藪の中 | 芥川龍之介 (3)
やぶ の なか|あくたがわ りゅう ゆきすけ
Im Busch | Ryunosuke Akutagawa (3)
In the Grove | Ryunosuke Akutagawa (3)
En el monte | Ryunosuke Akutagawa (3)
Dans la brousse | Ryunosuke Akutagawa (3)
In de rimboe | Ryunosuke Akutagawa (3)
No mato | Ryunosuke Akutagawa (3)
В кустах | Рюноскэ Акутагава (3)
I bushen | Ryunosuke Akutagawa (3)
树林里 | 芥川龙之介 (3)
樹林裡 | 芥川龍之介 (3)
妻 は おれ が ためらう 内 に 、何 か 一声 ひとこえ 叫ぶ が 早い か 、たちまち 藪 の 奥 へ 走り出した。
つま|||||うち||なん||ひとこえ||さけぶ||はやい|||やぶ||おく||はしりだした
While I was hesitant, my wife shouted something and immediately ran into the bush.
盗人 も 咄嗟 とっさに 飛びかかった が 、これ は 袖 そで さえ 捉 とらえ なかった らしい。
ぬすびと||とっさ||とびかかった||||そで|||そく|||
The thief also jumped at him, but apparently he didn't even catch his sleeve.
おれ は ただ 幻 の よう に 、そう 云 う 景色 を 眺めて いた。
|||まぼろし|||||うん||けしき||ながめて|
Like a phantom, I was gazing at such a scenery.
盗人 は 妻 が 逃げ 去った 後 のち 、太刀 たち や 弓矢 を 取り上げる と 、一 箇所 だけ おれ の 縄 なわ を 切った。
ぬすびと||つま||にげ|さった|あと||たち|||ゆみや||とりあげる||ひと|かしょ||||なわ|||きった
After his wife had fled, the thief took up his sword and bow and arrow, and cut my rope in one place.
「今度 は おれ の 身の上 だ。」
こんど||||みのうえ|
"This time it's on me."
――おれ は 盗人 が 藪 の 外 へ 、姿 を 隠して しまう 時 に 、こう 呟 つぶやいた の を 覚えて いる。
||ぬすびと||やぶ||がい||すがた||かくして||じ|||つぶや||||おぼえて|
--I remember muttering this when the thief hid himself outside the bush.
その 跡 は どこ も 静かだった。
|あと||||しずかだった
The trail was silent everywhere.
いや 、まだ 誰 か の 泣く 声 が する。
||だれ|||なく|こえ||
No, I can still hear someone crying.
おれ は 縄 を 解き ながら 、じっと 耳 を 澄ま せて 見た。
||なわ||とき|||みみ||すま||みた
I listened intently as I untied the rope.
が 、その 声 も 気 が ついて 見れば 、おれ 自身 の 泣いて いる 声 だった で は ない か?
||こえ||き|||みれば||じしん||ないて||こえ|||||
But then I realized that it was my own voice crying.
(三 度 み たび 、長き 沈黙)
みっ|たび|||ながき|ちんもく
(Three times, long silence)
おれ は やっと 杉 の 根 から 、疲れ果てた 体 を 起した。
|||すぎ||ね||つかれはてた|からだ||おこした
I finally lifted my exhausted body from the cedar roots.
おれ の 前 に は 妻 が 落した 、小 刀 さすが が 一 つ 光って いる。
||ぜん|||つま||おとした|しょう|かたな|||ひと||ひかって|
おれ は それ を 手 に とる と 、一 突き に おれ の 胸 へ 刺さ した。
||||て||||ひと|つき||||むね||ささ|
I picked it up and stabbed it into my chest with one thrust.
何 か 腥 なまぐさい 塊 かたまり が おれ の 口 へ こみ上げて 来る。
なん||せい||かたまり|||||くち||こみあげて|くる
Some kind of lump rises up into my mouth.
が 、苦しみ は 少しも ない。
|くるしみ||すこしも|
ただ 胸 が 冷たく なる と 、一層 あたり が しんと して しまった。
|むね||つめたく|||いっそう|||||
However, when my heart felt cold, my surroundings became even more silent.
ああ 、何と 云 う 静か さ だろう。
|なんと|うん||しずか||
Oh, how quiet!
この 山陰 やま かげ の 藪 の 空 に は 、小鳥 一 羽 囀 さえずり に 来 ない。
|さんいん||||やぶ||から|||ことり|ひと|はね|てん|||らい|
Not a single bird chirps in the sky above the bushes in the shade of the mountains.
ただ 杉 や 竹 の 杪 うら に 、寂しい 日影 が 漂 ただよって いる。
|すぎ||たけ||びょう|||さびしい|ひかげ||ただよ||
But behind the cedar and bamboo bushes, a lone shadow floats.
日影 が 、――それ も 次第に 薄れて 来る。
ひかげ||||しだいに|うすれて|くる
The shadows—that too, gradually faded.
――もう 杉 や 竹 も 見え ない。
|すぎ||たけ||みえ|
おれ は そこ に 倒れた まま 、深い 静か さ に 包まれて いる。
||||たおれた||ふかい|しずか|||つつまれて|
I am lying there, surrounded by a deep silence.
その 時 誰 か 忍び足 に 、おれ の 側 へ 来た もの が ある。
|じ|だれ||しのびあし||||がわ||きた|||
おれ は そちら を 見よう と した。
||||みよう||
が 、おれ の まわり に は 、いつか 薄 闇 うす やみ が 立ちこめて いる。
|||||||うす|やみ||||たちこめて|
However, someday, a twilight is closing in on me.
誰 か 、――その 誰 か は 見え ない 手 に 、そっと 胸 の 小 刀 さすが を 抜いた。
だれ|||だれ|||みえ||て|||むね||しょう|かたな|||ぬいた
Someone--that someone, with an invisible hand, gently pulled out the knife from his chest.
同時に おれ の 口 の 中 に は 、もう 一 度 血潮 が 溢 あふれて 来る。
どうじに|||くち||なか||||ひと|たび|ちしお||こぼ||くる
At the same time, my mouth is filled with blood once more.
おれ は それ ぎり 永久 に 、中 有 ちゅう う の 闇 へ 沈んで しまった。
||||えいきゅう||なか|ゆう||||やみ||しずんで|
At that moment, I was forever sunk into the darkness of the Middle Ages.
………
(大正 十 年 十二 月)
たいしょう|じゅう|とし|じゅうに|つき