第 八 章 死 線 (2)
さもなければ わが 軍 は 餓えた 民衆 を かかえて よ ろ ばい 歩き 、 力つきた ところ を 総 反攻 に よって 袋叩き さ れる だろう 」
財政 委員 長 ジョアン ・ レベロ は 最高 評議 会 で そう 発言 した 。
出兵 に 賛同 した 人々 は 声 も なかった 。 撫然 と 、 あるいは 悄然 と して 、 ただ 席 に すわって いる 。
情報 交通 委員 長 ウィンザー 夫人 は 端 整 な 顔 を こわばら せた まま 、 なにも 映して いない コンピューター 端末 機 の 灰色 の 画面 を 見つめて いた 。 いまや 撤兵 の ほか に 方法 が ない こと は ウィンザー 夫人 に も よく わかって いる 。 現在 まで の 支出 は しかたない と して 、 これ 以上 の 出費 に は 財政 が たえ られ ない 。
しかし 、 このまま なんの 戦果 も あげ ず むなしく 撤兵 した ので は 、 出兵 を 支持 した 彼女 の 立場 が ない 。 最初 から の 出兵 反対 派 は もとより 、 現在 彼女 を 支持 して いる 主戦 派 の 人々 も 、 彼女 の 政治 責任 を 追及 する こと は うたがい ない 。 政治 家 を こころざして 以来 の 念願 であった 評議 会 議長 の 座 も 遠ざかって しまう だろう 。
遠征 軍 総 司令 部 の 無能 者 ども は なに を して いる のだろう 。 歯ぎしり する ほど の 怒り に ウィンザー 夫人 は かられ 、 美しく マニキュア した 爪 が 掌 に 喰 い こむ ほど 手 を 固く にぎった 。
撤兵 は しかたない 、 しかし それ まで に 一 度 だけ で いい 、 帝国 軍 にたいして 軍事 的 勝利 を あげて みせたら どう な のだ 。 そう すれば 彼女 の 面子 も たつ し 、 後世 、 この 遠征 が 愚行 と 浪費 の 象徴 と して 非難 さ れる こと も なくなる であろう に ……。
彼女 は 老齢 の 評議 会 議長 を 見 やった 。 鈍重に 、 無 感動 に 、 最高 権力 の 座 を しめる 老人 。
〝 誰 から も えらば れ なかった 〟 と 嘲 弄さ れる 国家 元首 。 政界 の 力学 が もたらす 低級な ゲーム の すえ 、 漁夫 の 利 を えた 政治 屋 。 彼 が つぎの 選挙 の こと など 言った ばかりに 、 わたし は のせ られて しまった ―― 彼女 は 心から 、 自分 を この 窮状 に おとしいれた 議長 を 憎んだ 。
いっぽう 、 国防 委員 長 トリューニヒト は 、 自分 の 先見の明 に 満足 して いた 。
こう なる こと は 知れて いた のだ 。 現在 の 国力 、 戦力 で 帝国 へ の 侵攻 など が 成功 する わけ は ない 。 ちかい 将来 、 遠征 軍 は 無惨に 敗北 し 、 現 政権 は 市民 の 支持 を 失う だろう 。 しかし 、 彼 トリューニヒト は 無謀な 出兵 に 反対 した 、 真 の 勇気 と 識見 に 富む 人物 と して 、 傷 を うける どころ か 、 かえって 声価 を 高める だろう 。 あと は レベロ や ホワン が 競争 相手 と して 残る が 、 彼ら に は 軍部 や 軍需 産業 の 支持 が ない 。 けっきょく 、 最終 的に は トリューニヒト が 評議 会 議長 の 座 に 着く こと に なる 。
それ で よい 。 心 の なか で 彼 は 会心 の 笑み を 浮かべた 。 〝 帝国 を 打倒 した 、 同盟 史上 最高 の 元首 〟 と いう 称号 は 彼 に こそ あたえられる べきな のだ 。 彼 以外 の 誰 に も 、 その 名誉 は ふさわしく ない ……。
けっきょく 、 撤兵 論 は 否決 さ れた 。
「 前線 で なんらか の 結果 が でる まで 、 軍 の 行動 に 枠 を はめる ような こと は す べきで は ない 」
これ が 主戦 派 の 、 いささか 後ろめた そうな 口調 で の 主張 だった 。 〝 結果 〟 と やら は 、 トリューニヒト に とって も 大いに けっこうな こと だった 。 もっとも 主戦 派 と 彼 と で は 、 期待 する 〝 結果 〟 の 内容 が まるで ことなって いる が ……。
Ⅲ 本国 より 物資 が とどく まで 、 必要 と する 物資 は 各 艦隊 が 現地 に おいて 調達 す べし ……。 この 方針 が 伝え られた とき 、 同盟 軍 各 艦隊 の 首脳 部 は 顔色 を 変えた 。
「 現地 調達 だ と !? 吾々 に 略奪 を やれ と でも 言う の か 」 「 遠征 軍 総 司令 部 は なに を 考えて いる のだ 。 海賊 の ボス に でも なった つもり か 」
「 補給 計画 の 失敗 は 戦略 的 敗退 の 第 一 歩 だ 。 これ は 軍事 上 の 常識 だ ぞ 。 その 責任 を 前線 に おしつける 気 で いやがる 」
「 補給 体制 は 万全 と 総 司令 部 は 言った はずだ 。 大言壮語 を どこ に おき忘れた 」
「 だいいち 、 ない もの を どう やって 調達 しろ と いう のだ 」
それ ら の ごうご う たる 声 に ヤン は 唱和 し なかった が 、 思い は おなじである 。 総 司令 部 の 無責任 さ も きわまれ り だ が 、 もともと 無責任な 動機 で 決定 さ れた 出兵 である 以上 、 実施 運営 が 無責任に なる の も 当然 かも しれ なかった 。 キャゼルヌ の 苦労 が 思いやら れた 。
それにしても 、 もう 限界 だ な 、 と 思う 。 占領 地 住民 に 供出 を つづけた 結果 、 第 一三 艦隊 の 食糧 は ほとんど 底 を ついて いた 。 補給 担当 の ウノ 大佐 が 不安 と 不満 を 爆発 さ せた 。
「 民衆 が もとめて いる の は 理想 でも 正義 で も ない 。 ただ 食糧 だけ です 。 帝国 軍 が 食糧 を はこんで くれば 、 彼ら は 地面 に は いつ くばって 、 皇帝 陛下 万 歳 を 叫ぶ でしょう 。 ただ 本能 を 満足 さ せる ため に だけ 生きて いる ような 、 そんな 連中 を 食わせる ため に 、 なん だって 吾々 が 餓え なくて は なら ない のです か !?」
「 吾々 が ルドルフ に なら ない ため に さ 」
それ だけ 答える と 、 ヤン は フレデリカ ・ グリーンヒル 中尉 を 呼び 、 第 一〇 艦隊 の ウランフ 提督 と の あいだ に 、 超 光速 通信 の 直通 回路 を 開か せた 。
「 おう 、 ヤン ・ ウェンリー か 、 珍しい な 、 なにごと だ 」
通信 スクリーン の なか から 、 古代 騎馬 民族 の 末 裔 は 言った 。
「 ウランフ 中将 、 お 元気 そうで なにより です 」
噓 である 。 精悍な ウランフ が 、 全身 に 憔悴 の 色 を たたえて いる 。 勇気 や 用 兵 術 と は 次元 の ことなる 問題 だけ に 、 勇 将 の 誉 高い 彼 も こまりはてて いる ようだ 。
食糧 の 備蓄 状況 は どう か 、 と 問われて ウランフ は いちだん と にがりきった 。 「 あと 一 週間 ぶん を あます のみ だ 。 それ まで に 補給 が なかったら 占領 地 から 強制 的に 徴発 ―― いや 、 言葉 を 飾って も しかたない な 、 略奪 する しか ない 。 解放 軍 が 聞いて 呆れる 。 もっとも 略奪 する もの が あれば 、 の 話 だ が な 」
「 それ に ついて 私 に 意見 が ある のです が ……」
ヤン は そう 前置き し 、 占領 地 を 放棄 して 撤退 して は どう か 、 と 提案 した 。
「 撤退 だ と !?」
ウランフ は かるく 眉 を うごかした 。
「 一 度 も 砲火 を まじえ ない うち に か ? それ は すこし 消極 的に すぎ ん か 」
「 余力 の ある うち に です 。 敵 は わが 軍 の 補給 を 絶って 、 吾々 が 餓える の を 待って います 。 それ は なんの ため でしょう 」
「…… 機 を 見て 攻勢 に 転じて くる と 言う の か ? 」 「 おそらく 全面 的な 攻勢 です 。 敵 は 地 の 利 を えて おり 、 補給 線 も 短くて すむ 」
「 ふむ ……」
豪 胆 を もって 鳴る ウランフ だ が 、 さすが に ぞく り と した ようだ 。
「 だが 、 へたに 後退 すれば かえって 敵 の 攻勢 を 誘う こと に なり は せ ん か 。 とすれば やぶへび も いい ところ だ ぞ 」
「 反撃 の 準備 は 充分に ととのえる 、 それ は 大 前提 です 。 いま なら それ が 可能です が 、 兵 が 餓えて から で は 遅い 。 その 前 に 整然と 後退 する しか ありません 」 熱心に ヤン は 説いた 。 ウランフ は 、 黙 然 と 聞きいった 。
「 それ に 、 敵 も わが 軍 が 餓える 時機 を 測って いる はずです 。 わが 軍 が 後退 する の を 見て 全面 的 潰 走 と 解釈 し 、 追って くれば 、 反撃 の 方法 は いくら でも あります 。 また 、 時機 が 早 すぎる 、 これ は 罠 だ と 考えて くれれば それ も よし 、 無傷で 退く こと が できる かも しれません 。 可能 性 は 高く ありません が 、 日 が たてば それ も 低く なる いっぽう でしょう 」 ウランフ は 考えこんだ が 、 決断 を くだす の に 長い 時間 は かから なかった 。
「 わかった 。 貴 官 の 意見 が 正しかろう 。 撤退 の 準備 を さ せる こと に する 。 だが 、 ほか の 艦隊 に は どう 連絡 を つける ? 」 「 ビュコック 提督 に は 、 これ から 私 が 連絡 します 。 あの 方 から イゼルローンヘ 連絡 して いただけば 、 私 が 言う より 効果 的だ と 思う のです が ……」
「 よし 、 では たがいに 、 なるべく 急いで こと を はこぶ と しよう 」
ウランフ と の 相談 が 終わった 直後 、 急報 が もたらさ れた 。
「 第 七 艦隊 の 占領 地 で 民衆 の 暴動 が 発生 し ました 。 きわめて 大規模な もの です 。 軍 が 食糧 の 供与 を 停止 した ため です 」
報告 する フレデリカ の 顔 に 、 やりきれない 表情 が 浮かんで いる 。
「 第 七 艦隊 は どう 対処 した ? 」 「 無力 化 ガス を 使って 、 一 時 は 鎮圧 した そうです けど 、 すぐに 再発 した そうです 。 軍 の 対抗 手段 が エスカレート する の も 時間 の 問題 でしょう 」
無残な こと に なった ―― ヤン は そう 思わ ざる を え なかった 。
解放 軍 、 護 民 軍 と 自称 して いた 同盟 軍 が 民衆 を 敵 に まわした のだ 。 たがい の 不信 感 を 解く 方法 は 、 この 段階 で は もはや ない だろう 。 帝国 は 、 同盟 軍 と 民衆 の 仲 を 裂く のに 、 みごと 成功 した わけだ 。
「 まったく みごとだ 、 ローエングラム 伯 」
自分 に は ここ まで 徹底 的に は やれ ない 。 やれば 勝てる と わかって いて も やれ ない だろう 。 それ が ローエングラム 伯 と 自分 と の 差 であり 、 自分 が 彼 を おそれる 理由 で も ある のだ 。
―― この 差 が 、 いつか 重大な 結果 を 招く こと に なる かも しれ ない ……。
同盟 軍 第 五 艦隊 司令 官 ビュコック 中将 が 、 イゼルローン の 総 司令 部 に 超 光速 通信 を 送った とき 、 通信 スクリーン の 画面 に 登場 した の は 作戦 参謀 フォーク 准将 の 血色 の 悪い 顔 だった 。
「 私 は 総 司令 官 閣下 に 面談 を もとめた のだ 。 貴 官 に 会いたい と 言った おぼえ は ない ぞ 。 作戦 参謀 ごとき が 、 呼ば れ も せ ん の に でしゃばる な ! 」 老 提督 の 声 は 痛烈だった 。 迫力 でも 貫禄 でも 、 とうてい フォーク の およぶ ところ で は ない 。
若い 参謀 は 一瞬 だけ 鼻 白んだ が 、 権 高 に 言いかえした 。
「 総 司令 官 閣下 へ の 面談 、 上申 の たぐい は 、 すべて わたくし を とおして いただきます 。 どんな 理由 で 面談 を お もとめ です か 」
「 貴 官 に 話す 必要 は ない 」
ビュコック も 、 つい 自分 の 年齢 を 忘れて 、 けん かご し に なって しまう 。
「 では お 取次 する わけに は いきま せ ん 」
「 なに ……? 」 「 どれほど 地位 の 高い 方 であれ 、 規則 は 順守 して いただきます 。 通信 を 切って も よろしい のです か 」
き さま が 勝手に さだめた 規則 で は ない か 、 と 思った が 、 この 場 で は ビュコック は 譲歩 せ ざる を え なかった 。
「 前線 の 各 艦隊 司令 官 は 撤退 を のぞんで いる 。 その 件 に ついて 総 司令 官 の ご 諒 解 を いただきたい のだ 」 「 撤退 です と ? 」 フォーク 准将 の 唇 が 、 老 提督 の 予想 した とおり の かたち に ゆがんだ 。 「 ヤン 提督 は ともかく 、 勇敢 を もって 鳴る ビュコック 提督 まで が 、 戦わ ず して 撤退 を 主張 なさる と は 意外です な 」
「 下 劣 な 言い かた は よせ 」
容赦 なく 、 ビュコック は 決めつけた 。
「 そもそも 、 貴 官 ら が このように 無謀な 出兵 案 を たて なければ すんだ こと だ 。 いますこし 責任 を 自覚 したら どうか 」
「 小 官 なら 撤退 など しません 。 帝国 軍 を 一撃 に 屠 り さる 好機 と いう のに 、 なに を おそれて いらっしゃる のです 」
不遜 であり 不用意で も ある この 言 が 、 老 提督 の 両眼 に 超 新星 の 閃光 を はしら せた 。
「 そう か 、 では かわって やる 。 私 は イゼルローン に 帰還 する 。 貴 官 が かわって 前線 に 来る が いい 」
フォーク の 唇 は これ 以上 、 ゆがみ よう が なくなって いた 。
「 でき も し ない こと を 、 おっしゃら ないで ください 」
「 不可能 事 を 言いたてる の は 貴 官 の ほう だ 。 それ も 安全な 場所 から うごか ず に な 」
「―― 小 官 を 侮辱 なさる のです か ? 」 「 大言壮語 を 聞く の に 飽きた だけ だ 。