原発 の 事故 から 11年 半 福島 県 双葉 町 の 一部 に 住める よう に なる
げんぱつ||じこ||とし|はん|ふくしま|けん|ふたば|まち||いちぶ||すめる|||
|||||||||||||can live|||
11.5 years after the accident at the nuclear power plant, people can now live in parts of Futaba Town, Fukushima Prefecture.
11,5 ans après l'accident survenu à la centrale nucléaire, des personnes peuvent désormais vivre dans certaines parties de la ville de Futaba, dans la préfecture de Fukushima.
2011年 3月 、福島 県 に ある 原子 力 発電 所 で 事故 が ありました。
とし|つき|ふくしま|けん|||げんし|ちから|はつでん|しょ||じこ||
In March 2011, there was an accident at a nuclear power plant in Fukushima Prefecture.
事故 の あと 、国 は 放射 線 の 量 が 多い 12の 町 や 村 など に 住ま ない よう に 言いました。
じこ|||くに||ほうしゃ|せん||りょう||おおい||まち||むら|||すま||||いいました
|||||||||||||||||live||||
After the accident, the government advised people not to live in 12 towns and villages where the radiation levels were high.
原発 が ある 双葉 町 の 人 は みんな 、町 の 外 に 避難 しました。
げんぱつ|||ふたば|まち||じん|||まち||がい||ひなん|
Everyone from Futaba, the town where the nuclear power plant is located, evacuated outside the town.
町 で は 、放射 線 で 汚れた 土 など を 片付けて いました。
まち|||ほうしゃ|せん||けがれた|つち|||かたづけて|
In the town, we were cleaning up contaminated soil and other materials due to radiation.
そして 、国 は 双葉 町 の 一部 に 人 が 住む こと が できる よう に なった と 考えて 、8月 30日 から 戻る こと が できる よう に しました。
|くに||ふたば|まち||いちぶ||じん||すむ||||||||かんがえて|つき|ひ||もどる||||||
And the government considered that part of Futaba Town would be habitable, allowing people to return starting from August 30.
12の 町 や 村 など の 中 で 、また 住む こと が できる よう に なった の は 双葉 町 が 最後 です。
|まち||むら|||なか|||すむ|||||||||ふたば|まち||さいご|
Out of 12 towns and villages, Futaba Town was the last to be deemed habitable again.
11年 半 ぐらい かかりました。
とし|はん||
It took about 11 and a half years.
双葉 町 の 伊澤 史朗 町長 は 「町 に 戻る か どう か 迷って いる 人 も たくさん います。
ふたば|まち||いさわ|しろう|ちょうちょう||まち||もどる||||まよって||じん|||
||||Shiro||||||||||||||
Futaba Town Mayor Shiro Izawa said, "There are many people who are unsure whether to return to the town.
1人 でも 多く 戻りたい と 思う 町 に して いきたい です 」と 話しました。
じん||おおく|もどりたい||おもう|まち||||||はなしました
|||want to return|||||||||
I want to make it a town where as many people as possible want to come back."