第 十 章 新たなる 序章 (2)
一〇 年 前 、 彼ら ふた り から 美しく 優しい アンネローゼ を 強奪 した 男 が 死んだ のだ 。 すぎ去った 歳月 が 回想 の 光 を 透過 して 、 めくる めく 輝き を 放ち つつ 彼ら の 周囲 を 乱舞 する ようだった ……。
「 閣下 」
冷静 すぎる 声 が 、 ラインハルト を いっきょに 現実 の 岸 に ひきあげた 。 確認 する まで も ない 、 オーベルシュタイン だ 。
「 皇帝 ﹅﹅ は 後継 者 を さだめ ぬ まま 死に ました ﹅﹅﹅﹅﹅」
公然と 敬語 を はぶいた その 言い かた に 、 ラインハルト と キルヒアイス を のぞく 他 の 諸 将 が 一瞬 、 愕然と 息 を のんだ 。
「 なに を 驚く ? 」 半 白 の 頭髪 の 参謀 は 、 義 眼 を 無機 的に 光らせて 一同 を 見わたした 。 「 私 が 忠誠 を 誓う の は 、 ローエングラム 帝国 元帥 閣下 にたいして のみ だ 。 たとえ 皇帝 であろう と 敬語 など もちいる に 値せ ぬ 」
言いはなって 、 ラインハルト に むきなおる 。
「 閣下 、 皇帝 は 後継 者 を さだめ ぬ まま 死に ました 。 と いう こと は 、 皇帝 の 三 人 の 孫 を めぐって 、 帝 位 継承 の 抗争 が 生じる こと は あきらかです 。 どのように さだまろう と 、 それ は 一 時 の こと 。 遅かれ早かれ 、 血 を 見 ず に は すみます まい 」 「…… 卿 けい の 言 は 正しい 」
するどく 苛烈 な 野心 家 の 表情 で 、 若い 帝国 元帥 は うなずいて み せる 。
「 三 者 の うち 、 誰 に つく か で 、 私 の 運命 も 決まる と いう わけだ な 。 で 、 私 に 握手 の 手 を さしのべて くる の は 三 人 の 孫 の 後 背 に ひかえた 、 どの 男 だ と 思う ? 」 「 おそらく リヒテンラーデ 侯 で ありましょう 。 他の 二 者 に は 固有の 武力 が あります が 、 リヒテンラーデ 侯 に は それ が ありません 。 閣下 の 武力 を 欲する や 切 せつである はず 」
「 なるほど 」
キルヒアイス に しめす もの と は ことなる 種類 の 笑い を 、 ラインハルト は その 美貌 に ひらめか せた 。
「 では 、 せいぜい 高く 売りつけて やる か 」
…… 皇帝 の 急死 に よって 、 ローエングラム 伯 ラインハルト の 地位 は すくなからず 動揺 する もの と 一般 に は 思わ れた 。
ところが 結果 は 逆に なった 。 国務 尚 書 リヒテンラーデ 侯 の 手 に より 、 五 歳 の 皇孫 エルウィン ・ ヨーゼフ が 、 次代 の 皇帝 と なった から である 。
この 幼児 は 先 帝 フリードリヒ 四 世 の 直系 であった から 、 即位 する こと じたい に 不思議 は なかった 。 ただ 、 あまりに 幼少 であり 、 なにより も 有力な 門 閥 貴族 の 背景 が ない の が 、 不利だ と 思われて いた 。 こういう 場合 、 ブラウンシュヴァイク 公 夫妻 の 娘 、 一六 歳 の エリザベート か 、 リッテンハイム 侯 夫妻 の 娘 、 一四 歳 の サビーネ が 、 父親 の 家 門 と 権勢 を 背景 に 女帝 と なって も 、 おかしく は ない ところ である 。 いく つ か の 先例 も ある 。 そうなれば 、 若 すぎる 女帝 を 父親 が 摂政 せっしょう と して 補佐 する と いう こと に なる であろう 。
ブラウンシュヴァイク 公 に せよ 、 リッテンハイム 侯 に せよ 、 自信 も 野望 も あった から 、 その 事態 を 予想 し 、 その 予想 を 実現 さ せる ため 、 非公式の 、 しかし 活発な 宮廷 王 作 に のりだした 。
とくに 、 若い 独身 の 子弟 を 有する 大 貴族 が その 標的 と なった 。 もし わが 娘 が 帝 位 に 即 く こと を 応援 して いただける なら 、 卿 の ご 子息 を 新 女帝 の 夫 に 迎える こと を 考えよう ――。
口 約束 が 厳守 さ れる もの なら 、 皇帝 の 孫娘 ふた り は 、 何 十 人 も の 夫 を もた なくて は なら ない ところ だった 。 もし 少女 たち に 恋人 が いた に せよ 、 彼女 ら の 意思 が 無視 さ れる こと も 明白であった 。
だが 、 国 璽 こくじ と 詔 勅 しょうち ょく を つかさどる 国務 尚 書 リヒテンラーデ 侯 は 、 強大な 勢力 を 有する 外 戚 が いせき に 帝国 を 私物 化 さ せる 気 は まったく なかった 。
彼 は 帝国 の 前途 を 憂慮 して おり 、 また それ 以上 に 自己 の 地位 と 権力 を 愛して いた 。 彼 は 故 フリードリヒ 四 世 の 嫡孫 エルウィン ・ ヨーゼフ を 擁立 する こと を 決意 した が 、 反対 する 人々 の 強大な 勢力 を 考える と 、 自己 の 陣営 を 強化 する 必要に 迫ら れた 。 番犬 は 強く 、 しかも 御し やすく なければ なら ない 。
熟慮 の すえ 、 リヒテンラーデ 侯 は ひと り の 人物 を えらんだ 。 御し やすい と は 言いがたい 。 むしろ 危険な 人物 である 。 しかし 強 さ に おいて は 異論 の でる 余地 が ない ……。
こうして ローエングラム 伯 ラインハルト は 、 公爵 と なった リヒテンラーデ に よって 位 階 を 侯爵 に すすめ 、 帝国 宇宙 艦隊 司令 長官 の 座 に 着いた のである 。
エルウィン ・ ヨーゼフ の 即位 が 公表 さ れる と 、 ブラウンシュヴァイク 公 を はじめ と する 門 閥 貴族 たち は まず 驚愕 し 、 ついで 失望 し 、 さらに 怒りくるった 。
しかし 、 リヒテンラーデ 公 ﹅ と ローエングラム 侯 ﹅ の 、 たがいに 利己 的な 動機 から かわさ れた 握手 に よって 誕生 した 枢軸 すうじく は 、 意外に 強固な もの であった 。 一方 は 他方 の 武力 と 平民 階級 の 人気 と を 必要 と し 、 一方 は 他方 の 国政 に おける 権限 と 宮廷 内 の 影響 力 と を 欲し 、 そして ふた り と も 新 皇帝 の 権威 を 最大 限 に 利用 する こと で 、 自己 の 地位 と 権力 を 確立 しなければ なら なかった から である 。 エルウィン ・ ヨーゼフ 二 世 の 即位 式典 が 挙行 さ れた とき 、 乳母 の 膝 に 抱か れた 幼い 皇帝 に 重臣 代表 二 名 が うやうやしく 忠誠 を 誓った 。 文 官 代表 は 摂政 職 に 就任 した リヒテンラーデ 公 、 武官 代表 は ラインハルト である 。 集った 貴族 、 官僚 、 軍人 たち は 、 両者 が 新 体制 の 支柱 である こと を 、 いやいや ながら も 認め ざる を え なかった 。
この 新 体制 から 疎外 さ れた 門 閥 貴族 たち は 、 文字どおり 歯ぎしり した 。 ブラウンシュヴァイク 公 と リッテンハイム 侯 は 、 新 体制 にたいする 憎悪 を きずな と して むすばれる こと に なった 。 リヒテンラーデ 公 は 先 帝 フリードリヒ 四 世 の 死 と ともに 役割 を 終え 、 国政 から 退く べき 老 廃 の 人物 である 。 いっぽう 、 ローエングラム 侯 ﹅ と は 何者 か 。 かがやかしい 武 勲 の 主 と は いえ 、 貴族 と は 名 ばかり の 貧 家 に 生まれ 、 姉 にたいする 皇帝 の 寵愛 を 利用 して 栄達 した 下 克 上げ こくじょう の 孺子 こぞう に すぎ ないで は ない か 。 このような や からに 国政 を 壟断 ろう だん さ せて おいて よい の か …… 門 閥 貴族 たち は 私 憤 を 公 憤 に 転化 さ せ 、 新 体制 の 顚覆 てんぷく を のぞんだ 。
このように 共通 した 、 しかも 強大な 敵 が いる かぎり 、 リヒテンラーデ = ローエングラム 枢軸 は 金城 鉄壁 の 強固 さ を 発揮 する であろう し 、 そう なら ざる を え ない 。
ローエングラム 侯 と なった ラインハルト は 、 ジークフリード ・ キルヒアイス を いっきょに 上級 大将 に 昇進 さ せ 、 宇宙 艦隊 副 司令 長官 に 任命 した 。
この 人事 に は リヒテンラーデ 公 も 積極 的に 賛成 した 。 キルヒアイス に 恩 を 売る 、 と いう 考え を 、 彼 は いまだに 捨てて い なかった のだ 。
危惧 を いだいた の は オーベルシュタイン である 。 彼 は 中将 に 昇進 し 、 宇宙 艦隊 総 参謀 長 と ローエングラム 元帥 府 事務 長 を 兼任 する こと に なった が 、 一 日 、 ラインハルト に 面会 して 苦言 を 呈した 。
「 幼友達 と いう の は けっこう 、 有能な 副将 も よろしい でしょう 。 しかし 、 その 両者 が 同一 人 と いう の は 危険です 。 そもそも 副 司令 長官 を おく 必要 は ない ので 、 キルヒアイス 提督 を 他者 と 同列 に おく べき では ありません か 」 「 で すぎる な 、 オーベルシュタイン 。 もう 決めた こと だ 」
若い 帝国 宇宙 艦隊 司令 長官 は 、 不機嫌 そうな 一言 で 、 義 眼 の 参謀 の 口 を 封じた 。 彼 は オーベルシュタイン の 機 謀 きぼう を かって は いて も 、 心 を 分かち あえる 友 と は 思って いない 。 彼 の 分身 にたいして 讒訴 ざん そめ いた こと を 言わ れる と 、 愉快な 気分 に は なれ なかった 。 皇帝 の 死後 、 グリューネワルト 伯爵 夫人 アンネローゼ は 宮廷 から 退 がって 、 ラインハルト が 姉 と 彼 自身 の ため に 用意 した シュワルツェン の 館 に うつり 住んだ 。 姉 を 迎えた ラインハルト は 、 少年 の ように 気おって 言った 。
「 もう 姉 上 に 苦労 は さ せません 。 これ から は どう か 幸福に なって ください 」
ラインハルト に して は 平凡な 台詞 だった が 、 真情 が こもって いた 。
しかし 彼 に は 、 非情な 野心 家 と いう 、 姉 に は 見せ たく ない べつの 一面 が ある 。
彼 は 、 ブラウンシュヴァイク 公 と リッテンハイム 侯 が 秘密の 同盟 を むすんだ こと を 察知 して おり 、 内心 それ を 歓迎 して いた 。
暴発 する が よい 。 新 帝 にたいする 反逆 者 と して 彼ら を 処 断 し 、 門 閥 貴族 の 勢力 を 一掃 して やる 。 フリードリヒ 四 世 の 女婿 じょせい である 大 貴族 両 名 を 斃 せば 、 余人 は ラインハルト の 覇権 に 屈せ ざる を え ない 。 列 侯 が 土 に ひざまずいて 服従 を 誓う だろう 。 その とき に は 、 おのずと リヒテンラーデ 公 と の 盟約 は 破れる こと に なる 。 古 狸 ふる だ ぬき め 、 せいぜい いま の うち に 位 くらい 人 臣 を きわめた わが身 を 祝って いる こと だ 。
いっぽう 、 リヒテンラーデ 公 も 、 ラインハルト と の 枢軸 関係 を 永続 さ せよう など と は 考えて いない 。 ブラウンシュヴァイク 公 や リッテンハイム 侯 が 暴発 する の を 期待 する 点 で は 、 彼 は ラインハルト と 同様であった 。 ラインハルト の 武力 を もって 彼ら を 鎮圧 する 。 そうなれば 、 もはや ラインハルト の ような 危険 人物 に 用 は ない のだ 。
ジークフリード ・ キルヒアイス は 、 ラインハルト の 意 を うけ 、 ブラウンシュヴァイク 公 と リッテンハイム 侯 を 首 魁 しゅ かい と する 門 閥 貴族 連合 の 武力 叛乱 を 想定 し 、 それ にたいする 戦争 準備 を 着々 と すすめて いた 。 彼 は 、 自分 の 背中 に 注が れる 、 オーベルシュタイン の 冷たく 乾いた 視線 を 知っていた が 、 ラインハルト や アンネローゼ と の 仲 に ひび を いれられる と も 思わ れ ず 、 後ろ暗い 点 も ない ので 、 必要 以上 の 用心 は し ない こと に した 。 任務 に 励む いっぽう 、 以前 と は 比較 に なら ぬ ほど アンネローゼ と 会う 機会 が ふえた キルヒアイス は 、 充実 した 幸福な 日々 を 送る こと に なった 。 このような 日々 が いつまでも つづけば よい ……。
Ⅲ 帝国 と 同盟 、 両方 の 陣営 が 、 ようやく あらたな 体制 を ととのえ 、 あえぎ ながら も 未来 へ の 階段 を のぼり かけた ころ 、 フェザーン 自治 領 ラント で は 、 自治 領主 ランデスヘルルビンスキー が 、 私 邸 の 奥まった 一室 に すわって いた 。 窓 の ない その 部屋 は 厚い 鉛 の 壁 に かこまれて 密閉 されて おり 、 空間 そのもの が 極 性 化 されて いる 。 操作 卓 コンソール の ピンク の スイッチ を いれる と 、 通信 装置 が 作動 した 。 それ を 肉眼 で 識別 する の は 困難だ 。 なぜなら 、 部屋 そのもの が 通信 装置 であり 、 数 千 光年 の 宇宙 空間 を こえ 、 ルビンスキー の 思考 波 を 超 光速 通信 FTL の 特殊な 波 調 に 変化 さ せて 送りだす ように なって いる から である 。
「 私 です 。 お 応え ください 」
極秘 の 定期 通信 を 明確な 言語 の かたち で 思考 する 。
「 私 と は どの 私 だ ? 」 宇宙 の 彼方 から 送られて きた 返答 は 、 このうえ なく 尊大だった 。 「 フェザーン の 自治 領主 ランデスヘル 、 ルビンスキー です 。 総 大 主 教 グランド ・ ビショップ 猊下 げ いかに は ご機嫌 うるわしく あら れましょう か 」 ルビンスキー と は 思え ない ほど の 腰 の 低 さ である 。
「 機嫌 の よい 理由 は ある まい …… わが 地球 は いまだ 正当な 地位 を 回復 して は おら ぬ 。 地球 が すぐ る 昔 の ように 、 すべて の 人類 に 崇拝 さ れる 日 まで 、 わが 心 は 晴れ ぬ 」
胸 郭 全体 を 使った 大きな 吐息 が 、 思考 の なか に 感じ られた 。
地球 。
三〇〇〇 光年 の 距離 を おいて 虚 空 に 浮かぶ 惑星 の 姿 が 、 ルビンスキー の 脳裏 に 鮮烈な 映像 と なって 浮かびあがった 。
人類 に よって 収 奪 と 破壊 の 徹底 した 対象 と なった すえ に 、 見捨て られた 辺境 の 惑星 。 老衰 と 荒廃 、 疲弊 と 貧困 。