74. 家長 の 心配 - Kafka
家長 の 心配 = DIE SORGE DES HAUSVATERS - フランツ ・ カフカ = Franz Kafka
原田 義人 訳
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ある 人びと は 、「 オドラデク 」 と いう 言葉 は スラヴ 語 から 出て いる 、 と いって 、 それ を 根拠 に して この 言葉 の 成立 を 証明 しよう と して いる 。 ほか の 人びと は また 、 この 言葉 は ドイツ 語 から 出て いる もの であり 、 ただ スラヴ 語 の 影響 を 受けて いる だけ だ 、 と いって いる 。 この 二 つ の 解釈 が 不確かな こと は 、 どちら も あたって は いない と いう 結論 を 下して も きっと 正しい のだ 、 と 思わ せる 。 ことに 、 その どちら の 解釈 に よって も 言葉 の 意味 が 見出せられ ない のだ から 、 なおさら の こと だ 。 ・・
もちろん 、 もし オドラデク と いう 名前 の もの が ほんとうに ある ので なければ 、 だれ だって そんな 語源 の 研究 に たずさわり は し ない だろう 。 まず 見た ところ 、 それ は 平たい 星 形 の 糸 巻 の ように 見える し 、 また 実際 に 糸 で 巻かれて いる ように も 見える 。 糸 と いって も 、 ひどく ばらばらな 品質 と 色 と を もった 切れ切れの 古い より 糸 を 結びつけ 、 しかし やはり もつれ 合わして ある だけ の もの で は ある のだろう 。 だが 、 それ は 単に 糸 巻 である だけ で は なく 、 星 形 の まんなか から 小さな 一 本 の 棒 が 突き出して いて 、 それ から この 小さな 棒 と 直角 に もう 一 本 の 棒 が ついて いる 。 このあと の ほう の 棒 を 一方 の 足 、 星 形 の とがり の 一 つ を もう 一方 の 足 に して 、 全体 は まるで 両足 で 立つ ように 直立 する こと が できる 。 ・・
この 組立て 品 は 以前 は 何 か 用途 に かなった 形 を して いた のだ が 、 今では それ が こわれて こんな 形 に なって しまった だけ な のだ 、 と 人 は 思い たく なる こと だろう 。 だが 、 どうも そういう こと で は ない ような のだ 。 少なくとも それ を 証拠 立てる ような 徴候 と いう もの は ない 。 つまり 、 何 か そういった こと を 暗示 する ような 、 もの が ついて いた 跡 と か 、 折れた 個所 と か は どこ に も ない 。 全体 は 意味 の ない ように 見える のだ が 、 それ は それなり に まとまって いる 。 それ に 、 この 品 に ついて これ 以上 くわしい こと を いう こと は でき ない 。 なぜ か と いう と 、 オドラデク は ひどく 動き やすくて 、 つかまえる こと が でき ない もの だ から だ 。 ・・
それ は 、 屋根 裏 部屋 や 建物 の 階段 部 や 廊下 や 玄関 など に 転々 と して とどまる 。 ときどき 、 何 カ月 も の あいだ 姿 が 見られ ない 。 きっと 別な 家々 へ 移って いった ため な のだ 。 けれども 、 やがて かならず 私 たち の 家 へ もどって くる 。 ときどき 、 私 たち が ドア から 出る とき 、 これ が 下 の 階段 の 手すり に もたれかかって いる と 、 私 たち は これ に 言葉 を かけ たく なる 。 むろん 、 むずかしい 問い など する ので は なくて 、 私 たち は それ を ―― なにせ それ が あんまり 小さい ので そう する 気 に なる のだ が ―― 子供 の ように 扱う のだ 。 ・・
「 君 の 名前 は なんて いう の ? 」 と 、 私 たち は たずねる 。 ・・
「 オドラデク だ よ 」 と 、 それ は いう 。 ・・
「 どこ に 泊って いる ん だい ? 」・・
「 泊まる ところ なんか きまって いない や 」 と 、 それ は いって 、 笑う 。 ところが 、 その 笑い は 、 肺 なし で 出せる ような 笑い な のだ 。 たとえば 、 落葉 の かさかさ いう 音 の ように 響く のだ 。 これ で 対話 はたいてい 終って しまう 。 それ に 、 こうした 返事 で さえ 、 いつでも もらえる と きまって は いない 。 しばしば それ は 長い こと 黙りこくって いる 。 木 の ような だんまり だ が 、 どうも それ 自体 が 木 で できて いる らしい 。 ・・
それ が これ から どう なる こと だろう 、 と 私 は 自分 に たずねて みる のだ が 、 なんの 回答 も 出て は こ ない 。 いったい 、 死ぬ こと が ある のだろう か 。 死ぬ もの は みな 、 あらかじめ 一種 の 目的 、 一種 の 活動 と いう もの を もって いた から こそ 、 それ で 身 を すりへらして 死んで いく のだ 。 この こと は オドラデク に は あてはまら ない 。 それ なら いつか 、 たとえば 私 の 子供 たち や 子孫 たち の 前 に 、 より 糸 を うしろ に ひきずり ながら 階段 から ころげ 落ちて いく ような こと に なる のだろう か 。 それ は だれ に だって 害 は 及ぼさ ない ようだ 。 だが 、 私 が 死んで も それ が 生き残る だろう と 考えた だけ で 、 私 の 胸 は ほとんど 痛む くらい だ 。