第 六 章 それぞれ の 星 (5)
「 どれほど 犠牲 が 多く と も 、 たとえ 全 市民 が 死に いたって も 、 なす べき こと が あります 」 「 そ 、 それ は 政治 の 論理 で は ない 」
思わず 声 を 高めた レベロ を さりげなく 無視 して 、 ウィンザー 夫人 は 列席 者 に むかい 、 よく とおる 声 で 意見 を 述べ はじめた 。
「 わたし たち に は 崇高な 義務 が あります 。 銀河 帝国 を 打倒 し 、 その 圧政 と 脅威 から 全 人類 を 救う 義務 が 。 安っぽい ヒューマニズム に 陶酔 して 、 その 大義 を 忘れ はてる の が 、 はたして 大道 を 歩む 態度 と 言える でしょう か 」
彼女 は 四〇 代 前半 の 、 優雅で 知的な 美し さ を もつ 魅力 的な 女性 で 、 その 声 に は 音楽 的な ひびき が あった 。 それだけに 、 レベロ が 感じた 危険 は いちだん と 大きかった 。 彼女 こそ 、 安っぽい ヒロイズム に 足首 を つかまれて いる ので は ない か 。
レベロ が ふたたび 反論 しよう と した とき 、 それ まで 沈黙 して いた 議長 サンフォード が はじめて 発言 した 。
「 ええ と 、 ここ に 資料 が ある 。 みんな 端末 機 の 画面 を 見て くれ ん か 」
全員 が いささか 驚いて 、 とかく 影 の 薄い と 言わ れる 議長 に 視線 を 集中 さ せ 、 ついで 言わ れた とおり 端末 機 に 目 を やった 。
「 こいつ は わが 評議 会 にたいする 一般 市民 の 支持 率 だ 。 けっして よく は ない な 」
三一・九 パーセント と いう 数値 は 、 列席 者 の 予想 と 大きく ちがって は い なかった 。 ウィンザー 夫人 の 前任 者 が 、 不名誉な 贈収賄 事件 で 失脚 して から 何 日 も たって は い なかった し 、 レベロ や ホワン の 指摘 どおり 、 社会 経済 上 の 停滞 は はなはだしい もの が あった 。
「 いっぽう 、 こちら が 不 支持 率 だ 」
五六・二 パーセント と いう 数値 に 、 吐息 が 洩 れた 。 予想外の こと で は ない が 、 やはり 落胆 せ ず に は い られ ない 。
議長 は 一同 の 反応 を 見 ながら つづけた 。
「 このまま で は 来年 早々 の 選挙 に 勝つ こと は お ぼつ かん 。 和平 派 と 最強 硬派 に 挟 撃 されて 、 過半数 を 割る こと は 目 に 見え とる 。 ところが だ ……」
議長 は 声 を 低めた 。 意識 して か 否 か は 判断 し がたい ところ だった が 、 聞く 者 の 注意 を ひときわ ひく 効果 は 大きかった 。
「 コンピューター に 計測 さ せた ところ 、 ここ 一〇〇 日 以内 に 帝国 にたいして 画期的な 軍事 上 の 勝利 を おさめれば 、 支持 率 は 最低で も 一五 パーセント 上昇 する こと が 、 ほぼ 碓実 な のだ 」 かるい ざわめき が 生じた 。
「 軍部 から の 提案 を 投票 に かけましょう 」 ウィンザー 夫人 が 言う と 、 数 秒 の 間 を おいて 数 人 から 賛同 の 声 が あがった 。 全員 が 、 権力 の 維持 と 選挙 の 敗北 に よる 下野 と を 秤 に かける 、 その あいだ だけ 沈黙 が あった のだった 。
「 待って くれ 」
レベロ は 、 座席 から なかば たちあがった 。 太陽 灯 の 下 に いる に も かかわら ず 、 その 頰 は 老人 じみ て 色あせて いた 。
「 吾々 に は そんな 権利 は ない 。 政権 の 維持 を 目的 と して 無益な 出兵 を おこなう など 、 そんな 権利 を 吾々 は あたえ られて は いない ……」 声 が 震え 、 うわずった 。
「 まあ 、 きれいごと を おっしゃる こと 」
ウィンザー 夫人 の 冷笑 は 華やかに すら ひびいた 。 レベロ は 言葉 を 失い 、 為政者 自身 の 手 で 民主 政治 の 精神 が 汚さ れよう と する 情景 を 呆然と 見まもった 。
その レベロ の 苦悩 に みちた 姿 を 、 離れた 席 から ホワン が 見て いる 。
「 頼む から 短気 を おこし なさ んな よ 」
彼 は つぶやき 、 投票 用 の ボタン に 丸っこ い 指 を 伸ばした 。 賛成 六 、 反対 三 、 棄権 二 。 有効 投票 数 の 三 分 の 二 以上 が 賛成 票 に よって しめ られ 、 ここ に 帝国 領 内 へ の 侵攻 が 決定 さ れた 。
だが 票決 の 結果 が 評議 員 たち を 驚愕 さ せた 。 出兵 が 決定 さ れた こと が で は なく 、 三 票 の 反対 票 の うち 一 票 が 、 国防 委員 長 トリューニヒト に よって 投ぜ られた から である 。
ほか の 二 票 は 財政 委員 長 レベロ と 人 的 資源 委員 長 ホワン で 、 これ は 予想 されて いた こと だった 。 しかし 、 トリューニヒト は 自他とも に 認める 強硬 主戦 派 で は なかった か 。
「 私 は 愛国 者 だ 。 だが これ は つねに 主戦 論 に たつ こと を 意味 する もの で は ない 。 私 が この 出兵 に 反対であった こと を 銘記 して おいて いただこう 」
疑問 の 声 にたいする 、 それ が 彼 の 返答 だった 。 おなじ 日 、 統合 作戦 本部 は 、 ヤン ・ ウェンリー 少将 の 提出 した 退職 願い を 正式に 却下 し 、 逆に 彼 にたいして 中将 の 辞令 を 発した 。 Ⅷ 「 辞めたい と いう の か ね ? 」 ヤン が 辞表 を 提出 した とき の シトレ 元帥 の 反応 は 、 それほど 創造 的な もの で は なかった 。 しかし 、 片手 で 辞表 を うけとり ながら 片手 で 退職 金 と 年金 の カード を 手わたして くれる 曲芸 を 期待 して いた わけで も なかった ので 、 ヤン は なるべく 愛想 よく うなずいて みせた 。
「 しかし きみ は まだ 三〇 歳 だろう 」
「 二九 歳 です 」
二〇 と いう 数字 を 、 ヤン は 強調 した 。
「 とにかく 医学 上 の 平均 寿命 の 三 分 の 一 も きて ない わけだ 。 人生 を おりる の に は 早 すぎる と 思わ ない か ね 」
「 本 部長 閣下 、 それ は ちがいます 」 若い 提督 は 異議 を となえた 。 人生 を おりる ので は なく 、 人生 の 本道 に 回帰 する のだ 。 いま まで が 不本意な 迂回 を 余儀なく されて いた のである 。 彼 は もともと 歴史 の 創造 者 である より は 観察 者 であり たかった のだ から 。
シトレ 元帥 は 両手 の 指 を くみ 、 その 上 に 頑丈 そうな あご を のせた 。
「 わが 軍 が 必要 と して いる の は きみ の 歴史 研究 家 と して の 学識 で は なく 、 用 兵 家 と して の 器量 と 才 幹 な のだ 。 それ も ひとかたならぬ 、 だ 」
すでに 一 度 、 あなた の おだて に は のって やった で は ない か ―― ヤン は 心 の なか で 反論 した 。 軍 と の 貸借 関係 は 、 どう みて も 彼 の 貸出 超過 と なって いる はずであり 、
「 イゼルローン を 陥落 した 一事 だけ でも 、 おつり が くる はずだ 」
と ヤン は 思う のだ 。 しかし シトレ 本 部長 の 攻撃 は 単調で は なかった 。
「 第 一三 艦隊 を どう する ? 」 さりげない が 効果 的な 言葉 に 、 ヤン は かるく 口 を 開けて しまった 。 「 創設 さ れた ばかりの 、 きみの 艦隊 だ 。 きみ が 辞めたら 、 彼ら は どう なる ? 」 「 それ は ……」 それ を 忘れて いた の は 、 うかつ と しか 言い よう が なかった 。 作戦 の 失敗 を 、 彼 は 認め ざる を え なかった 。 いったん 絡みついた しがらみ は 、 容易に 解ける もの で は ない 。
けっきょく 、 辞表 を おいて ヤン は 本 部長 の 前 から 退出 した が 、 それ が 受理 さ れ ない こと は 明白だった 。 彼 は 憮然と して 、 重力 エレベーター で 階下 に 降りた 。
待合室 の ソファー で 、 行き交う 制服 姿 の 人々 を 所在な げ に 見 やって いた ユリアン ・ ミンツ が 、 ヤン の 姿 を 遠く に 認めて 、 勢い よく 起立 した 。 学校 の 帰途 、 本部 に 寄る よう 、 ヤン が 言って おいた のだ 。 たまに は 外 で 食事 を する の も いい じゃ ない か 、 話して おきたい こと も ある し ―― ヤン は それ だけ しか 言わ なかった 。 驚かせて やる つもりだった 。 じつは な 、 軍 を 辞めた よ 、 これ から 気楽に 年金 生活 さ 。
予定 は 確定 なら ず 、 甘い 夢 は 現実 の にがい 息 の ひと 吹き で 消えて しまった 。 さて 、 なんと 言おう か ―― 無意識に 歩み を ゆるめ ながら ヤン が 思案 して いる と 、 横合 から 声 が かけ られた 。
ワルター ・ フォン ・ シェーンコップ 大佐 が 、 敬礼 して いる 。 彼 は 今回 の 功績 で 准将 に 昇進 する こと が 決定 して いた 。
「 これ は 、 閣下 、 もし かして 辞表 を 提出 に みえた のです か 」
「 そう な んだ 。 しかし 、 却下 さ れる の は 確実だろう ね 」
「 でしょう な …… 軍部 が 閣下 を 手放す はず が ありません よ 」 旧 帝国 人 の 大佐 は 愉快 そうに ヤン を 見つめた 。
「 まじめな 話 、 私 は 提督 の ような 人 に は 軍 に 残って い ただ きたい です な 。 あなた は 状況 判断 が 的確だ し 、 運 も いい 。 あなた の 下 に いれば 武 勲 が たた ない まで も 、 生き残れる 可能 性 が 高 そうだ 」
シェーンコップ は 本人 を 前 に して 平然と 上官 の 品定め を やってのけた 。
「 私 は 自分 の 人生 の 終幕 を 老衰 死 と いう こと に 決めて いる のです 。 一五〇 年 ほど 生きて 、 よ ぼ よ ぼ に なり 、 孫 や 曾孫 ども が 、 やっか いばら い できる と 嬉し泣き する の を 聴き ながら 、 くたばる つもりでして …… 壮烈な 戦死 など 趣味 では ありませんで ね 。 ぜひ 私 を それ まで 生きのび させて ください 」
言う だけ 言う と 、 大佐 は ふたたび 敬礼 した 。 毒気 を ぬか れた 態 で 答礼 する ヤン に 笑顔 を むける 。
「 時間 を とら せて 相 すみません 。 そら 、 坊や が お 待ちかね です よ 」
キャゼルヌ に しろ シェーンコップ に しろ 、 すくなからず 皮肉 の 棘 を 所有 する 人物 な のだ が 、 彼ら を 単純に 好意 的に さ せて しまう なに か が 、 ユリアン 少年 に は ある の かも しれ なかった 。
自分 と 肩 を ならべて 歩く ユリアン を ときおり 見 やり ながら 、 ヤン は 内心 、 多少 の 困惑 を おぼえ ないで も ない 。 奇妙な もの だ 。 まだ 結婚 して も いない のに 父親 めいた 感情 を あじわう と いう の は ……。 『 三 月 兎 亭 』 は 店名 から 想像 さ れる より は ずっと おちついた 雰囲気 の 料理 店 で 、 調度 は すべて 旧 様式 に 統一 さ れ 、 手編み の クロス が かかった テーブル に は キャンドル まで おいて ある の が 、 ヤン に は 嬉しい 。 しかし 予約 の 労 を ―― 労 と 言える ほど の もの で は ない 、 一 通話 の TV 電話 で すむ こと だ ―― おこたった むくい で 、 その 夜 は 小 き な 幸運の 妖精 と 親しく は なれ なかった 。
「 申しわけ ございませ ん 、 満席 でして 」
威厳 と 体格 と 美 髥 に 恵まれた 老 ウェイター が おもおもしく 告げた 。 チップ ほし さ の 噓 で ない こと は 、 広く も ない 店 内 を 一望 すれば すぐに 諒 解 できる 。 薄暗い 照明 の 下 で 、 すべて の テーブル の キャンドル が 火影 を リズミカル に ゆらめか せて いた 。 客 の いない テーブル で は キャンドル は ともさ れ ない のだ 。
「 しかたない な 、 よそ を あたる か ……」
ヤン が 頭 を かいた とき 、 壁 ぎ わ の テーブル から 優美な ほど 洗練 さ れた 動作 で たちあがった 人物 が いる 。 女性 だった 。 真珠 色 の ドレス が キャンドル の 火影 に 映えて 夢 幻 的な 効果 を 視覚 に 訴えて きた 。
「 提督 ……」
声 を かけ られて 、 ヤン は 、 思わず その 場 に 立ちすくんだ 。 彼 の 副 官 、 フレデリカ ・ グリーンヒル 中尉 は かるい 微笑 で 応えた 。
「 わたし でも 私服 は もって おります わ …… 父 が 、 よろしければ こちら の テーブル へ 、 と 申して おります 」 いつの間にか 、 彼女 の 後ろ に 父親 が 立って いた 。
「 や あ 、 ヤン 中将 」
統合 作戦 本部 次長 ドワイト ・ グリーンヒル 大将 は 気さくな 口調 で そう 呼びかけて きた 。 内心 、 上官 と 同席 する など 煙たい が 、 こう なる と 申しこみ を うけ ない わけに は いか ない 。
「 少将 です 、 閣下 」
敬礼 し ながら 、 ヤン は 訂正 した が 、 相手 は 意 に 介さ なかった 。
「 遅く と も 来週 に は きみ は 中将 だ 。 新しい 呼称 に いま から 慣れて おいて も いい ので は ない か な 」
「 すごい な 、 お 話って その こと だった んです か 」 ユリアン が 目 を 輝か せた 。
「 それ くらい なら ぼく も 予想 して ました けど 、 でも 、 やっぱり すてきです ね 」
「 は 、 は 、 は ……」
複雑 きわまる 心情 を 、 単純な 笑い声 で まぎらわ せる と 、 ヤン は 気 を とり なおして 自分 の 被 保護 者 を グリーンヒル 父 娘 に 紹介 した 。
「 なるほど 、 きみ が 優等 生 の ユリアン か …… フライング ・ ボール の ジュニア 級 で 年間 得点 王 の 金 メダル を 獲得 した そうだ ね 。 文武 両道 で けっこうだ 」
フライング ・ ボール と は 、 重力 を 〇・一五 G に 制御 した ドーム の 内部 で おこなわ れる 球技 である 。