9.2 或る 女
ある|おんな
9.2 Eine Frau
9.2 A Woman
9.2 Una mujer
9.2 Bir kadın
葉子 は 階子 の 上がり 口 まで 行って 二 人 に 傘 を かざして やって 、 一 段 一 段 遠ざかって 行く 二 人 の 姿 を 見送った 。
ようこ||はしご||あがり|くち||おこなって|ふた|じん||かさ||||ひと|だん|ひと|だん|とおざかって|いく|ふた|じん||すがた||みおくった
||stairway|||||||||||held up|||||||||||||saw off
東京 で 別れ を 告げた 愛子 や 貞 世 の 姿 が 、 雨 に ぬれた 傘 の へん を 幻影 と なって 見えたり 隠れたり した ように 思った 。
とうきょう||わかれ||つげた|あいこ||さだ|よ||すがた||あめ|||かさ||||げんえい|||みえたり|かくれたり|||おもった
||||||||||||||||||||||seemed to appear|hidden or not|||
葉子 は 不思議な 心 の 執着 から 定子 に は とうとう 会わ ないで しまった 。
ようこ||ふしぎな|こころ||しゅうちゃく||さだこ||||あわ||
|||||||||||meet||
愛子 と 貞 世 と は ぜひ 見送り が したい と いう の を 、 葉子 は しかりつける ように いって とめて しまった 。
あいこ||さだ|よ||||みおくり||し たい|||||ようこ||||||
||||||||||||||||scolded|||stopped|
葉子 が 人力車 で 家 を 出よう と する と 、 なんの 気 なし に 愛子 が 前髪 から 抜いて 鬢 を か こう と した 櫛 が 、 もろくも ぽき り と 折れた 。
ようこ||じんりきしゃ||いえ||でよう|||||き|||あいこ||まえがみ||ぬいて|びん||||||くし||||||おれた
||||||||||||||||bangs||pulled out|||||||comb||fragilely|snapped|||broke
それ を 見る と 愛子 は 堪え 堪えて いた 涙 の 堰 を 切って 声 を 立てて 泣き出した 。
||みる||あいこ||こらえ|こらえて||なみだ||せき||きって|こえ||たてて|なきだした
||||||endure|endured|||possessive particle|dam||||||started to cry
貞 世 は 初め から 腹 でも 立てた ように 、 燃える ような 目 から とめど なく 涙 を 流して 、 じっと 葉子 を 見つめて ばかり いた 。
さだ|よ||はじめ||はら||たてた||もえる||め||||なみだ||ながして||ようこ||みつめて||
そんな 痛々しい 様子 が その 時 まざまざ と 葉子 の 目の前 に ちらついた のだ 。
|いたいたしい|ようす|||じ|||ようこ||めのまえ|||
||||||||||||flickered|
一 人 ぽっち で 遠い 旅 に 鹿島 立って 行く 自分 と いう もの が あじ き なく も 思いやら れた 。
ひと|じん|ぽっ ち||とおい|たび||かじま|たって|いく|じぶん|||||||||おもいやら|
||all alone|||||Kashima||||||||sorrow||||worried about|
そんな 心持ち に なる と 忙しい 間 に も 葉子 は ふと 田川 の ほう を 振り向いて 見た 。
|こころもち||||いそがしい|あいだ|||ようこ|||たがわ||||ふりむいて|みた
中学校 の 制服 を 着た 二 人 の 少年 と 、 髪 を お下げ に して 、 帯 を お はさみ にしめた 少女 と が 、 田川 と 夫人 と の 間 に からまって ちょうど 告別 を して いる ところ だった 。
ちゅうがっこう||せいふく||きた|ふた|じん||しょうねん||かみ||おさげ|||おび|||||しょうじょ|||たがわ||ふじん|||あいだ||||こくべつ|||||
||||||||||||braided||||||at the waist|fastened|||||||||||entangled|||||||
付き添い の 守り の 女 が 少女 を 抱き上げて 、 田川 夫人 の 口 び る を その 額 に 受け さ して いた 。
つきそい||まもり||おんな||しょうじょ||だきあげて|たがわ|ふじん||くち|||||がく||うけ|||
escort||||||||picked up||||||||||||||
葉子 は そんな 場面 を 見せつけられる と 、 他人事 ながら 自分 が 皮肉で むちうた れる ように 思った 。
ようこ|||ばめん||みせつけ られる||ひとごと||じぶん||ひにくで||||おもった
|||||forced to see||third party||||with irony||||
竜 を も 化して 牝豚 に する の は 母 と なる 事 だ 。
りゅう|||かして|めすぶた|||||はは|||こと|
dragon||||sow|||||||||
To turn a dragon into a sow is to become a mother.
今 の 今 まで 焼く ように 定子 の 事 を 思って いた 葉子 は 、 田川 夫人 に 対して すっかり 反対の 事 を 考えた 。
いま||いま||やく||さだこ||こと||おもって||ようこ||たがわ|ふじん||たいして||はんたいの|こと||かんがえた
|||||||||||||||||||opposite|||
葉子 は その いまいましい 光景 から 目 を 移して 舷梯 の ほう を 見た 。
ようこ||||こうけい||め||うつして|げんてい||||みた
しかし そこ に は もう 乳母 の 姿 も 古藤 の 影 も なかった 。
|||||うば||すがた||ことう||かげ||
・・
たちまち 船首 の ほう から けたたましい 銅 鑼 の 音 が 響き 始めた 。
|せんしゅ|||||どう|どら||おと||ひびき|はじめた
|bow|||||bell|bronze gong|||||
船 の 上下 は 最後 の どよめき に 揺らぐ ように 見えた 。
せん||じょうげ||さいご||||ゆらぐ||みえた
||up and down||||||swaying||
長い 綱 を 引きずって 行く 水夫 が 帽子 の 落ち そうに なる の を 右 の 手 で ささえ ながら 、 あたり の 空気 に 激しい 動揺 を 起こす ほど の 勢い で 急いで 葉子 の かたわら を 通りぬけた 。
ながい|つな||ひきずって|いく|すいふ||ぼうし||おち|そう に||||みぎ||て||さ さえ||||くうき||はげしい|どうよう||おこす|||いきおい||いそいで|ようこ||||とおりぬけた
|rope||dragging|||||||||||||||supported|||||||||to cause||||||||||
見送り 人 は 一斉に 帽子 を 脱いで 舷梯 の ほう に 集まって 行った 。
みおくり|じん||いっせいに|ぼうし||ぬいで|げんてい||||あつまって|おこなった
その 際 に なって 五十川 女史 は はたと 葉子 の 事 を 思い出した らしく 、 田川 夫人 に 何 か いって おいて 葉子 の いる 所 に やって 来た 。
|さい|||いそがわ|じょし|||ようこ||こと||おもいだした||たがわ|ふじん||なん||||ようこ|||しょ|||きた
|||||||suddenly||||||||||||||||||||
・・
「 いよいよ お 別れ に なった が 、 いつぞや お 話し した 田川 の 奥さん に お ひきあわせ しよう から ちょっと 」・・
||わかれ||||||はなし||たがわ||おくさん||||||
||||||sometime|||||||||introduction|||
葉子 は 五十川 女史 の 親切 ぶり の 犠牲 に なる の を 承知 し つつ 、 一種 の 好奇心 に ひか されて 、 その あと に ついて行こう と した 。
ようこ||いそがわ|じょし||しんせつ|||ぎせい|||||しょうち|||いっしゅ||こうきしん|||さ れて||||ついていこう||
|||||||||||||||||||||||||follow along||
葉子 に 初めて 物 を いう 田川 の 態度 も 見て やり たかった 。
ようこ||はじめて|ぶつ|||たがわ||たいど||みて||
その 時 、・・
|じ
「 葉子 さん 」・・
ようこ|
と 突然 いって 、 葉子 の 肩 に 手 を かけた もの が あった 。
|とつぜん||ようこ||かた||て|||||
振り返る と ビール の 酔い の に おい が むせかえる ように 葉子 の 鼻 を 打って 、 目 の 心 まで 紅 く なった 知ら ない 若者 の 顔 が 、 近々 と 鼻先 に あらわれて いた 。
ふりかえる||びーる||よい|||||||ようこ||はな||うって|め||こころ||くれない|||しら||わかもの||かお||ちかぢか||はなさき|||
to look back|||||||||choke with||||||||||||||||unknown young person||||soon||nose tip||appeared|
はっと 身 を 引く 暇 も なく 、 葉子 の 肩 は び しょ ぬれ に なった 酔い どれ の 腕 で がっしり と 巻かれて いた 。
|み||ひく|いとま|||ようこ||かた|||||||よい|||うで||||まか れて|
||||||||||||suddenly|soaked||||||||||wrapped tightly|
・・
「 葉子 さん 、 覚えて います か わたし を …… あなた は わたし の 命 な んだ 。
ようこ||おぼえて|い ます||||||||いのち||
命 な んです 」・・
いのち||
と いう うち に も 、 その 目 から は ほろほろ と 煮える ような 涙 が 流れて 、 まだ うら若い なめらかな 頬 を 伝った 。
||||||め|||||にえる||なみだ||ながれて||うらわかい||ほお||つたった
|||||||||||boiling||||||still young||||trickled down
膝 から 下 が ふらつく の を 葉子 に すがって 危うく ささえ ながら 、・・
ひざ||した|||||ようこ|||あやうく|さ さえ|
||||wobbles||||||||
「 結婚 を なさる んです か …… おめでとう …… おめでとう …… だが あなた が 日本 に い なく なる と 思う と …… いたたまれない ほど 心細い んだ …… わたし は ……」・・
けっこん||||||||||にっぽん||||||おもう||||こころぼそい|||
||||||||||||||||||||lonely|||
もう 声 さえ 続か なかった 。
|こえ||つづか|
|||did not continue|
そして 深々と 息 気 を ひいて しゃくり上げ ながら 、 葉子 の 肩 に 顔 を 伏せて さめざめ と 男泣き に 泣き出した 。
|しんしんと|いき|き|||しゃくりあげ||ようこ||かた||かお||ふせて|||おとこなき||なきだした
|||||drew in|||||||||leaned down|sobbing||sobbing||
・・
この 不意な 出来事 は さすが に 葉子 を 驚か し もし 、 きまり も 悪く さ せた 。
|ふいな|できごと||||ようこ||おどろか|||||わるく||
|sudden||||||||||||||
だれ だ と も 、 いつ どこ であった と も 思い出す 由 が ない 。
|||||||||おもいだす|よし||
|||||||||to remember|||
木部 孤 と 別れて から 、 何という 事 なし に 捨てばち な 心地 に なって 、 だれ かれ の 差別 も なく 近寄って 来る 男 たち に 対して 勝手気まま を 振る舞った その 間 に 、 偶然に 出あって 偶然に 別れた 人 の 中 の 一 人 で も あろう か 。
きべ|こ||わかれて||なんという|こと|||すてばち||ここち||||||さべつ|||ちかよって|くる|おとこ|||たいして|かってきまま||ふるまった||あいだ||ぐうぜんに|であって|ぐうぜんに|わかれた|じん||なか||ひと|じん||||
|||||||||||||||||discrimination|||||||||carefree||||||by chance|met||||||||||||
浅い 心 で もてあそんで 行った 心 の 中 に この 男 の 心 も あった であろう か 。
あさい|こころ|||おこなった|こころ||なか|||おとこ||こころ||||
|||toying with|||||||||||||
とにかく 葉子 に は 少しも 思い当たる 節 が なかった 。
|ようこ|||すこしも|おもいあたる|せつ||
|||||recollection|||
葉子 は その 男 から 離れたい 一心に 、 手 に 持った 手 鞄 と 包み 物 と を 甲板 の 上 に ほうりなげて 、 若者 の 手 を やさしく 振り ほどこう と して 見た が 無益だった 。
ようこ|||おとこ||はなれ たい|いっしんに|て||もった|て|かばん||つつみ|ぶつ|||かんぱん||うえ|||わかもの||て|||ふり||||みた||むえきだった
|||||want to離れたい|with all her might||||||||||||||||||||||untie|||||
親類 や 朋輩 たち の 事 あれ が しな 目 が 等しく 葉子 に 注がれて いる の を 葉子 は 痛い ほど 身 に 感じて いた 。
しんるい||ともやから|||こと||||め||ひとしく|ようこ||そそが れて||||ようこ||いたい||み||かんじて|
||friends||||||death||||||bestowed upon||||||painful|||||
と 同時に 、 男 の 涙 が 薄い 単 衣 の 目 を 透 して 、 葉子 の 膚 に しみこんで 来る の を 感じた 。
|どうじに|おとこ||なみだ||うすい|ひとえ|ころも||め||とおる||ようこ||はだ|||くる|||かんじた
||||||||||||||||||soaked in||||
乱れた つやつや しい 髪 の におい も つい 鼻 の 先 で 葉子 の 心 を 動かそう と した 。
みだれた|||かみ|||||はな||さき||ようこ||こころ||うごかそう||
||||||||||||||||to move||
恥 も 外聞 も 忘れ 果てて 、 大空 の 下 で すすり泣く 男 の 姿 を 見て いる と 、 そこ に は かすかな 誇り の ような 気持ち が わいて 来た 。
はじ||がいぶん||わすれ|はてて|おおぞら||した||すすりなく|おとこ||すがた||みて|||||||ほこり|||きもち|||きた
||public reputation|||completely|big sky||||sobbing|||||||||||||||||welling up|
不思議な 憎しみ と いとし さ が こんがらかって 葉子 の 心 の 中 で 渦巻いた 。
ふしぎな|にくしみ||||||ようこ||こころ||なか||うずまいた
|hatred|||||tangled up|||||||swirled
葉子 は 、・・
ようこ|
「 さ 、 もう 放して ください まし 、 船 が 出ます から 」・・
||はなして|||せん||で ます|
と きびしく いって 置いて 、 かんで 含める ように 、・・
|||おいて||ふくめる|
|||||to include|
「 だれ でも 生きて る 間 は 心細く 暮らす んです の よ 」・・
||いきて||あいだ||こころぼそく|くらす|||
||||||anxiously||||
と その 耳 もと に ささやいて 見た 。
||みみ||||みた
|||||whispered|
若者 は よく わかった と いう ふうに 深々と うなずいた 。
わかもの|||||||しんしんと|
||||||||nodded deeply
しかし 葉子 を 抱く 手 は きびしく 震え こそ すれ 、 ゆるみ そうな 様子 は 少しも 見え なかった 。
|ようこ||いだく|て|||ふるえ||||そう な|ようす||すこしも|みえ|
||||||||||loosening||||||
・・
物々しい 銅 鑼 の 響き は 左舷 から 右舷 に 回って 、 また 船首 の ほう に 聞こえて 行こう と して いた 。
ものものしい|どう|どら||ひびき||さげん||うげん||まわって||せんしゅ||||きこえて|いこう|||
ominous||||||port||right side||||||||||||
船員 も 乗客 も 申し 合わした ように 葉子 の ほう を 見守って いた 。
せんいん||じょうきゃく||もうし|あわした||ようこ||||みまもって|
|||||agreed|||||||
先刻 から 手持ちぶさた そうに ただ 立って 成り行き を 見て いた 五十川 女史 は 思いきって 近寄って 来て 、 若者 を 葉子 から 引き離そう と した が 、 若者 は むずかる 子供 の ように 地 だ んだ を 踏んで ますます 葉子 に 寄り添う ばかりだった 。
せんこく||てもちぶさた|そう に||たって|なりゆき||みて||いそがわ|じょし||おもいきって|ちかよって|きて|わかもの||ようこ||ひきはなそう||||わかもの|||こども|||ち||||ふんで||ようこ||よりそう|
||at a loss||||development||||||||||||||pull away||||||to sulk||||||||||||snuggled up|
船首 の ほう に 群がって 仕事 を し ながら 、 この 様子 を 見守って いた 水夫 たち は 一斉に 高く 笑い声 を 立てた 。
せんしゅ||||むらがって|しごと|||||ようす||みまもって||すいふ|||いっせいに|たかく|わらいごえ||たてた
||||gathering around|||||||||||||||||
そして その 中 の 一 人 は わざと 船 じゅう に 聞こえ 渡る ような くさ め を した 。
||なか||ひと|じん|||せん|||きこえ|わたる|||||
||||||||||||||grass|||
抜 錨 の 時刻 は 一 秒 一 秒 に 逼って いた 。
ぬき|いかり||じこく||ひと|びょう|ひと|びょう||ひつ って|
||||||second||||approaching|
物笑い の 的に なって いる 、 そう 思う と 葉子 の 心 は いとし さ から 激し いい と わし さ に 変わって 行った 。
ものわらい||てきに||||おもう||ようこ||こころ|||||はげし||||||かわって|おこなった
object of laughter|||||||||||||||intensely||||||changed|
・・
「 さ 、 お 放し ください 、 さ 」・・
||はなし||
||please release||
と きわめて 冷酷に いって 、 葉子 は 助け を 求める ように あたり を 見回した 。
||れいこくに||ようこ||たすけ||もとめる||||みまわした
||coldly||||help||||||
・・
田川 博士 の そば に いて 何 か 話 を して いた 一 人 の 大 兵 な 船員 が いた が 、 葉子 の 当惑 しきった 様子 を 見る と 、 いきなり 大股 に 近づいて 来て 、・・
たがわ|はかせ|||||なん||はなし||||ひと|じん||だい|つわもの||せんいん||||ようこ||とうわく||ようす||みる|||おおまた||ちかづいて|きて
|||||||||||||||||||||||||||||||with big steps|||
「 どれ 、 わたし が 下 まで お 連れ しましょう 」・・
|||した|||つれ|し ましょう
||||||will take|
と いう や 否 や 、 葉子 の 返事 も 待た ず に 若者 を 事 も なく 抱きすくめた 。
|||いな||ようこ||へんじ||また|||わかもの||こと|||だきすくめた
若者 は この 乱暴に かっと なって 怒り狂った が 、 その 船員 は 小さな 荷物 でも 扱う ように 、 若者 の 胴 の あたり を 右 わき に かいこんで 、 やすやす と 舷梯 を 降りて 行った 。
わかもの|||らんぼうに|か っと||いかりくるった|||せんいん||ちいさな|にもつ||あつかう||わかもの||どう||||みぎ||||||げんてい||おりて|おこなった
|||roughly|||furiously angry||||||||handle|||||||||||gathered up|easily|||||
五十川 女史 は あたふた と 葉子 に 挨拶 も せ ず に その あと に 続いた 。
いそがわ|じょし||||ようこ||あいさつ||||||||つづいた
|||||||||||||||followed
しばらく する と 若者 は 桟橋 の 群 集 の 間 に 船員 の 手 から おろさ れた 。
|||わかもの||さんばし||ぐん|しゅう||あいだ||せんいん||て|||
・・
けたたましい 汽笛 が 突然 鳴り はためいた 。
|きてき||とつぜん|なり|
|steam whistle||||fluttered
田川 夫妻 の 見送り 人 たち は この 声 で 活 を 入れられた ように なって 、 どよめき 渡り ながら 、 田川 夫妻 の 万 歳 を もう 一 度 繰り返した 。
たがわ|ふさい||みおくり|じん||||こえ||かつ||いれ られた||||わたり||たがわ|ふさい||よろず|さい|||ひと|たび|くりかえした
|couple|||||||||lively||energized|||||||||||||||
若者 を 桟橋 に 連れて 行った 、 か の 巨大な 船員 は 、 大きな 体 躯 を 猿 の ように 軽く もて あつかって 、 音 も 立て ず に 桟橋 から ずし ずし と 離れて 行く 船 の 上 に ただ 一 条 の 綱 を 伝って 上がって 来た 。
わかもの||さんばし||つれて|おこなった|||きょだいな|せんいん||おおきな|からだ|く||さる|||かるく|||おと||たて|||さんばし|||||はなれて|いく|せん||うえ|||ひと|じょう||つな||つたって|あがって|きた
||||||||huge||||body|body||||||handled|handled|||||||||with a thud||||||||||a line||||||
人々 は また その 早業 に 驚いて 目 を 見張った 。
ひとびと||||はやわざ||おどろいて|め||みはった
||||quick action|||||
・・
葉子 の 目 は 怒 気 を 含んで 手 欄 から しばらく の 間 か の 若者 を 見据えて いた 。
ようこ||め||いか|き||ふくんで|て|らん||||あいだ|||わかもの||みすえて|
||||anger||||||||||||||staring at|
若者 は 狂気 の ように 両手 を 広げて 船 に 駆け寄ろう と する の を 、 近所 に 居合わせた 三四 人 の 人 が あわてて 引き留める 、 それ を また すり抜けよう と して 組み 伏せられて しまった 。
わかもの||きょうき|||りょうて||ひろげて|せん||かけよろう|||||きんじょ||いあわせた|さんし|じん||じん|||ひきとめる||||すりぬけよう|||くみ|ふせ られて|
|||||||spread wide|||run over|||||||happened to be there|||||||pull back||||try to slip by||||pinned down|
若者 は 組み 伏せられた まま 左 の 腕 を 口 に あてがって 思いきり かみ しばり ながら 泣き 沈んだ 。
わかもの||くみ|ふせ られた||ひだり||うで||くち|||おもいきり||||なき|しずんだ
|||pinned down|||||||||||biting|||
その 牛 の うめき声 の ような 泣き声 が 気 疎く 船 の 上 まで 聞こえて 来た 。
|うし||うめきごえ|||なきごえ||き|うとく|せん||うえ||きこえて|きた
|||groaning||||||distant||||||
見送り 人 は 思わず 鳴り を 静めて この 狂暴な 若者 に 目 を 注いだ 。
みおくり|じん||おもわず|なり||しずめて||きょうぼうな|わかもの||め||そそいだ
||||||quieted||violent|||||
葉子 も 葉子 で 、 姿 も 隠さ ず 手 欄 に 片手 を かけた まま 突っ立って 、 同じく この 若者 を 見据えて いた 。
ようこ||ようこ||すがた||かくさ||て|らん||かたて||||つったって|おなじく||わかもの||みすえて|
||||||not hiding|||||one hand|||||likewise|||||
と いって 葉子 は その 若者 の 上 ばかり を 思って いる ので は なかった 。
||ようこ|||わかもの||うえ|||おもって||||
自分 でも 不思議だ と 思う ような 、 うつろな 余裕 が そこ に は あった 。
じぶん||ふしぎだ||おもう|||よゆう|||||
||strange||||vacant||||||
古藤 が 若者 の ほう に は 目 も くれ ず に じっと 足 もと を 見つめて いる の に も 気 が 付いて いた 。
ことう||わかもの|||||め||||||あし|||みつめて|||||き||ついて|
死んだ 姉 の 晴れ着 を 借り 着して いい 心地 に なって いる ような 叔母 の 姿 も 目 に 映って いた 。
しんだ|あね||はれぎ||かり|ちゃくして||ここち|||||おば||すがた||め||うつって|
|||||borrowed|wearing||||||||||||||
船 の ほう に 後ろ を 向けて ( おそらく それ は 悲しみ から ばかり で は なかったろう 。
せん||||うしろ||むけて||||かなしみ|||||
その 若者 の 挙動 が 老いた 心 を ひ しい だ に 違いない ) 手ぬぐい を しっかり と 両眼 に あてて いる 乳母 も 見のがして は い なかった 。
|わかもの||きょどう||おいゆいた|こころ||||||ちがいない|てぬぐい||||りょうがん||||うば||みのがして|||
|||||aged||||||||||||||||||overlooked|||
・・
いつのまに 動いた と も なく 船 は 桟橋 から 遠ざかって いた 。
|うごいた||||せん||さんばし||とおざかって|
before I knew it||||||||||
人 の 群れ が 黒 蟻 の ように 集まった そこ の 光景 は 、 葉子 の 目の前 に ひらけて 行く 大きな 港 の 景色 の 中 景 に なる まで に 小さく なって 行った 。
じん||むれ||くろ|あり|||あつまった|||こうけい||ようこ||めのまえ|||いく|おおきな|こう||けしき||なか|けい|||||ちいさく||おこなった
|||||ant||||||||||||opened||||||||scene|||||||
葉子 の 目 は 葉子 自身 に も 疑わ れる ような 事 を して いた 。
ようこ||め||ようこ|じしん|||うたがわ|||こと|||
||||||||doubted||||||
その 目 は 小さく なった 人影 の 中 から 乳母 の 姿 を 探り 出そう と せ ず 、 一種 の なつかし み を 持つ 横浜 の 市街 を 見納め に ながめよう と せ ず 、 凝 然 と して 小さく うずくまる 若者 の の らしい 黒点 を 見つめて いた 。
|め||ちいさく||ひとかげ||なか||うば||すがた||さぐり|だそう||||いっしゅ|||||もつ|よこはま||しがい||みおさめ||||||こ|ぜん|||ちいさく||わかもの||||こくてん||みつめて|
||||||||||||||||||||||||||||last sighting||let's gaze||||gazing|fixedly||||crouching down|||||black dot|||
若者 の 叫ぶ 声 が 、 桟橋 の 上 で 打ち 振る ハンケチ の 時々 ぎらぎら と 光る ごと に 、 葉子 の 頭 の 上 に 張り 渡さ れた 雨 よけ の 帆 布 の 端 から 余 滴 が ぽつりぽつり と 葉子 の 顔 を 打つ たび に 、 断続 して 聞こえて 来る ように 思わ れた 。
わかもの||さけぶ|こえ||さんばし||うえ||うち|ふる|||ときどき|||ひかる|||ようこ||あたま||うえ||はり|わたさ||あめ|||ほ|ぬの||はし||よ|しずく||||ようこ||かお||うつ|||だんぞく||きこえて|くる||おもわ|
||to shout||||||||waving||||||||||||||||stretched|||rain cover||sail|canvas|||||drip||dripping slowly|||||||||intermittently||||||
・・
「 葉子 さん 、 あなた は 私 を 見殺し に する んです か …… 見殺し に する ん ……」
ようこ||||わたくし||みごろし|||||みごろし|||