三姉妹探偵団(2) Chapter 03 (1)
3 死 の リハーサル
「 おはよう 」
と 、 夕 里子 は 言った 。
「 お は よ 」
珠美 が 短く 答えて 、 椅子 に 腰かける 。
「 朝 早く 起きるって 、 いい 気持 でしょ 。 ね 、 綾子 姉ちゃん 」
「 うん ……」
綾子 は 、 まだ 半分 瞼 が 降りた まま である 。
── ともかく 低 血圧 で 、 朝 は 極端に 弱い のだ 。
「 コーヒー 飲んだら ?
目 が 覚める よ 」
と 、 夕 里子 が 、 特大 の モーニング カップ に たっぷり コーヒー を 注ぐ 。
「 うん ……」
と 、 テーブル の 上 を 手探り する 。
「 危 いよ !
熱い んだ から 。 ちゃんと 目 を 開けて ! 「 開けて る わ よ 。
── ほら ね 」
綾子 は 、 何だか 夢 遊 病者 みたいな 目つき で 夕 里子 を 見た 。
夕 里子 は 、 ため息 を ついて 、
「 だめ ねえ 。
こんな 朝 早い 時間 に 約束 なんて する から よ 」
「 だって …… 仕方ない じゃ ない 」
大 欠 伸し ながら 、 綾子 は 言った 。
「 向 う が 午前 九 時 に 来るって 言う んだ から 」 「 綾子 姉ちゃん 、 見て る と 、 こっち まで 、 せっかく 覚めた 目 が 、 また 眠く なっちゃ う よ 」 珠美 が 早々 に 立ち上る 。 「 じゃ 、 行って 来る 」
「 私 も 出る わ 」
と 、 夕 里子 も 立ち上った が 、「── お 姉さん 、 大丈夫 ?
そのまま 寝ちゃ わ ないで ね 」
「 誰 が ── 寝る もん です か 」
と 、 言い ながら 綾子 の 眼 は 半ば くっつき かけて いた 。
「 参った なあ 」
と 、 夕 里子 は 頭 を かいた 。
夕 里子 も 、 もう そろそろ 出 なくて は なら ない のだ が 、 このまま 姉 を 放って 行く の は 気がかりだった 。
「── お 姉ちゃん 」
玄関 へ 行った 珠美 が 、 戻って 来た 。
「 何 よ 、 忘れ物 ?
「 お 客 さん だ よ 」
「 こんな 時間 に ?
びっくり して 玄関 に 出て みる と 、 ジャンパー に スラックス と いう スタイル の 石原 茂子 が 立って いた 。
「 あ 、 石原 さん 」
「 綾子 さん 、 起きられた ? 心配で 見 に 来た の 」
茂子 の こと は 、 夕 里子 も 何度 か 会って 、 よく 知っている 。
年齢 の 割に 、 とても しっかり した 人だった 。
「 よろしく お 願い します 。 お 姉さん に とって は 、 今 は 深夜 みたいな もん です から 」
「 そんな こと だ と 思った 」
と 茂子 は 笑って 、「 夕 里子 さん たち 、 学校 でしょ ?
行って い いわ よ 。 私 、 何とか して 綾子 さん を 引 張って 行く から 」
「 神 山田 タカシ 本人 が 来る んです か ?
と 、 珠美 が 靴 を はき ながら 言った 。
「 その はずだった の よ 」
と 茂子 は 肯 いて 、「 リハーサル を 兼ねて 、 会場 を 見たい 、って 話 で ね 。 でも 、 今朝 マネージャー から 電話 で 、 当人 は 風邪 気味な んで 、 大事 を 取って 休ま せるって 」 「 何 だ 、 それ じゃ ──」 「 ええ 、 大した こと じゃ ない の 。 でも 、 一応 招く 側 と して は そう も 言って いられ ない から ……」 話 を して いる と 、 綾子 が 、 まるで 出来 たて の フランケンシュタイン の 怪物 みたいな 、 ぎこちない 足取り で 現われた 。 「 あら 、 茂子 さん ……」
と 、 少々 もつれた 舌 で 、「 私 、 いつでも いい わ よ 」
「 じゃ 、 出かける ?
「 そう ね 」
綾子 は 、 玄関 の 靴 を はこう と した 。
「 お 姉さん !
夕 里子 が あわてて 、「 まず 、 パジャマ を 普通の 服 に 替えて よ !
「 タカシ 、 起きて る か ?
ドア を ノック して 、 黒木 は 声 を かけた 。
しばらく 返事 が ない 。
いつも の こと である 。
それ でも 、 タカシ は 神経質だ 。
ちゃんと ノック の 音 で 、 目 が 覚めて いる に 違いない のだった 。
ずっと マネージャー を して 来た 黒木 に は 、 その辺 は よく 分って いる 。 ドア の 内側 へ 聞き 耳 を 立てる と 、 ゴソゴソ と 音 が する 。
どうやら 起きて 来た ようだ 。
「 私 、 シャワー ……」
と 、 女 の 声 らしい もの 。
黒木 は 苦笑 した 。
── やれやれ 。
具合 が 悪い と 言って ある のに 、 困った 奴 だ な 。
黒木 は 待って いる 間 に 、 三 回 、 大 欠 伸 を した 。
── 黒木 も 、 そう 朝 に 強い 方 で は ない 。
特に 四十 歳 に も なる と 、 前日 の 疲労 が 、 繰越して 残って 来る 。
少し 禿げ 上った 頭 を 、 黒木 は 軽く 撫でた 。
── まだ 若い のに 。
苦労 して いる んだ 、 と 黒木 は 思った 。
自分 で そう 言う の も 妙だ が 、 実際 、 そう 言って くれる 人間 など 、 いやし ない のだ から 、 自分 で 慰めて やる しか ない 。
黒木 は ゆうべ 、 大阪 まで 行って 来た のである 。
本当 なら 、 今日 の 夕方 に 戻って 来る つもりだった が 、 突然 飛び込んで 来た 大学 の 文化 祭 の 打ち合せ を し なくて は なら なくて 、 こうして 朝 早く 戻った のだ 。
もちろん 、 タカシ の 方 に 、 行く 気 が ない こと は 分って いた から 、 向 う の 学生 に も 言って おいた 。 充分に 下 準備 を して おか ない と 、 タカシ が ヘソ を 曲げる 。
特に 、 この ところ 、 神山 田 タカシ の 人気 は 落ちて 来て いて 、 当人 も それ を よく 知っている 。
それだけに 、 焦り も ある に は 違いなかった 。
「── 誰 だ ?
と 、 タカシ の 声 が した 。
「 誰 だ 、 じゃ ない よ 」
と 、 黒木 は 笑った 。
ドア が 開く と 、 髪 は ボサボサ 、 無 精 ひげ の むさ苦しい 顔 が 覗く 。
これ が 、 神山 田 タカシ の 真実の 姿 だ と 公表 したら 、 一度に ファン が 離れて しまう に 違いない 。
「 お前 か 」
と タカシ は 意外 そうに 、「 夕方 じゃ なかった の かい ?
「 大学 の 文化 祭 の 仕事 が 入って る から 、 その 打ち合せ を やら なきゃ 」
「 大学 か !
と 、 タカシ は 渋い 顔 で 、「 面倒だ な 」
「 何でも 金田 常務 が 一 度 色々 と 世話に なった 刑事 の 紹介 だって 。
── ちょっと 断れ ない よ 」
「 俺 は その場で 燃える よ 」
「 わかって る 。
ただ 一応 声 を かけ と こう と 思って ……」
マンション の 朝 は 大体 が 遅 目 である 。
タカシ が 、 いつも 昼 ごろ 起き 出して も 、 別に 目立た ない のだ 。
奥 の 方 から 、 シャワー の 音 が した 。
「 お 客 かい ?
と 黒木 が 訊 く と 、 なぜ か タカシ も 、 ちょっと あわてた ように 、
「 ああ 。
── ちょっと した 知り合い だ 。 本当だ よ 」
黒木 は 、 いつ に なく タカシ が 言い訳 めいた こと を 言う ので 、 おかしかった 。
いつも なら 、 女 の 一 人 や 二 人 、 堂々と ベッド に 裸 で 寝か せて おいて 、 黒木 を 中 に 入れる のに 。
「 後 で 連絡 して くれ 」
と 、 タカシ は 言った 。
「 それ は 分って る 。 ただ 、 何 曲 ぐらい やる の か 。 調整 し ない と ね 」
「 その辺 は 任せる よ 。
だから ──」
と 、 タカシ が 言い かけた とき 、
「 誰 な の ?
と 出て 来た 女 が いた 。
バスローブ を まとって 、 髪 は まだ 濡れて いる 。
黒木 は 、 なぜ タカシ が あわてて いた か 、 分った 。 「── あら 、 あなた 、 早かった の ね 」
妻 の 美江 は 、 平気な 様子 で 言った 。
「 快適 ね !
私 、 これ から 、 いつも これ ぐらい の 時間 に しよう か な 」
石原 茂子 は クスッ と 笑って 、
「 毎朝 、 あなた を 起す のに 妹 さん たち が 四苦八苦 する んじゃ 、 可哀そう よ 」
「 それ は そう ね 」
綾子 も 笑って 、「 夕 里子 なんか 、 頭から 水 でも 浴びせ かね ない もの ね 」
「 しっかり して る わ ね 、 あの 妹 さん は 」
「 しっかり し 過ぎて 困る こと も 、 ちょくちょく ある けど ね 」
と 、 綾子 は 言った 。
「 八 時 四十 分 か 」
と 、 茂子 は 腕 時計 を 見た 。
「 そろそろ 来る かしら ね 」
「 打ち合せって 、 一体 何 を やる の かしら ? 「 さあ 。
── 出演 料 と か 、 そんな こと を 相談 する んじゃ ない の ? 「 あら 」
と 、 綾子 は 言った 。
「 出演 料 払う の ? 学校 に 来る んだ から 、 タダ か と 思った 」
「 綾子 さんって 面白い 」 茂子 は 笑い 出して いた 。 綾子 は 頭 を かいた 。
「 ともかく 世間知らずだ から 、 いつも 夕 里子 たち に 笑われる の 。
下 の 珠美 に まで 、 馬鹿に さ れる んだ から 」
「 でも 、 そういう の が 、 あなた の いい ところ な んだ もの 。
妹 さん たち も 、 そこ は よく 分って る わ よ 」 「 そう だ と いい けど ……」 綾子 は 、 いささか 心もとない 顔 で 呟いた 。 「── あら 、 あの 人 」
と 、 茂子 が 言った 。
「 え ?
綾子 が 茂子 の 視線 を 辿って みる と 、 どうにも 、 大学生 と いう に は 少々 老けた 感じ の 女性 が 歩いて いる 。 ちょっと きつい 顔立ち で 、 それ に 何だか いやに 気 が 立って いる ような 顔つき だった 。
コート の ポケット に ギュッと 手 を 突っ込んで 、 校門 の 方 へ 向って 歩いて 行く のだ 。 「 知って る 人 ?
綾子 は 訊 いた 。
「 どこ か で 見た こと が ある みたい 。
── 誰 だった か なあ 」
茂子 は 首 を かしげた 。
しかし 、 その 女性 の こと を 思い出さ ない 内 に 、 二 人 は 、 大学 の 学生 部 に 着いて いた 。
「 水口 さん 、 来 てる かしら ?
と 、 綾子 は 建物 の 中 へ 入って 行き ながら 言った 。
大体 、 講義 室 の ある 建物 は 新しい のだ が 、 この 学生 部 の 方 は 、 いい加減 古びた 、 薄暗い 校舎 である 。
「 ここ 、 寒い ねえ 」
と 、 茂子 が 身 を 縮めた 。
実際 、 廊下 など は 外 から 入る と ゾクゾク する ほど の 寒 さ な のである 。
「 そこ 、 右 だっけ ? 「 もう 一 つ 先 よ 」
「 あ 、 そう か 。
いくら 来て も 憶 えられ なくって 」 と 、 綾子 は 首 を 振った 。 「 でも 、 綾子 さん 、 威張って て いい の よ 。
下手 すれば 中止 に なる ところ だった コンサート を 、 実現 に こぎつけた んだ から 」
「 でも 、 一 年生 の 子 に 、『 敬老 の 日 』 の コンサート だ 、って 言わ れちゃった 」 「 今 の 若い 子 は 、 何 か 言い た がる の よ 」 と 、 茂子 が 綾子 の 肩 を 叩いた 。 「 あんな 、 有名な 歌手 を 連れて 来た んだ もの 、 大した もん だ わ 」
「 そう かしら ……」
自信 なげ で は あった が 、 ともかく 、 綾子 と して は 、 そう 言わ れる と 、 やはり いくらか は 嬉しい 。
でも まあ ── 厳密に 言う と 、「 連れて 来た 」 わけじゃ なくて 、 向 う から 「 やって 来た 」 のだ 。
今 でも 、 綾子 に は その辺 の 事情 は 全く 分って いない のである 。 二 人 が 、 廊下 の 角 を 曲った とたん 、 誰 か と ぶつかり そうに なった 。
「 おっと !
「 あ 、 何 だ ──」
「 や あ 、 君 か 」
ガードマン の 太田 だった 。
「 今 は 仕事 じゃ ない んでしょ ?
「 うん 、 だから この 格好 さ 」
太田 は 、 ジーパン スタイル だった 。
「 これ から 文化 祭 の 打ち合せ ? 大変だ な 」
「 うん 。
あなた は 何 して る の 、 こんな 所 で 」
と 、 茂子 は 訊 いた 。
「 ちょっと 落し物 を 届け に ね 。
じゃ 、 また 」
「 バイ 」
歩き 出して 、 綾子 が 言った 。
「 いい の ?
恋人 な んでしょ ! 「 いやだ 。
変な こと 、 憶 えて る んだ から ! と 、 茂子 は 笑って 、「 どうせ 、 後 で会う こと に なって る から いい の 」
「 な あんだ 。
心配 して 損しちゃった 」 二 人 の 笑い声 が 、 薄暗い 廊下 に 反響 した 。 学生 部 の 会議 室 の ドア を 開ける と 、 二 人 は 、 びっくり して 足 を 止めた 。
窓 辺 に 背中 を 向けて 立って いる の は 、 委員 長 の 水口 恭子 だった のだ 。
まさか 、 先 に 来て いる と は 思わ なかった のである 。
「 おはよう ございます 」
と 、 茂子 が 言った 。
水口 恭子 は 、 初めて 二 人 が 来た の に 気付いた 様子 で 、 ハッと 振り向いた 。
「 あ ── おはよう 、 ご苦労さま 」
と 早口 で 言った 。
「 もう 時間 ね 。 ── こんなに 早く 起きた こと なんて 、 めったに ない から 、 目 が 覚め ない わ 」
水口 恭子 は 、 メガネ を 外して 、 目 を こすった 。
「── ちょっと 顔 を 洗って 来る から 」
と 、 急ぎ足 で 出て 行く 。
綾子 と 茂子 は 、 顔 を 見合わせた 。
「 水口 さん ……」
「 泣いて た みたい ね 」
と 、 茂子 は 言った 。
「 目 に ゴミ で も 入った の かしら ?
綾子 の 連想 は 、 至って 健全な のである 。
「── そう だ わ 。
思い出した 」
と 、 茂子 は 言った 。
「 何 を ?
「 さっき 、 校門 の 方 へ 歩いて 行った 女 の 人 。
梨 山 先生 の 奥さん だ わ 」
「 梨 山 先生 の ?
「 前 に 、 写真 で 見た こと ある 。
きっと そう だ わ 」
「 へえ ……」
「 それ で 水口 さん 、 泣いて た んだ わ 」
昨夜 の 梨 山 と 水口 恭子 の 一 件 を 知ら ない 綾子 は 、 茂子 の 言葉 の 意味 が 分 ら なくて 、 目 を パチクリ さ せて いる だけ だった 。
足音 が した 。
そして 、 ヒョイ と 男 の 顔 が 覗く と 、
「 や あ 、 どうも お 待た せ しました ! と 、 やたら 大きな 、 威勢 の いい 声 が 響き渡る 。
「 神 山田 タカシ の マネージャー 、 黒木 です !
「 あ 、 どうも 。
佐々 本 綾子 です 」
「 や あ 、 あなた が 、 金田 常務 から お 話 の あった 方 です な 。
いや 、 今日 は 本当 なら タカシ も 来る と 言って た んです が 、 ちょっと 風邪 気味で 、 喉 の 調子 が 良く ない と 言う もん です から ね 。 肝心の 当日 に 寝込んで しまって は 、 と いう わけで 、 今日 は 一 人 で 寝て います 。 しかし 、 私 は 充分 慣れて います から 、 何でも ご 相談 に 乗ります よ 」 凄い 早口 だ 。 綾子 の ように 、 通常 より 総 て スローテンポ な 人間 と して は 、 話 に ついて行く の が 大変だった 。
「 ご 無理 を お 願い して 申し訳 ありません 」 と 、 茂子 が 言った 。 「 今 、 委員 長 が 参ります ので 。 お かけ に なって いて 下さい 」
「 あ 、 どうも 。