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芥川 龍之介, Akutagawa Ryūnosuke, 蜘蛛の糸 (1918)

蜘蛛 の 糸 (1918)

蜘蛛 の 糸

ある 日 の 事 で ございます 。 御 釈迦 様 は 極楽 の 蓮池 の ふち を 、 独り で ぶらぶら 御 歩き に なって いらっしゃいました 。 池 の 中 に 咲いて いる 蓮 の 花 は 、 みんな 玉 の ように まっ白 で 、 その まん 中 に ある 金色 の 蕊 から は 、 何とも 云 え ない 好 い 匂 が 、 絶間 なく あたり へ 溢れて 居ります 。 極楽 は 丁度 朝 な ので ございましょう 。 ・・

やがて 御 釈迦 様 は その 池 の ふち に 御 佇み に なって 、 水 の 面 を 蔽って いる 蓮 の 葉 の 間 から 、 ふと 下 の 容子 を 御覧 に なりました 。 この 極楽 の 蓮池 の 下 は 、 丁度 地獄 の 底 に 当って 居ります から 、 水晶 の ような 水 を 透き 徹して 、 三 途 の 河 や 針 の 山 の 景色 が 、 丁度 覗き 眼鏡 を 見る ように 、 はっきり と 見える ので ございます 。 ・・

する と その 地獄 の 底 に 、 犍陀 多 と 云 う 男 が 一 人 、 ほか の 罪人 と 一しょに 蠢いて いる 姿 が 、 御 眼 に 止まりました 。 この 犍陀 多 と 云 う 男 は 、 人 を 殺したり 家 に 火 を つけたり 、 いろいろ 悪事 を 働いた 大 泥 坊 で ございます が 、 それ でも たった 一 つ 、 善い 事 を 致した 覚え が ございます 。 と 申します の は 、 ある 時 この 男 が 深い 林 の 中 を 通ります と 、 小さな 蜘蛛 が 一 匹 、 路 ば た を 這って 行く の が 見えました 。 そこ で 犍陀 多 は 早速 足 を 挙げて 、 踏み 殺そう と 致しました が 、「 いや 、 いや 、 これ も 小さい ながら 、 命 の ある もの に 違いない 。 その 命 を 無 暗に とる と 云 う 事 は 、 いくら 何でも 可哀そうだ 。」 と 、 こう 急に 思い返して 、 とうとう その 蜘蛛 を 殺さ ず に 助けて やった から で ございます 。 ・・

御 釈迦 様 は 地獄 の 容子 を 御覧 に なり ながら 、 この 犍陀 多 に は 蜘蛛 を 助けた 事 が ある の を 御 思い出し に なりました 。 そうして それ だけ の 善い 事 を した 報 に は 、 出来る なら 、 この 男 を 地獄 から 救い出して やろう と 御 考え に なりました 。 幸い 、 側 を 見ます と 、 翡翠 の ような 色 を した 蓮 の 葉 の 上 に 、 極楽 の 蜘蛛 が 一 匹 、 美しい 銀色 の 糸 を かけて 居ります 。 御 釈迦 様 は その 蜘蛛 の 糸 を そっと 御手 に 御 取り に なって 、 玉 の ような 白 蓮 の 間 から 、 遥か 下 に ある 地獄 の 底 へ 、 まっすぐに それ を 御 下し なさいました 。 ・・

二 -- こちら は 地獄 の 底 の 血 の 池 で 、 ほか の 罪人 と 一しょに 、 浮いたり 沈んだり して いた 犍陀 多 で ございます 。 何しろ どちら を 見て も 、 まっ暗 で 、 たまに その くら 暗 から ぼんやり 浮き上って いる もの が ある と 思います と 、 それ は 恐し い 針 の 山 の 針 が 光る ので ございます から 、 その 心細 さ と 云ったら ございませ ん 。 その 上 あたり は 墓 の 中 の ように しんと 静まり返って 、 たまに 聞える もの と 云って は 、 ただ 罪人 が つく 微 な 嘆息 ばかり で ございます 。 これ は ここ へ 落ちて 来る ほど の 人間 は 、 もう さまざまな 地獄 の 責 苦 に 疲れはてて 、 泣声 を 出す 力 さえ なくなって いる ので ございましょう 。 です から さすが 大 泥 坊 の 犍陀 多 も 、 やはり 血 の 池 の 血 に 咽び ながら 、 まるで 死に かかった 蛙 の ように 、 ただ もがいて ばかり 居りました 。 ・・

ところ が ある 時 の 事 で ございます 。 何気なく 犍陀 多 が 頭 を 挙げて 、 血 の 池 の 空 を 眺めます と 、 その ひっそり と した 暗 の 中 を 、 遠い 遠い 天上 から 、 銀色 の 蜘蛛 の 糸 が 、 まるで 人目 に かかる の を 恐れる ように 、 一すじ 細く 光り ながら 、 するする と 自分 の 上 へ 垂れて 参る ので は ございませ ん か 。 犍陀 多 は これ を 見る と 、 思わず 手 を 拍って 喜びました 。 この 糸 に 縋りついて 、 どこまでも のぼって 行けば 、 きっと 地獄 から ぬけ出せる の に 相違 ございませ ん 。 いや 、 うまく 行く と 、 極楽 へ は いる 事 さえ も 出来ましょう 。 そう すれば 、 もう 針 の 山 へ 追い上げられる 事 も なくなれば 、 血 の 池 に 沈められる 事 も ある 筈 は ございませ ん 。 ・・

こう 思いました から 犍陀 多 は 、 早速 その 蜘蛛 の 糸 を 両手 で しっかり と つかみ ながら 、 一生懸命に 上 へ 上 へ と たぐり のぼり 始めました 。 元 より 大 泥 坊 の 事 で ございます から 、 こう 云 う 事 に は 昔 から 、 慣れ 切って いる ので ございます 。 ・・

しかし 地獄 と 極楽 と の 間 は 、 何 万里 と なく ございます から 、 いくら 焦って 見た 所 で 、 容易に 上 へ は 出られません 。 やや しばらく のぼる 中 に 、 とうとう 犍 陀多 も くたびれて 、 もう 一 たぐり も 上 の 方 へ は のぼれ なく なって しまいました 。 そこ で 仕方 が ございませ ん から 、 まず 一休み 休む つもりで 、 糸 の 中途 にぶら 下り ながら 、 遥かに 目 の 下 を 見下しました 。 ・・

する と 、 一生懸命に のぼった 甲斐 が あって 、 さっき まで 自分 が いた 血 の 池 は 、 今では もう 暗 の 底 に いつの間にか かくれて 居ります 。 それ から あの ぼんやり 光って いる 恐 し い 針 の 山 も 、 足 の 下 に なって しまいました 。 この 分 で のぼって 行けば 、 地獄 から ぬけ出す の も 、 存外 わけ が ない かも 知れません 。 犍 陀多 は 両手 を 蜘蛛 の 糸 に からみ ながら 、 ここ へ 来て から 何 年 に も 出した 事 の ない 声 で 、「 しめた 。 しめた 。」 と 笑いました 。 ところが ふと 気 が つきます と 、 蜘蛛 の 糸 の 下 の 方 に は 、 数 限 も ない 罪人 たち が 、 自分 の のぼった 後 を つけて 、 まるで 蟻 の 行列 の ように 、 やはり 上 へ 上 へ 一心に よじのぼって 来る で は ございませ ん か 。 犍 陀多 は これ を 見る と 、 驚いた の と 恐し い の と で 、 しばらく は ただ 、 莫迦 の ように 大きな 口 を 開いた まま 、 眼 ばかり 動かして 居りました 。 自分 一 人 で さえ 断れ そうな 、 この 細い 蜘蛛 の 糸 が 、 どうして あれ だけ の 人数 の 重み に 堪える 事 が 出来ましょう 。 もし 万一 途中 で 断れた と 致しましたら 、 折角 ここ へ まで のぼって 来た この 肝 腎 な 自分 まで も 、 元 の 地獄 へ 逆落し に 落ちて しまわ なければ なりません 。 そんな 事 が あったら 、 大変で ございます 。 が 、 そう 云 う 中 に も 、 罪人 たち は 何 百 と なく 何 千 と なく 、 まっ暗 な 血 の 池 の 底 から 、 うようよ と 這い上って 、 細く 光って いる 蜘蛛 の 糸 を 、 一 列 に なり ながら 、 せっせと のぼって 参ります 。 今 の 中 に どうかしなければ 、 糸 は まん 中 から 二 つ に 断れて 、 落ちて しまう の に 違い ありません 。 ・・

そこ で 犍陀 多 は 大きな 声 を 出して 、「 こら 、 罪人 ども 。 この 蜘蛛 の 糸 は 己 の もの だ ぞ 。 お前たち は 一体 誰 に 尋 いて 、 のぼって 来た 。 下りろ 。 下りろ 。」 と 喚 きました 。 ・・

その 途端 で ございます 。 今 まで 何とも なかった 蜘蛛 の 糸 が 、 急に 犍陀 多 の ぶら 下って いる 所 から 、 ぷつり と 音 を 立てて 断れました 。 ですから 犍陀 多 も たまりません 。 あっと 云 う 間もなく 風 を 切って 、 独楽 の ように くるくる まわり ながら 、 見る見る 中 に 暗 の 底 へ 、 まっさかさまに 落ちて しまいました 。 ・・

後 に は ただ 極楽 の 蜘蛛 の 糸 が 、 きらきら と 細く 光り ながら 、 月 も 星 も ない 空 の 中途 に 、 短く 垂れて いる ばかりで ございます 。 ・・

三 -- 御 釈迦 様 は 極楽 の 蓮池 の ふち に 立って 、 この 一部始終 を じっと 見て いらっしゃいました が 、 やがて 犍陀 多 が 血 の 池 の 底 へ 石 の ように 沈んで しまいます と 、 悲し そうな 御 顔 を なさり ながら 、 また ぶらぶら 御 歩き に なり 始めました 。 自分 ばかり 地獄 から ぬけ出そう と する 、 犍陀 多 の 無慈悲な 心 が 、 そうして その 心 相当な 罰 を うけて 、 元 の 地獄 へ 落ちて しまった の が 、 御 釈迦 様 の 御 目 から 見る と 、 浅間 しく 思召 さ れた ので ございましょう 。 ・・

しかし 極楽 の 蓮池 の 蓮 は 、 少しも そんな 事 に は 頓着 致しません 。 その 玉 の ような 白い 花 は 、 御 釈迦 様 の 御 足 の まわり に 、 ゆらゆら 萼 を 動かして 、 その まん 中 に ある 金色 の 蕊 から は 、 何とも 云 え ない 好 い 匂 が 、 絶間 なく あたり へ 溢れて 居ります 。 極楽 も もう 午 に 近く なった ので ございましょう 。 ・・

( 大正 七 年 四 月 十六 日 )


蜘蛛 の 糸 (1918) くも||いと The Spider's Thread (1918) O Fio da Aranha (1918)

蜘蛛 の 糸 くも||いと

ある 日 の 事 で ございます 。 |ひ||こと|| One day, I was in the middle of a project. 御 釈迦 様 は 極楽 の 蓮池 の ふち を 、 独り で ぶらぶら 御 歩き に なって いらっしゃいました 。 ご|しゃか|さま||ごくらく||はすいけ||||ひとり|||ご|あるき|||いらっしゃい ました Buddha was walking alone at the lotus pond at the frame of Paradise. Buda estava a caminhar sozinho no lago de lótus na moldura do Paraíso. 池 の 中 に 咲いて いる 蓮 の 花 は 、 みんな 玉 の ように まっ白 で 、 その まん 中 に ある 金色 の 蕊 から は 、 何とも 云 え ない 好 い 匂 が 、 絶間 なく あたり へ 溢れて 居ります 。 いけ||なか||さいて||はす||か|||たま|||まっしろ||||なか|||きんいろ||ずい|||なんとも|うん|||よしみ||にお||たえま||||あふれて|おり ます The lotus flowers blooming in the pond are all as white as balls, and the golden stamens in their fullness fill the air with an indescribable odor. As flores de lótus em flor no lago são todas brancas como bolas, e os estames dourados na sua plenitude enchem o ar com um odor indescritível. 極楽 は 丁度 朝 な ので ございましょう 。 ごくらく||ちょうど|あさ||| It's just morning in paradise. O paraíso é só de manhã, por isso deve ser. ・・

やがて 御 釈迦 様 は その 池 の ふち に 御 佇み に なって 、 水 の 面 を 蔽って いる 蓮 の 葉 の 間 から 、 ふと 下 の 容子 を 御覧 に なりました 。 |ご|しゃか|さま|||いけ||||ご|たたずみ|||すい||おもて||へい って||はす||は||あいだ|||した||ようこ||ごらん||なり ました At last, standing at the pond, Buddha suddenly looked down through the lotus leaves covering the surface of the water. Por fim, estando emoldurado no lago, Buda olhou subitamente para baixo através das folhas de lótus que cobriam a superfície da água e viu o Bodhisattva lá em baixo. この 極楽 の 蓮池 の 下 は 、 丁度 地獄 の 底 に 当って 居ります から 、 水晶 の ような 水 を 透き 徹して 、 三 途 の 河 や 針 の 山 の 景色 が 、 丁度 覗き 眼鏡 を 見る ように 、 はっきり と 見える ので ございます 。 |ごくらく||はすいけ||した||ちょうど|じごく||そこ||あたって|おり ます||すいしょう|||すい||すき|てっして|みっ|と||かわ||はり||やま||けしき||ちょうど|のぞき|めがね||みる||||みえる|| The bottom of this lotus pond in Paradise is right at the bottom of Hell, so the water is crystal clear, and the view of the rivers of the Three Ways and the Needle Mountain can be seen as clearly as through a pair of peepers. O fundo deste lago de lótus no Paraíso está exatamente no fundo do Inferno, pelo que a água cristalina é cristalina e a paisagem dos rios dos Três Caminhos e da Montanha das Agulhas pode ser vista claramente, tal como se estivesse a olhar através de um par de óculos de espião. ・・

する と その 地獄 の 底 に 、 犍陀 多 と 云 う 男 が 一 人 、 ほか の 罪人 と 一しょに 蠢いて いる 姿 が 、 御 眼 に 止まりました 。 |||じごく||そこ||犍だ|おお||うん||おとこ||ひと|じん|||ざいにん||いっしょに|うごめいて||すがた||ご|がん||とまり ました Then, at the bottom of the hell, I saw a man named Kandata writhing with other sinners. この 犍陀 多 と 云 う 男 は 、 人 を 殺したり 家 に 火 を つけたり 、 いろいろ 悪事 を 働いた 大 泥 坊 で ございます が 、 それ でも たった 一 つ 、 善い 事 を 致した 覚え が ございます 。 |犍だ|おお||うん||おとこ||じん||ころしたり|いえ||ひ||||あくじ||はたらいた|だい|どろ|ぼう|||||||ひと||よい|こと||いたした|おぼえ|| This man, Kandata, was a great muddler who killed people, set houses on fire, and did many other evil things, but he did only one good thing. と 申します の は 、 ある 時 この 男 が 深い 林 の 中 を 通ります と 、 小さな 蜘蛛 が 一 匹 、 路 ば た を 這って 行く の が 見えました 。 |もうし ます||||じ||おとこ||ふかい|りん||なか||とおり ます||ちいさな|くも||ひと|ひき|じ||||はって|いく|||みえ ました One day, as this man was passing through a deep forest, he saw a small spider crawling along the side of the road. そこ で 犍陀 多 は 早速 足 を 挙げて 、 踏み 殺そう と 致しました が 、「 いや 、 いや 、 これ も 小さい ながら 、 命 の ある もの に 違いない 。 ||犍だ|おお||さっそく|あし||あげて|ふみ|ころそう||いたし ました||||||ちいさい||いのち|||||ちがいない Kandata immediately raised his foot and tried to trample it to death, but it was too small to do so, and he said, "No, no, no, it must be a living thing. その 命 を 無 暗に とる と 云 う 事 は 、 いくら 何でも 可哀そうだ 。」 |いのち||む|あんに|||うん||こと|||なんでも|かわいそうだ To take life so recklessly would be a tragedy. と 、 こう 急に 思い返して 、 とうとう その 蜘蛛 を 殺さ ず に 助けて やった から で ございます 。 ||きゅうに|おもいかえして|||くも||ころさ|||たすけて|||| I was so moved by this sudden recollection that I finally rescued the spider without killing it. ・・

御 釈迦 様 は 地獄 の 容子 を 御覧 に なり ながら 、 この 犍陀 多 に は 蜘蛛 を 助けた 事 が ある の を 御 思い出し に なりました 。 ご|しゃか|さま||じごく||ようこ||ごらん|||||犍だ|おお|||くも||たすけた|こと|||||ご|おもいだし||なり ました そうして それ だけ の 善い 事 を した 報 に は 、 出来る なら 、 この 男 を 地獄 から 救い出して やろう と 御 考え に なりました 。 ||||よい|こと|||ほう|||できる|||おとこ||じごく||すくいだして|||ご|かんがえ||なり ました And for all the good he had done, he decided that he would rescue this man from hell if he could. 幸い 、 側 を 見ます と 、 翡翠 の ような 色 を した 蓮 の 葉 の 上 に 、 極楽 の 蜘蛛 が 一 匹 、 美しい 銀色 の 糸 を かけて 居ります 。 さいわい|がわ||み ます||かわせみ|||いろ|||はす||は||うえ||ごくらく||くも||ひと|ひき|うつくしい|ぎんいろ||いと|||おり ます Fortunately, looking to the side, one of the spiders of paradise is hanging a beautiful silvery thread on a jade-colored lotus leaf. 御 釈迦 様 は その 蜘蛛 の 糸 を そっと 御手 に 御 取り に なって 、 玉 の ような 白 蓮 の 間 から 、 遥か 下 に ある 地獄 の 底 へ 、 まっすぐに それ を 御 下し なさいました 。 ご|しゃか|さま|||くも||いと|||おて||ご|とり|||たま|||しろ|はす||あいだ||はるか|した|||じごく||そこ|||||ご|くだし|なさ い ました Gently taking the thread of the spider in his hand, the Buddha guided it through the jade-like white lotus to the bottom of the hell far below. ・・ ...

二 -- ふた こちら は 地獄 の 底 の 血 の 池 で 、 ほか の 罪人 と 一しょに 、 浮いたり 沈んだり して いた 犍陀 多 で ございます 。 ||じごく||そこ||ち||いけ||||ざいにん||いっしょに|ういたり|しずんだり|||犍だ|おお|| 何しろ どちら を 見て も 、 まっ暗 で 、 たまに その くら 暗 から ぼんやり 浮き上って いる もの が ある と 思います と 、 それ は 恐し い 針 の 山 の 針 が 光る ので ございます から 、 その 心細 さ と 云ったら ございませ ん 。 なにしろ|||みて||まっ くら|||||あん|||うきあがって||||||おもい ます||||こわし||はり||やま||はり||ひかる|||||こころぼそ|||うん ったら|| It was so dark that you could not see anything, and if you saw something floating out of the darkness, it was a needle in a mountain of needles, so you could not feel at ease. その 上 あたり は 墓 の 中 の ように しんと 静まり返って 、 たまに 聞える もの と 云って は 、 ただ 罪人 が つく 微 な 嘆息 ばかり で ございます 。 |うえ|||はか||なか||||しずまりかえって||きこえる|||うん って|||ざいにん|||び||たんそく||| Above it all, the place is as quiet as a tomb, and the only sound that can sometimes be heard is the faint sighs of the guilty. これ は ここ へ 落ちて 来る ほど の 人間 は 、 もう さまざまな 地獄 の 責 苦 に 疲れはてて 、 泣声 を 出す 力 さえ なくなって いる ので ございましょう 。 ||||おちて|くる|||にんげん||||じごく||せき|く||つかれはてて|なきごえ||だす|ちから||||| This is because the people who have fallen into this place are so exhausted from the torments of hell that they don't even have the strength to cry out. です から さすが 大 泥 坊 の 犍陀 多 も 、 やはり 血 の 池 の 血 に 咽び ながら 、 まるで 死に かかった 蛙 の ように 、 ただ もがいて ばかり 居りました 。 |||だい|どろ|ぼう||犍だ|おお|||ち||いけ||ち||むせび|||しに||かえる||||||おり ました So, as might be expected of a great muddy monk, Kandata was still sobbing in the pool of blood and struggling like a dying frog. ・・

ところ が ある 時 の 事 で ございます 。 |||じ||こと|| It was a time when I was in a place where I had to be. 何気なく 犍陀 多 が 頭 を 挙げて 、 血 の 池 の 空 を 眺めます と 、 その ひっそり と した 暗 の 中 を 、 遠い 遠い 天上 から 、 銀色 の 蜘蛛 の 糸 が 、 まるで 人目 に かかる の を 恐れる ように 、 一すじ 細く 光り ながら 、 するする と 自分 の 上 へ 垂れて 参る ので は ございませ ん か 。 なにげなく|犍だ|おお||あたま||あげて|ち||いけ||から||ながめ ます||||||あん||なか||とおい|とおい|てんじょう||ぎんいろ||くも||いと|||ひとめ|||||おそれる||ひとすじ|ほそく|ひかり||||じぶん||うえ||しだれて|まいる||||| As he lifted his head and gazed up at the sky over the pool of blood, he saw a silvery thread of spider hanging from the distant, distant heavens, glinting thinly and silently above him, as if afraid to be seen. 犍陀 多 は これ を 見る と 、 思わず 手 を 拍って 喜びました 。 犍だ|おお||||みる||おもわず|て||はく って|よろこび ました When he saw this, he clapped his hands in joy. この 糸 に 縋りついて 、 どこまでも のぼって 行けば 、 きっと 地獄 から ぬけ出せる の に 相違 ございませ ん 。 |いと||すがりついて|||いけば||じごく||ぬけだせる|||そうい|| If you cling to this thread and climb up to the top, there is no doubt that you will be able to escape from hell. いや 、 うまく 行く と 、 極楽 へ は いる 事 さえ も 出来ましょう 。 ||いく||ごくらく||||こと|||でき ましょう No, if you do well, you may even be able to enter paradise. そう すれば 、 もう 針 の 山 へ 追い上げられる 事 も なくなれば 、 血 の 池 に 沈められる 事 も ある 筈 は ございませ ん 。 |||はり||やま||おいあげ られる|こと|||ち||いけ||しずめ られる|こと|||はず||| ・・

こう 思いました から 犍陀 多 は 、 早速 その 蜘蛛 の 糸 を 両手 で しっかり と つかみ ながら 、 一生懸命に 上 へ 上 へ と たぐり のぼり 始めました 。 |おもい ました||犍だ|おお||さっそく||くも||いと||りょうて||||||いっしょうけんめいに|うえ||うえ|||||はじめ ました With this thought in his mind, Kabutaro immediately grasped the spider's web with both hands and began to ascend to the top of the mountain. 元 より 大 泥 坊 の 事 で ございます から 、 こう 云 う 事 に は 昔 から 、 慣れ 切って いる ので ございます 。 もと||だい|どろ|ぼう||こと|||||うん||こと|||むかし||なれ|きって||| We are used to this kind of thing since we have been a big mud-boy for a long time. ・・

しかし 地獄 と 極楽 と の 間 は 、 何 万里 と なく ございます から 、 いくら 焦って 見た 所 で 、 容易に 上 へ は 出られません 。 |じごく||ごくらく|||あいだ||なん|まり||||||あせって|みた|しょ||よういに|うえ|||で られ ませ ん However, there are tens of thousands of miles between hell and paradise, so no matter how impatient you are, you will not be able to get to the top easily. やや しばらく のぼる 中 に 、 とうとう 犍 陀多 も くたびれて 、 もう 一 たぐり も 上 の 方 へ は のぼれ なく なって しまいました 。 |||なか||||だた||||ひと|||うえ||かた||||||しまい ました そこ で 仕方 が ございませ ん から 、 まず 一休み 休む つもりで 、 糸 の 中途 にぶら 下り ながら 、 遥かに 目 の 下 を 見下しました 。 ||しかた||||||ひとやすみ|やすむ||いと||ちゅうと||くだり||はるかに|め||した||みくだし ました So, having no choice, I decided to take a break and rest, hanging down in the middle of the thread and looking far down into the distance. ・・

する と 、 一生懸命に のぼった 甲斐 が あって 、 さっき まで 自分 が いた 血 の 池 は 、 今では もう 暗 の 底 に いつの間にか かくれて 居ります 。 ||いっしょうけんめいに||かい|||||じぶん|||ち||いけ||いまでは||あん||そこ||いつのまにか||おり ます And the blood pond where I used to be is now hidden in the depths of the darkness. それ から あの ぼんやり 光って いる 恐 し い 針 の 山 も 、 足 の 下 に なって しまいました 。 ||||ひかって||こわ|||はり||やま||あし||した|||しまい ました Then that scary, dimly glowing pile of needles was under my feet. この 分 で のぼって 行けば 、 地獄 から ぬけ出す の も 、 存外 わけ が ない かも 知れません 。 |ぶん|||いけば|じごく||ぬけだす|||ぞんがい|||||しれ ませ ん If we keep going up at this rate, it may not be long before we escape from hell. 犍 陀多 は 両手 を 蜘蛛 の 糸 に からみ ながら 、 ここ へ 来て から 何 年 に も 出した 事 の ない 声 で 、「 しめた 。 |だた||りょうて||くも||いと||||||きて||なん|とし|||だした|こと|||こえ|| He wrapped his hands around the spider's threads and said in a voice he hadn't heard in years, "I've got to go. しめた 。」 と 笑いました 。 |わらい ました ところが ふと 気 が つきます と 、 蜘蛛 の 糸 の 下 の 方 に は 、 数 限 も ない 罪人 たち が 、 自分 の のぼった 後 を つけて 、 まるで 蟻 の 行列 の ように 、 やはり 上 へ 上 へ 一心に よじのぼって 来る で は ございませ ん か 。 ||き||つき ます||くも||いと||した||かた|||すう|げん|||ざいにん|||じぶん|||あと||||あり||ぎょうれつ||||うえ||うえ||いっしんに||くる||||| However, I suddenly realized that countless sinners were climbing up and down the spider's web, following my footsteps like ants in an ant line. 犍 陀多 は これ を 見る と 、 驚いた の と 恐し い の と で 、 しばらく は ただ 、 莫迦 の ように 大きな 口 を 開いた まま 、 眼 ばかり 動かして 居りました 。 |だた||||みる||おどろいた|||こわし||||||||ばか|||おおきな|くち||あいた||がん||うごかして|おり ました 自分 一 人 で さえ 断れ そうな 、 この 細い 蜘蛛 の 糸 が 、 どうして あれ だけ の 人数 の 重み に 堪える 事 が 出来ましょう 。 じぶん|ひと|じん|||ことわれ|そう な||ほそい|くも||いと||||||にんずう||おもみ||こらえる|こと||でき ましょう もし 万一 途中 で 断れた と 致しましたら 、 折角 ここ へ まで のぼって 来た この 肝 腎 な 自分 まで も 、 元 の 地獄 へ 逆落し に 落ちて しまわ なければ なりません 。 |まんいち|とちゅう||ことわれた||いたし ましたら|せっかく|||||きた||かん|じん||じぶん|||もと||じごく||さかおとし||おちて|||なり ませ ん そんな 事 が あったら 、 大変で ございます 。 |こと|||たいへんで| が 、 そう 云 う 中 に も 、 罪人 たち は 何 百 と なく 何 千 と なく 、 まっ暗 な 血 の 池 の 底 から 、 うようよ と 這い上って 、 細く 光って いる 蜘蛛 の 糸 を 、 一 列 に なり ながら 、 せっせと のぼって 参ります 。 ||うん||なか|||ざいにん|||なん|ひゃく|||なん|せん|||まっ くら||ち||いけ||そこ||||はいあがって|ほそく|ひかって||くも||いと||ひと|れつ||||||まいり ます 今 の 中 に どうかしなければ 、 糸 は まん 中 から 二 つ に 断れて 、 落ちて しまう の に 違い ありません 。 いま||なか||どうかし なければ|いと|||なか||ふた|||ことわれて|おちて||||ちがい|あり ませ ん ・・

そこ で 犍陀 多 は 大きな 声 を 出して 、「 こら 、 罪人 ども 。 ||犍だ|おお||おおきな|こえ||だして||ざいにん| この 蜘蛛 の 糸 は 己 の もの だ ぞ 。 |くも||いと||おのれ|||| お前たち は 一体 誰 に 尋 いて 、 のぼって 来た 。 おまえたち||いったい|だれ||じん|||きた 下りろ 。 おりろ 下りろ 。」 おりろ と 喚 きました 。 |かん|き ました ・・

その 途端 で ございます 。 |とたん|| 今 まで 何とも なかった 蜘蛛 の 糸 が 、 急に 犍陀 多 の ぶら 下って いる 所 から 、 ぷつり と 音 を 立てて 断れました 。 いま||なんとも||くも||いと||きゅうに|犍だ|おお|||くだって||しょ||||おと||たてて|ことわれ ました ですから 犍陀 多 も たまりません 。 |犍だ|おお||たまり ませ ん あっと 云 う 間もなく 風 を 切って 、 独楽 の ように くるくる まわり ながら 、 見る見る 中 に 暗 の 底 へ 、 まっさかさまに 落ちて しまいました 。 あっ と|うん||まもなく|かぜ||きって|こま||||||みるみる|なか||あん||そこ|||おちて|しまい ました ・・

後 に は ただ 極楽 の 蜘蛛 の 糸 が 、 きらきら と 細く 光り ながら 、 月 も 星 も ない 空 の 中途 に 、 短く 垂れて いる ばかりで ございます 。 あと||||ごくらく||くも||いと||||ほそく|ひかり||つき||ほし|||から||ちゅうと||みじかく|しだれて||| ・・

三 -- みっ 御 釈迦 様 は 極楽 の 蓮池 の ふち に 立って 、 この 一部始終 を じっと 見て いらっしゃいました が 、 やがて 犍陀 多 が 血 の 池 の 底 へ 石 の ように 沈んで しまいます と 、 悲し そうな 御 顔 を なさり ながら 、 また ぶらぶら 御 歩き に なり 始めました 。 ご|しゃか|さま||ごくらく||はすいけ||||たって||いちぶしじゅう|||みて|いらっしゃい ました|||犍だ|おお||ち||いけ||そこ||いし|||しずんで|しまい ます||かなし|そう な|ご|かお||||||ご|あるき|||はじめ ました 自分 ばかり 地獄 から ぬけ出そう と する 、 犍陀 多 の 無慈悲な 心 が 、 そうして その 心 相当な 罰 を うけて 、 元 の 地獄 へ 落ちて しまった の が 、 御 釈迦 様 の 御 目 から 見る と 、 浅間 しく 思召 さ れた ので ございましょう 。 じぶん||じごく||ぬけで そう|||犍だ|おお||むじひな|こころ||||こころ|そうとうな|ばち|||もと||じごく||おちて||||ご|しゃか|さま||ご|め||みる||あさま||おぼしめし|||| ・・

しかし 極楽 の 蓮池 の 蓮 は 、 少しも そんな 事 に は 頓着 致しません 。 |ごくらく||はすいけ||はす||すこしも||こと|||とんちゃく|いたし ませ ん その 玉 の ような 白い 花 は 、 御 釈迦 様 の 御 足 の まわり に 、 ゆらゆら 萼 を 動かして 、 その まん 中 に ある 金色 の 蕊 から は 、 何とも 云 え ない 好 い 匂 が 、 絶間 なく あたり へ 溢れて 居ります 。 |たま|||しろい|か||ご|しゃか|さま||ご|あし|||||はなぶさ||うごかして|||なか|||きんいろ||ずい|||なんとも|うん|||よしみ||にお||たえま||||あふれて|おり ます 極楽 も もう 午 に 近く なった ので ございましょう 。 ごくらく|||うま||ちかく||| ・・

( 大正 七 年 四 月 十六 日 ) たいしょう|なな|とし|よっ|つき|じゅうろく|ひ