14. 言いたい 事 と 言わ ねば ならない 事 と - 桐生 悠々
言いたい 事 と 言わ ねば なら ない 事 と - 桐生 悠々 .
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人 動 ややもすれば 、 私 を 以 て 、 言いたい こと を 言う から 、 結局 、 幸福だ と する 。 だが 、 私 は 、 この 場合 、 言いたい 事 と 、 言わ ねば なら ない 事 と を 区別 しなければ なら ない と 思う 。 ・・
私 は 言いたい こと を 言って いる ので は ない 。 徒 に 言いたい こと を 言って 、 快 を 貪って いる ので は ない 。 言わ ねば なら ない こと を 、 国民 と して 、 特に 、 この 非 常時 に 際して 、 しかも 国家 の 将来 に 対して 、 真 正 なる 愛国 者 の 一 人 と して 、 同時に 人類 と して 言わ ねば なら ない こと を 言って いる のだ 。 ・・
言いたい こと を 、 出 放題 に 言って いれば 、 愉快に 相違 ない 。 だが 、 言わ ねば なら ない こと を 言う の は 、 愉快で は なくて 、 苦痛 である 。 何 ぜ なら 、 言いたい こと を 言う の は 、 権利 の 行使 である に 反して 、 言わ ねば なら ない こと を 言う の は 、 義務 の 履行 だ から である 。 尤 も 義務 を 履行 した と いう 自 意識 は 愉快である に 相違 ない が 、 この 愉快 は 消極 的 の 愉快であって 、 普通の 愉快 さ で は ない 。 ・・
しかも 、 この 義務 の 履行 は 、 多く の 場合 、 犠牲 を 伴う 。 少く と も 、 損害 を 招く 。 現に 私 は 防空 演習 に ついて 言わ ねば なら ない こと を 言って 、 軍部 の ため に 、 私 の 生活 権 を 奪わ れた 。 私 は また 、 往年 新 愛知 新聞 に 拠って 、 いう ところ の 檜 山 事件 に 関して 、 言わ ねば なら ない こと を 言った ため に 、 司法 当局 から 幾 度 と なく 起訴 されて 、 体 刑 を まで 論告 さ れた 。 これ は 決して 愉快で は なくて 、 苦痛 だ 。 少く と も 不快だった 。 ・・
私 が 防空 演習 に ついて 、 言わ ねば なら ない こと を 言った と いう 証拠 は 、 海軍 軍人 が 、 これ を 裏書 して いる 。 海軍 軍人 は 、 その 当時 に 於 て すら 、 地方 の 講演 会 、 現に 長野 県 の 或 地方 の 講演 会 に 於 て 私 と 同様の 意見 を 発表 して いる 。 何 ぜ なら 、 陸軍 の 防空 演習 は 、 海軍 の 飛行機 を 無視 して いる から だ 。 敵 の 飛行機 を して 帝都 の 上空 に 出現 せ しむ る の は 、 海軍 の 飛行機 が 無力なる こと を 示唆 する もの だ から である 。 ・・
防空 演習 を 非 議 した ため に 、 私 が 軍部 から 生活 権 を 奪わ れた の は 、 単に 、 この 非 議 ばかり が 原因 で は なかったろう 。 私 は 信濃 毎日 に 於 て 、 度々 軍人 を 恐れ ざる 政治 家出 で よ と 言い 、 また 、 五・一五 事件 及び 大阪 の ゴーストップ 事件 に 関して も 、 立 憲治 下 の 国民 と して 言わ ねば なら ない こと を 言った ため に 、 重ねがさね 彼等 の 怒 を 買った ため であろう 。 安全 第 一 主義 で 暮らす 現代 人 に は 、 余計な こと で は ある けれども 、 立 憲治 下 の 国民 と して は 、 私 の 言った こと は 、 言いたい こと で は なくて 、 言わ ねば なら ない こと であった 。 そして 、 これ が ため に 、 私 は 終 に 、 私 の 生活 権 を 奪わ れた のであった 。 決して 愉快な こと 、 幸福な こと で は ない 。 ・・
私 は 二・二六 事件 の 如き 不祥事 件 を 見 ざら ん と する ため 、 予め 軍部 に 対して 、 また 政府 当局 に 対して 国民 と して 言わ ねば なら ない こと を 言って 来た 。 私 は 、 これ が ため に 大 損害 を 被った 。 だが 、 結局 二・二六 事件 を 見る に 至って 、 今や 寺 内陸 相 に よって 厳格なる 粛軍 が 保障 さる る に 至った の は 、 不幸 中 の 幸福であった 。 と 同時に 、 この 私 が 、 はかない ながら も 、 淡い ながら も 、 ここ に 消極 的 の 愉快 を 感じ 得る に 至った の も 、 私 自身 の 一 幸福である 。 私 は 決して 言いたい こと を 言って いる ので は なくて 、 言わ ねば なら ない 事 を 言って いた のだ 。 また 言って いる のである 。
最後に 、 二・二六 事件 以来 、 国民 の 気分 、 少く と も 議会 の 空気 は 、 その 反動 と して 如何にも 明朗に なって 来た 。 そして 議員 も 今や 安 ん じ て ―― なお 戒厳 令 下 に あり ながら ―― その 言わ ねば なら ない こと を 言い 得る ように なった 。 斎藤 隆夫 氏 の 質問 演説 は その 言わ ねば なら ない こと を 言った 好適 例 である 。 だが 、 貴族院 に 於 ける 津村 氏 の 質問 に 至って は 言わ ねば なら ない こと の 範囲 を 越えて 、 言いたい こと を 言った こと と なって いる 。 相沢 中佐 が 人 を 殺して 任地 に 赴任 する の を 怪しから ぬ と いう まで は 、 言わ ねば なら ない こと である けれども 、 下 士 兵卒 は 忠誠だ が 、 将校 は 忠誠で ない と いう に 至って は 、 言いたい こと を 言った こと と なる 。 ・・
言いたい 事 と 、 言わ ねば なら ない 事 と は 厳に 区別 す べきである 。 ・・
( 昭和 十一 年 六 月 )