六 ヶ所 村 ラプソディー の お 知らせ Spaced (for lingqs)
くらし の 根っこ 、 そこ に 核 が ある
原子 力 発電 所 で 電気 を 作って いる こと は 誰 でも 知っている 。 原発 に 反対 する 人々 と 容認 ・ 推進 する 人々 が いる 。 普通の 人 が 原発 に ついて 考えよう と する と 、 両極 端 の 情報 が 混在 し 、 多く の 人々 は 良く わから ない 、 仕方ない 、 自分 に は 関係ない と 思って いる 。
この 映画 は 日本 の 原子 力 産業 の 要 、 使用 済 核 燃料 再 処理 エ 場 が ある 六ケ所 村 に 生きる 村人 を 取材 して いる 。 六ケ所 村 に 生きる こと ほ 核 と 共に 生きる こと を 意味 して いる 。 けっして 他人事 で は ない 。 それ は 私 たち に とって も 同じ こと の ほ ず だ 。
日本 に 55 基 の 原発 が あり 、 総 電力 の 三 分 の ― を まかなって いる の は 事実 。 私 たち の 暮らし に 電気 は 欠かせ ない 。 そう 、 日本 人 ― 億二千万 人 、 全員 が 核 技術 に よる 電気 の 恩恵 に 預かって いる のだ 。 では それ は 私 たち に とって いったい どんな 意味 を 持って いる の だるう ? 賛成 、 反対 を 超えて その 内実 や 意 昧 を 見つめて みよう と この 映画 を 作った 。 六ケ所 村 の 再 処理 エ 場 は 世界 で 最も 新しい プルトニウム 製造 工場 と なる 。 ここ が 稼働 すれば 日本 は 新たな 原子 力 時代 に 入って ゆく 。
どんな 素晴らしい 科学 技術 に も 光 と 影 が ある 。 その 両方 を みて 初めて 私 たち ほ 自分 で 考え 、 選択 する こと が できる ので は ない だろう か ? あたかも 鏡 の ように 偏り なく 現実 を 写し 出す そんな 映像 作り を めざした 。 たとえ そこ に 矛盾 が あろう と 。 あらゆる 政治 や 運動 、 反 核 運動 から 自由な 立場 で 制作 した 。
映画 に は 賛成 ・ 反対 、 双方 の 村人 が 出て 、 語って くれる 。 決して 簡単な 取材 で は なかった が そこ に こそ 意味 が ある と 思った から だ 。 原子 力 、 それ は ― 方 で は 未来 の 可能 性 であり 、 また ― 方 で は 命 を 脅かす 存在 と して 捉えられて いる 。 六ケ所 村 の 人々 は それぞれ 、 自分 自身 の 選択 を 生きて いる 。 そんな 人々 の 暮らし や 日常 から 私 たち の 未来 が 立ち上がって くる 。
監督 鎌 仲 ひとみ
子ども 達 に 安 会 な 未 末 を
「 核 ・ 原子 力 そのもの が 恐怖 な ので は ない 。 それ を 持つ 人間 の 考え だ 」 と ある 人 が 言いました 。 放射能 で 体 を 蝕み 、 環境 を 破壊 し 、 命 を 奪って いる の は 人間 な のです 。 あの チェルノプイリ が 、 JCO が 、 美浜 原発 が 再び あって いい ので しよう か 。
未来 の 命 を 守り 育てる の は 私 達 大人 の 責務 です 。 ― 人 の 人間 と して 自分 自身 に 問いかけ ながら 、 そして 皆さん に も 共に 考えて ほしい と この 映画 を 上映 する こと に しました 。 かつ しか ・ 環境 を 考える 会
代表 ・ 高田 りよう子