三 姉妹 探偵 団 3 Chapter 02
2 勇一
「── 何 だ 、 狩り 出さ れた の か 」
検死 官 が 、 国友 の 顔 を 見て 、 ちょっと 笑った 。
「 え ?
国友 の 方 は 訳 が 分 ら ない 。
「 確か 出張 中 だった んだ ろ ?
さっき 、 三崎 が そう 言って た 」
三崎 刑事 は 、 国友 の 「 親分 」 に 当る 。
いつも 、 どこ か 素 っと ぼけた 雰囲気 の 五十男 である 。
「 三崎 さん が 来て た んです か ?
「 ああ 。
お前 さん が 後 で来る と 言って 、 帰った よ 」
「 ちえっ 。
僕 に は 、 今 手 が 離せ なくて 行け ない と か 伝言 し といて ……」
と 、 国友 は ため息 を ついた 。
「 若くて 独り じゃ 、 こき使って 下さい と 言って る ような もん だ から な 」
「 ま 、 いい です 」
国友 は 肩 を すくめた 。
「── どう です 、 被害 者 の 方 は ? 「 大分 、 派手に 争った ようだ な 」
と 、 検死 官 は 言った が 、 その 点 は 、 現場 と なった 教室 を 見回せば 一目 で 分 った 。
── 机 が あちこち 、 倒れたり 引っくり返ったり して いた から だ 。
国友 は 、 ちょっと 身震い した 。
もちろん 、 空っぽの 教室 と いう の は 寒々 と して いる し 、 実際 、 こんな 夜中 に は 寒い もの である 。
そして 、 床 に 女 の 死体 が ある 、 と なれば 、 なおさら の こと ……。
四十 代 ── たぶん 四十二 、 三 か な 、 と 国友 は 思った 。
ちょっと 小柄で 太り 気味 。
まあ 、 この 年齢 の 、 標準 的 体型 と 言える だろう 。
「 PTA の 会合 で も あった の か な 」
と 、 検死 官 が 言った 。
「 まさか 」
しかし 、 そんな 格好で は あった 。
── ちょっと その辺 に 出かける 、 と いう スタイル で は ない 。 やや 地味な スーツ と 、 ハイヒール 。
もちろん ハイヒール の 方 は 、 争って いて 脱げて しまって いた 。
「 死因 は ?
と 、 国友 は 訊 いた 。
「 後 頭部 を 殴ら れて いる 。
かなり の 力 だ な 。 それ も くり返し やられて いる んだ 」
「 凶器 は どんな ──」
と 言い かけて 、 国友 は 言葉 を 切った 。
「 あれ か ……」
固い 木 の 椅子 。
いや 、 正確に は 、 板 と スチール パイプ を 組み合せた 、 生徒 用 の 椅子 の 一 つ が 、 壊れて 転 って いる 。 板 が 割れ 、 裂けて 、 パイプ が 曲って しまって いた 。
「── 指紋 は 出そう か ?
と 、 国友 は 、 鑑識 の 人間 に 声 を かけた 。
「 今や って ます が ね 。
── ちょっと 見た ところ で は 拭き取って ある みたいだ な 」
「 よく 見てくれ 」
「 OK 」
国友 は 、 被害 者 の もの らしい ハンドバッグ を 拾い上げた 。
「 中 の もの は ?
「 そこ です 」
広げた 布 の 上 に 、 手帳 や コンパクト など が 並べて ある 。
口紅 、 メガネ も 入って いた 。 レンズ も 割れて い ない 。 コンパクト の 鏡 も だ 。
「 これ は ?
国友 が 、 クシャクシャ に なった 紙 を 拾い上げる 。
「 その バッグ の 中 に 入って た んです 」
と 、 若い 刑事 が 言った 。
広げて みる 。
── 国友 は 、 ちょっと 眉 を 寄せた 。
試験 の 問題 らしい 。
手書き の 、 数学 の 問題 である 。 しかし 、 正式の 問題 用紙 で ない の は 、 名前 や クラス 名 を 書く 欄 が ない の を 見て も 分 る 。 それ に 、 これ は コピー だ 。
「 問題 の …… コピー か 」
と 、 国友 は 呟いた 。
佐々 本 珠美 が 、 鞄 の 中 へ 知ら ない 内 に 入れ られて いた の も 、 何やら テスト の 問題 を コピー した もの だった ……。
まさか 。
── おい 、 やめて くれよ 。
また 、 あの 三 姉妹 が 、 この 殺人 事件 に 巻き込ま れる んじゃ ない だろう な !
それ だけ は 避け なきゃ 。
しかも 、 巻き込ま れる の を 喜んで る 「 変り 者 」 が いる んだ から !
「── 家族 に 連絡 は ?
と 、 国友 は 訊 いた 。
「 手帳 の 電話 番号 へ 、 かけて み ました が 、 誰 も 出 ませ ん 」
と 、 若い 刑事 が 言った 。
若 いった って 、 国友 も 若い のだ が 、 一応 、 後輩 の いる 身 である 。
「 誰 か 、 家 へ 巡査 を 一 人 やって くれ 」
「 分 り ました 」
手帳 に は 、〈 有田 信子 〉 と あった 。
住所 は ここ に 近い 。 国友 は 、 そば に いた 巡査 へ 、
「 発見 者 は ?
と 訊 いた 。
「 向 う に 待た せて あり ます が ……」
と 、 巡査 が ためらう 。
「 どうかした の か ?
「 は あ 。
── さっき から うるさくて 」
「 うるさい ?
国友 は 、 ちょっと いぶかし げ に 言った 。
「 うるさい って 、 どういう こと だ ? ── 行って みる と 、 すぐに 分 った 。
発見 した の は 、 ここ の 生徒 だった のである 。
現場 から 少し 離れた 教室 に 入って みる と 、 やけに 背 の 高い 、 いかにも ひ弱な 感じ の 男の子 が 、 長い 足 を 持て余し 気味に して 、 椅子 の 一 つ に 腰かけて いる 。
少し 離れて 、 こちら は 、 ちょっと 小 太り の 女の子 。
髪 が 長い 、 丸顔 の 子 だ が 、 大分 ふてくされて いる 様子 である 。
「 君 ら が 、 あの 女 の 人 が 死んで る の を 見付けた んだ ね 」
と 、 国友 は 言った 。
だが 、 質問 に は 答え ず 、
「 おじさん 、 刑事 ?
と 、 女の子 の 方 が 訊 いて きた 。
国友 と して は 、「 おじさん 」 と 呼ば れる の に まだ 不慣れな ため 、 ちょっと 引きつった ような 笑顔 で 、
「 まあ ね 」
と 答える しか なかった 。
「 早く 帰して よ 。
私 たち 、 何も した わけじゃ ない んだ もん 」
「 うん 、 そりゃ そう だろう が ね 。
しかし 、 これ は 殺人 事件 な んだ 。 君 ら が 死体 を 見付けた とき の 状況 を はっきり 聞いて おき たい 。 犯人 を 捕まえる 手がかり に なる かも しれ ない から ね 」
国友 と して は 、 極力 優しく 、 穏やかに 説明 を した のである 。
「 関係ない もん 」
と 、 女の子 は 口 を 尖ら せた 。
「 ただ 見付けた だけ よ 。 それ しか 言う こと ない 」
「 そりゃ まあ 、 そう かも しれ ない な 」
内心 ムカッ と 来た が 、 そこ は ぐっと 押えて 、
「 しかし ね 、 たとえば 君 ら が 何 時 何 分 ごろ ここ に 来た と か 、 それ だけ だって 、 犯行 時間 を 決める 手がかり に なる んだ よ 。
もし 、 誰 か を 見かけた と か ──」
「 だ から 、 よそう って 言った じゃ ない !
女の子 が 、 いきなり 、 男の子 を つついて 、
「 後 が 面倒だ から 、 って 言った のに 。
あんた が やっぱり 知らせた 方 が いい 、 と か 言う から ……」
「 だって ──」
と 、 男の子 の 方 は オドオド し ながら 、「 もし 黙って て 後 で 分 ったら 、 まずい と 思って さあ 」
「 放っときゃ 、 分 り ゃ し なかった の よ 。
それ を ご ていねいに 、 訊 かれる 通り 、 名前 まで 電話 で しゃべっちゃ って さ 。 ── 馬鹿じゃ ない の 、 あんた ? 「 でも さあ ……」
と 、 男の子 の 方 は 不服 顔 。
「 これ で 、 あんた と 逢 引き して た の まで 、 バレ ちゃ う じゃ ない の 。
退学 に なって も 知ら ない から ね 」
「 お前 、 大丈夫じゃ ない か 。
親父 さん に 言えば ──」
「 私 は ね 。
でも 、 あんた の 方 まで 手 が 回 ん ない よ 」
「 そりゃ ない よ !
── なあ 、 怒 んな よ 」
「 お腹 空いて 、 寒くて 、 おまけに あんた みたいな 能 なし と デート して た の か と 思う と 、 怒ら ず に い られ ない わ よ 」
と 、 やり合って いる ところ へ ──。
「 いい加減に しろ !
国友 の 怒り が 爆発 した 。
「 人 が 一 人 、 殺さ れた んだ ぞ ! それ を 、 放っとけば 良かった と は 何 だ ! 男の子 の 方 は 青く なって 小さく なって いる 。
しかし 、 女の子 の 方 は 、 逆に 顔 を 真 赤 に して 立ち上る と 、 国友 に かみついて 来た 。
「 何 よ !
あんた なんか に 怒鳴ら れる 覚え 、 ない わ よ ! 金切り声 と いう やつ が 、 大体 国友 は 好きで ない 。
加えて 、 小 生意気な 子供 と いう やつ も 好きで ない 。 加えて 、 中学生 と いえば 、 まだ 純情 と いう 「 神話 」 が 、 国友 の 中 に 生きて いる 。 加えて ── いや 、 もう これ だけ あれば 充分だった 。
刑事 と いう 立場 を 一瞬 忘れて 、 その 女の子 を ひっぱ たく に は ……。
バン 、 と いう 音 が 、 空っぽの 教室 に 反響 して 、 びっくり する ほど 大きく 聞こえた 。
確かに 、 誰 も が びっくり した 。
男の子 の 方 は 、 まるで 自分 が ひっぱ たか れた みたいに 、 キャッ と 悲鳴 を 上げて 飛び上った し 、 そば に 立って いた 巡査 は 啞然 と して 、 ポカン と 口 を 開けた まま 、 国友 を 見つめて いた 。
叩か れた 女の子 は 、 二 、 三 歩 よろけて 、 踏み止まった が 、 痛み より は 、 驚き の 方 が 大きかった ようで 、 はっきり と 手 の あと が 頰 に ついて いる の を 、 片手 で 隠す ように し ながら 、 目 を 大きく 見開いて いた 。
しかし ── 一 番 びっくり した の は 国友 自身 だった かも しれ ない 。
今 の は ── 俺 な の か ?
俺 が やった の か 、 と 自分 へ 問いかけて いた 。
「 いや …… すま ん 」
ほとんど 無意識に 口 を 開いて いた 。
「 殴る つもりじゃ …… なかった んだ 」
そこ へ 、 全く 別の 声 が 割り込んで 来た 。
「 何て こと だ !
太い 男 の 声 に 、 国友 は びっくり して 振り返った 。
── こんな 夜中 だ と いう のに 、 きちんと ダブル の 背広 を 着込み 、 ネクタイ を しめた 五十 がらみ の 、 堂々と した 体格 の 男 が 、 目 を むいて 、「 暴力 を 振った な ! と 、 国友 を にらみつけて いる 。
「 パパ !
女の子 が 、 その 男 へ 向 って 駆け寄る と 、 胸 に 飛び込んで 、 ワーッ と 泣き出した 。
「── 私 は 杉下 だ 」
と 、 その 男 は 、 女の子 を 抱き 寄せ ながら 、
「 区 の 教育 委員 を して いる 。
君 は ? 「 M 署 の ── 国友 です 」
「 国友 か 。
憶 えて おこう 。 私 は 弁護 士 で 、 警察 に も 大勢 知り合い が いる 。 十五 歳 の 女の子 に 刑事 が 暴力 を 振った と あって は 見 過 す わけに は いかん 」
国友 と して は 、 反論 の 余地 も ある はずだ が 、 今 は 、 自分 でも 女の子 を 殴った と いう ショック で 、 呆然と して いた 。
「 娘 の ルミ に 訊 く こと が あれば 、 私 が 立ち合う 。
ともかく 、 今日 は 話 の できる 状態 で は ない 。 引き取ら せて もらう 。 構わ んだろう ね ? 国友 は 、 黙って 肯 いた 。
「── さあ 、 行こう 」
杉下 は 、 ルミ と いう 娘 の 肩 を 抱いて 、 促した 。
── 教室 を 出て 行こう と して 、 ルミ が 、 ふと 振り向いた 。
涙 に 濡れた 目 で 、 ちょっと 国友 を 見つめる と 、 無表情の まま 、 父親 と 共に 姿 を 消した 。
「 あの ……」
と 、 男の子 の 方 が 、 恐る恐る 言った 。
「 僕 も 帰って いい ? 「 ん ?
── 何 か 言った か ? と 国友 が 振り向く 。
「 あの ──」
と 、 男の子 が 言い かけた とき 、 廊下 に ドタドタ と 凄い 足音 が した 。
「 正明 ちゃん !
けたたましい ソプラノ ── いや 、 やや 低 目 の メゾ ・ ソプラノ ぐらい か ── の 声 が 、 教室 の 中 を 駆け回った 。
胸 、 胴 、 腰 ── ほとんど 同 サイズ と いう 「 豊かな 」 体格 の 女性 が 、 飛び込む ように 入って 来る と 、
「 まあ 、 正明 ちゃん !
と 、 例の 「 かよわい 男の子 」 へ と 駆け寄った のである 。
国友 は 我 に 返って 、
「 あの ── お 母さん です か ?
と 、 声 を かけた 。
「 あなた は 誰 ?
「 は ?
「 名前 を 訊 いて る の よ !
「 M 署 の ── 国友 です が 」
「 国友 さん ね 。
私 、 母親 と して 、 断固と して 抗議 し ます ! 「 抗議 ?
「 この 寒い 教室 に 、 うち の 子 を 閉じ込めて おく なんて !
正明 は とても デリケートで 、 風邪 を ひき やすい 性質 な んです ! 「 は あ ……」
「 もし 、 これ が 原因 で 熱 を 出し 、 肺炎 に でも なったら 、 その 責任 は どうして くれる んです か !
「 は あ 」
「 私 、 坂口 爽子 です 。
何 か この 子 に お 訊 ね の こと が あれば 、 私 が 『 代って 』 お 答え し ます ! 坂口 爽子 は 、「 代って 」 と いう ところ を 、 あたかも オペラ の アリア の 聞か せ どころ でも あるか の ように 、 高く 張り上げて 言った 。
「 しかし 、 お 子 さん は ── 死体 の 発見 者 でして 、 どうしても 話 を ──」
「 死体 で すって !
と 、 坂口 爽子 は 、 目 を 飛び出さ ん ばかりに 見開いて 、「 この 子 の 繊細な 神経 が 、 どれ だけ 痛めつけ られて いる か 、 お 分 り に なら ない の ?
この上 、 無神経で が さつ な 刑事 の 訊問 など に 会ったら 、 この 子 は 哀れ ノイローゼ に なって しまい ます わ 」
「 しかし ──」
「 帰ら せて いただき ます !
断固たる その 口調 は 、 全く 異論 を さしはさむ 余地 を 残して い なかった 。
「 さ 、 正明 ちゃん 。 行き ま しょ 」
「 怖かった よ 、 ママ ……」
「 そう よ ね 。
可哀そうに 」
母 と 子 は 、 身 を 寄せ合い ながら 、 教室 を 出て 行って しまう 。
国友 は 、 ただ 呆然と して 、 その 場 に 突っ立って いた ……。
その 少年 は 、 いとも 軽々 と 、 雨 樋 を よじ 上って いた 。
よほど 慣れて いる と 見えて 、 もう いい加減 古びて 、 あちこち ガタ が 来て いる 雨 樋 な のに 、 ほとんど きしむ 音 一 つ たて ず に 、 しっかり した 所 へ 手足 を かけて 上って 行く 。
二 階 の 窓 の 高 さ まで 上って 来る と 、 巧みに バランス を 取り ながら 、 窓 の へり へ 足 を かけた 。
窓 の 鍵 は 、 ちゃんと 開けて あった らしい 。
スッ と 窓 が 開いて 、 少年 の 姿 は 、 その 中 へ と 吸い込ま れる ように 消えた 。
「── やった 」
と 、 暗がり の 中 へ 一旦 身 を 沈めた 少年 は 、 得意 げ に 呟いた 。
とたん に 、 パッと 明り が 点いて 、 少年 は 飛び上り そうに なった 。
「 待って た ぞ 」
ドア の 所 に 立って いる の は 、 ずんぐり した 中年 男 で 、 腕組み を して 、 少年 を にらんで いた 。
「── ち ぇっ 。
知って た の か 」
少年 は 舌打ち した 。
「 だったら 、 出る とき に 止めりゃ いい じゃ ない か 」
「 勇一 」
と 、 その 男 が 言った 。
「 仕度 しろ 」
「 分 った よ 」
少年 は 、 ふてくされた 顔 で 、「 地下 室 で 一 日 、 飯 抜き だ ろ 。
いい よ 、 この 格好で 行く から 」
「 そう じゃ ない 。
荷物 を まとめろ 」
「 へえ 。
── 追 ん 出す の かい 、 ここ から ? こっち は 大喜びだ けど 」
「 お前 の お袋 さん が 死んだ 」
少年 は 、 ちょっと 間 を 置いて から 、
「 所長 さん 、 そんな 冗談 、 いくら 何でも ひどい よ 」
と 、 唇 を 歪めて 笑った 。
「 本当だ 」
所長 さん 、 と 呼ば れた 男 は 、 無表情に 言った 。
「 さっき 、 警察 から 連絡 が あった 。
お前 の お袋 さん が 、 誰 か に 殺さ れた そうだ 」
勇一 と いう その 少年 は 、 じっと 立ちつくして いた が 、
「── 噓 じゃ ない んだ な 」
と 、 呟く ように 言った 。
「 早く 仕度 しろ 。
ここ へ 来た とき の 服 を 着て 、 髪 の 毛 も ちゃんと とかし とけ 。 俺 が 車 で 送って やる 」
所長 は 、 部屋 を 出て 行き かけて 、 ちょっと 足 を 止めて 振り向いた 。
「 勇一 。 しっかり しろ よ 」
勇一 は 、 答え なかった 。
── ベッド と 、 机 の 他 に は 、 ほとんど 何も ない 簡素な 部屋 に 一 人 に なる と 、 有田 勇一 は 、 初めて 我 に 返った ように 、 周囲 を 見回した 。
「 母さん ……」
と 、 呟き が 洩 れる 。
「── 畜生 ! ベッド に 腰 を 落とす と 、 勇一 は 、 頭 を 垂れた 。
母さん が 死んだ ……。
殺さ れた って ?
誰 が やった んだ ?
── 畜生 ! 畜生 !
「 おい 」
ドア が 開いて 、 所長 が 顔 を 出す 。
「 大丈夫 か ? 「 うん 」
勇一 は 、 パッと 立ち上る と 、 急いで ジーパン を 脱いだ 。
仕度 、 と いって も 簡単である 。
三 分 と たた ない 内 に 、 勇一 は 、 小さな ボストン バッグ 一 つ を 手 に 、 部屋 を 出て いた 。
所長 は 、 いい加減 くたびれ 切った 背広 を 着て いた 。
勇一 は 、 所長 が それ 以外 の 背広 を 着て いる の を 、 見た こと が なかった 。
── 所長 の 車 も 、 背広 に 劣ら ず 、 古ぼけて いる 。
しかし 、 ともかく 夜道 を 、 歩く より は 速い スピード で 急いで いた ……。
「 親類 は いる の か 」
と 、 運転 し ながら 、 所長 が 言った 。
「 葬式 やって くれる ような 親戚 は い ない よ 」
助手 席 で 、 勇一 は 言った 。
「 そう か 」
所長 は 、 それ きり 黙って 車 を 走ら せて いる 。
「 所長 さん 」
「 うむ 」
「 殺さ れた って ── どうして だい ?
「 知ら ん 。
しかし 、 警察 が そう 言う んだ 」
「 母さん を ── 殺す ような 奴 、 いる の か な 」
「 いい 人 だ から な 、 お前 の お袋 さん は 」
勇一 は 、 ちょっと 目頭 が 熱く なった の を 、 気付か れ ない ように しよう と して 、 わき を 向いた 。
でも 、 たぶん 所長 は 気付いて いた だろう 。 勇一 に も 、 それ は 分 って いた 。
所長 に は 、 たいてい の こと は 分 って しまう のだ 。
母親 の こと を 、「 いい 人だった 」 と 言わ ず に 、「 いい 人 だ から な 」 と 言って くれた の が 、 勇一 に は 嬉しかった 。
「 勇一 」
と 、 所長 が 真 直ぐ 前 を 見た まま 、 言った 。
「 親類 も い ない と なる と 、 お前 が 喪主 だ ぞ 。
しっかり しろ よ 」
「 うん 」
と 、 勇一 は 肯 いた 。
「 分かって る 」
しかし 、 勇一 は 他の こと を 考えて いた 。
母さん を 、 誰 が 殺した んだ 。
── 誰 が 。
窓 の 外 の 闇 は 、 もう すぐ 朝 に なる と いう のに 、 まだ どこまでも 暗かった 。