13. 足袋 - 島崎 藤村
足袋 - 島崎 藤村
「 比佐 さん も 好 い けれど 、 アス が 太 過ぎる ……」・・
仙台 名 影 町 の 吉田 屋 と いう 旅人 宿 兼 下宿 の 奥 二 階 で 、 そこ から ある 学校 へ 通って いる 年 の 若い 教師 の 客 を つかまえて 、 頬 辺 の 紅 い 宿 の 娘 が そんな こと を 言って 笑った 。 シ と ス と 取違えた 訛 の ある 仙台 弁 で 。 ・・
この 田舎 娘 の 調 戯半 分 に 言った こと は 比佐 を 喫 驚 させた 。 彼 は 自分 の 足 に 気 が ついた …… 堅く 飛出した 「 つと わら 」 の 肉 に 気 が ついた …… 怒った ような 青 筋 に 気 が ついた …… 彼 の 二の腕 の あたり は まだまだ 繊細 い 、 生 白い もの で 、 これ から 漸 く肉 も 着こう と いう ところ で 有った が 、 その 身体 の 割合 に は 、 足 だけ は まるで 別の 物 でも 継ぎ 合わせた ように 太く 頑固に 発達 して いた …… 彼 は 真実に 喫 驚 した 。 ・・
散々 歩いた 足 だ 。 一 年 あまり も 心 の 暗い 旅 を つづけて 、 諸国 の 町 々 や 、 港 や 、 海岸 や 、 それ から 知ら ない 山道 など を 草 臥 れる ほど 歩き 廻った 足 だ 。 貧しい 母 を 養おう と して 、 僅かな 銭 取 の ため に 毎日 二 里 ほど ずつ も 東京 の 市街 の 中 を 歩いて 通った こと も ある 足 だ 。 兄 や 叔父 の 入った 未決 檻 の 方 へ も よく 引 擦って 行った 足 だ 。 歩いて 歩いて 、 終 に は どうにも こう に も 前 へ 出 なく 成って 了った 足 だ 。 日 の 映った 寝床 の 上 に 器械 の ように 投出して 、 生きる 望み も なく 震えて いた 足 だ ……・・
その 足 で 、 比佐 は 漸 く この 仙台 へ 辿り着いた 。 宿屋 の 娘 に それ を 言わ れる まで は 実は 彼 自身 に も 気 が 着か なかった 。 ・・
ここ へ 来て 比佐 は 初めて 月給 らしい 月給 に も ありついた 。 東京 から 持って 来た 柳 行 李 に は 碌 な 着物 一 枚 入って いない 。 その 中 に は 洗い 晒した 飛 白 の 単 衣 だの 、 中古 で 買求めて 来た 袴 など が ある 。 それ でも 母 が 旅 の 仕度 だ と 言って 、 根気 に 洗濯 したり 、 縫い 返したり して くれた もの だ 。 比佐 の 教え に 行く 学校 に は 沢山 亜米利加 人 の 教師 も 居て 、 皆 な 揃った 服装 を して 出掛けて 来る 。 なにがし 大学 を 卒業 して 来た ばかり の ような 若い 亜米利加 人 の 服装 など は 殊に 目 に つく 。 そういう 中 で 、 比佐 は 人並に 揃った 羽織 袴 も 持って い なかった 。 月給 の 中 から 黒い 背広 を 新規に 誂えて 、 降って も 照って も それ を 着て 学校 へ 通う こと に した 。 しかし 、 その 新調 の 背広 を 着て 見る こと すら 、 彼 に は 初めて だ 。 ・・
「 どうかして 、 一 度 、 白 足袋 を 穿 いて 見たい 」・・ そんな こと すら 長い 年月 の 間 、 非常な 贅沢な 願い の ように 考えられて いた 。 でも 、 白 足袋 ぐらい の こと は 叶えられる 時 が 来た 。 ・・
比佐 は 名 影 町 の 宿屋 を 出て 、 雲 斎 底 を 一足 買い求めて きた 。 足袋屋 の 小僧 が 木 の 型 に 入れて 指先 の 形 を 好く して くれたり 、 滑 かな 石 の 上 に 折 重ねて 小さな 槌 で コンコン 叩いて くれたり した 、 その 白い 新鮮な 感じ の する 足袋 の 綴 じ 紙 を 引き 切って 、 甲高 な 、 不 恰好な 足 に 宛 行って 見た 。 ・・
「 どうして 、 田舎 娘 だ なんて 、 真実に 馬鹿に 成ら ない …… 人 の 足 の 太い ところ なんか 、 何時の間に 見つけた んだろう ……」・・
醜い ほど 大きな 足 を そこ へ 投出し ながら 、 言って 見た 。 ・・
仙台 で 出来た 同僚 の 友達 は 広瀬 川 の 岸 の 方 で 比佐 を 待つ 時 だった 。 漸 く 貧しい もの に 願い が 叶った 。 初めて 白 足袋 を 穿 いて 見た 。 それ に 軽い 新しい 麻 裏 草履 を も 穿 いた 。 彼 は 足 に 力 を 入れて 、 往来 の 土 を 踏みしめ 踏みしめ 、 雀 躍 し ながら 若い 友達 の 方 へ 急いだ 。