第 八 章 死 線 (3)
貴 官 は 自己 の 才能 を しめす のに 、 弁舌 で は なく 実績 を もって す べきだろう 。 他人 に 命令 する ような こと が 自分 に は できる か どう か 、 やって みたら どう だ 」
フォーク の やせた 顔 から 血 が ひいて ゆく 音 を 、 老 提督 は 聴いた ように 思った 。 つぎに 生じた 光景 は 、 ビュコック の 想像 で は なかった 。 若い 参謀 将校 の 両眼 が 焦点 を 失い 、 狼狽 と 恐怖 が 顔面 いっぱい に ひろがった 。 鼻 孔 が ふくらみ 、 口 が ゆがんだ 四 辺 形 に 開く 。 両手 が あがって その 顔 を 、 ビュコック の 視界 から 隠し 、 一 秒 ほど おいて うめき と も 悲鳴 と もつ か ない 声 が ひびいた 。
啞然 と して 見まもる ビュコック の 視線 の さき で 、 フォーク の 姿 は 通信 スクリーン の 画面 の 下 に 沈没 した 。 かわって 右往左往 する 人影 が 映しださ れた が 、 この 間 、 事情 の 説明 は ない 。
「 どうした の だ 、 彼 は ? 」 「 さあ ……」 ビュコック の 傍 に ひかえて いた 副 官 クレメンテ 大尉 も 、 上官 の 疑問 に 答える こと が でき なかった 。 二 分間 ほど 、 老 提督 は スクリーン の 前 に 待た さ れる こと に なった 。
やがて 軍医 の 白い 制服 を 身 に 着けた 壮年 の 男 が 画面 に あらわれ 、 敬礼 した 。
「 ヤマムラ 軍医 少佐 です 。 現在 、 フォーク 准将 閣下 は 医務 室 で 加療 中 です が 、 その 事情 に ついて 私 が 説明 さ せて いただきます 」 どうも もったいぶって いる な 、 と ビュコック は 思う 。
「 どんな 病気 な の か ね 」
「 転換 性 ヒステリー 症 に よる 神経 性 盲目です 」
「 ヒステリー だ と !?」
「 は あ 、 挫折 感 が 異常な 昂 奮 を ひきおこし 、 視 神経 が 一時的に マヒ する のです 。 一五 分 も すれば また 見える ように なります が 、 このさき 、 何度 でも 発作 が おきる 可能 性 は あります 。 原因 が 精神 的な もの です から 、 それ を とりさら ない かぎり は ……」
「 それ に は どう する のだ ? 」 「 逆らって は いけません 。 挫折 感 や 敗北 感 を あたえて は いけません 。 誰 も が 彼 の 言う こと に したがい 、 あらゆる こと が 彼 の 思う ように はこば なくて は なりません 」 「…… 本気で 言って る の か ね 、 軍医 ? 」 「 これ は わがまま いっぱい に 育って 自我 が 異常 拡大 した 幼児 に ときとして みられる 症状 です 。 善悪 が 問題 では ありません 。 自我 と 欲望 が 充足 さ れる こと だけ が 重要な のです 。 したがって 、 提督 方 が 非 礼 を 謝罪 なさり 、 粉 骨 砕 身 して 彼 の 作戦 を 実行 し 、 勝利 を えて 彼 が 賞 賛 の 的 と なる …… そう なって はじめて 、 病気 の 原因 が とりさら れる こと に なります 」 「 ありがたい 話 だ な 」
ビュコック は 怒る 気 に も なれ なかった 。
「 彼 の ヒステリー を 治める ため に 、 三〇〇〇万 も の 兵士 が 死 地 に たた ねば なら ん と いう の か ? 上等な 話 じゃ ない か ね 。 感涙 の 海 で 溺死 して しまい そうだ な 」
軍医 は 力なく 笑った 。
「 フォーク 准将 閣下 の 病気 を 治す 、 と いう 一 点 だけ に しぼれば 、 話 は そう なら ざる を えません 。 視野 を 全軍 の レベル に まで ひろげれば 、 おのずと べつの 解決 法 が ありましょう 」 「 その とおり 、 彼 が 辞めれば いい のだ 」
老 提督 の 口調 は きびしい 。
「 こう なって 、 むしろ さいわい かも しれ ん な 。 チョコレート を ほしがって 泣き わめく 幼児 と おなじ ていど の メンタリティー しか もた ん 奴 が 、 三〇〇〇万 将兵 の 軍 師 だ など と 知ったら 、 帝国 軍 の 連中 が 踊り だす だろう て 」
「…… とにかく 、 医学 以外 の 件 に かんし まして は 、 わたくし の 権限 では ありません 。 総 参謀 長 閣下 に かわります ので ……」 選挙 の 勝利 を 目的 と した 政治 屋 と 、 小児 性 ヒステリー の 秀才 型 軍人 と が 野合 して 、 三〇〇〇万 の 将兵 が 動員 さ れる こと に なった のだ 。 これ を 知って 、 なお 真剣に 戦おう と こころざす 者 は 、 マゾヒスティック な 自己 陶酔 家 か 、 よほど の 戦争 好き くらい の もの だろう 、 と 、 ビュコック は にがにがしく 考えた 。
「 提督 ……」
軍医 に かわって 通信 用 スクリーン に 登場 した の は 、 遠征 軍 総 参謀 長 グリーンヒル 大将 だった 。 端 整 な 紳士 的 容貌 に 、 憂い の 色 が 濃い 。
「 これ は 総 参謀 長 、 ご 多忙な ところ 恐縮 です な 」
皮肉 を 露骨に 言って も 憎ま れ ない ところ が 、 この 老 提督 の 人徳 であろう 。
グリーンヒル も 軍医 と おなじ 種類 の 笑い を 浮かべた 。
「 こちら こそ お 見苦しい ところ を お 見せ して 恐縮 です 。 フォーク 准将 は ただちに 休養 と いう こと に なりましょう 、 総 司令 官 の ご 裁可 が あり しだい です が ……」 「 で 、 第 一三 艦隊 から 具申 の あった 撤退 の 件 は いかがです か な 。 わし は 全面 的に 賛同 します ぞ 。 前線 の 兵士 は 戦える 状態 に ない のです 。 心理 的に も 肉体 的に も ……」
「 しばらく 、 お 待ち ください 。 これ も 総 司令 官 の ご 裁可 が 必要です 。 即答 でき かねる こと を ご 承知 いただきたい 」 ビュコック 中将 は 、 官僚 的 答弁 に うんざり した と いう 表情 を つくって みせた 。
「 非 礼 を 承知 で 申しあげる が 、 総 参謀 長 、 総 司令 官 に 直接 お 会い できる よう 、 とりはからって いただけません か な 」 「 総 司令 官 は 昼寝 中 です 」
老 提督 は 白い 眉 を しかめ 、 あわただしく まばたき した 。 それ から ゆっくり と 反問 した 。
「 なんと おっしゃった 、 総 参謀 長 ? 」 グリーンヒル 大将 の 返答 は 、 いっそ 荘重な ほど だった 。 「 総 司令 官 は 昼寝 中 です 。 敵 襲 以外 は おこす な 、 と の こと です ので 、 提督 の 要望 は 起床 後 に お 伝え します 。 どうか 、 それ まで お 待ち を 」
それ にたいして ビュコック は 返答 しよう と し なかった 。 視線 に とらえる の が 困難な ほど かすかに 両 眉 が 上下 動 する 。
「…… よろしい 、 よく わかり ました 」
感情 を 抑制 した 声 が 老 提督 の 口 から 発せ られた の は 、 ゆうに 一 分間 を 経過 して から だった 。
「 このうえ は 、 前線 指揮 官 と して 、 部下 の 生命 にたいする 義務 を 遂行 する まで です 。 お 手数 を おか けした 。 総 司令 官 が お 目ざめ の 節 は 、 よい 夢 を ごらん に なれた か 、 ビュコック が 気 に して いた 、 と お 伝え 願いましょう 」 「 提督 ……」
通信 は ビュコック の 側 から 切ら れた 。
灰 白色 の 平板 と 化した 通信 スクリーン の 画面 を 、 グリーンヒル は 重苦しい 表情 で 見つめて いた 。
Ⅳ 偵察 部隊 から の 報告 を 読み おえた ラインハルト は 、 ひと つ うなずく と 、 赤毛 の ジークフリード ・ キルヒアイス 中将 を 呼んで 重大な 任務 を あたえた 。 「 イゼルローン から 前線 へ 輸送 艦隊 が 派遣 さ れる 。 敵 の 生命 線 だ 。 お前 に あたえた 兵力 の すべて を あげて これ を たたけ 。 細部 の 運用 は お前 の 裁量 に まかせる 」
「 かしこまり ました 」
「 情報 、 組織 、 物資 、 いずれ も 必要な だけ 使って いい ぞ 」
一礼 して きび す を 返した キルヒアイス を 、 ラインハルト は 急に 呼びとめた 。 不審 そうに ふりむいた 親友 に 、 若い 元帥 は 言った 。
「 勝つ ため だ 、 キルヒアイス 」
彼 は 知っていた のだ 。 被 占領 地 の 民衆 を 餓え させる こと で 敵 の 手足 を 縛る と いう 辛辣な 戦法 に 、 キルヒアイス が 批判 的である こと を 。 彼 は 口 どころ か 表情 に さえ ださ なかった が 、 ラインハルト に は よく わかって いた 。 ジークフリード ・ キルヒアイス は そういう 人間 である と いう こと が 。
キルヒアイス が もう 一 度 礼 を して 去る と 、 ラインハルト は 残る 諸 将 に 告げた 。
「 キルヒアイス 提督 が 叛乱 軍 の 輸送 部隊 を 撃 滅 する と 同時に 、 わが 軍 は 全面 攻撃 に 転じる 。 その さい 、 偽 の 情報 を 流す 。 輸送 部隊 は 攻撃 を うけた が 無事だ 、 と 。 それ は 叛乱 軍 が 最後 の 希望 を 断た れ 、 窮 鼠 が 猫 を 嚙 む 挙 に でる こと を 防ぐ ため だ 。 と 同時に 、 彼ら にわ が 軍 の 攻勢 を 気づか せ ない ため で も ある 。 むろん 、 いつか は 気づく だろう が 、 遅い ほど よい 」
彼 は 自分 の 横 に すわって いる 男 を ちらり と 見た 。 以前 、 彼 の 傍 に いる の は 、 背 の 高い 赤毛 の 若者 に 決まって いた 。 現在 で は 半 白 の 頭髪 の 男 ―― オーベルシュタイン である 。 自分 で 決めた こと だ が 、 なお かるい 違和感 が あった 。
「 なお 、 わが 補給 部隊 は 被 占領 地 の 奪還 と 同時に 、 住民 に 食糧 を 供与 する 。 叛乱 軍 の 侵攻 に 対抗 する ため と は いえ 、 陛下 の 臣民 に 飢餓 状態 を しいた の は 、 わが 軍 の 本意 で は なかった 。 また これ は 、 辺境 の 住民 に 、 帝国 こそ が 統治 の 能力 と 責任 を もつ こと を 、 事実 に よって 知ら しめる うえ でも 必要な 処置 である 」
ラインハルト の 本心 は 、〝 帝国 〟 で は なく 彼 個人 が 人心 を える こと に あった 。 しかし 、 わざわざ この 場 で それ を 告げる 必要 は ない のだ 。
グレドウィン ・ スコット 提督 の ひきいる 同盟 軍 の 輸送 艦隊 は 、 一〇万 トン 級 輸送 艦 一〇〇 隻 、 護衛 艦 二六 隻 から なって いた 。 護衛 艦 の 数 に ついて 、 後方 主任 参謀 キャゼルヌ 少将 は 「 不足である 、 せめて 一〇〇 隻 」 と 主張 した が 、 却下 さ れた のだった 。
輸送 艦隊 を 狙う のに 帝国 軍 が それほど 大軍 を 動員 する と も 思え ない し 、 あまり 多数 の 艦 を 派遣 して は 総 司令 部 の 警備 が 手薄に なる 、 と いう の が 却下 の 理由 だった 。 前線 から はるか 遠く 、 しかも 難 攻 不 落 の 要塞 に いながら 、 なんという 言 種 か 。 キャゼルヌ は 腹 が たって しかたない 。
スコット 提督 は キャゼルヌ より ずっと 楽観 的だった 。 敵 に 用心 しろ 、 と の 、 出発 前 の キャゼルヌ の 注意 を 聞きながし 、 艦 橋 に も おら ず 、 個室 で 部下 を 相手 に 三 次元 チェス を 楽しんで いた のだ 。
血相 を 変えた 艦隊 参謀 の ニコルスキー 中佐 が 彼 を 呼び に きた とき 、 彼 は まさに 王手 を かけよう と して おり 、 不機嫌に 問いかけた 。
「 前線 で なに か あった の か ? 騒々しい ぞ 」
「 前線 です と ? 」 ニコルスキー 中佐 は 、 啞然 と した ように 司令 官 を 見かえした 。 「 ここ が 前線 です 。 あれ が お 見え に なりません か 、 閣下 」 彼 の 指先 で 、 艦 橋 の メイン ・ スクリーン に つながる 小さな パネル は 、 急激に 拡大 する 白い 光 の 雲 を 映しだして いた 。
スコット 提督 は 瞬間 、 声 を 失った 。 いかに 彼 でも 、 それ が 味方 だ と は 思わ なかった 。 驚く べき 敵 の 大 部隊 に 包囲 されて いる ! 「 こんな こと が …… 信じ られ ん 」
スコット は ようやく 声 を しぼりだした 。
「 たかが 輸送 艦隊 ひと つ に こんな 大軍 を …… なぜ だ ? 」 艦 橋 へ つづく 廊下 を 、 ニコルスキー の 運転 する 水素 動力 車 で 走りぬけ ながら 、 提督 は 愚か しく 問い つづけた 。 あなた は 自分 の 任務 の 意義 も 理解 して いない の か 、 と ニコルスキー が 言い かけた とき 、 廊下 の スピーカー から オペレーター の 叫び が はしった 。 「 敵 ミサイル 多数 、 本 艦 に 接近 ! 」 その 声 は 一瞬 後 、 悲鳴 そのもの に 変わった 。 「 対応 不能 ! 数 が 多 すぎる ! 」 帝国 軍 総 旗 艦 ブリュンヒルト ――。 通信 士官 が 座席 から たちあがり 、 興奮 に 上気 した 顔 を ラインハルト に むけた 。
「 キルヒアイス 提督 より 連絡 ! 吉報 です 。 敵 輸送 船団 は 全滅 、 くわえて 護衛 艦 二六 隻 を 完全 破壊 、 わが ほう の 損害 は 戦艦 中破 一 隻 、 ワルキューレ 一四 機 のみ ……」
歓声 が 艦 橋 全体 を 圧した 。 イゼルローン 陥落 以来 、 戦略 上 の 必要 から と は いえ 、 戦わ ず して 後退 を かさねて きた 帝国 軍 に とって 、 ひさびさの 勝利 の 快感 だった のだ 。
「 ミッターマイヤー 、 ロイエンタール 、 ビッテンフェルト 、 ケンプ 、 メックリンガー 、 ワーレン 、 ルッツ 、 かねて から の 計画 に したがい 、 総力 を もって 叛乱 軍 を 撃て 」
ラインハルト は 待機 する 諸 将 に 令 を 発した 。
はっ、 と 勢い よく 応じて 前線 に おもむこう と する 提督 たち を 、 ラインハルト は 呼びとめ 、 従 卒 に 命じて ワイン を 配ら せた 。