16. 忘れ難き こと ども - 松井 須磨子
忘れ難き こと ども - 松井 須磨子
先生 の こと を 思 ひます と 、 唯 私 は 悲しく なります 。 先生 は 、 随分 苦労 を なさ いました 。 ほ つと 呼吸 を つく 間 も ない 位 に 、 殆んど 苦労 の し 通し でした 。 それ を 残ら ず 傍 に ゐて 見 知 つて ゐる だけ に 、 皆 私 に は 忘れられ ない こと ばかり です 。 ・・
先生 は 、 ずつ と 以前 から 、 私 達 一座 を 率 ゐて 西洋 へ 行 つて 見たい と 云 ふ お 考 へ を 持つ て ゐら つ しや いました 。 はな は 、 大 連 から 露 西 亜 へ 、 露 西 亜 から 亜米利加 の 方 へ 行 つて 見たい と 云 つて ゐら つ しや いました 。 ところで 、 今年 は 其 の 大 連 から 浦 潮 の 方 まで 行 つて 見ました から 、 今度 は の つけ に 亜米利加 へ 行 つて 、 ずつ と 向 う を 巡 廻して 見たい と 云 つて ゐら つ しや いました 。 そして 、 一 と 廻り 興行 を したら 、 あと に 私 達二 人 だけ 残 つて 、 私 に は向う の 俳優 学校 へ 入 つて 、 二三 年 勉強 したら 好 いだ ら う と 云 つて ゐら つ しや いました が 、 それ も 悲しい 、 思 ひ 出 に な つて しま ひました 。 此の 頃 先生 は 、 西洋 へ 持つ てい ら つ し やる 脚本 を 拵 へる 為 に 、 種々 材料 を 集めて ゐら つ しや いました が 、 それ も 皆 悲しい 遺品 に な つて しま ひました 。 ・・
先生 の お 亡くなり に な つたの は 、 五 日 の 午前 二 時 近く だ つた と 云 ひます が 、 私 は 、 そんな こと は ちつ と も 知ら ず に 、 其 の 時分 は 明治 座 で 一心に 舞台 稽古 を して ゐた のです 。 今 其 の 事 を 考 へます と 、 何とも 云 ひや う の ない 、 情けない 悲しい 思 ひ が いたします 。 ・・
私 は 家 を 出た の は 、 四 日 の 正午 頃 でした 。 其 の 時分 は 、 先生 は 特別に 苦しい 様子 も ありません でした 。 ですから 私 は 、 無論 それ が 最後に ならう など と 云 ふ こと は 更に 思 ひ 掛けません でした 。 先生 は 其 の 時 、「 し つかり 稽古 を して きて くれ 」 と 云 ふ 意味 の こと を お つ しや つて 、 私 を 励まして くださいました が 、 それ が 生涯 忘れられ ない 最後に な つて しま ひました 。 ・・
明治 座 の 舞台 稽古 は 、 衣裳 や 鬘 の 都合 で 、 甚 く 遅く な つ た のです 。 私 は 其 の 間 、 早く 稽古 を 済 して 、 帰りたい と 思 つて ゐま した 。 それ で 漸 く 稽古 が 済んだ の は 、 もう 五 日 の 午前 二 時 頃 でした 。 私 は 稽古 を 終 へて 、 衣裳 や 鬘 を 脱いで ゐる と 、 其処 へ 、 先生 が お 悪い から 、 早く 帰 つて ください と 云 つて 知ら して きました から 、 私 は 取る もの も 取りあ へ ず 、 夢中に 楽屋 口 に 待つ て ゐた 俥 に 乗つ かつて 帰 つて きた のです 。 ですが 其 の 時 も 、 先生 が お 亡くなり に な つた と 云 ふ こと は 少しも 知りません でした 。 私 は 、 唯 先生 が 寂しく 私 の 帰り を 待つ て ゐら つ し やる だ ら う と 思 つて 、 帰る 途中 も 気 が 気 で ありません でした 。 唯 私 は 、 其 の 間 も 物悲しく な つて 、 泣いて ばかり ゐま した 。 其 の 中 に 、 俥 が 家 の 門前 へ きて 止りました 。 すると 私 は 、 一 時 に 胸 が 込みあげて きて 、 声 を あげて 泣きました 。 ですが 、 泣いて な ん ぞ 入 つて 行 つて は 、 反 つて 先生 の お 気 を 悪く して は なら ない と 思 ひました から 、 私 は 階段 の ところ で 声 を 呑 み 、 流れる 涙 を 押 拭 つて 、 二 階 へ 上 つて 先生 の やすんで ゐら つ し やる 部屋 へ 行きました が 、 もう 駄目でした 。 其 の 時 の 気持 と 云 つた ら ありません でした 。 丁度 後方 から 、 いきなり 首 でも 締められた や うに 、 一 時 に 呼吸 が 止 つて しま ひました 。 本当に 其 の 時 の 悲し さ と 云 つた ら ありません でした 。 さ う して 、 私 が 帰 つた 時 は 、 先生 は もう 氷 の や うに 、 冷たく な つて しまつ て ゐら つ しや いました 。 私 は 其 の 時 、 何 うに かして よみ が へら ない もの か と 思 ひました 。 だつ て 私 は 、 何 う して も 、 先生 が お 亡くなり なす つたの だ と は 思 はれません でした 。 考 へる と 、 本当に 悲しい 涙 の 種 ばかり です 。 ・・
(「 演芸 画報 」 大正 七・一二 )