 から 新 橋 駅 に 車 を 走ら した 。
|ふた|じん||たのしげに|げしゅく||しん|きょう|えき||くるま||はしら|
||||cheerfully||||||||||
葉子 が 薄暗い 婦人 待合室 の 色 の はげた モロッコ 皮 の ディバン に [#「 ディバン に 」 は 底 本 で は 「 デイバン に 」] 腰かけて 、 倉地 が 切符 を 買って 来る の を 待って る 間 、 そこ に 居合わせた 貴婦人 と いう ような 四五 人 の 人 たち は 、 すぐ 今 まで の 話 を 捨てて しまって 、 こそこそ と 葉子 に ついて 私 語 きか わす らしかった 。
ようこ||うすぐらい|ふじん|まちあいしつ||いろ|||もろっこ|かわ|||||||そこ|ほん|||||こしかけて|くらち||きっぷ||かって|くる|||まって||あいだ|||いあわせた|きふじん||||しご|じん||じん||||いま|||はなし||すてて||||ようこ|||わたくし|ご|||
||||waiting room||||faded||||divan||||||book|||divan|||||||||||||||||||||||||||||||||||whispering|||||||||
高慢 と いう ので も なく 謙遜 と いう ので も なく 、 きわめて 自然に 落ち着いて まっすぐ に 腰かけた まま 、 柄 の 長い 白 の 琥珀 の パラソル の 握り に 手 を 乗せて い ながら 、 葉子 に は その 貴婦人 たち の 中 の 一 人 が どうも 見 知り 越し の 人 らしく 感ぜられた 。
こうまん||||||けんそん|||||||しぜんに|おちついて|||こしかけた||え||ながい|しろ||こはく||ぱらそる||にぎり||て||のせて|||ようこ||||きふじん|||なか||ひと|じん|||み|しり|こし||じん||かんぜ られた
|||||||||||||||||sat||||||possessive particle|amber||||||||||||||||||||||||||||||
あるいは 女学校 に いた 時 に 葉子 を 崇拝 して その 風俗 を すら まねた 連中 の 一 人 である か と も 思わ れた 。
|じょがっこう|||じ||ようこ||すうはい|||ふうぞく||||れんちゅう||ひと|じん|||||おもわ|
||||||||||||||mimicked||||||||||
葉子 が どんな 事 を うわさ されて いる か は 、 その 婦人 に 耳打ち されて 、 見る ように 見 ない ように 葉子 を ぬすみ 見る 他 の 婦人 たち の 目 色 で 想像 さ れた 。
ようこ|||こと|||さ れて|||||ふじん||みみうち|さ れて|みる||み|||ようこ|||みる|た||ふじん|||め|いろ||そうぞう||
||||||||||||||||||||||||||||||color||||
・・
「 お前たち は あきれ返り ながら 心 の 中 の どこ か で わたし を うらやんで いる のだろう 。
おまえたち||あきれかえり||こころ||なか|||||||||
||astonished|||||||||||envying||
お前たち の 、 その 物おじ し ながら も 金目 を かけた 派 手作り な 衣装 や 化粧 は 、 社会 上 の 位置 に 恥じ ない だけ の 作り な の か 、 良 人 の 目 に 快く 見えよう ため な の か 。
おまえたち|||ものおじ||||かねめ|||は|てづくり||いしょう||けしょう||しゃかい|うえ||いち||はじ||||つくり||||よ|じん||め||こころよく|みえよう||||
|||||||||||handmade|||||||||||||||||||||||||||||
Are your clothes and make-up, which are unassuming but expensive and hand-made, just to live up to your position in society, or are they just to make you look good in the eyes of your husband?
それ ばかり な の か 。
お前たち を 見る 路傍 の 男 たち の 目 は 勘定 に 入れて いない の か 。
おまえたち||みる|ろぼう||おとこ|||め||かんじょう||いれて|||
…… 臆病 卑怯 な 偽善 者 ども め !
おくびょう|ひきょう||ぎぜん|もの||
」・・
葉子 は そんな 人間 から は 一 段 も 二 段 も 高い 所 に いる ような 気位 を 感じた 。
ようこ|||にんげん|||ひと|だん||ふた|だん||たかい|しょ||||きぐらい||かんじた
|||||||||||||||||pride||
自分 の 扮 粧 が その 人 たち の どれ より も 立ち まさって いる 自信 を 十二分に 持って いた 。
じぶん||ふん|めか|||じん||||||たち|||じしん||じゅうにぶんに|もって|
||disguise|makeup||||||||||||||||
葉子 は 女王 の ように 誇り の 必要 も ない と いう 自ら の 鷹 揚 を 見せて すわって いた 。
ようこ||じょおう|||ほこり||ひつよう|||||おのずから||たか|よう||みせて||
・・
そこ に 一 人 の 夫人 が はいって 来た 。
||ひと|じん||ふじん|||きた
田川 夫人 ―― 葉子 は その 影 を 見る か 見 ない か に 見て取った 。
たがわ|ふじん|ようこ|||かげ||みる||み||||みてとった
しかし 顔色 一 つ 動かさ なかった ( 倉地 以外 の 人 に 対して は 葉子 は その 時 でも かなり すぐれた 自制 力 の 持ち主 だった ) 田川 夫人 は 元 より そこ に 葉子 が い よう など と は 思い も かけ ない ので 、 葉子 の ほう に ちょっと 目 を やり ながら も いっこうに 気づか ず に 、・・
|かおいろ|ひと||うごかさ||くらち|いがい||じん||たいして||ようこ|||じ||||じせい|ちから||もちぬし||たがわ|ふじん||もと||||ようこ|||||||おもい|||||ようこ|||||め||||||きづか||
「 お 待た せ いたし まして すみません 」・・
|また||||
と いい ながら 貴婦人 ら の ほう に 近寄って 行った 。
|||きふじん|||||ちかよって|おこなった
互い の 挨拶 が 済む か 済まない うち に 、 一同 は 田川 夫人 に よりそって ひそひそ と 私 語 いた 。
たがい||あいさつ||すむ||すまない|||いちどう||たがわ|ふじん|||||わたくし|ご|
||||||||||||||||||word|
葉子 は 静かに 機会 を 待って いた 。
ようこ||しずかに|きかい||まって|
ぎょっと した ふうで 、 葉子 に 後ろ を 向けて いた 田川 夫人 は 、 肩 越し に 葉子 の ほう を 振り返った 。
|||ようこ||うしろ||むけて||たがわ|ふじん||かた|こし||ようこ||||ふりかえった
Mrs. Tagawa, who had turned her back on Yoko with a startled look, looked back over her shoulder.
待ち 設けて いた 葉子 は 今 まで 正面 に 向けて いた 顔 を しとやかに 向け かえて 田川 夫人 と 目 を 見 合わした 。
まち|もうけて||ようこ||いま||しょうめん||むけて||かお|||むけ||たがわ|ふじん||め||み|あわした
葉子 の 目 は 憎む ように 笑って いた 。
ようこ||め||にくむ||わらって|
田川 夫人 の 目 は 笑う ように 憎んで いた 。
たがわ|ふじん||め||わらう||にくんで|
|||||||hated|
「 生意気な 」…… 葉子 は 田川 夫人 が 目 を そらさ ない うち に 、 すっくと 立って 田川 夫人 の ほう に 寄って 行った 。
なまいきな|ようこ||たがわ|ふじん||め|||||||たって|たがわ|ふじん||||よって|おこなった
||||||||turned||||suddenly||||||||
この 不意打ち に 度 を 失った 夫人 は ( 明らかに 葉子 が まっ紅 に なって 顔 を 伏せる と ばかり 思って いた らしく 、 居合わせた 婦人 たち も その さま を 見て 、 容貌 でも 服装 でも 自分 ら を 蹴落とそう と する 葉子 に 対して 溜 飲 を おろそう と して いる らしかった ) 少し 色 を 失って 、 そっぽ を 向こう と した けれども もう おそかった 。
|ふいうち||たび||うしなった|ふじん||あきらかに|ようこ||まっ くれない|||かお||ふせる|||おもって|||いあわせた|ふじん||||||みて|ようぼう||ふくそう||じぶん|||けおとそう|||ようこ||たいして|たま|いん|||||||すこし|いろ||うしなって|||むこう|||||
||||||||||||||||to lower|||||||||||||||||||||to kick down||||||sigh|sigh||sigh||||||||||||||||
葉子 は 夫人 の 前 に 軽く 頭 を 下げて いた 。
ようこ||ふじん||ぜん||かるく|あたま||さげて|
夫人 も やむ を 得 ず 挨拶 の まね を して 、 高飛車に 出る つもり らしく 、・・
ふじん||||とく||あいさつ|||||たかびしゃに|でる||
|||||||||||with a high-handed attitude|||
「 あなた は どなた ?
」・・
いかにも 横柄に さきがけて 口 を きった 。
|おうへいに||くち||
|arrogantly|ahead|||
It was so arrogant that he cut his mouth.
・・
「 早月 葉 で ございます 」・・
さつき|は||
葉子 は 対等の 態度 で 悪びれ も せ ず こう 受けた 。
ようこ||たいとうの|たいど||わるびれ|||||うけた
||equal||||||||
Yoko accepted this without apology, with an attitude of equality.
・・
「 絵 島 丸 で は いろいろ お 世話 様 に なって ありがとう 存じました 。
え|しま|まる|||||せわ|さま||||ぞんじ ました
||||||||||||I knew
あの う …… 報 正 新報 も 拝見 さ せて いただきました 。
||ほう|せい|しんぽう||はいけん|||いただき ました
|||||||||received
Umm... I also saw the Hosho Shinpo.
( 夫人 の 顔色 が 葉子 の 言葉 一 つ ごと に 変わる の を 葉子 は 珍しい もの でも 見る ように まじまじ と ながめ ながら )たいそう おもしろう ございました 事 。
ふじん||かおいろ||ようこ||ことば|ひと||||かわる|||ようこ||めずらしい|||みる|||||||||こと
|||||||||||||||||||||||||very|||
よく あんなに くわしく 御 通信 に なり まして ねえ 、 お 忙しく いらっしゃいましたろう に 。
|||ご|つうしん||||||いそがしく|いらっしゃい ましたろう|
|||||||||||probably|
…… 倉地 さん も おりよく ここ に 来 合わせて いらっしゃいます から …… 今 ちょっと 切符 を 買い に …… お 連れ 申しましょう か 」・・
くらち||||||らい|あわせて|いらっしゃい ます||いま||きっぷ||かい|||つれ|もうし ましょう|
||||||||||||||||||shall I bring|
……Kurachi-san has kindly come to visit us, so……let’s go buy a ticket right now……should I take you with me?”
田川 夫人 は 見る見る まっさおに なって しまって いた 。
たがわ|ふじん||みるみる||||
折り返して いう べき 言葉 に 窮して しまって 、 拙 くも 、・・
おりかえして|||ことば||きゅうして||せつ|
returning|||||||awkward|
「 わたし は こんな 所 で あなた と お 話し する の は 存じ がけません 。
|||しょ|||||はなし||||ぞんじ|がけ ませ ん
|||||||||||||できません
"I don't know how to talk to you in a place like this.
御用 でしたら 宅 へ おいで を 願いましょう 」・・
ごよう||たく||||ねがい ましょう
|was|||||let's wish
と いい つつ 今にも 倉地 が そこ に 現われて 来る か と ひたすら それ を 怖 れる ふうだった 。
|||いまにも|くらち||||あらわれて|くる||||||こわ||
|||||||||||||||scared||
葉子 は わざと 夫人 の 言葉 を 取り違えた ように 、・・
ようこ|||ふじん||ことば||とりちがえた|
|||||||misunderstood|
「 い ゝ え どう いたし まして わたし こそ …… ちょっと お 待ち ください すぐ 倉地 さん を お 呼び 申して 参ります から 」・・
||||||||||まち|||くらち||||よび|もうして|まいり ます|
そう いって どんどん 待 合 所 を 出て しまった 。
|||ま|ごう|しょ||でて|
あと に 残った 田川 夫人 が その 貴婦人 たち の 前 で どんな 顔 を して 当惑 した か 、 それ を 葉子 は 目 に 見る ように 想像 し ながら いたずら 者 らしく ほくそ笑んだ 。
||のこった|たがわ|ふじん|||きふじん|||ぜん|||かお|||とうわく|||||ようこ||め||みる||そうぞう||||もの||ほくそえんだ
|||||||||||||||||||||||||||||||||smirked
ちょうど そこ に 倉地 が 切符 を 買って 来 かかって いた 。
|||くらち||きっぷ||かって|らい||
・・
一 等 の 客室 に は 他 に 二三 人 の 客 が いる ばかりだった 。
ひと|とう||きゃくしつ|||た||ふみ|じん||きゃく|||
|||guest room|||||||||||
田川 夫人 以下 の 人 たち は だれ か の 見送り か 出迎え に でも 来た のだ と 見えて 、 汽車 が 出る まで 影 も 見せ なかった 。
たがわ|ふじん|いか||じん||||||みおくり||でむかえ|||きた|||みえて|きしゃ||でる||かげ||みせ|
It seemed that Mrs. Tagawa and the other people had come to see someone off or to meet them, and they didn't show a shadow of themselves until the train left.
葉子 は さっそく 倉地 に 事 の 始終 を 話して 聞か せた 。
ようこ|||くらち||こと||しじゅう||はなして|きか|
そして 二 人 は 思い 存分 胸 を すかして 笑った 。
|ふた|じん||おもい|ぞんぶん|むね|||わらった
||||||||lightened|
And the two of them laughed heartily.
・・
「 田川 の 奥さん かわいそうに まだ あす こ で 今にも あなた が 来る か と もじもじ して いる でしょう よ 、 ほか の 人 たち の 手前 ああ いわれて こそ こそ と 逃げ出す わけに も 行か ない し 」・・
たがわ||おくさん||||||いまにも|||くる||||||||||じん|||てまえ||いわ れて||||にげだす|||いか||
||||||||||||||fidgeting||||||||||||||||will escape|||||
「 おれ が 一 つ 顔 を 出して 見せれば また おもしろかった に な 」・・
||ひと||かお||だして|みせれば||||
|||||||if I show||||
「 きょう は 妙な 人 に あって しまった から また きっと だれ か に あいます よ 。
||みょうな|じん||||||||||あい ます|
|||||||||||||will meet|
奇妙 ねえ 、 お 客 様 が 来た と なる と 不思議に たて 続く し ……」・・
きみょう|||きゃく|さま||きた||||ふしぎに||つづく|
strange|||||||||||||
「 不 仕 合わせ な ん ぞ も 来 出す と 束 に なって 来 くさる て 」・・
ふ|し|あわせ|||||らい|だす||たば|||らい||
not|to work||||||||||||||
倉地 は 何 か 心 あり げ に こう いって 渋い 顔 を し ながら この 笑い話 を 結んだ 。
くらち||なん||こころ||||||しぶい|かお|||||わらいばなし||むすんだ
・・
葉子 は けさ の 発作 の 反動 の ように 、 田川 夫人 の 事 が あって から ただ 何となく 心 が 浮き浮きして しようがなかった 。
ようこ||||ほっさ||はんどう|||たがわ|ふじん||こと|||||なんとなく|こころ||うきうきして|
||||attack||||||||||||||||fluttering|
もし そこ に 客 が い なかったら 、 葉子 は 子供 の ように 単純な 愛嬌 者 に なって 、 倉地 に 渋い 顔 ばかり は さ せて おか なかったろう 。
|||きゃく||||ようこ||こども|||たんじゅんな|あいきょう|もの|||くらち||しぶい|かお||||||
「 どうして 世の中 に は どこ に でも 他人 の 邪魔に 来ました と いわんばかり に こう たくさん 人 が いる んだろう 」 と 思ったり した 。
|よのなか||||||たにん||じゃまに|き ました||||||じん|||||おもったり|
I wondered, "Why are there so many people everywhere in the world who say they've come to get in the way of others?"
それ すら が 葉子 に は 笑い の 種 と なった 。
|||ようこ|||わらい||しゅ||
自分 たち の 向こう 座 に しかつめらしい 顔 を して 老年 の 夫婦 者 が すわって いる の を 、 葉子 は しばらく まじまじ と 見 やって いた が 、 その 人 たち の しかつめらしい の が 無性に グロテスクな 不思議な もの に 見え 出して 、 とうとう 我慢 が しき れ ず に 、 ハンケチ を 口 に あてて き ゅっき ゅっと ふき出して しまった 。
じぶん|||むこう|ざ|||かお|||ろうねん||ふうふ|もの||||||ようこ|||||み|||||じん||||||ぶしょうに|ぐろてすくな|ふしぎな|||みえ|だして||がまん||||||||くち||||ゅっ き|ゅっ と|ふきだして|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||grotesque|||||||||||||||||||suddenly|suddenly|spurted out|
For a while, Yoko stared intently at the grim-faced elderly couple sitting across from them, but the grim expression on their faces was utterly grotesque and mysterious. Unable to hold back, I put a handkerchief to my mouth and spit it out.