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野分 夏目漱石, 「三」 野分 夏目漱石

「三 」 野 分 夏目 漱石

檜 の 扉 に 銀 の ような 瓦 を 載せた 門 を 這 入る と 、 御影 の 敷石 に 水 を 打って 、 斜めに 十 歩 ばかり 歩ま せる 。 敷石 の 尽きた 所 に 擦り 硝子 ( ガラス ) の 開き戸 が 左右 から 寂 然 と 鎖 されて 、 秋 の 更 くる に 任す が ごとく 邸 内 は 物静かである 。 磨き上げた 、 柾 の 柱 に 象牙 の 臍 を ちょっと 押す と 、 しばらく して 奥 の 方 から 足音 が 近づいて くる 。 が ちゃ と 鍵 を ひねる 。 玄関 の 扉 は 左右 に 開かれて 、 下 は 鏡 の ような たたき と なる 。 右 の 方 に 周囲 一 尺 余 の 朱 泥 まがい の 鉢 が あって 、 鉢 の なか に は 棕梠 竹 が 二三 本 靡 く べき 風 も 受け ず に 、 ひそやかに 控えて いる 。 正面 に は 高 さ 四 尺 の 金 屏 に 、 三 条 の 小 鍛冶 が 、 異形の もの を 相槌 に 、 霊 夢 に 叶う 、 御 門 の 太刀 を 丁 と 打ち 、 丁 と 打って いる 。 取次 に 出た の は 十八九 の しとやかな 下 女 である 。 白井 道也 と 云 う 名刺 を 受取った まま 、 あの 若 旦那 様 で ? と 聞く 。 道也 先生 は 首 を 傾けて ちょっと 考えた 。 若 旦那 に も 大 旦那 に も 中野 と 云 う 人 に 逢う の は 今 が 始めて である 。 ことに よる と まるで 逢え ないで 帰る かも 計ら れ ん 。 若 旦那 か 大 旦那 か は 逢って 始めて わかる のである 。 あるいは 分 ら ないで 生涯 それ ぎり に なる かも 知れ ない 。 今 まで 訪問 に 出 懸けて 、 年寄 か 、 小 供 か 、 跛 か 、 眼っか ちか 、 要領 を 得る 前 に 門前 から 追い 還 さ れた 事 は 何遍 も ある 。 追い 還 さ れ さえ しなければ 大 旦那 か 若 旦那 か は 問う ところ で ない 。 しかし 聞か れた 以上 は どっち か 片づけ なければ なら ん 。 どうでも いい 事 を 、 どうでも よく ない ように 決断 しろ と 逼 ら る る 事 は 賢 者 が 愚 物 に 対して 払う 租税 である 。 「 大学 を 御 卒業 に なった 方 の ……」 と まで 云った が 、 ことに よる と 、 おやじ も 大学 を 卒業 して いる かも 知れ ん と 心 づい た から 「 あの 文学 を お やり に なる 」 と 訂正 した 。 下 女 は 何とも 云 わ ず に 御辞儀 を して 立って 行く 。 白 足袋 の 裏 だけ が 目立って よごれて 見える 。 道也 先生 の 頭 の 上 に は 丸く 鉄 を 鋳 抜いた 、 かな 灯籠 が ぶら下がって いる 。 波 に 千鳥 を すかして 、 すかした 所 に 紙 が 張って ある 。 この なか へ 、 どう したら 灯 が つけられる の か と 、 先生 は 仰向いて 長い 鎖 り を 眺め ながら 考えた 。 下 女 が また 出て くる 。 どうぞ こちら へ と 云 う 。 道也 先生 は 親指 の 凹んで 、 前 緒 の ゆるんだ 下駄 を 立派な 沓 脱 へ 残して 、 ひ ょろ 長い 糸瓜 の ような から だ を 下 女 の 後ろ から 運んで 行く 。 応接間 は 西 洋式 に 出来て いる 。 丸い 卓 ( テーブル ) に は 、 薔薇 の 花 を 模様 に 崩した 五六 輪 を 、 淡い 色 で 織り 出した テーブル 掛 を 、 雑 作 も なく 引き 被せて 、 末 は 同じ 色合 の 絨毯 と 、 続 づく が ごとく 、 切れ たる が ごとく 、 波 を 描いて 床 の 上 に 落ちて いる 。 暖炉 は 塞いだ まま の 一 尺 前 に 、 二 枚 折 の 小 屏風 を 穴 隠し に 立てて ある 。 窓 掛 は 緞子 の 海老 茶色 だ から 少々 全体 の 装飾 上 調和 を 破る ようだ が 、 そんな 事 は 道也 先生 の 眼 に は 入ら ない 。 先生 は 生れて から いまだかつて こんな 奇麗な 室 へ 這 入った 事 は ない のである 。 先生 は 仰いで 壁 間 の 額 を 見た 。 京 の 舞子 が 友禅 の 振 袖 に 鼓 を 調べて いる 。 今 打って 、 鼓 から 、 白い 指 が 弾き 返さ れた ばかりの 姿 が 、 小指 の 先 まで よく あらわれて いる 。 しかし 、 そんな 事 に 気 の つく 道也 先生 で は ない 。 先生 は ただ 気品 の ない 画 を 掛けた もの だ と 思った ばかりである 。 向 の 隅 に ヌーボー 式 の 書棚 が あって 、 美しい 洋書 の 一部 が 、 窓 掛 の 隙間 から 洩れて 射 す 光線 に 、 金 文字 の 甲羅 を 干して いる 。 なかなか 立派である 。 しかし 道也 先生 これ に は 毫 も 辟易 し なかった 。 ところ へ 中野 君 が 出て くる 。 紬 の 綿 入 に 縮緬 の 兵 子 帯 を ぐるぐる 巻きつけて 、 金 縁 の 眼鏡 越 に 、 道也 先生 を ま ぼ し そうに 見て 、「 や 、 御 待た せ 申し まして 」 と 椅子 へ 腰 を おろす 。 道也 先生 は 、 あやしげな 、 銘 仙 の 上 を 蔽 うに 黒 木綿 の 紋 付 を もって して 、 嘉 平次 平 の 下 へ 両手 を 入れた まま 、 「 どうも 御邪魔 を します 」 と 挨拶 を する 。 泰 然 たる もの だ 。 中野 君 は 挨拶 が 済んで から も 、 依然と して ま ぼ し そうに して いた が 、 やがて 思い切った 調子 で 「 あなた が 、 白井 道也 と おっしゃる んで 」 と 大 なる 好奇心 を もって 聞いた 。 聞か ん でも 名刺 を 見れば わかる はずだ 。 それ を かよう に 聞く の は 世 馴 れ ぬ 文学 士 だ から である 。 「 はい 」 と 道也 先生 は 落ちついて いる 。 中野 君 の あて は 外れた 。 中野 君 は 名刺 を 見た 時 はっと 思って 、 頭 の なか は 追い出さ れた 中学校 の 教師 だけ に なって いる 。 可哀想だ と 云 う 念頭 に 尾 羽 うち 枯らした 姿 を 目前 に 見て 、 あなた が 、 あの 中学校 で 生徒 から いじめられた 白井 さん です か と 聞き 糺し たくて なら ない 。 いくら 気の毒で も 白井 違い で 気の毒 がった ので は 役 に 立た ない 。 気の毒 がる ため に は 、 聞き 糺す ため に は 「 あなた が 白井 道也 と おっしゃる んで 」 と 切り出さ なくって は なら なかった 。 しかし せっかく の 切り出し よう も 泰 然 たる 「 はい 」 の ため に 無駄 死 を して しまった 。 初心 なる 文学 士 は 二 の 句 を つぐ 元気 も 作 略 も ない のである 。 人 に 同情 を 寄せたい と 思う とき 、 向 が 泰 然 の 具 足 で 身 を 固めて いて は 芝居 に は なら ん 。 器用な もの は この 泰 然 の 一角 を 針 で 突き 透 して も 思 を 遂げる 。 中野 君 は 好 人物 ながら それほど に 人 を 取り扱い 得る ほど 世の中 を 知ら ない 。 「 実は 今日 御邪魔 に 上がった の は 、 少々 御 願 が あって 参った のです が 」 と 今度 は 道也 先生 の 方 から 打って出る 。 御 願 は 同情 の 好敵手 である 。 御 願 を 持た ない 人 に は 同情 する 張り 合 が ない 。 「 は あ 、 何でも 出来ます 事 なら 」 と 中野 君 は 快く 承知 した 。 「 実は 今度 江 湖 雑誌 で 現代 青年 の 煩 悶 に 対する 解決 と 云 う 題 で 諸 先生 方 の 御 高 説 を 発表 する 計画 が あり まして 、 それ で 普通の 大家 ばかり で は 面白く ない と 云 う ので 、 なるべく 新しい 方 も それぞれ 訪問 する 訳 に なりました ので ―― そこ で 実は ちょっと 往って 来て くれ と 頼まれて 来た のです が 、 御 差 支 が なければ 、 御 話 を 筆記 して 参りたい と 思います 」 道也 先生 は 静かに 懐 から 手帳 と 鉛筆 を 取り出した 。 取り出し は した もの の 別に 筆記 したい 様子 も なければ 強いて 話さ せたい 景色 も 見え ない 。 彼 は かかる 愚 な 問題 を 、 かかる 青年 の 口 から 解決 して 貰いたい と は 考えて いない 。 「 なるほど 」 と 青年 は 、 耀 やく 眼 を 挙げて 、 道也 先生 を 見た が 、 先生 は 宵 越 の 麦酒 ( ビール ) の ごとく 気 の 抜けた 顔 を して いる ので 、 今度 は 「 さよう 」 と 長く 引っ張って 下 を 向いて しまった 。 「 どう でしょう 、 何 か 御 説 は あります まい か 」 と 催促 を 義理 ずくめ に する 。 ありません と 云ったら 、 すぐ 帰る 気 かも 知れ ない 。 「 そう です ね 。 あったって 、 僕 の ような もの の 云 う 事 は 雑誌 へ 載せる 価値 は ありません よ 」 「 いえ 結構です 」 「 全体 どこ から 、 聞いて い らしった んです 。 あまり 突然じゃ 纏った 話 の 出来る はず が ない です から 」 「 御 名前 は 社主 が 折々 雑誌 の 上 で 拝見 する そうで 」 「 いえ 、 どう し まして 」 と 中野 君 は 横 を 向いた 。 「 何でも よい です から 、 少し 御 話し 下さい 」 「 そう です ね 」 と 青年 は 窓 の 外 を 見て 躊躇 して いる 。 「 せっかく 来た もの です から 」 「 じゃ 何 か 話しましょう 」 「 は あ 、 どうぞ 」 と 道也 先生 鉛筆 を 取り上げた 。 「 いったい 煩 悶 と 云 う 言葉 は 近頃 だいぶ はやる ようだ が 、 大抵 は 当座 の もの で 、 いわゆる 三日坊主 の もの が 多い 。 そんな 種類 の 煩 悶 は 世の中 が 始まって から 、 世の中 が なくなる まで 続く ので 、 ちっとも 問題 に は なら ない でしょう 」 「 ふん 」 と 道也 先生 は 下 を 向いた なり 、 鉛筆 を 動かして いる 。 紙 の 上 を 滑ら す 音 が 耳 立って 聞える 。 「 しかし 多く の 青年 が 一 度 は 必ず 陥る 、 また 必ず 陥る べく 自然 から 要求 せられて いる 深刻な 煩 悶 が 一 つ ある 。 ……」 鉛筆 の 音 が する 。 「 それ は 何 だ と 云 う と ―― 恋 である ……」 道也 先生 は ぴたり と 筆記 を やめて 、 妙な 顔 を して 、 相手 を 見た 。 中野 君 は 、 今さら 気 が ついた ように ちょっと しょげ返った が 、 すぐ 気 を 取り 直して 、 あと を つづけた 。 「 ただ 恋 と 云 う と 妙に 御 聞き に なる かも 知れ ない 。 また 近頃 は あまり 恋愛 呼ば り を する の を 人 が 遠慮 する ようである が 、 この 種 の 煩 悶 は 大 なる 事実 であって 、 事実 の 前 に は いかなる もの も 頭 を 下げ ねば なら ぬ 訳 だ から どう する 事 も 出来 ない のである 」 道也 先生 は また 顔 を あげた 。 しかし 彼 の 長い 蒼白 い 相 貌 の 一 微塵 だ も 動いて おら ん から 、 彼 の 心 の うち は 無論 わから ない 。 「 我々 が 生涯 を 通じて 受ける 煩 悶 の うち で 、 もっとも 痛切な もっとも 深刻な 、 また もっとも 劇 烈 な 煩 悶 は 恋 より ほか に ないだろう と 思う のです 。 それ で です ね 、 こう 云 う 強大な 威力 の ある もの だ から 、 我々 が 一 度 び この 煩 悶 の 炎 火 の うち に 入る と 非常な 変形 を うける のです 」 「 変形 ? です か 」 「 ええ 形 を 変 ずる のです 。 今 まで は ただ ふわふわ 浮いて いた 。 世の中 と 自分 の 関係 が よく わから ないで 、 の ん べん ぐ ら りん に 暮らして いた の が 、 急に 自分 が 明瞭に なる んです 」 「 自分 が 明瞭 と は ? 」 「 自分 の 存在 が です 。 自分 が 生きて いる ような 心持ち が 確然 と 出て くる のです 。 だから 恋 は 一方 から 云 えば 煩 悶 に 相違 ない が 、 しかし この 煩 悶 を 経過 し ない と 自分 の 存在 を 生涯 悟る 事 が 出来 ない のです 。 この 浄 罪 界 に 足 を 入れた もの で なければ けっして 天国 へ は 登れ まい と 思う のです 。 ただ 楽天 だって しようがない 。 恋 の 苦み を 甞 め て 人生 の 意義 を 確かめた 上 の 楽天 で なくっちゃ 、 うそ です 。 それ だ から 恋 の 煩 悶 は けっして 他の 方法 に よって 解決 さ れ ない 。 恋 を 解決 する もの は 恋 より ほか に ないで す 。 恋 は 吾人 を して 煩 悶 せ しめて 、 また 吾人 を して 解脱 せ しむ る のである 。 ……」 「 その くらい な ところ で 」 と 道也 先生 は 三 度 目 に 顔 を 挙げた 。 「 まだ 少し ある んです が ……」 「 承る の は いい です が 、 だいぶ 多人数 の 意見 を 載せる つもりです から 、 かえって あと から 削除 する と 失礼に なります から 」 「 そう です か 、 それ じゃ その くらい に して 置きましょう 。 何だか こんな 話 を する の は 始めて です から 、 さぞ 筆記 し にくかった でしょう 」 「 いいえ 」 と 道也 先生 は 手帳 を 懐 へ 入れた 。 青年 は 筆記 者 が 自分 の 説 を 聴いて 、 感心 の 余り 少し は 賛辞 でも 呈する か と 思った が 、 相手 は 例 の ごとく 泰 然 と して ただ いいえ と 云った のみ である 。 「 いや これ は 御邪魔 を しました 」 と 客 は 立ち かける 。 「 まあ いい でしょう 」 と 中野 君 は とめた 。 せめて 自分 の 説 を 少々 でも 批評 して 行って 貰いたい のである 。 それ で なくて も 、 せんだって 日比谷 で 聞いた 高柳 君 の 事 を ちょっと 好奇心 から 、 あたって 見たい のである 。 一言 に して 云 えば 中野 君 は ひまな のである 。 「 いえ 、 せっかく です が 少々 急ぎます から 」 と 客 は もう 椅子 を 離れて 、 一 歩 テーブル を 退いた 。 いかに ひまな 中野 君 も 「 それでは 」 と ついに 降参 して 御辞儀 を する 。 玄関 まで 送って 出た 時 思い切って 「 あなた は 、 もしや 高柳 周作 と 云 う 男 を 御存じ じゃ ない です か 」 と 念 晴らし の ため 聞いて 見る 。 「 高柳 ? どうも 知ら ん ようです 」 と 沓 脱 から 片足 を タタキ へ おろして 、 高い 背 を 半分 後ろ へ 捩じ 向けた 。 「 ことし 大学 を 卒業 した ……」 「 それ じゃ 知ら ん 訳 だ 」 と 両足 と も タタキ の 上 へ 運んだ 。 中野 君 は まだ 何 か 云 おうと した 時 、 敷石 を がらがら と 車 の 軋 る 音 が して 梶 棒 は 硝子 ( ガラス ) の 扉 の 前 に とまった 。 道也 先生 が 扉 を 開く 途端 に 車 上 の 人 は ひらり 厚い 雪 駄 を 御影 の 上 に 落した 。 五色 の 雲 が わが 眼 を 掠 め て 過ぎた 心持ち で 往来 へ 出る 。 時計 は もう 四 時 過ぎ である 。 深い 碧 り の 上 へ 薄い セピヤ を 流した 空 の なか に 、 はっきり せ ぬ 鳶 が 一 羽 舞って いる 。 雁 は まだ 渡って 来 ぬ 。 向 から 袴 の 股 立ち を 取った 小 供 が 唱歌 を 謡 いながら 愉快 そうに あるいて 来た 。 肩 に 担いだ 笹 の 枝 に は 草 の 穂 で 作った 梟 が 踊り ながら ぶら下がって 行く 。 おおかた 雑 子 ヶ 谷 へ でも 行った のだろう 。 軒 の 深い 菓物 屋 の 奥 の 方 に 柿 ばかり が あかるく 見える 。 夕 暮 に 近づく と 何となく うそ 寒い 。 薬 王寺 前 に 来た の は 、 帽子 の 庇 の 下 から 往来 の 人 の 顔 が しかと 見分け の つか ぬ 頃 である 。 三十三 所 と 彫って ある 石 標 を 右 に 見て 、 紺屋 の 横 町 を 半 丁 ほど 西 へ 這 入る と わが家 の 門口 へ 出る 、 家 の なか は 暗い 。 「 おや 御 帰り 」 と 細 君 が 台所 で 云 う 。 台所 も 玄関 も 大した 相違 の ない ほど 小さな 家 である 。 「 下 女 は どっか へ 行った の か 」 と 二 畳 の 玄関 から 、 六 畳 の 座敷 へ 通る 。 「 ちょっと 、 柳町 まで 使 に 行きました 」 と 細 君 は また 台所 へ 引き返す 。 道也 先生 は 正面 の 床 の 片隅 に 寄せて あった 、 洋 灯 ( ランプ ) を 取って 、 椽側 へ 出て 、 手 ず から 掃除 を 始めた 。 何 か 原稿 用紙 の ような もの で 、 油 壺 を 拭き 、 ほ や を 拭き 、 最後に 心 の 黒い 所 を 好い加減に な すくって 、 丸めた 紙 は 庭 へ 棄 て た 。 庭 は 暗く なって 様子 が 頓 と わから ない 。 机 の 前 へ 坐った 先生 は 燐 寸 ( マッチ ) を 擦って 、 しゅっと 云 う 間 に 火 を ランプ に 移した 。 室 は たちまち 明か に なる 。 道也 先生 の ため に 云 えば むしろ 明 かるく なら ぬ 方 が 増しである 。 床 は ある が 、 言訳 ばかり で 、 現に 幅 も 何も 懸って おら ん 。 その代り 累 々 と 書物 やら 、 原稿 紙 やら 、 手帳 やら が 積んで ある 。 机 は 白木 の 三 宝 を 大きく した くらい な 単 簡 な もの で 、 インキ 壺 と 粗末な 筆 硯 の ほか に は 何物 を も 載せて おら ぬ 。 装飾 は 道也 先生 に とって 不必要である の か 、 または 必要で も これ に 耽 る 余裕 が ない の か は 疑問 である 。 ただ 道也 先生 が この 一 点 の 温 気 なき 陋室 に 、 晏如 と して 筆 硯 を 呵 す る の 勇気 ある は 、 外部 より 見て 争う べ から ざる 事実 である 。 ことに よる と 先生 は 装飾 以外 の ある もの を 目的 に して 、 生活 して いる の かも 知れ ない 。 ただ この 争う べ から ざる 事実 を 確 め れば 、 確かめる ほど 細 君 は 不愉快である 。 女 は 装飾 を もって 生れ 、 装飾 を もって 死ぬ 。 多数 の 女 は わが 運命 を 支配 する 恋 さえ も 装飾 視 して 憚 から ぬ もの だ 。 恋 が 装飾 ならば 恋 の 本尊 たる 愛人 は 無論 装飾 品 である 。 否 、 自己 自身 すら 装飾 品 を もって 甘んずる のみ なら ず 、 装飾 品 を もって 自己 を 目して くれ ぬ 人 を 評して 馬鹿 と 云 う 。 しかし 多数 の 女 は しかく 人 世 を 観 ずる に も かかわら ず 、 しかく 観 ずる と は けっして 思わ ない 。 ただ 自己 の 周囲 を 纏 綿 する 事物 や 人間 が この 装飾 用 の 目的 に 叶わ ぬ を 発見 する とき 、 何となく 不愉快 を 受ける 。 不愉快 を 受ける と 云 うの に 周囲 の 事物 人間 が 依然と して 旧態 を あらため ぬ 時 、 わが 眼 に 映 ずる 不愉快 を 左右 前後 に 反射 して 、 これ でも 改め ぬ か と 云 う 。 ついに は これ でも か 、 これ でも か と 念入り の 不愉快 を 反射 する 。 道也 の 細 君 が ここ まで 進歩 して いる か は 疑問 である 。 しか し 普通 一般 の 女性 である からに は 装飾 気 なき この 空気 の うち に 生息 する 結果 と して 、 自然 この 方向 に 進行 する の が 順当であろう 。 現に 進行 し つつ ある かも 知れ ぬ 。 道也 先生 は やがて 懐 から 例の 筆記 帳 を 出して 、 原稿 紙 の 上 へ 写し 始めた 。 袴 を 着けた まま である 。 かしこまった まま である 。 袴 を 着けた まま 、 かしこまった まま で 、 中野 輝一 の 恋愛 論 を 筆記 して いる 。 恋 と この 室 、 恋 と この 道也 と は とうてい 調和 し ない 。 道也 は 何と 思って 浄 書 して いる か しら ん 。 人 は 様々である 、 世 も 様々である 。 様々の 世に 、 様々の 人 が 動く の も また 自然の 理 である 。 ただ 大きく 動く もの が 勝ち 、 深く 動く もの が 勝た ねば なら ぬ 。 道也 は 、 あの 金 縁 の 眼鏡 を 掛けた 恋愛 論 より も 、 小さく かつ 浅い と 自覚 して 、 かく 慎重に 筆記 を 写し 直して いる のであろう か 。 床 の 後ろ で が 鳴いて いる 。 細 君 が 襖 を すう と 開けた 。 道也 は 振り向き も し ない 。 「 まあ 」 と 云った なり 細 君 の 顔 は 隠れた 。 下 女 は 帰った ようである 。 煮豆 が 切れた から 、 てっか 味噌 を 買って 来た と 云って いる 。 豆腐 が 五 厘 高く なった と 云って いる 。 裏 の 専念 寺 で 夕 の 御 務め を か あんか あん やって いる 。 細 君 の 顔 が また 襖 の 後ろ から 出た 。 「 あなた 」 道也 先生 は 、 いつの間に やら 、 筆記 帳 を 閉じて 、 今度 は また 別の 紙 へ 、 何 か 熱心に 認めて いる 。 「 あなた 」 と 妻君 は 二 度 呼んだ 。 「 何 だい 」 「 御飯 です 」 「 そう か 、 今 行く よ 」 道也 先生 は ちょっと 細 君 と 顔 を 合せ たぎり 、 すぐ 机 へ 向った 。 細 君 の 顔 も すぐ 消えた 。 台所 の 方 で くすくす 笑う 声 が する 。 道也 先生 は この 一節 を かき 終る まで は 飯 も 食い たく ない のだろう 。 やがて 句切り の よい 所 へ 来た と 見えて 、 ちょっと 筆 を 擱 いて 、 傍 へ 積んだ 草稿 を はぐって 見て 「 二百三十一 頁 ( ページ )」 と 独 語 した 。 著述 でも して いる と 見える 。 立って 次の 間 へ 這 入る 。 小さな 長火鉢 に 平 鍋 が かかって 、 白い 豆腐 が 煙り を 吐いて 、 ぷる ぷる 顫 えて いる 。 「 湯豆腐 かい 」 「 は あ 、 何にも なくて 、 御 気の毒です が ……」 「 何 、 なんでも いい 。 食って さえ いれば 何でも 構わ ない 」 と 、 膳 に して 重箱 を かね たる ごとき 四角な もの の 前 へ 坐って 箸 を 執る 。 「 あら 、 まだ 袴 を 御 脱ぎ なさら ない の 、 随分 ね 」 と 細 君 は 飯 を 盛った 茶碗 を 出す 。 「 忙 が しい もの だ から 、 つい 忘れた 」 「 求めて 、 忙 が しい 思 を して いらっしゃる のだ から 、……」 と 云った ぎり 、 細 君 は 、 湯豆腐 の 鍋 と 鉄瓶 と を 懸け 換える 。 「 そう 見える かい 」 と 道也 先生 は 存外 平気である 。 「 だって 、 楽で 御 金 の 取れる 口 は 断って おしまい な すって 、 忙 が しくって 、 一 文 に も なら ない 事 ばかり なさる んです もの 、 誰 だって 酔 興 と 思います わ 」 「 思われて も しようがない 。 これ が おれ の 主義 な んだ から 」 「 あなた は 主義 だ から それ で いい でしょう さ 。 しかし 私 は ……」 「 御前 は 主義 が 嫌だ と 云 う の か ね 」 「 嫌 も 好 も ない んです けれども 、 せめて ―― 人並に は ―― なんぼ 私 だって ……」 「 食え さえ すれば いい じゃ ない か 、 贅沢 を 云 や 誰 だって 際限 は ない 」 「 どうせ 、 そう でしょう 。 私 なん ざ どんなに なって も 御構い な すっちゃ 下さら ない のでしょう 」 「 この てっか 味噌 は 非常に 辛い な 。 どこ で 買って 来た のだ 」 「 どこ です か 」 道也 先生 は 頭 を あげて 向 の 壁 を 見た 。 鼠色 の 寒い 色 の 上 に 大きな 細 君 の 影 が 写って いる 。 その 影 と 妻君 と は 同じ ように 無 意義 に 道也 の 眼 に 映 じた 。 影 の 隣り に 糸 織 か と も 思わ れる 、 女 の 晴 衣 が 衣 紋 竹 に つるして かけて ある 。 細 君 の もの に して は 少し 派出 過ぎる が 、 これ は 多少 景気 の いい 時 、 田舎 で 買って やった もの だ と 今 だに 記憶 して いる 。 あの 時分 は 今 と は だいぶ 考え も 違って いた 。 己 れ と 同じ ような 思想 やら 、 感情 やら 持って いる もの は 珍 らしく ある まい と 信じて いた 。 したがって 文筆 の 力 で 自分 から 卒 先 して 世間 を 警醒 しよう と 云 う 気 に も なら なかった 。 今 は まるで 反対だ 。 世 は 名門 を 謳歌 する 、 世 は 富豪 を 謳歌 する 、 世 は 博士 、 学士 まで を も 謳歌 する 。 しかし 公正な 人格 に 逢う て 、 位 地 を 無にし 、 金銭 を 無にし 、 もしくは その 学力 、 才 芸 を 無にして 、 人格 そのもの を 尊敬 する 事 を 解して おら ん 。 人間 の 根本 義 たる 人格 に 批判 の 標準 を 置か ず して 、 その 上皮 たる 附属 物 を もって すべて を 律しよう と する 。 この 附属 物 と 、 公正なる 人格 と 戦う とき 世間 は 必ず 、 この 附属 物 に 雷 同 して 他の 人格 を 蹂躙 せ ん と 試みる 。 天下一 人 の 公正なる 人格 を 失う とき 、 天下一 段 の 光明 を 失う 。 公正なる 人格 は 百 の 華族 、 百 の 紳商 、 百 の 博士 を もって する も 償い がたき ほど 貴き もの である 。 われ は この 人格 を 維持 せ ん が ため に 生れ たる の ほか 、 人 世に おいて 何ら の 意義 を も 認め 得 ぬ 。 寒 に 衣 し 、 餓 に 食する は この 人格 を 維持 する の 一 便法 に 過ぎ ぬ 。 筆 を 呵 し 硯 を 磨 する の も また この 人格 を 他の 面 上 に 貫徹 する の 方策 に 過ぎ ぬ 。 ―― これ が 今 の 道也 の 信念 である 。 この 信念 を 抱いて 世に 処する 道也 は 細 君 の 御機嫌 ばかり 取って は おれ ぬ 。 壁 に 掛けて あった 小 袖 を 眺めて いた 道也 は しばらく して 、 夕飯 を 済まし ながら 、 「 どこ ぞ へ 行った の かい 」 と 聞く 。 「 ええ 」 と 細 君 は 二 字 の 返事 を 与えた 。 道也 は 黙って 、 茶 を 飲んで いる 。 末 枯 る る 秋 の 時節 だけ に すこぶる 閑静な 問答 である 。 「 そう 、 べん べん と 真田 の 方 を 引っ張っと く 訳 に も 行き ませ ず 、 家主 の 方 も どうかしなければ なら ず 、 今月 の 末 に なる と 米 薪 の 払 で また 心配 し なくっちゃ なりません から 、 算段 に 出掛けた んです 」 と 今度 は 細 君 の 方 から 切り出した 。 「 そう か 、 質屋 へ でも 行った の かい 」 「 質 に 入れる ような もの は 、 もう ありゃ しません わ 」 と 細 君 は 恨めし そうに 夫 の 顔 を 見る 。 「 じゃ 、 どこ へ 行った ん だい 」 「 どこって 、 別に 行く 所 も ありません から 、 御 兄さん の 所 へ 行きました 」 「 兄 の 所 ? 駄目だ よ 。 兄 の 所 な ん ぞ へ 行ったって 、 何 に なる もの か 」 「 そう 、 あなた は 、 何でも 始 から 、 けなして おしま い なさる から 、 よく ない んです 。 いくら 教育 が 違う からって 、 気性 が 合わ ない からって 、 血 を 分けた 兄弟 じゃ ありません か 」 「 兄弟 は 兄弟 さ 。 兄弟 で ない と は 云 わん 」 「 だ から さ 、 膝 と も 談合 と 云 う じゃ ありません か 。 こんな 時 に は 、 ちっと 相談 に いらっしゃる が いい じゃ ありません か 」 「 おれ は 、 行か ん よ 」 「 それ が 痩我慢 です よ 。 あなた は それ が 癖 な んです よ 。 損じゃ あ 、 ありません か 、 好んで 人 に 嫌われて ……」 道也 先生 は 空 然 と して 壁 に 動く 細 君 の 影 を 見て いる 。 「 それ で 才覚 が 出来た の かい 」 「 あなた は 何でも 一足 飛 ね 」 「 なに が 」 「 だって 、 才覚 が 出来る 前 に は それぞれ 魂胆 も あれば 工面 も ある じゃ ありません か 」 「 そう か 、 それ じゃ 最初 から 聞き 直そう 。 で 、 御前 が 兄 の うち へ 行った んだ ね 。 おれ に 内 所 で 」 「 内 所 だって 、 あなた の ため じゃ ありません か 」 「 いい よ 、 ため で いい よ 。 それ から 」 「 で 御 兄さん に 、 御 目 に 懸って いろいろ 今 まで の 御無沙汰 の 御 詫 やら 、 何やら して 、 それ から 一部始終 の 御 話 を した んです 」 「 それ から 」 「 する と 御 兄さん が 、 そりゃ 御前 に は 大変 気の毒だって 大変 私 に 同情 して 下さって ……」 「 御前 に 同情 した 。 ふうん 。 ―― ちょっと その 炭 取 を 取れ 。 炭 を つが ない と 火種 が 切れる 」 「 で 、 そりゃ 早く 整理 し なくっちゃ 駄目だ 。 全体 なぜ 今 まで 抛って 置いた ん だって おっしゃる んです 」 「 旨 い 事 を 云 わ あ 」 「 まだ 、 あなた は 御 兄さん を 疑って いらっしゃる の ね 。 罰 が あたります よ 」 「 それ で 、 金 でも 貸した の かい 」 「 ほら また 一足飛び を なさる 」 道也 先生 は 少々 おかしく なった と 見えて 、 に やり と 下 を 向き ながら 、 黒く 積んだ 炭 を 吹き出した 。 「 まあ どの くらい あれば 、 これ まで の 穴 が 奇麗に 埋る の か と 御 聞き に なる から 、―― よっぽど 言い悪かった んです けれども ―― とうとう 思い切って ね ……」 で ちょっと 留めた 。 道也 は しきりに 吹いて いる 。 「 ねえ 、 あなた 。 とうとう 思い切って ね ―― あなた 。 聞いて いらっしゃら ない の 」 「 聞いて る よ 」 と 赫気 で 赤く なった 顔 を あげた 。 「 思い切って 百 円 ばかり と 云った の 」 「 そう か 。 兄 は 驚 ろ いたろう 」 「 そう したら ね 。 ふうん て 考えて 、 百 円 と 云 う 金 は 、 なかなか 容易に 都合 が つく 訳 の もの じゃ ない ……」 「 兄 の 云 い そうな 事 だ 」 「 まあ 聞いて いらっしゃい 。 まだ 、 あと が 有る んです 。 ―― しかし 、 ほか の 事 と は 違う から 、 是非 なければ 困る と 云 う なら おれ が 保証人 に なって 、 人 から 借りて やって も いいって 仰 しゃ る んです 」 「 あやしい もの だ 」 「 まあ さ 、 しまい まで 御 聞き なさい 。 ―― それ で 、 ともかくも 本人 に 逢って 篤と 了 簡 を 聞いた 上 に しよう と 云 う ところ まで に 漕ぎつけて 来た のです 」 細 君 は 大 功名 を した ように 頬 骨 の 高い 顔 を 持ち上げて 、 夫 を 覗き込んだ 。 細 君 の 眼 つき が 云 う 。 夫 は 意気地なし である 。 終日 終夜 、 机 と 首っ引 を して 、 兀々 と 出 精 し ながら 、 妻 と 自分 を 安らかに 養う ほど の 働き も ない 。 「 そう か 」 と 道也 は 云った ぎり 、 この 手腕 に 対して 、 別段 に 感謝 の 意 を 表しよう と も せ ぬ 。 「 そう か じゃ 困ります わ 。 私 が ここ まで 拵えた のだ から 、 あと は 、 あなた が 、 どう と も 為さら なくっちゃ あ 。 あなた の 楫 の とり よう で せっかく の 私 の 苦心 も 何の 役 に も 立た なく なります わ 」 「 いい さ 、 そう 心配 する な 。 もう 一 ヵ 月 も すれば 百 や 弐 百 の 金 は 手 に 這 入る 見 込 が ある から 」 と 道也 先生 は 何の 苦 も なく 云って 退けた 。 江 湖 雑誌 の 編 輯 で 二十 円 、 英和 字典 の 編纂 で 十五 円 、 これ が 道也 の きまった 収入 である 。 但し この ほか に 仕事 は いくら でも する 。 新聞 に かく 、 雑誌 に かく 。 かく 事 に おいて は 毎日 毎夜 筆 を 休ま せた 事 は ない くらい である 。 しかし 金 に は なら ない 。 たま さ か 二 円 、 三 円 の 報酬 が 彼 の 懐 に 落つ る 時 、 彼 は かえって 不思議に 思う のみ である 。 この 物質 的に 何ら の 功 能 も ない 述作 的 労力 の 裡 に は 彼 の 生命 が ある 。 彼 の 気 魄 が 滴 々 の 墨汁 と 化して 、 一 字 一 画 に 満 腔 の 精神 が 飛 動 して いる 。 この 断 篇 が 読者 の 眼 に 映 じた 時 、 瞳 裏 に 一 道 の 電流 を 呼び起して 、 全身 の 骨 肉 が 刹那 に 震え かし と 念じて 、 道也 は 筆 を 執る 。 吾輩 は 道 を 載 す 。 道 を 遮 ぎ る もの は 神 と いえ ども 許さ ず と 誓って 紙 に 向 う 。 誠 は 指 頭 より 迸って 、 尖る 毛 穎 の 端に 紙 を 焼く 熱気 ある が ごとき 心地 にて 句 を 綴る 。 白紙 が 人格 と 化して 、 淋漓 と して 飛 騰 する 文章 が ある と すれば 道也 の 文章 は まさに これ である 。 されど も 世 は 華族 、 紳商 、 博士 、 学士 の 世 である 。 附属 物 が 本体 を 踏み潰す 世 である 。 道也 の 文章 は 出る たび に 黙殺 せられて いる 。 妻君 は 金 に なら ぬ 文章 を 道楽 文章 と 云 う 。 道楽 文章 を 作る もの を 意気地なし と 云 う 。 道也 の 言葉 を 聞いた 妻君 は 、 火箸 を 灰 の なか に 刺した まま 、 「 今 でも 、 そんな 御 金 が 這 入る 見 込 が ある んです か 」 と 不思議 そうに 尋ねた 。 「 今 は 昔 より 下落 した と 云 う の かい 。 ハハハハハ 」 と 道也 先生 は 大きな 声 を 出して 笑った 。 妻君 は 毒気 を 抜かれて 口 を あける 。 「 ど うりゃ 一 勉強 やろう か 」 と 道也 は 立ち上がる 。 その 夜 彼 は 彼 の 著述 人格 論 を 二百五十 頁 まで かいた 。 寝た の は 二 時 過 である 。

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「三 」 野 分 夏目 漱石 みっ|の|ぶん|なつめ|そうせき "Drei." Nobe Natsume Soseki Soseki Natsume 'Tre' Nobe, Natsume Soseki.

檜 の 扉 に 銀 の ような 瓦 を 載せた 門 を 這 入る と 、 御影 の 敷石 に 水 を 打って 、 斜めに 十 歩 ばかり 歩ま せる 。 ひのき||とびら||ぎん|||かわら||のせた|もん||は|はいる||みかげ||しきいし||すい||うって|ななめに|じゅう|ふ||あゆま| After entering through the gate with its cypress door and silver tiles, they paved the granite paving stones with water and walked diagonally for about ten paces. 敷石 の 尽きた 所 に 擦り 硝子 ( ガラス ) の 開き戸 が 左右 から 寂 然 と 鎖 されて 、 秋 の 更 くる に 任す が ごとく 邸 内 は 物静かである 。 しきいし||つきた|しょ||かすり|がらす|がらす||ひらきど||さゆう||じゃく|ぜん||くさり|さ れて|あき||こう|||まかす|||てい|うち||ものしずかである The inside of the house is quiet as if it were left to the autumnal autumn. 磨き上げた 、 柾 の 柱 に 象牙 の 臍 を ちょっと 押す と 、 しばらく して 奥 の 方 から 足音 が 近づいて くる 。 みがきあげた|まさき||ちゅう||ぞうげ||へそ|||おす||||おく||かた||あしおと||ちかづいて| I pressed my ivory navel against the polished vertical column for a moment, and a few moments later, footsteps approached from the back of the house. が ちゃ と 鍵 を ひねる 。 |||かぎ|| With a clunk, he turns the key. 玄関 の 扉 は 左右 に 開かれて 、 下 は 鏡 の ような たたき と なる 。 げんかん||とびら||さゆう||あか れて|した||きよう||||| The door of the entrance opens to the left and right, and the bottom is a mirror-like self-hole. 右 の 方 に 周囲 一 尺 余 の 朱 泥 まがい の 鉢 が あって 、 鉢 の なか に は 棕梠 竹 が 二三 本 靡 く   べき 風 も 受け ず に 、 ひそやかに 控えて いる 。 みぎ||かた||しゅうい|ひと|しゃく|よ||しゅ|どろ|||はち|||はち|||||しゅろ|たけ||ふみ|ほん|び|||かぜ||うけ||||ひかえて| There is a bowl of about a foot or more in length made of vermilion mud on the right side, and inside the bowl, there are two or three palms of a Yugo bamboo quietly waiting without receiving any wind. 正面 に は 高 さ 四 尺 の 金 屏 に 、 三 条 の 小 鍛冶 が 、 異形の もの を 相槌 に 、 霊 夢 に 叶う 、 御 門 の 太刀 を 丁 と 打ち 、 丁 と 打って いる 。 しょうめん|||たか||よっ|しゃく||きむ|びょう||みっ|じょう||しょう|かじ||いぎょうの|||あいづち||れい|ゆめ||かなう|ご|もん||たち||ちょう||うち|ちょう||うって| In front, on a four-foot-tall gold folding screen, a small blacksmith from Sanjo uses a mallet to strike the sword of the gate, which is the fulfillment of a dream of a spirit. 取次 に 出た の は 十八九 の しとやかな 下 女 である 。 とりつ||でた|||じゅうはちきゅう|||した|おんな| The agent was a graceful servant of 189. 白井 道也 と 云 う 名刺 を 受取った まま 、 あの 若 旦那 様 で ? しらい|みちや||うん||めいし||うけとった|||わか|だんな|さま| I received a business card that said "Michiya Shirai," and I thought, "Is he the young master? と 聞く 。 |きく 道也 先生 は 首 を 傾けて ちょっと 考えた 。 みちや|せんせい||くび||かたむけて||かんがえた Michiya-sensei tilted his head and thought for a moment. 若 旦那 に も 大 旦那 に も 中野 と 云 う 人 に 逢う の は 今 が 始めて である 。 わか|だんな|||だい|だんな|||なかの||うん||じん||あう|||いま||はじめて| This is the first time for me to meet someone who is both a young master and a big master. ことに よる と まるで 逢え ないで 帰る かも 計ら れ ん 。 ||||あえ||かえる||はから|| Depending on the situation, it may be as if they leave without seeing each other. 若 旦那 か 大 旦那 か は 逢って 始めて わかる のである 。 わか|だんな||だい|だんな|||あって|はじめて|| You can tell whether he is a young master or a big master only when you meet him. あるいは 分 ら ないで 生涯 それ ぎり に なる かも 知れ ない 。 |ぶん|||しょうがい||||||しれ| Or you may never know, and that may be the end of you for the rest of your life. 今 まで 訪問 に 出 懸けて 、 年寄 か 、 小 供 か 、 跛 か 、 眼っか ちか 、 要領 を 得る 前 に 門前 から 追い 還 さ れた 事 は 何遍 も ある 。 いま||ほうもん||だ|かけて|としより||しょう|とも||は||がん っか||ようりょう||える|ぜん||もんぜん||おい|かえ|||こと||なんべん|| There have been many times when I have visited someone and been turned away before I could get the hang of it, whether it was an old man, a young child, a lame man, or an eye. 追い 還 さ れ さえ しなければ 大 旦那 か 若 旦那 か は 問う ところ で ない 。 おい|かえ||||し なければ|だい|だんな||わか|だんな|||とう||| It is not a question of whether he is a big husband or a young husband, as long as he is not driven back. しかし 聞か れた 以上 は どっち か 片づけ なければ なら ん 。 |きか||いじょう||||かたづけ||| But now that I've been asked, one of us has to do something about it. どうでも いい 事 を 、 どうでも よく ない ように 決断 しろ と 逼 ら る る 事 は 賢 者 が 愚 物 に 対して 払う 租税 である 。 ||こと||||||けつだん|||ひつ||||こと||かしこ|もの||ぐ|ぶつ||たいして|はらう|そぜい| To be pressed to make a decision about something that is not important is a tax paid by the wise to the foolish. 「 大学 を 御 卒業 に なった 方 の ……」 と まで 云った が 、 ことに よる と 、 おやじ も 大学 を 卒業 して いる かも 知れ ん と 心 づい た から 「 あの 文学 を お やり に なる 」 と 訂正 した 。 だいがく||ご|そつぎょう|||かた||||うん った|||||||だいがく||そつぎょう||||しれ|||こころ|||||ぶんがく|||||||ていせい| |||||||||||||||||||||||||||||||||honorable|||||| "......" for college graduates I even told him that my father might have graduated from college, which made me realize, "You're going to do that literature thing." The company corrected the error. 下 女 は 何とも 云 わ ず に 御辞儀 を して 立って 行く 。 した|おんな||なんとも|うん||||おじぎ|||たって|いく The servant bowed and stood up without saying a word. 白 足袋 の 裏 だけ が 目立って よごれて 見える 。 しろ|たび||うら|||めだって||みえる Only the soles of the white tabi socks looked conspicuously dirty. 道也 先生 の 頭 の 上 に は 丸く 鉄 を 鋳 抜いた 、 かな 灯籠 が ぶら下がって いる 。 みちや|せんせい||あたま||うえ|||まるく|くろがね||い|ぬいた||とうろう||ぶらさがって| Above Mr. Michiya's head hangs a round cast iron lantern. 波 に 千鳥 を すかして 、 すかした 所 に 紙 が 張って ある 。 なみ||ちどり||||しょ||かみ||はって| The staggered waves are staggered and paper is stretched over the staggered areas. この なか へ 、 どう したら 灯 が つけられる の か と 、 先生 は 仰向いて 長い 鎖 り を 眺め ながら 考えた 。 |||||とう||つけ られる||||せんせい||あおむいて|ながい|くさり|||ながめ||かんがえた He turned his head to look at the long chain and wondered how he could get a light in there. 下 女 が また 出て くる 。 した|おんな|||でて| The servant comes out again. どうぞ こちら へ と 云 う 。 ||||うん| Please come this way," he said. 道也 先生 は 親指 の 凹んで 、 前 緒 の ゆるんだ 下駄 を 立派な 沓 脱 へ 残して 、 ひ ょろ 長い 糸瓜 の ような から だ を 下 女 の 後ろ から 運んで 行く 。 みちや|せんせい||おやゆび||くぼんで|ぜん|お|||げた||りっぱな|くつ|だつ||のこして|||ながい|へちま||||||した|おんな||うしろ||はこんで|いく ||||||||||||||||||||||||||||of|||| Michiya-sensei left his clogs, which had a thumb concave and a loose cord, in a fine shoe rack and carried his long, slender body like a pumpkin from behind the servant. 応接間 は 西 洋式 に 出来て いる 。 おうせつま||にし|ようしき||できて| The parlor is western style. 丸い 卓 ( テーブル ) に は 、 薔薇 の 花 を 模様 に 崩した 五六 輪 を 、 淡い 色 で 織り 出した テーブル 掛 を 、 雑 作 も なく 引き 被せて 、 末 は 同じ 色合 の 絨毯 と 、 続 づく が ごとく 、 切れ たる が ごとく 、 波 を 描いて 床 の 上 に 落ちて いる 。 まるい|すぐる|てーぶる|||ばら||か||もよう||くずした|ごろく|りん||あわい|いろ||おり|だした|てーぶる|かかり||ざつ|さく|||ひき|かぶせて|すえ||おなじ|いろあい||じゅうたん||つづ||||きれ||||なみ||えがいて|とこ||うえ||おちて| ||||(topic marker)|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||| On a round table, a tablecloth with fifty-six broken rose patterns woven in light colors is pulled over the round table, and at the end, a carpet with the same color scheme continues to hang in waves on the floor, as if it were slipping away. 暖炉 は 塞いだ まま の 一 尺 前 に 、 二 枚 折 の 小 屏風 を 穴 隠し に 立てて ある 。 だんろ||ふさいだ|||ひと|しゃく|ぜん||ふた|まい|お||しょう|びょうぶ||あな|かくし||たてて| The fireplace is still blocked off and a small two-panel folding screen is set up in front of it to hide the hole. 窓 掛 は 緞子 の 海老 茶色 だ から 少々 全体 の 装飾 上 調和 を 破る ようだ が 、 そんな 事 は 道也 先生 の 眼 に は 入ら ない 。 まど|かかり||どんす||えび|ちゃいろ|||しょうしょう|ぜんたい||そうしょく|うえ|ちょうわ||やぶる||||こと||みちや|せんせい||がん|||はいら| The window coverings are made of rugs in brownish brown, which seems to break the harmony of the whole decoration, but this is not a problem for Michiya. 先生 は 生れて から いまだかつて こんな 奇麗な 室 へ 這 入った 事 は ない のである 。 せんせい||うまれて||||きれいな|しつ||は|はいった|こと||| He had never been in such a beautiful room in his life. 先生 は 仰いで 壁 間 の 額 を 見た 。 せんせい||あおいで|かべ|あいだ||がく||みた The teacher looked up and saw a frame on the wall. 京 の 舞子 が 友禅 の 振 袖 に 鼓 を 調べて いる 。 けい||まいこ||ゆうぜん||ふ|そで||つづみ||しらべて| A Kyoto Maiko examines a drum in a yuzen furisode sleeve. 今 打って 、 鼓 から 、 白い 指 が 弾き 返さ れた ばかりの 姿 が 、 小指 の 先 まで よく あらわれて いる 。 いま|うって|つづみ||しろい|ゆび||はじき|かえさ|||すがた||こゆび||さき|||| The white finger just played back from the drum, right down to the tip of the pinky finger. しかし 、 そんな 事 に 気 の つく 道也 先生 で は ない 。 ||こと||き|||みちや|せんせい||| However, Mr. Michiya is not the kind of person who would notice such a thing. 先生 は ただ 気品 の ない 画 を 掛けた もの だ と 思った ばかりである 。 せんせい|||きひん|||が||かけた||||おもった| I just thought that he had painted a very ungraceful picture. 向 の 隅 に ヌーボー 式 の 書棚 が あって 、 美しい 洋書 の 一部 が 、 窓 掛 の 隙間 から 洩れて 射 す 光線 に 、 金 文字 の 甲羅 を 干して いる 。 むかい||すみ|||しき||しょだな|||うつくしい|ようしょ||いちぶ||まど|かかり||すきま||えい れて|い||こうせん||きむ|もじ||こうら||ほして| In the corner opposite is a nouveau bookcase, where some of the beautiful Western books are drying on a gold-lettered shell in the rays of light filtering through the windowpanes. なかなか 立派である 。 |りっぱである It is quite splendid. しかし 道也 先生 これ に は 毫 も 辟易 し なかった 。 |みちや|せんせい||||ごう||へきえき|| However, Mr. Michiya was not fed up with this at all. ところ へ 中野 君 が 出て くる 。 ||なかの|きみ||でて| Then Nakano-kun comes out. 紬 の 綿 入 に 縮緬 の 兵 子 帯 を ぐるぐる 巻きつけて 、 金 縁 の 眼鏡 越 に 、 道也 先生 を ま ぼ し そうに 見て 、「 や 、 御 待た せ 申し まして 」 と 椅子 へ 腰 を おろす 。 つむぎ||めん|はい||ちりめん||つわもの|こ|おび|||まきつけて|きむ|えん||めがね|こ||みちや|せんせい|||||そう に|みて||ご|また||もうし|||いす||こし|| |'s||||||||||||||||||||||||||||||||||||| He was wearing a silk cotton slip with a crepe silk obi wrapped around it and gold-rimmed spectacles, looking at Mr. Michiya as if he were bewildered, and saying, "Hello, I'm sorry to keep you waiting. I sit down on a chair. 道也 先生 は 、 あやしげな 、 銘 仙 の 上 を 蔽 うに 黒 木綿 の 紋 付 を もって して 、 嘉 平次 平 の 下 へ 両手 を 入れた まま 、 「 どうも 御邪魔 を します 」 と 挨拶 を する 。 みちや|せんせい|||めい|せん||うえ||へい||くろ|もめん||もん|つき||||よしみ|へいじ|ひら||した||りょうて||いれた|||おじゃま||し ます||あいさつ|| ||||||||||sea urchin|||||||||||||||||||||||||| Michiya-sensei, who was wearing a black cotton crest to cover the top of his meisen, put his hands under Kahira Tsuguhira and said, "Excuse me for disturbing you, sir. I greeted them. 泰 然 たる もの だ 。 ひろし|ぜん||| It's all there. 中野 君 は 挨拶 が 済んで から も 、 依然と して ま ぼ し そうに して いた が 、 やがて 思い切った 調子 で 「 あなた が 、 白井 道也 と おっしゃる んで 」 と 大 なる 好奇心 を もって 聞いた 。 なかの|きみ||あいさつ||すんで|||いぜん と|||||そう に|||||おもいきった|ちょうし||||しらい|みちや|||||だい||こうきしん|||きいた After the greeting, Nakano-kun remained indifferent, but eventually he said in a confident tone, "You say your name is Michiya Shirai. He was very curious to hear about it. 聞か ん でも 名刺 を 見れば わかる はずだ 。 きか|||めいし||みれば|| You should be able to tell without asking by looking at their business cards. それ を かよう に 聞く の は 世 馴 れ ぬ 文学 士 だ から である 。 ||||きく|||よ|じゅん|||ぶんがく|し||| It is because I am not familiar with literature that I hear this. 「 はい 」 と 道也 先生 は 落ちついて いる 。 ||みちや|せんせい||おちついて| "Yes." Michiya sensei is calm. 中野 君 の あて は 外れた 。 なかの|きみ||||はずれた Nakano, your fortune is lost. 中野 君 は 名刺 を 見た 時 はっと 思って 、 頭 の なか は 追い出さ れた 中学校 の 教師 だけ に なって いる 。 なかの|きみ||めいし||みた|じ||おもって|あたま||||おいださ||ちゅうがっこう||きょうし|||| Nakano, when he saw the card, was so surprised that the only thing on his mind was the teacher at the junior high school from which he had been kicked out. 可哀想だ と 云 う 念頭 に 尾 羽 うち 枯らした 姿 を 目前 に 見て 、 あなた が 、 あの 中学校 で 生徒 から いじめられた 白井 さん です か と 聞き 糺し たくて なら ない 。 かわいそうだ||うん||ねんとう||お|はね||からした|すがた||もくぜん||みて||||ちゅうがっこう||せいと||いじめ られた|しらい|||||きき|ただし||| I was so moved by the sight of her withered tail feathers that I had to ask her if she was Mr. Shirai, the student who was bullied at the junior high school. いくら 気の毒で も 白井 違い で 気の毒 がった ので は 役 に 立た ない 。 |きのどくで||しらい|ちがい||きのどく||||やく||たた| No matter how sorry we are, it doesn't help to be sorry for the difference in Shirai. 気の毒 がる ため に は 、 聞き 糺す ため に は 「 あなた が 白井 道也 と おっしゃる んで 」 と 切り出さ なくって は なら なかった 。 きのどく|||||きき|ただす||||||しらい|みちや|||||きりださ|なく って||| To make me feel sorry for you, to make sure I heard you correctly, I have to ask you to tell me that you are Michiya Shirai. I had to cut him off. しかし せっかく の 切り出し よう も 泰 然 たる 「 はい 」 の ため に 無駄 死 を して しまった 。 |||きりだし|||ひろし|ぜん||||||むだ|し||| But even after all that effort, it was still a simple "Yes. He died in vain for the sake of 初心 なる 文学 士 は 二 の 句 を つぐ 元気 も 作 略 も ない のである 。 しょしん||ぶんがく|し||ふた||く|||げんき||さく|りゃく||| The novice literary scholar has neither the energy nor the strategy to continue. 人 に 同情 を 寄せたい と 思う とき 、 向 が 泰 然 の 具 足 で 身 を 固めて いて は 芝居 に は なら ん 。 じん||どうじょう||よせ たい||おもう||むかい||ひろし|ぜん||つぶさ|あし||み||かためて|||しばい|||| If you want to make people sympathize with you, you can't do it if you're not prepared to be true to yourself. 器用な もの は この 泰 然 の 一角 を 針 で 突き 透 して も 思 を 遂げる 。 きような||||ひろし|ぜん||いっかく||はり||つき|とおる|||おも||とげる skillful||||||||||||||||| A dexterous person could pierce this corner of nature with a needle and still achieve his or her goal. 中野 君 は 好 人物 ながら それほど に 人 を 取り扱い 得る ほど 世の中 を 知ら ない 。 なかの|きみ||よしみ|じんぶつ||||じん||とりあつかい|える||よのなか||しら| Nakano, while you are a nice person, you don't know the world well enough to handle people that well. 「 実は 今日 御邪魔 に 上がった の は 、 少々 御 願 が あって 参った のです が 」 と 今度 は 道也 先生 の 方 から 打って出る 。 じつは|きょう|おじゃま||あがった|||しょうしょう|ご|ねがい|||まいった||||こんど||みちや|せんせい||かた||うってでる "Actually, I came to see you today because I have a small favor to ask of you." This time, Mr. Michiya took the initiative. 御 願 は 同情 の 好敵手 である 。 ご|ねがい||どうじょう||こうてきしゅ| Gogan is the antagonist of sympathy. 御 願 を 持た ない 人 に は 同情 する 張り 合 が ない 。 ご|ねがい||もた||じん|||どうじょう||はり|ごう|| We have no stake in sympathizing with those who do not have petitions. 「 は あ 、 何でも 出来ます 事 なら 」 と 中野 君 は 快く 承知 した 。 ||なんでも|でき ます|こと|||なかの|きみ||こころよく|しょうち| "Yes, I can do anything, if that's what it takes." Nakano-kun readily agreed. 「 実は 今度 江 湖 雑誌 で 現代 青年 の 煩 悶 に 対する 解決 と 云 う 題 で 諸 先生 方 の 御 高 説 を 発表 する 計画 が あり まして 、 それ で 普通の 大家 ばかり で は 面白く ない と 云 う ので 、 なるべく 新しい 方 も それぞれ 訪問 する 訳 に なりました ので ―― そこ で 実は ちょっと 往って 来て くれ と 頼まれて 来た のです が 、 御 差 支 が なければ 、 御 話 を 筆記 して 参りたい と 思います 」 道也 先生 は 静かに 懐 から 手帳 と 鉛筆 を 取り出した 。 じつは|こんど|こう|こ|ざっし||げんだい|せいねん||わずら|もん||たいする|かいけつ||うん||だい||しょ|せんせい|かた||ご|たか|せつ||はっぴょう||けいかく||||||ふつうの|たいか||||おもしろく|||うん||||あたらしい|かた|||ほうもん||やく||なり ました||||じつは||おう って|きて|||たのま れて|きた|||ご|さ|し|||ご|はなし||ひっき||まいり たい||おもい ます|みちや|せんせい||しずかに|ふところ||てちょう||えんぴつ||とりだした I'm planning to publish an article in Kangho Magazine on the subject of solutions to the anxieties of modern youth, and since I don't think it would be interesting to read only about ordinary landlords, I've decided to visit each of the new ones as much as possible. So I was asked to make a short visit, and if it's all right with you, I'd like to write down what you have to say. Michiya-sensei quietly took out a notebook and a pencil from his pocket. 取り出し は した もの の 別に 筆記 したい 様子 も なければ 強いて 話さ せたい 景色 も 見え ない 。 とりだし|||||べつに|ひっき|し たい|ようす|||しいて|はなさ||けしき||みえ| Although the child was retrieved, there was no indication that he wanted to write, nor did he appear to want to speak. 彼 は かかる 愚 な 問題 を 、 かかる 青年 の 口 から 解決 して 貰いたい と は 考えて いない 。 かれ|||ぐ||もんだい|||せいねん||くち||かいけつ||もらい たい|||かんがえて| He does not want those stupid problems to be solved by the mouths of those young people. 「 なるほど 」 と 青年 は 、 耀 やく 眼 を 挙げて 、 道也 先生 を 見た が 、 先生 は 宵 越 の 麦酒 ( ビール ) の ごとく 気 の 抜けた 顔 を して いる ので 、 今度 は 「 さよう 」 と 長く 引っ張って 下 を 向いて しまった 。 ||せいねん||よう||がん||あげて|みちや|せんせい||みた||せんせい||よい|こ||ばくしゅ|びーる|||き||ぬけた|かお|||||こんど||||ながく|ひっぱって|した||むいて| "I see." The young man raised his eyes brilliantly and looked at Michiya, but Michiya looked as out of it as a beer at night, so the young man said again, "Yes, sir. I pulled on it for a long time and looked down. 「 どう でしょう 、 何 か 御 説 は あります まい か 」 と 催促 を 義理 ずくめ に する 。 ||なん||ご|せつ||あり ます||||さいそく||ぎり||| "I don't know, do you have any theories?" The company is not obliged to remind them to do so. ありません と 云ったら 、 すぐ 帰る 気 かも 知れ ない 。 あり ませ ん||うん ったら||かえる|き||しれ| If I told them I didn't have any, they might be inclined to leave immediately. 「 そう です ね 。 あったって 、 僕 の ような もの の 云 う 事 は 雑誌 へ 載せる 価値 は ありません よ 」 「 いえ 結構です 」 「 全体 どこ から 、 聞いて い らしった んです 。 あった って|ぼく|||||うん||こと||ざっし||のせる|かち||あり ませ ん|||けっこうです|ぜんたい|||きいて||らし った| Even if there were, what a guy like me says is not worth publishing in a magazine. "No, thank you." "Where did you hear about this whole thing from? あまり 突然じゃ 纏った 話 の 出来る はず が ない です から 」 「 御 名前 は 社主 が 折々 雑誌 の 上 で 拝見 する そうで 」 「 いえ 、 どう し まして 」 と 中野 君 は 横 を 向いた 。 |とつぜんじゃ|まとった|はなし||できる||||||ご|なまえ||しゃしゅ||おりおり|ざっし||うえ||はいけん||そう で||||||なかの|きみ||よこ||むいた I don't think we should be able to talk about it too abruptly and coherently." "I've heard that the owner of the company sees your name in the magazine from time to time." "No, thank you." Nakano-kun turned his head to the side. 「 何でも よい です から 、 少し 御 話し 下さい 」 「 そう です ね 」 と 青年 は 窓 の 外 を 見て 躊躇 して いる 。 なんでも||||すこし|ご|はなし|ください|||||せいねん||まど||がい||みて|ちゅうちょ|| "Whatever you want, just talk to me for a minute." "That's right." The young man hesitates as he looks out the window. 「 せっかく 来た もの です から 」 「 じゃ 何 か 話しましょう 」 「 は あ 、 どうぞ 」 と 道也 先生 鉛筆 を 取り上げた 。 |きた|||||なん||はなし ましょう|||||みちや|せんせい|えんぴつ||とりあげた "I've come all this way." Then let's talk about something." "Here you go." Michiya-sensei took up a pencil. 「 いったい 煩 悶 と 云 う 言葉 は 近頃 だいぶ はやる ようだ が 、 大抵 は 当座 の もの で 、 いわゆる 三日坊主 の もの が 多い 。 |わずら|もん||うん||ことば||ちかごろ|||||たいてい||とうざ|||||みっかぼうず||||おおい The word "anguish" seems to be much in vogue these days, but it is usually a temporary thing, often a three-day affair. そんな 種類 の 煩 悶 は 世の中 が 始まって から 、 世の中 が なくなる まで 続く ので 、 ちっとも 問題 に は なら ない でしょう 」 「 ふん 」 と 道也 先生 は 下 を 向いた なり 、 鉛筆 を 動かして いる 。 |しゅるい||わずら|もん||よのなか||はじまって||よのなか||||つづく|||もんだい||||||||みちや|せんせい||した||むいた||えんぴつ||うごかして| That kind of anguish won't matter at all, because it will last from the beginning of the world until there is no world. "Hmph." Michiya-sensei looks down and moves his pencil. 紙 の 上 を 滑ら す 音 が 耳 立って 聞える 。 かみ||うえ||すべら||おと||みみ|たって|きこえる The sound of the paper sliding on the paper is audible. 「 しかし 多く の 青年 が 一 度 は 必ず 陥る 、 また 必ず 陥る べく 自然 から 要求 せられて いる 深刻な 煩 悶 が 一 つ ある 。 |おおく||せいねん||ひと|たび||かならず|おちいる||かならず|おちいる||しぜん||ようきゅう|せら れて||しんこくな|わずら|もん||ひと|| However, there is one serious annoyance that many young people must fall into at one time or another, and that nature demands that they do so. ……」 鉛筆 の 音 が する 。 えんぴつ||おと|| ......" The sound of a pencil is heard. 「 それ は 何 だ と 云 う と ―― 恋 である ……」 道也 先生 は ぴたり と 筆記 を やめて 、 妙な 顔 を して 、 相手 を 見た 。 ||なん|||うん|||こい||みちや|せんせい||||ひっき|||みょうな|かお|||あいて||みた I say what it is -- love. ...... Michiya stopped writing and looked at the other person with a strange expression on his face. 中野 君 は 、 今さら 気 が ついた ように ちょっと しょげ返った が 、 すぐ 気 を 取り 直して 、 あと を つづけた 。 なかの|きみ||いまさら|き|||||しょげかえった|||き||とり|なおして||| Nakano-kun took him down a little as if he had just realized what he had done, but quickly regained his composure and continued to follow. 「 ただ 恋 と 云 う と 妙に 御 聞き に なる かも 知れ ない 。 |こい||うん|||みょうに|ご|きき||||しれ| I know it may sound strange to you if I say I am in love with you. また 近頃 は あまり 恋愛 呼ば り を する の を 人 が 遠慮 する ようである が 、 この 種 の 煩 悶 は 大 なる 事実 であって 、 事実 の 前 に は いかなる もの も 頭 を 下げ ねば なら ぬ 訳 だ から どう する 事 も 出来 ない のである 」 道也 先生 は また 顔 を あげた 。 |ちかごろ|||れんあい|よば||||||じん||えんりょ|||||しゅ||わずら|もん||だい||じじつ||じじつ||ぜん||||||あたま||さげ||||やく|||||こと||でき|||みちや|せんせい|||かお|| And although these days people seem to shy away from calling it love, this kind of anguish is a fact of life, and because we all have to bow down before it, there is nothing we can do about it. Michiya Sensei looked up again. しかし 彼 の 長い 蒼白 い 相 貌 の 一 微塵 だ も 動いて おら ん から 、 彼 の 心 の うち は 無論 わから ない 。 |かれ||ながい|そうはく||そう|ぼう||ひと|みじん|||うごいて||||かれ||こころ||||むろん|| ||||||expression||||||||||||||||||| However, since not a single bit of his long, pallid face has moved, it is impossible to know what is going on in his mind. 「 我々 が 生涯 を 通じて 受ける 煩 悶 の うち で 、 もっとも 痛切な もっとも 深刻な 、 また もっとも 劇 烈 な 煩 悶 は 恋 より ほか に ないだろう と 思う のです 。 われわれ||しょうがい||つうじて|うける|わずら|もん|||||つうせつな||しんこくな|||げき|れつ||わずら|もん||こい||||||おもう| I think that of all the anguish we suffer throughout our lives, the most painful, the most serious, and the most dramatic anguish is none other than love. それ で です ね 、 こう 云 う 強大な 威力 の ある もの だ から 、 我々 が 一 度 び この 煩 悶 の 炎 火 の うち に 入る と 非常な 変形 を うける のです 」 「 変形 ? |||||うん||きょうだいな|いりょく||||||われわれ||ひと|たび|||わずら|もん||えん|ひ||||はいる||ひじょうな|へんけい||||へんけい And because it is so powerful, once we enter into the flames of this agony, we are greatly transformed. Deformation? です か 」 「 ええ 形 を 変 ずる のです 。 |||かた||へん|| Is it?" Yes, we change the shape. 今 まで は ただ ふわふわ 浮いて いた 。 いま|||||ういて| I used to just float around. 世の中 と 自分 の 関係 が よく わから ないで 、 の ん べん ぐ ら りん に 暮らして いた の が 、 急に 自分 が 明瞭に なる んです 」 「 自分 が 明瞭 と は ? よのなか||じぶん||かんけい||||||||||||くらして||||きゅうに|じぶん||めいりょうに|||じぶん||めいりょう|| |||||||||nominalizer||||||||||||||||||||| I used to live in my own home, not really understanding the relationship between myself and the world, but suddenly I can see myself clearly. What does it mean to be clear? 」 「 自分 の 存在 が です 。 じぶん||そんざい|| " It is my existence. 自分 が 生きて いる ような 心持ち が 確然 と 出て くる のです 。 じぶん||いきて|||こころもち||かくぜん||でて|| It is as if you are alive. だから 恋 は 一方 から 云 えば 煩 悶 に 相違 ない が 、 しかし この 煩 悶 を 経過 し ない と 自分 の 存在 を 生涯 悟る 事 が 出来 ない のです 。 |こい||いっぽう||うん||わずら|もん||そうい|||||わずら|もん||けいか||||じぶん||そんざい||しょうがい|さとる|こと||でき|| Therefore, love is, on the one hand, an anguish, but without this anguish, one cannot realize one's own existence for the rest of one's life. この 浄 罪 界 に 足 を 入れた もの で なければ けっして 天国 へ は 登れ まい と 思う のです 。 |きよし|ざい|かい||あし||いれた|||||てんごく|||のぼれ|||おもう| We must enter this world of purification before we can enter the heavenly kingdom. ただ 楽天 だって しようがない 。 |らくてん|| I just can't help but be optimistic. 恋 の 苦み を 甞 め て 人生 の 意義 を 確かめた 上 の 楽天 で なくっちゃ 、 うそ です 。 こい||にがみ||しょう|||じんせい||いぎ||たしかめた|うえ||らくてん|||| If I am not optimistic after having experienced the bitterness of love and having ascertained the meaning of life, I am lying. それ だ から 恋 の 煩 悶 は けっして 他の 方法 に よって 解決 さ れ ない 。 |||こい||わずら|もん|||たの|ほうほう|||かいけつ||| Therefore, the anguish of love can never be solved in any other way. 恋 を 解決 する もの は 恋 より ほか に ないで す 。 こい||かいけつ||||こい||||| There is no other solution to love than love. 恋 は 吾人 を して 煩 悶 せ しめて 、 また 吾人 を して 解脱 せ しむ る のである 。 こい||ごじん|||わずら|もん||||ごじん|||げだつ|||| Love is what makes me anguish and makes me liberated. ……」 「 その くらい な ところ で 」 と 道也 先生 は 三 度 目 に 顔 を 挙げた 。 ||||||みちや|せんせい||みっ|たび|め||かお||あげた ......" "By that much." Michiya raised his head for the third time. 「 まだ 少し ある んです が ……」 「 承る の は いい です が 、 だいぶ 多人数 の 意見 を 載せる つもりです から 、 かえって あと から 削除 する と 失礼に なります から 」 「 そう です か 、 それ じゃ その くらい に して 置きましょう 。 |すこし||||うけたまわる|||||||たにんずう||いけん||のせる||||||さくじょ|||しつれいに|なり ます|||||||||||おき ましょう There's a little more to it. ...... "It's fine to accept, but we're going to be publishing a large number of opinions, and it would be rude to delete them after the fact." I see. So let's leave it at that. 何だか こんな 話 を する の は 始めて です から 、 さぞ 筆記 し にくかった でしょう 」 「 いいえ 」 と 道也 先生 は 手帳 を 懐 へ 入れた 。 なんだか||はなし|||||はじめて||||ひっき||||||みちや|せんせい||てちょう||ふところ||いれた This is the first time I'm talking about something like this, so it must have been difficult for you to write it down." No." Michiya put the notebook in his pocket. 青年 は 筆記 者 が 自分 の 説 を 聴いて 、 感心 の 余り 少し は 賛辞 でも 呈する か と 思った が 、 相手 は 例 の ごとく 泰 然 と して ただ いいえ と 云った のみ である 。 せいねん||ひっき|もの||じぶん||せつ||きいて|かんしん||あまり|すこし||さんじ||ていする|||おもった||あいて||れい|||ひろし|ぜん||||||うん った|| ||||||||||||excess|||||||||||||||||||||||| The young man thought the scribe might be so impressed that he might offer a few compliments, but the scribe simply said, "No." As usual, the scribe was very calm. 「 いや これ は 御邪魔 を しました 」 と 客 は 立ち かける 。 |||おじゃま||し ました||きゃく||たち| "Oh, I'm sorry to have disturbed you." The customer stands around and says, "I'm sorry, I'm sorry. 「 まあ いい でしょう 」 と 中野 君 は とめた 。 ||||なかの|きみ|| "Well, that's okay." Nakano-kun stopped. せめて 自分 の 説 を 少々 でも 批評 して 行って 貰いたい のである 。 |じぶん||せつ||しょうしょう||ひひょう||おこなって|もらい たい| I would like them to at least critique my theory a little bit. それ で なくて も 、 せんだって 日比谷 で 聞いた 高柳 君 の 事 を ちょっと 好奇心 から 、 あたって 見たい のである 。 |||||ひびや||きいた|たかやなぎ|きみ||こと|||こうきしん|||み たい| Even if it weren't for that, I would like to check out what I heard about Takayanagi in Hibiya. 一言 に して 云 えば 中野 君 は ひまな のである 。 いちげん|||うん||なかの|きみ||| In a word, Nakano, you are free. 「 いえ 、 せっかく です が 少々 急ぎます から 」 と 客 は もう 椅子 を 離れて 、 一 歩 テーブル を 退いた 。 ||||しょうしょう|いそぎ ます|||きゃく|||いす||はなれて|ひと|ふ|てーぶる||しりぞいた "No, I'm sorry, but we're in a bit of a hurry." The customer left his chair and stepped away from the table. いかに ひまな 中野 君 も 「 それでは 」 と ついに 降参 して 御辞儀 を する 。 ||なかの|きみ|||||こうさん||おじぎ|| Even Nakano, who had no time to spare, finally surrendered and bowed. 玄関 まで 送って 出た 時 思い切って 「 あなた は 、 もしや 高柳 周作 と 云 う 男 を 御存じ じゃ ない です か 」 と 念 晴らし の ため 聞いて 見る 。 げんかん||おくって|でた|じ|おもいきって||||たかやなぎ|しゅうさく||うん||おとこ||ごぞんじ||||||ねん|はらし|||きいて|みる As I walked him out the door, I boldly asked, "Do you know a man named Shusaku Takayanagi?" I asked him for a reminder. 「 高柳 ? たかやなぎ どうも 知ら ん ようです 」 と 沓 脱 から 片足 を タタキ へ おろして 、 高い 背 を 半分 後ろ へ 捩じ 向けた 。 |しら||||くつ|だつ||かたあし|||||たかい|せ||はんぶん|うしろ||ねじ|むけた Apparently, he doesn't know." He put one foot off his boot and twisted his high back halfway to the floor. 「 ことし 大学 を 卒業 した ……」 「 それ じゃ 知ら ん 訳 だ 」 と 両足 と も タタキ の 上 へ 運んだ 。 |だいがく||そつぎょう||||しら||やく|||りょうあし|||||うえ||はこんだ "I graduated from college this year ......" "That's why they don't know." He brought both feet to the top of the fly. 中野 君 は まだ 何 か 云 おうと した 時 、 敷石 を がらがら と 車 の 軋 る 音 が して 梶 棒 は 硝子 ( ガラス ) の 扉 の 前 に とまった 。 なかの|きみ|||なん||うん|||じ|しきいし||||くるま||きし||おと|||かじ|ぼう||がらす|がらす||とびら||ぜん|| Nakano was about to say something when he heard a car creaking on the paving stone and Kaji stopped in front of the glass door. 道也 先生 が 扉 を 開く 途端 に 車 上 の 人 は ひらり 厚い 雪 駄 を 御影 の 上 に 落した 。 みちや|せんせい||とびら||あく|とたん||くるま|うえ||じん|||あつい|ゆき|だ||みかげ||うえ||おとした As soon as Michiya opened the door, the man on the car flinched and dropped a thick snow shoe on top of the Mikage. 五色 の 雲 が わが 眼 を 掠 め て 過ぎた 心持ち で 往来 へ 出る 。 ごしき||くも|||がん||りゃく|||すぎた|こころもち||おうらい||でる |||||||||ing|||||| I went out into the street with a feeling that five-colored clouds had passed over my eyes. 時計 は もう 四 時 過ぎ である 。 とけい|||よっ|じ|すぎ| It was already past four o'clock. 深い 碧 り の 上 へ 薄い セピヤ を 流した 空 の なか に 、 はっきり せ ぬ 鳶 が 一 羽 舞って いる 。 ふかい|みどり|||うえ||うすい|||ながした|から|||||||とび||ひと|はね|まって| In the sky with a thin sepia over the deep blue, an indistinct kite danced in the air. 雁 は まだ 渡って 来 ぬ 。 がん|||わたって|らい| The geese have not yet crossed. 向 から 袴 の 股 立ち を 取った 小 供 が 唱歌 を 謡 いながら 愉快 そうに あるいて 来た 。 むかい||はかま||また|たち||とった|しょう|とも||しょうか||うたい||ゆかい|そう に||きた From the other side of the street, a child with a hakama on his hakama came walking merrily, singing a chorus. 肩 に 担いだ 笹 の 枝 に は 草 の 穂 で 作った 梟 が 踊り ながら ぶら下がって 行く 。 かた||かついだ|ささ||えだ|||くさ||ほ||つくった|ふくろう||おどり||ぶらさがって|いく On a bamboo branch carried on his shoulder, an owl made of an ear of grass dances and hangs from the branch. おおかた 雑 子 ヶ 谷 へ でも 行った のだろう 。 |ざつ|こ||たに|||おこなった| Most likely, they went to Zokogaya. 軒 の 深い 菓物 屋 の 奥 の 方 に 柿 ばかり が あかるく 見える 。 のき||ふかい|かもの|や||おく||かた||かき||||みえる A persimmon store was clearly visible from the far side of the deep eaves of the confectioner's shop. 夕 暮 に 近づく と 何となく うそ 寒い 。 ゆう|くら||ちかづく||なんとなく||さむい As dusk approaches, there is a chill in the air. 薬 王寺 前 に 来た の は 、 帽子 の 庇 の 下 から 往来 の 人 の 顔 が しかと 見分け の つか ぬ 頃 である 。 くすり|おおじ|ぜん||きた|||ぼうし||ひさし||した||おうらい||じん||かお|||みわけ||||ころ| I arrived in front of Yakuoji Temple when I could barely make out the faces of passersby from under the eaves of my hat. 三十三 所 と 彫って ある 石 標 を 右 に 見て 、 紺屋 の 横 町 を 半 丁 ほど 西 へ 這 入る と わが家 の 門口 へ 出る 、 家 の なか は 暗い 。 さんじゅうさん|しょ||ほって||いし|しるべ||みぎ||みて|こうや||よこ|まち||はん|ちょう||にし||は|はいる||わがや||かどぐち||でる|いえ||||くらい Looking to the right at the stone marker with "33 places" engraved on it, walk about half a block west along the side street of the navy blue store and you will come to the gate of our house. 「 おや 御 帰り 」 と 細 君 が 台所 で 云 う 。 |ご|かえり||ほそ|きみ||だいどころ||うん| Oh, hey, you're back. Hosokun said in the kitchen. 台所 も 玄関 も 大した 相違 の ない ほど 小さな 家 である 。 だいどころ||げんかん||たいした|そうい||||ちいさな|いえ| The house is so small that the kitchen and the entrance are not much different. 「 下 女 は どっか へ 行った の か 」 と 二 畳 の 玄関 から 、 六 畳 の 座敷 へ 通る 。 した|おんな||ど っか||おこなった||||ふた|たたみ||げんかん||むっ|たたみ||ざしき||とおる "Has the servant gone somewhere?" The two-tatami mat entryway leads to a six-tatami mat tatami room. 「 ちょっと 、 柳町 まで 使 に 行きました 」 と 細 君 は また 台所 へ 引き返す 。 |やなぎまち||つか||いき ました||ほそ|きみ|||だいどころ||ひきかえす "I went to Yanagimachi on an errand." Hosokun turned back to the kitchen again. 道也 先生 は 正面 の 床 の 片隅 に 寄せて あった 、 洋 灯 ( ランプ ) を 取って 、 椽側 へ 出て 、 手 ず から 掃除 を 始めた 。 みちや|せんせい||しょうめん||とこ||かたすみ||よせて||よう|とう|らんぷ||とって|たるきがわ||でて|て|||そうじ||はじめた Michiya took a Western-style lamp from the corner of the front floor, went out to the balcony, and began to clean the room by hand. 何 か 原稿 用紙 の ような もの で 、 油 壺 を 拭き 、 ほ や を 拭き 、 最後に 心 の 黒い 所 を 好い加減に な すくって 、 丸めた 紙 は 庭 へ 棄 て た 。 なん||げんこう|ようし|||||あぶら|つぼ||ふき||||ふき|さいごに|こころ||くろい|しょ||いいかげんに|||まるめた|かみ||にわ||き|| With some kind of manuscript paper, I wiped the oil pan, wiped off the dust, and finally gave the blackest part of my heart a good scrubbing and tossed the balled up paper into the yard. 庭 は 暗く なって 様子 が 頓 と わから ない 。 にわ||くらく||ようす||とん||| It was dark in the garden and it was hard to see what was going on. 机 の 前 へ 坐った 先生 は 燐 寸 ( マッチ ) を 擦って 、 しゅっと 云 う 間 に 火 を ランプ に 移した 。 つくえ||ぜん||すわった|せんせい||りん|すん|まっち||かすって|しゅ っと|うん||あいだ||ひ||らんぷ||うつした Sitting at his desk, he rubbed a match against the phosphor and lit the lamp with a single flick of the switch. 室 は たちまち 明か に なる 。 しつ|||あか|| The room quickly becomes clear. 道也 先生 の ため に 云 えば むしろ 明 かるく なら ぬ 方 が 増しである 。 みちや|せんせい||||うん|||あき||||かた||ましである For the sake of Mr. Michiya, it would be better if it were not so obvious. 床 は ある が 、 言訳 ばかり で 、 現に 幅 も 何も 懸って おら ん 。 とこ||||いいわけ|||げんに|はば||なにも|かかって|| There is a floor, but it is just an excuse, and there is no actual width or anything on it. その代り 累 々 と 書物 やら 、 原稿 紙 やら 、 手帳 やら が 積んで ある 。 そのかわり|るい|||しょもつ||げんこう|かみ||てちょう|||つんで| Instead, there are piles of books, manuscripts, notebooks, and so on. 机 は 白木 の 三 宝 を 大きく した くらい な 単 簡 な もの で 、 インキ 壺 と 粗末な 筆 硯 の ほか に は 何物 を も 載せて おら ぬ 。 つくえ||しらき||みっ|たから||おおきく||||ひとえ|かん||||いんき|つぼ||そまつな|ふで|すずり|||||なにもの|||のせて|| The desk was a simple white wooden three-poster, with nothing on it but an inkwell and a crude inkstick and inkstone. 装飾 は 道也 先生 に とって 不必要である の か 、 または 必要で も これ に 耽 る 余裕 が ない の か は 疑問 である 。 そうしょく||みちや|せんせい|||ふひつようである||||ひつようで||||たん||よゆう||||||ぎもん| It is questionable whether the decoration is unnecessary for Michiya, or if it is necessary, whether he does not have time to indulge in it. ただ 道也 先生 が この 一 点 の 温 気 なき 陋室 に 、 晏如 と して 筆 硯 を 呵 す る の 勇気 ある は 、 外部 より 見て 争う べ から ざる 事実 である 。 |みちや|せんせい|||ひと|てん||ぬる|き||ろうしつ||あんじょ|||ふで|すずり||か||||ゆうき|||がいぶ||みて|あらそう||||じじつ| However, it is an undeniable fact that Michiya has the courage to make an inkstone and brush in a perverse room where people did not observe the warmth of this place. ことに よる と 先生 は 装飾 以外 の ある もの を 目的 に して 、 生活 して いる の かも 知れ ない 。 |||せんせい||そうしょく|いがい|||||もくてき|||せいかつ|||||しれ| It may be that the teacher lives for something other than decoration. ただ この 争う べ から ざる 事実 を 確 め れば 、 確かめる ほど 細 君 は 不愉快である 。 ||あらそう||||じじつ||かく|||たしかめる||ほそ|きみ||ふゆかいである The more you confirm this incontestable fact, the more uncomfortable you will be. 女 は 装飾 を もって 生れ 、 装飾 を もって 死ぬ 。 おんな||そうしょく|||うまれ|そうしょく|||しぬ She is born with ornaments, and she dies with ornaments. 多数 の 女 は わが 運命 を 支配 する 恋 さえ も 装飾 視 して 憚 から ぬ もの だ 。 たすう||おんな|||うんめい||しはい||こい|||そうしょく|し||はばか|||| Many women are not afraid to decorate even the love that controls my destiny. 恋 が 装飾 ならば 恋 の 本尊 たる 愛人 は 無論 装飾 品 である 。 こい||そうしょく||こい||ほんぞん||あいじん||むろん|そうしょく|しな| If love is decoration, then the mistress, the true object of love, is of course decoration. 否 、 自己 自身 すら 装飾 品 を もって 甘んずる のみ なら ず 、 装飾 品 を もって 自己 を 目して くれ ぬ 人 を 評して 馬鹿 と 云 う 。 いな|じこ|じしん||そうしょく|しな|||あまんずる||||そうしょく|しな|||じこ||もくして|||じん||ひょうして|ばか||うん| No, I call those who do not appreciate themselves by their ornaments, as well as those who do not appreciate themselves by their ornaments, "fools". しかし 多数 の 女 は しかく 人 世 を 観 ずる に も かかわら ず 、 しかく 観 ずる と は けっして 思わ ない 。 |たすう||おんな|||じん|よ||かん|||||||かん|||||おもわ| However, while many women enjoy looking into their mansions, they do not try to learn about them. ただ 自己 の 周囲 を 纏 綿 する 事物 や 人間 が この 装飾 用 の 目的 に 叶わ ぬ を 発見 する とき 、 何となく 不愉快 を 受ける 。 |じこ||しゅうい||まと|めん||じぶつ||にんげん|||そうしょく|よう||もくてき||かなわ|||はっけん|||なんとなく|ふゆかい||うける However, when I discover that the things and people that surround me do not fulfill the purpose of this decoration, I am somewhat displeased. 不愉快 を 受ける と 云 うの に 周囲 の 事物 人間 が 依然と して 旧態 を あらため ぬ 時 、 わが 眼 に 映 ずる 不愉快 を 左右 前後 に 反射 して 、 これ でも 改め ぬ か と 云 う 。 ふゆかい||うける||うん|||しゅうい||じぶつ|にんげん||いぜん と||きゅうたい||||じ||がん||うつ||ふゆかい||さゆう|ぜんご||はんしゃ||||あらため||||うん| When I am displeased, but the things and people around me do not change their old ways, I reflect the displeasure I see in my eyes back and forth from left to right, and ask if they will not change their ways as well. ついに は これ でも か 、 これ でも か と 念入り の 不愉快 を 反射 する 。 |||||||||ねんいり||ふゆかい||はんしゃ| Finally, the reflection of the discomfort is repeated with great care. 道也 の 細 君 が ここ まで 進歩 して いる か は 疑問 である 。 みちや||ほそ|きみ||||しんぽ|||||ぎもん| It is doubtful whether Doya's Hosokun has progressed this far. しか し 普通 一般 の 女性 である からに は 装飾 気 なき この 空気 の うち に 生息 する 結果 と して 、 自然 この 方向 に 進行 する の が 順当であろう 。 ||ふつう|いっぱん||じょせい||||そうしょく|き|||くうき||||せいそく||けっか|||しぜん||ほうこう||しんこう||||じゅんとうであろう However, since she is an ordinary woman, she is unqualified, which is a result of the fact that she lives in this air of nonchalance, so it would be natural for her to proceed in this direction. 現に 進行 し つつ ある かも 知れ ぬ 。 げんに|しんこう|||||しれ| It may be that progress is being made. 道也 先生 は やがて 懐 から 例の 筆記 帳 を 出して 、 原稿 紙 の 上 へ 写し 始めた 。 みちや|せんせい|||ふところ||れいの|ひっき|ちょう||だして|げんこう|かみ||うえ||うつし|はじめた Michiya eventually pulled out the notebook from his pocket and began to copy the manuscript onto the paper. 袴 を 着けた まま である 。 はかま||つけた|| The woman is still wearing her hakama. かしこまった まま である 。 It is a very formal place. 袴 を 着けた まま 、 かしこまった まま で 、 中野 輝一 の 恋愛 論 を 筆記 して いる 。 はかま||つけた|||||なかの|きいち||れんあい|ろん||ひっき|| While wearing a hakama and formal attire, she is writing about Teiichi Nakano's theories on romance. 恋 と この 室 、 恋 と この 道也 と は とうてい 調和 し ない 。 こい|||しつ|こい|||みちや||||ちょうわ|| Love and this room, love and this Doya are not in harmony. 道也 は 何と 思って 浄 書 して いる か しら ん 。 みちや||なんと|おもって|きよし|しょ||||| I don't know what Michiya thinks he is doing when he writes his book. 人 は 様々である 、 世 も 様々である 。 じん||さまざまである|よ||さまざまである People are different, the world is different. 様々の 世に 、 様々の 人 が 動く の も また 自然の 理 である 。 さまざまの|よに|さまざまの|じん||うごく||||しぜんの|り| It is also natural that people move in different ways in different worlds. ただ 大きく 動く もの が 勝ち 、 深く 動く もの が 勝た ねば なら ぬ 。 |おおきく|うごく|||かち|ふかく|うごく|||かた||| The only way to win is to go big, and the only way to win is to go deep. 道也 は 、 あの 金 縁 の 眼鏡 を 掛けた 恋愛 論 より も 、 小さく かつ 浅い と 自覚 して 、 かく 慎重に 筆記 を 写し 直して いる のであろう か 。 みちや|||きむ|えん||めがね||かけた|れんあい|ろん|||ちいさく||あさい||じかく|||しんちょうに|ひっき||うつし|なおして||| I wonder if Michiya is aware that it is smaller and shallower than the love theory with the gold-rimmed glasses, and is thus carefully copying it down. 床 の 後ろ で が 鳴いて いる 。 とこ||うしろ|||ないて| Behind the floor, there is a cry. 細 君 が 襖 を すう と 開けた 。 ほそ|きみ||ふすま||||あけた ||||(object marker)||| Hosokun opened the sliding door. 道也 は 振り向き も し ない 。 みちや||ふりむき||| Michiya did not even turn his head. 「 まあ 」 と 云った なり 細 君 の 顔 は 隠れた 。 ||うん った||ほそ|きみ||かお||かくれた "Well..." The face of Hosokun was hidden as soon as he said this. 下 女 は 帰った ようである 。 した|おんな||かえった| The servant seemed to have gone home. 煮豆 が 切れた から 、 てっか 味噌 を 買って 来た と 云って いる 。 にまめ||きれた||てっ か|みそ||かって|きた||うん って| He says he ran out of cooked beans, so he bought some tekka miso. 豆腐 が 五 厘 高く なった と 云って いる 。 とうふ||いつ|りん|たかく|||うん って| He said that the price of tofu has gone up by 5.5 percent. 裏 の 専念 寺 で 夕 の 御 務め を か あんか あん やって いる 。 うら||せんねん|てら||ゆう||ご|つとめ|||||| I am doing evening services at the Senen-ji temple in the back of the building. 細 君 の 顔 が また 襖 の 後ろ から 出た 。 ほそ|きみ||かお|||ふすま||うしろ||でた Hosokun's face came out from behind the sliding door again. 「 あなた 」 道也 先生 は 、 いつの間に やら 、 筆記 帳 を 閉じて 、 今度 は また 別の 紙 へ 、 何 か 熱心に 認めて いる 。 |みちや|せんせい||いつのまに||ひっき|ちょう||とじて|こんど|||べつの|かみ||なん||ねっしんに|みとめて| "You." Michiya-sensei had closed his notebook and was now enthusiastically admitting something on a different piece of paper. 「 あなた 」 と 妻君 は 二 度 呼んだ 。 ||さいくん||ふた|たび|よんだ "You." My wife called twice. 「 何 だい 」 「 御飯 です 」 「 そう か 、 今 行く よ 」 道也 先生 は ちょっと 細 君 と 顔 を 合せ たぎり 、 すぐ 机 へ 向った 。 なん||ごはん||||いま|いく||みちや|せんせい|||ほそ|きみ||かお||あわせ|||つくえ||む った "What is it?" "It's rice." "Okay, I'm coming." Michiya-sensei looked at Hosokun for a moment and then immediately went to his desk. 細 君 の 顔 も すぐ 消えた 。 ほそ|きみ||かお|||きえた Hosokun's face immediately disappeared. 台所 の 方 で くすくす 笑う 声 が する 。 だいどころ||かた|||わらう|こえ|| A giggling voice can be heard in the kitchen. 道也 先生 は この 一節 を かき 終る まで は 飯 も 食い たく ない のだろう 。 みちや|せんせい|||いっせつ|||おわる|||めし||くい||| Michiya probably didn't even want to eat until he had finished writing this passage. やがて 句切り の よい 所 へ 来た と 見えて 、 ちょっと 筆 を 擱 いて 、 傍 へ 積んだ 草稿 を はぐって 見て 「 二百三十一 頁 ( ページ )」 と 独 語 した 。 |くぎり|||しょ||きた||みえて||ふで||かく||そば||つんだ|そうこう||はぐ って|みて|にひゃくさんじゅういち|ぺーじ|ぺーじ||どく|ご| When he reached the right place, he put down his pen for a moment, removed a draft he had piled up beside him, and looked at it, "Two hundred and thirty-one pages." He said it himself. 著述 でも して いる と 見える 。 ちょじゅつ|||||みえる It appears that he is also writing a book. 立って 次の 間 へ 這 入る 。 たって|つぎの|あいだ||は|はいる Stand up and crawl into the next room. 小さな 長火鉢 に 平 鍋 が かかって 、 白い 豆腐 が 煙り を 吐いて 、 ぷる ぷる 顫 えて いる 。 ちいさな|ながひばち||ひら|なべ|||しろい|とうふ||けむり||はいて|||せん|| A small long brazier was covered with a flat pan, and the white tofu was smoking and shaking. 「 湯豆腐 かい 」 「 は あ 、 何にも なくて 、 御 気の毒です が ……」 「 何 、 なんでも いい 。 ゆどうふ||||なんにも||ご|きのどくです||なん|| "Yudofu Ika" I'm sorry you have nothing to show for it. ...... Anything is fine. 食って さえ いれば 何でも 構わ ない 」 と 、 膳 に して 重箱 を かね たる ごとき 四角な もの の 前 へ 坐って 箸 を 執る 。 くって|||なんでも|かまわ|||ぜん|||じゅうばこ|||||しかくな|||ぜん||すわって|はし||とる As long as I can eat, I don't care what it is." He sits down in front of a square object as if it were a stack of stacked boxes and holds up a pair of chopsticks. 「 あら 、 まだ 袴 を 御 脱ぎ なさら ない の 、 随分 ね 」 と 細 君 は 飯 を 盛った 茶碗 を 出す 。 ||はかま||ご|ぬぎ||||ずいぶん|||ほそ|きみ||めし||もった|ちゃわん||だす "Oh, you still haven't taken off your hakama, have you? Hosokun produced a bowl of rice. 「 忙 が しい もの だ から 、 つい 忘れた 」 「 求めて 、 忙 が しい 思 を して いらっしゃる のだ から 、……」 と 云った ぎり 、 細 君 は 、 湯豆腐 の 鍋 と 鉄瓶 と を 懸け 換える 。 ぼう|||||||わすれた|もとめて|ぼう|||おも|||||||うん った||ほそ|きみ||ゆどうふ||なべ||てつびん|||かけ|かえる "I've been so busy that I just forgot." We know you have a busy schedule, so please visit ......." As soon as he said this, Hosokun replaced the pot of tofu with an iron kettle. 「 そう 見える かい 」 と 道也 先生 は 存外 平気である 。 |みえる|||みちや|せんせい||ぞんがい|へいきである "Does it look that way to you?" Michiya is surprisingly unconcerned. 「 だって 、 楽で 御 金 の 取れる 口 は 断って おしまい な すって 、 忙 が しくって 、 一 文 に も なら ない 事 ばかり なさる んです もの 、 誰 だって 酔 興 と 思います わ 」 「 思われて も しようがない 。 |らくで|ご|きむ||とれる|くち||たって||||ぼう||しく って|ひと|ぶん|||||こと|||||だれ||よ|きょう||おもい ます||おもわ れて|| I think it's drunken entertainment for everyone, because you are so busy doing things that don't bring in a penny, that you refuse to take the easy money. It can't be helped if people think that. これ が おれ の 主義 な んだ から 」 「 あなた は 主義 だ から それ で いい でしょう さ 。 ||||しゅぎ||||||しゅぎ||||||| I'm not going to say, "This is my principle," but "You are my principle, and that's all right. しかし 私 は ……」 「 御前 は 主義 が 嫌だ と 云 う の か ね 」 「 嫌 も 好 も ない んです けれども 、 せめて ―― 人並に は ―― なんぼ 私 だって ……」 「 食え さえ すれば いい じゃ ない か 、 贅沢 を 云 や 誰 だって 際限 は ない 」 「 どうせ 、 そう でしょう 。 |わたくし||おまえ||しゅぎ||いやだ||うん|||||いや||よしみ||||||ひとなみに|||わたくし||くえ|||||||ぜいたく||うん||だれ||さいげん||||| But I am ......" "You say you don't like principle?" I don't hate it, I don't like it, but at least - as much as anyone else - I'm ......." "As long as you can eat, that's all that matters, and there's no limit to what you can do and who you can be." I'm sure that's true anyway. 私 なん ざ どんなに なって も 御構い な すっちゃ 下さら ない のでしょう 」 「 この てっか 味噌 は 非常に 辛い な 。 わたくし||||||おかまい|||くださら||||てっ か|みそ||ひじょうに|からい| I'm sure you don't care what happens to me." This miso is very spicy. どこ で 買って 来た のだ 」 「 どこ です か 」 道也 先生 は 頭 を あげて 向 の 壁 を 見た 。 ||かって|きた|||||みちや|せんせい||あたま|||むかい||かべ||みた Where did you get this?" "Where are you?" Michiya raised his head and looked at the wall across from him. 鼠色 の 寒い 色 の 上 に 大きな 細 君 の 影 が 写って いる 。 ねずみいろ||さむい|いろ||うえ||おおきな|ほそ|きみ||かげ||うつって| A large shadow of Hosokun appears on the cold gray color. その 影 と 妻君 と は 同じ ように 無 意義 に 道也 の 眼 に 映 じた 。 |かげ||さいくん|||おなじ||む|いぎ||みちや||がん||うつ| The shadow and his wife were equally and meaninglessly reflected in Michiya's eyes. 影 の 隣り に 糸 織 か と も 思わ れる 、 女 の 晴 衣 が 衣 紋 竹 に つるして かけて ある 。 かげ||となり||いと|お||||おもわ||おんな||はれ|ころも||ころも|もん|たけ|||| Next to the shadow hangs a woman's garment, possibly woven of thread, on a bamboo hanging from the crest of a garment. 細 君 の もの に して は 少し 派出 過ぎる が 、 これ は 多少 景気 の いい 時 、 田舎 で 買って やった もの だ と 今 だに 記憶 して いる 。 ほそ|きみ||||||すこし|はしゅつ|すぎる||||たしょう|けいき|||じ|いなか||かって|||||いま||きおく|| It is a little too ostentatious for a small boy, but I still remember that I bought it in the countryside when the economy was booming. あの 時分 は 今 と は だいぶ 考え も 違って いた 。 |じぶん||いま||||かんがえ||ちがって| My thinking back then was much different from what it is now. 己 れ と 同じ ような 思想 やら 、 感情 やら 持って いる もの は 珍 らしく ある まい と 信じて いた 。 おのれ|||おなじ||しそう||かんじょう||もって||||ちん|||||しんじて| He believed that it would be rare for anyone to have the same thoughts, feelings, and emotions as he did. したがって 文筆 の 力 で 自分 から 卒 先 して 世間 を 警醒 しよう と 云 う 気 に も なら なかった 。 |ぶんぴつ||ちから||じぶん||そつ|さき||せけん||けいせい|||うん||き|||| Therefore, I had no desire to use the power of my writing to alert the world to the fact that I had graduated from the university. 今 は まるで 反対だ 。 いま|||はんたいだ Now it's just the opposite. 世 は 名門 を 謳歌 する 、 世 は 富豪 を 謳歌 する 、 世 は 博士 、 学士 まで を も 謳歌 する 。 よ||めいもん||おうか||よ||ふごう||おうか||よ||はかせ|がくし||||おうか| The world enjoys prestige, the world enjoys riches, the world enjoys doctorates and even bachelor's degrees. しかし 公正な 人格 に 逢う て 、 位 地 を 無にし 、 金銭 を 無にし 、 もしくは その 学力 、 才 芸 を 無にして 、 人格 そのもの を 尊敬 する 事 を 解して おら ん 。 |こうせいな|じんかく||あう||くらい|ち||むにし|きんせん||むにし|||がくりょく|さい|げい||むにして|じんかく|その もの||そんけい||こと||かいして|| But you do not understand that to meet a fair character is to respect character without position, without money, or without learning or talent. 人間 の 根本 義 たる 人格 に 批判 の 標準 を 置か ず して 、 その 上皮 たる 附属 物 を もって すべて を 律しよう と する 。 にんげん||こんぽん|ただし||じんかく||ひはん||ひょうじゅん||おか||||じょうひ||ふぞく|ぶつ|||||りっしよう|| It does not set the standard of criticism on the fundamental righteousness of the human person, but tries to rule everything by means of its superficies and accessories. この 附属 物 と 、 公正なる 人格 と 戦う とき 世間 は 必ず 、 この 附属 物 に 雷 同 して 他の 人格 を 蹂躙 せ ん と 試みる 。 |ふぞく|ぶつ||こうせいなる|じんかく||たたかう||せけん||かならず||ふぞく|ぶつ||かみなり|どう||たの|じんかく||じゅうりん||||こころみる Whenever this appendage is pitted against a fair character, the world will always try to thunderbolt it and overrun the other character. 天下一 人 の 公正なる 人格 を 失う とき 、 天下一 段 の 光明 を 失う 。 てんかいち|じん||こうせいなる|じんかく||うしなう||てんかいち|だん||こうみょう||うしなう When you lose the most fair character under heaven, you lose the brightest light under heaven. 公正なる 人格 は 百 の 華族 、 百 の 紳商 、 百 の 博士 を もって する も 償い がたき ほど 貴き もの である 。 こうせいなる|じんかく||ひゃく||かぞく|ひゃく||しんしょう|ひゃく||はかせ|||||つぐない|||とうとき|| A fair character is more precious than a hundred noblemen, a hundred merchants, and a hundred doctors. われ は この 人格 を 維持 せ ん が ため に 生れ たる の ほか 、 人 世に おいて 何ら の 意義 を も 認め 得 ぬ 。 |||じんかく||いじ||||||うまれ||||じん|よに||なんら||いぎ|||みとめ|とく| I was born to maintain this character and have no other significance in this life. 寒 に 衣 し 、 餓 に 食する は この 人格 を 維持 する の 一 便法 に 過ぎ ぬ 。 さむ||ころも||が||しょくする|||じんかく||いじ|||ひと|べんぽう||すぎ| Clothing in the cold and eating in hunger is only one way to maintain one's character. 筆 を 呵 し 硯 を 磨 する の も また この 人格 を 他の 面 上 に 貫徹 する の 方策 に 過ぎ ぬ 。 ふで||か||すずり||みがく||||||じんかく||たの|おもて|うえ||かんてつ|||ほうさく||すぎ| Polishing the brush and polishing the inkstone is just another way to carry this character through to other aspects of one's life. ―― これ が 今 の 道也 の 信念 である 。 ||いま||みちや||しんねん| -- This is the belief of Doya now. この 信念 を 抱いて 世に 処する 道也 は 細 君 の 御機嫌 ばかり 取って は おれ ぬ 。 |しんねん||いだいて|よに|しょする|みちや||ほそ|きみ||ごきげん||とって||| I am not to be taken in only by the good graces of the fine lord, but I am to live with this belief. 壁 に 掛けて あった 小 袖 を 眺めて いた 道也 は しばらく して 、 夕飯 を 済まし ながら 、 「 どこ ぞ へ 行った の かい 」 と 聞く 。 かべ||かけて||しょう|そで||ながめて||みちや||||ゆうはん||すまし|||||おこなった||||きく After a while, Michiyo looked at the sleeves hanging on the wall, and while finishing his supper, he asked, "Where did you go? I ask, "What are you doing? 「 ええ 」 と 細 君 は 二 字 の 返事 を 与えた 。 ||ほそ|きみ||ふた|あざ||へんじ||あたえた "Yes." Hosokun gave a two-character reply. 道也 は 黙って 、 茶 を 飲んで いる 。 みちや||だまって|ちゃ||のんで| Michiya is drinking tea in silence. 末 枯 る る 秋 の 時節 だけ に すこぶる 閑静な 問答 である 。 すえ|こ|||あき||じせつ||||かんせいな|もんどう| The question and answer is very quiet, especially during the waning days of autumn. 「 そう 、 べん べん と 真田 の 方 を 引っ張っと く 訳 に も 行き ませ ず 、 家主 の 方 も どうかしなければ なら ず 、 今月 の 末 に なる と 米 薪 の 払 で また 心配 し なくっちゃ なりません から 、 算段 に 出掛けた んです 」 と 今度 は 細 君 の 方 から 切り出した 。 ||||さなだ||かた||ひっぱ っと||やく|||いき|||やぬし||かた||どうかし なければ|||こんげつ||すえ||||べい|まき||はら|||しんぱい|||なり ませ ん||さんだん||でかけた|||こんど||ほそ|きみ||かた||きりだした |||||||||||||||||||||||||||||||||doing||||||||||||||||||| I couldn't just sit on my hands and wait for Sanada to come back, but I also had to take care of the landlord, and at the end of the month I would have to worry about paying for the rice and firewood again, so I went out to make the necessary arrangements. This time, Hosokun started to cut in. 「 そう か 、 質屋 へ でも 行った の かい 」 「 質 に 入れる ような もの は 、 もう ありゃ しません わ 」 と 細 君 は 恨めし そうに 夫 の 顔 を 見る 。 ||しちや|||おこなった|||しち||いれる||||||し ませ ん|||ほそ|きみ||うらめし|そう に|おっと||かお||みる "Oh, I see, you went to the pawn shop." There's nothing left to pawn. The little girl looked at her husband with resentment. 「 じゃ 、 どこ へ 行った ん だい 」 「 どこって 、 別に 行く 所 も ありません から 、 御 兄さん の 所 へ 行きました 」 「 兄 の 所 ? |||おこなった|||どこ って|べつに|いく|しょ||あり ませ ん||ご|にいさん||しょ||いき ました|あに||しょ "Then where did he go?" I don't have anywhere to go, so I went to your brother's." My brother's place? 駄目だ よ 。 だめだ| No. 兄 の 所 な ん ぞ へ 行ったって 、 何 に なる もの か 」 「 そう 、 あなた は 、 何でも 始 から 、 けなして おしま い なさる から 、 よく ない んです 。 あに||しょ|||||おこなった って|なん||||||||なんでも|はじめ||||||||| What good will it do me to go to my brother's place? Yes, it's not good because you always belittle everything from the beginning. いくら 教育 が 違う からって 、 気性 が 合わ ない からって 、 血 を 分けた 兄弟 じゃ ありません か 」 「 兄弟 は 兄弟 さ 。 |きょういく||ちがう|から って|きしょう||あわ||から って|ち||わけた|きょうだい||あり ませ ん||きょうだい||きょうだい| Just because we have different educational backgrounds and different temperaments doesn't mean we're not blood brothers." A brother is a brother. 兄弟 で ない と は 云 わん 」 「 だ から さ 、 膝 と も 談合 と 云 う じゃ ありません か 。 きょうだい|||||うん|||||ひざ|||だんごう||うん|||あり ませ ん| I ain't saying we ain't brothers. So, you know, they call it collusion at the knees, too. こんな 時 に は 、 ちっと 相談 に いらっしゃる が いい じゃ ありません か 」 「 おれ は 、 行か ん よ 」 「 それ が 痩我慢 です よ 。 |じ|||ち っと|そうだん||||||あり ませ ん||||いか|||||やせがまん|| In times like this, it's good to come in for a little advice. I'm not going. That's what slimming down is all about. あなた は それ が 癖 な んです よ 。 ||||くせ||| It's a habit of yours. 損じゃ あ 、 ありません か 、 好んで 人 に 嫌われて ……」 道也 先生 は 空 然 と して 壁 に 動く 細 君 の 影 を 見て いる 。 そんじゃ||あり ませ ん||このんで|じん||きらわ れて|みちや|せんせい||から|ぜん|||かべ||うごく|ほそ|きみ||かげ||みて| Isn't it a loss to be hated by people who want to hate you ......" Michiya-sensei looked blankly at Hosokun's shadow moving on the wall. 「 それ で 才覚 が 出来た の かい 」 「 あなた は 何でも 一足 飛 ね 」 「 なに が 」 「 だって 、 才覚 が 出来る 前 に は それぞれ 魂胆 も あれば 工面 も ある じゃ ありません か 」 「 そう か 、 それ じゃ 最初 から 聞き 直そう 。 ||さいかく||できた|||||なんでも|ひとあし|と|||||さいかく||できる|ぜん||||こんたん|||くめん||||あり ませ ん||||||さいしょ||きき|なおそう "So you've developed a gift." "You're a step ahead of everything." What is... Because before you can be ingenious, you have to have a certain amount of ingenuity and ingenuity." I see, so let's start from the beginning. で 、 御前 が 兄 の うち へ 行った んだ ね 。 |おまえ||あに||||おこなった|| So you went to your brother's house. おれ に 内 所 で 」 「 内 所 だって 、 あなた の ため じゃ ありません か 」 「 いい よ 、 ため で いい よ 。 ||うち|しょ||うち|しょ||||||あり ませ ん||||||| On my premises." "Because of the inside, it's for your own good, isn't it?" I said, "Okay, that's fine. それ から 」 「 で 御 兄さん に 、 御 目 に 懸って いろいろ 今 まで の 御無沙汰 の 御 詫 やら 、 何やら して 、 それ から 一部始終 の 御 話 を した んです 」 「 それ から 」 「 する と 御 兄さん が 、 そりゃ 御前 に は 大変 気の毒だって 大変 私 に 同情 して 下さって ……」 「 御前 に 同情 した 。 |||ご|にいさん||ご|め||かかって||いま|||ごぶさた||ご|た||なにやら||||いちぶしじゅう||ご|はなし||||||||ご|にいさん|||おまえ|||たいへん|きのどく だって|たいへん|わたくし||どうじょう||くださって|おまえ||どうじょう| Then..." I went to see your brother and apologized for my long absence and told him the whole story. "From it." Then your brother told me how sorry he was for your loss and expressed his sympathy for me. ......" I felt sorry for you. ふうん 。 ―― ちょっと その 炭 取 を 取れ 。 ||すみ|と||とれ -- Take the charcoal. 炭 を つが ない と 火種 が 切れる 」 「 で 、 そりゃ 早く 整理 し なくっちゃ 駄目だ 。 すみ|||||ひだね||きれる|||はやく|せいり|||だめだ If you don't light the coals, you can burn the sparks." I'm not sure how much I'm going to be able to do with this. 全体 なぜ 今 まで 抛って 置いた ん だって おっしゃる んです 」 「 旨 い 事 を 云 わ あ 」 「 まだ 、 あなた は 御 兄さん を 疑って いらっしゃる の ね 。 ぜんたい||いま||なげうって|おいた|||||むね||こと||うん||||||ご|にいさん||うたがって||| Why did you leave it alone all this time?" "You've got a good point." I know you still have doubts about your brother. 罰 が あたります よ 」 「 それ で 、 金 でも 貸した の かい 」 「 ほら また 一足飛び を なさる 」 道也 先生 は 少々 おかしく なった と 見えて 、 に やり と 下 を 向き ながら 、 黒く 積んだ 炭 を 吹き出した 。 ばち||あたり ます||||きむ||かした|||||いっそくとび|||みちや|せんせい||しょうしょう||||みえて||||した||むき||くろく|つんだ|すみ||ふきだした You will be punished. "So, did you lend him money?" "You see, he takes another flying leap." Michiya-sensei looked a little confused, looked down with a grin, and blew out the black pile of coals. 「 まあ どの くらい あれば 、 これ まで の 穴 が 奇麗に 埋る の か と 御 聞き に なる から 、―― よっぽど 言い悪かった んです けれども ―― とうとう 思い切って ね ……」 で ちょっと 留めた 。 |||||||あな||きれいに|うずまる||||ご|きき|||||いいにくかった||||おもいきって||||とどめた I'm sorry to have to tell you this, but I finally took the plunge..." I've finally taken the plunge..." I stopped for a moment. 道也 は しきりに 吹いて いる 。 みちや|||ふいて| Michiya is blowing it constantly. 「 ねえ 、 あなた 。 とうとう 思い切って ね ―― あなた 。 |おもいきって|| You finally took the plunge. 聞いて いらっしゃら ない の 」 「 聞いて る よ 」 と 赫気 で 赤く なった 顔 を あげた 。 きいて||||きいて||||せきき||あかく||かお|| You didn't hear me." I'm listening. He raised his face, which was flushed with radiance. 「 思い切って 百 円 ばかり と 云った の 」 「 そう か 。 おもいきって|ひゃく|えん|||うん った||| I said, "I'm going to go out on a limb and ask for a hundred yen or so. 兄 は 驚 ろ いたろう 」 「 そう したら ね 。 あに||おどろ||||| ふうん て 考えて 、 百 円 と 云 う 金 は 、 なかなか 容易に 都合 が つく 訳 の もの じゃ ない ……」 「 兄 の 云 い そうな 事 だ 」 「 まあ 聞いて いらっしゃい 。 ||かんがえて|ひゃく|えん||うん||きむ|||よういに|つごう|||やく|||||あに||うん||そう な|こと|||きいて| |thinking|||||||||||||||||||||||||||| The first thing you need to do is to find a good place to put your money. まだ 、 あと が 有る んです 。 |||ある| There is still time for more. ―― しかし 、 ほか の 事 と は 違う から 、 是非 なければ 困る と 云 う なら おれ が 保証人 に なって 、 人 から 借りて やって も いいって 仰 しゃ る んです 」 「 あやしい もの だ 」 「 まあ さ 、 しまい まで 御 聞き なさい 。 |||こと|||ちがう||ぜひ||こまる||うん|||||ほしょうにん|||じん||かりて|||い いって|あお|||||||||||ご|きき| -- But it's not like other things, so he said, "If you say you can't do without it, I'll be your guarantor and you can borrow it from other people. "It's shady." Well, just follow me to the end. ―― それ で 、 ともかくも 本人 に 逢って 篤と 了 簡 を 聞いた 上 に しよう と 云 う ところ まで に 漕ぎつけて 来た のです 」 細 君 は 大 功名 を した ように 頬 骨 の 高い 顔 を 持ち上げて 、 夫 を 覗き込んだ 。 |||ほんにん||あって|とくと|さとる|かん||きいた|うえ||||うん|||||こぎつけて|きた||ほそ|きみ||だい|こうみょう||||ほお|こつ||たかい|かお||もちあげて|おっと||のぞきこんだ -- So, I've come to the point where I'm going to meet him and ask him for a brief explanation of his illness. Hosokun lifted his high-cheeked face and looked at her husband as if he had done her a great favor. 細 君 の 眼 つき が 云 う 。 ほそ|きみ||がん|||うん| The eyes of the little boy said, "I'm not a good person. 夫 は 意気地なし である 。 おっと||いくじなし| My husband is a coward. 終日 終夜 、 机 と 首っ引 を して 、 兀々 と 出 精 し ながら 、 妻 と 自分 を 安らかに 養う ほど の 働き も ない 。 しゅうじつ|しゅうや|つくえ||くび っ ひ|||こつ々||だ|せい|||つま||じぶん||やすらかに|やしなう|||はたらき|| I don't work hard enough to provide for my wife and myself in peace, while I am at my desk all day and all night, working feverishly to keep myself and my wife alive. 「 そう か 」 と 道也 は 云った ぎり 、 この 手腕 に 対して 、 別段 に 感謝 の 意 を 表しよう と も せ ぬ 。 |||みちや||うん った|||しゅわん||たいして|べつだん||かんしゃ||い||ひょうしよう|||| "Right." As much as Michiya said this, he did not express his gratitude for his skill. 「 そう か じゃ 困ります わ 。 |||こまり ます| I'm in trouble then. 私 が ここ まで 拵えた のだ から 、 あと は 、 あなた が 、 どう と も 為さら なくっちゃ あ 。 わたくし||||こしらえた||||||||||なさら|| I've done all the work here, so now it's up to you to take care of the rest. あなた の 楫 の とり よう で せっかく の 私 の 苦心 も 何の 役 に も 立た なく なります わ 」 「 いい さ 、 そう 心配 する な 。 ||しゅう|||||||わたくし||くしん||なんの|やく|||たた||なり ます|||||しんぱい|| Your leadership will make all my efforts worthless. Don't worry about it. もう 一 ヵ 月 も すれば 百 や 弐 百 の 金 は 手 に 這 入る 見 込 が ある から 」 と 道也 先生 は 何の 苦 も なく 云って 退けた 。 |ひと||つき|||ひゃく||に|ひゃく||きむ||て||は|はいる|み|こみ|||||みちや|せんせい||なんの|く|||うん って|しりぞけた In another month, I'm sure I'll have a hundred or two hundred dollars in my pocket. Michiya-sensei said, "I'm sorry, but I can't help it," and dismissed him without any difficulty. 江 湖 雑誌 の 編 輯 で 二十 円 、 英和 字典 の 編纂 で 十五 円 、 これ が 道也 の きまった 収入 である 。 こう|こ|ざっし||へん|しゅう||にじゅう|えん|えいわ|じてん||へんさん||じゅうご|えん|||みちや|||しゅうにゅう| |||||||||||of||||||||||| The editing of the Kangho magazine was 20 yen, and the compilation of the English-Japanese lexicon was 15 yen, which was Doya's fixed income. 但し この ほか に 仕事 は いくら でも する 。 ただし||||しごと|||| However, I do a lot of other work as well. 新聞 に かく 、 雑誌 に かく 。 しんぶん|||ざっし|| Read in newspapers and magazines. かく 事 に おいて は 毎日 毎夜 筆 を 休ま せた 事 は ない くらい である 。 |こと||||まいにち|まいよ|ふで||やすま||こと|||| I have never stopped writing every day and every night. しかし 金 に は なら ない 。 |きむ|||| But there is no money. たま さ か 二 円 、 三 円 の 報酬 が 彼 の 懐 に 落つ る 時 、 彼 は かえって 不思議に 思う のみ である 。 |||ふた|えん|みっ|えん||ほうしゅう||かれ||ふところ||おちつ||じ|かれ|||ふしぎに|おもう|| When the occasional two or three yen reward drops into his pocket, he only wonders why. この 物質 的に 何ら の 功 能 も ない 述作 的 労力 の 裡 に は 彼 の 生命 が ある 。 |ぶっしつ|てきに|なんら||いさお|のう|||じゅつさく|てき|ろうりょく||り|||かれ||せいめい|| His life is behind this predatory labor, which has no material merit. 彼 の 気 魄 が 滴 々 の 墨汁 と 化して 、 一 字 一 画 に 満 腔 の 精神 が 飛 動 して いる 。 かれ||き|はく||しずく|||ぼくじゅう||かして|ひと|あざ|ひと|が||まん|こう||せいしん||と|どう|| His spirit has turned into drops of ink, and every word and stroke is full of spirit. この 断 篇 が 読者 の 眼 に 映 じた 時 、 瞳 裏 に 一 道 の 電流 を 呼び起して 、 全身 の 骨 肉 が 刹那 に 震え かし と 念じて 、 道也 は 筆 を 執る 。 |だん|へん||どくしゃ||がん||うつ||じ|ひとみ|うら||ひと|どう||でんりゅう||よびおこして|ぜんしん||こつ|にく||せつな||ふるえ|||ねんじて|みちや||ふで||とる |section|||||||||||||||||||||||||||||||||| When this fragment appears in the eyes of the reader, Doya writes with the hope that it will awaken the current of Isshidou in his pupils, and that his whole frame will tremble for a moment. 吾輩 は 道 を 載 す 。 わがはい||どう||の| I am the road. 道 を 遮 ぎ る もの は 神 と いえ ども 許さ ず と 誓って 紙 に 向 う 。 どう||さえぎ|||||かみ||||ゆるさ|||ちかって|かみ||むかい| I turn to the paper and swear that I will not allow anything to stand in my way, not even God. 誠 は 指 頭 より 迸って 、 尖る 毛 穎 の 端に 紙 を 焼く 熱気 ある が ごとき 心地 にて 句 を 綴る 。 まこと||ゆび|あたま||ほとばしって|とがる|け|えい||はしたに|かみ||やく|ねっき||||ここち||く||つづる Makoto's fingers gush out from his head, and the sharp edges of his hair burn as if the paper were burning hot. 白紙 が 人格 と 化して 、 淋漓 と して 飛 騰 する 文章 が ある と すれば 道也 の 文章 は まさに これ である 。 はくし||じんかく||かして|りんり|||と|とう||ぶんしょう|||||みちや||ぶんしょう|||| If there is a text in which a blank sheet of paper is transformed into a persona, then Michiya's text is exactly like this. されど も 世 は 華族 、 紳商 、 博士 、 学士 の 世 である 。 ||よ||かぞく|しんしょう|はかせ|がくし||よ| Nevertheless, this was the age of the aristocracy, gentlemen merchants, doctors, and scholars. 附属 物 が 本体 を 踏み潰す 世 である 。 ふぞく|ぶつ||ほんたい||ふみつぶす|よ| This is a world in which annexes trample over the body. 道也 の 文章 は 出る たび に 黙殺 せられて いる 。 みちや||ぶんしょう||でる|||もくさつ|せら れて| Every time Michiya's text appeared, it was silenced. 妻君 は 金 に なら ぬ 文章 を 道楽 文章 と 云 う 。 さいくん||きむ||||ぶんしょう||どうらく|ぶんしょう||うん| ||||is not|||||||| My wife calls writing that doesn't bring in any money "writing for pleasure. 道楽 文章 を 作る もの を 意気地なし と 云 う 。 どうらく|ぶんしょう||つくる|||いくじなし||うん| A person who writes for amusement is called a "spineless person. 道也 の 言葉 を 聞いた 妻君 は 、 火箸 を 灰 の なか に 刺した まま 、 「 今 でも 、 そんな 御 金 が 這 入る 見 込 が ある んです か 」 と 不思議 そうに 尋ねた 。 みちや||ことば||きいた|さいくん||ひばし||はい||||さした||いま|||ご|きむ||は|はいる|み|こみ||||||ふしぎ|そう に|たずねた Hearing Michiya's words, his wife stuck the tongs in the ashes and asked, "Even now, do you still expect to receive such money? I asked curiously. 「 今 は 昔 より 下落 した と 云 う の かい 。 いま||むかし||げらく|||うん||| I'm not sure what to make of it, but I'd like to see it go down. ハハハハハ 」 と 道也 先生 は 大きな 声 を 出して 笑った 。 ||みちや|せんせい||おおきな|こえ||だして|わらった Ha ha ha ha ha." Michiya-sensei laughed out loud. 妻君 は 毒気 を 抜かれて 口 を あける 。 さいくん||どっけ||ぬか れて|くち|| His wife opens her mouth, her venom gone. 「 ど うりゃ 一 勉強 やろう か 」 と 道也 は 立ち上がる 。 ||ひと|べんきょう||||みちや||たちあがる "Let's study one more time." Michiya stood up. その 夜 彼 は 彼 の 著述 人格 論 を 二百五十 頁 まで かいた 。 |よ|かれ||かれ||ちょじゅつ|じんかく|ろん||にひゃくごじゅう|ぺーじ|| That night, he wrote a 250-page essay on personality. 寝た の は 二 時 過 である 。 ねた|||ふた|じ|か| It was after two o'clock when I went to bed.