18. 若葉 の 雨 - 薄田 淳 介
若葉 の 雨 - 薄田 淳 介
野 も 、 山 も 、 青葉 若葉 と なりました 。 この頃 は ―― とりわけて 今年 は よく 雨 が 降る や う です 。 雨 とい つて も この 頃 の は 、 草木 の 新芽 を 濡らす 春 さき の 雨 や 、 もつ と 遅れて 来る 梅雨 季 の 雨 に 比べて 、 また 変 つた 味 ひ が あります 。 春 さき の 雨 は つめたい 。 また 梅雨 季 の 雨 は 憂鬱に すぎます が 、 その 間 に はさま れた 晩春 の 雨 は 、 明る さ と 、 快活 さ と 、 また 暖か さ と に 充 ち 溢れて 、 銀 の や う に かがやいて ゐま す 。 春 さき の 雨 は 無言 の まま 濡れ かかります が 、 この 頃 の 雨 は ひそひそ と 声 を 立てて 降 つて 来ます 。 その 声 は 空 の 霊 と 草木 の 精 と の ささやき で 、 肌 ざ はり の 柔 か さ 、 溜息 の かぐ は し さ も 思 ひやられる や う な 、 静かな 親 み を もつ て ゐま す 。 時々 風 が 横 さま に 吹きつける と 、 草木 の 葉 と いふ 葉 は 、 雨 の し づく が 首筋 を 伝 つて 腋 の 下 や 、 乳 の あたり に 滑り込んだ や うに 、 冷た さ と くすぐ つた さ と で 、 たまらな さ さ うに 身 を 揺 ぶつ て 笑 ひく づれ て ゐる らしく 見える の も 、 この 頃 の 雨 で ない と 味 は れ ない 快活 さ です 。 ・・
この 快活 さ と 明る さ と に そそのかされて 、 ひき蛙 は の つ そり と 草 葉 の かげ から 這 ひ 出して 来ます 。 どうかした 拍子 に 雨だれ が 顔 の 上 に 落ち かかる と 、 ひき蛙 は ちや うど 酔 ひど れ が 口 の 端 の 酒 の 泡 を 気 に する や うに 、 不器用な 手つき で そつ と 鼻 さき を 撫で ま は して ゐま す 。 そして 時々 立ち と まつ て 、 昔馴染 の 俳人 一 茶 が 、 旅 姿 の まま で ぐし よ 濡れ に な つて ゐは し ない か と 気づか ふや うに 、 きよ ろ きよ ろ と あたり を 見ま は して ゐま す 。 ひき蛙 よ 。 お前 が 尋ねて ゐる らしい 一 茶 は 、 いい 俳人 だ つた が 、 彼 の 魂 は 長年 の 悲 みと 苦み と の ため に ね ぢけ て ゐる 。 明るい この頃 の 雨 と 一 し よに 濡れる に は 、 ふさ は しから ぬ 友達 の 一 人 です 。 お前 に は もつ と いい 友達 が そこ に 出て 来ました 。 ・・
それ は 蟹 です 。 蟹 は 土 まみれ の 甲羅 の まま で 、 庭石 の かげ から 横柄な 身ぶり で 這 ひ 出して 来ました 。 鋼鉄 製 の 蒸気 機関 の 模型 か 何 か の や う な 厳 畳 づくり で 、 ぶつぶつ 泡 を 吹いて ゐる ところ は 、 どう 見て も ドイツ 人 の 考案 した らしい 生物 で 、 甲羅 の どこ か に 『 クルツプ 会社 製造 』 と でも 極 印 が 打つ て あり さ うな 気 が します 。 私 の 家 は 海 近い 砂地 に 建つ て ゐる せ ゐか 、 蟹 が 沢山 ゐて 、 梅雨 季 に なる と 、 壁 を 伝 ひ 、 柱 に す が つて 畳 の 上 に まで 這 ひあが つて 来る こと が よく あります 。 蟹 よ 。 お前 と ひき蛙 と は 、 それぞれ 異 つた 生活 を して は ゐる が 、 どちら も 自 尊 家 で 、 自 尊 家 に つきもの の 孤独 性 を もつ て ゐる ところ は よく 似て ゐる や う です 。 むかし 厭 世 哲学 者 の シヨペンハウエル は 、 イタリイ の 都 に 旅 を して 、 ところ の 人 達 ―― わけて 美しい 婦人 達 が 、 自分 に 対して は 一 向 冷淡な の に ひき か へて 、 同じ 時 同じ 都 に 来て ゐた 厭 世 詩人 の バイロン に 対して は 、 まるで 王侯 を もてなす や う な 歓迎 ぶり な の を 見て 、 ひどく 機嫌 を 損じて 、 そこそこ に 旅 を ひきあげた とい ひます が 、 蟹 と ひき蛙 と は どちら も 曲者 揃 ひで 、 不 器量 な こと に かけて も いい 取り合せ です から 、 お 互 に 機嫌 を 悪く し あ は ないで すむ こと です 。 ・・
木 の 上 で は また 、 雨蛙 と 蝸牛 と が 雨 を 楽 んで ゐま す 。 雨蛙 は 聞えた 独唱 家 です が 、 蝸牛 は また 風 が はり な 沈黙 家 です 。 一 人 は 葉 から 葉 へ と 飛び 移ります が 、 一 人 は 枝 から 枝 へ と 滑り 往 きます 。 雨蛙 は 芸人 の や うに 着のみ着のまま で どこ へ でも 出かけます が 、 蝸牛 は 霊場 めぐり の 巡礼 の や うに 、 自分 の 荷物 は 一切合財 ひつ くるめ て 、 背 に しよ つて 出かけます 。 二 人 は たまに 広い 、 青々 した 芭蕉 の 葉 の 上 で 出逢 ふ こと が あります が 、 互 に 目礼 の まま 言葉 一 つ 交 さ ないで さ つ さ と 往 き 過ぎて しま ひます 。 彼等 は どちら も 腹 一 杯 雨 を 楽 み 、 雨 を 味 ひ 、 また 雨 に 戯れる に 余念 が ない のです 。 ぐ づぐ づ して ゐる と 、 雨 が いつ 霽 れ 上る かも わから ない の を 知 つて ゐます から 。 ・・
夜 が ふけて 、 湯 槽 に のんびり と 体 を のばし ながら 、 しとしと と 降り続く 雨 の 音 を 聞く 気持 は 私 の 好きな もの の 一 つ です が 、 それ に は この頃 の 雨 が もつ と も ふさ は しい と 思 ひます