第 三 章 帝国 の 残照 (1)
Ⅰ 優美に 彎曲 した 特殊 ガラス の 壁面 の 彼方 に 、 釣鐘 の かたち を した 奇 岩 が 林立 して いる 。 その 背景 と なる 空 に は 黄昏 が 音 も なく 翼 を ひろげ 、 水分 の すくない 空気 の 微 粒子 が 、 見る 者 の 視界 全体 を 、 底 知れ ぬ 青 さ に 染め あげる か と 想わ れた 。
腰 の 背後 で かるく 両手 を くみあわせて 壁 ぎ わに たたずんで いた 人物 が 、 首 だけ を うごかして 室 内 を かえりみた 。 その 視線 の さき に 、 大きな 白 亜 の 操作 卓 が すえ られ 、 傍 に は 初老 の 男 が 姿勢 正しく 立って いる 。
「 する と ……」
壁 ぎ わ の 人物 が 声 を 発した 。 おもおもしい ひびき を もつ 、 太い 男 の 声 であった 。
「…… 帝国 軍 が 勝った 、 ただし 勝ち すぎ は し なかった と 、 そう いう わけだ な 、 ボルテック 」
「 さ ようです 、 自治 領主 。 同盟 軍 は 敗れ は し ました が 、 全軍 崩壊 と いう まで に は たち いたりません でした 」 「 態勢 を たてなおした か ? 」 「 態勢 を たてなおし 、 反撃 して 一 矢 を むくいて も おります 。 全体 と して 帝国 軍 の 勝利 は うごかし がたい のです が 、 同盟 軍 も 殴ら れっぱなし と いう わけで も ありません ので …… わが フェザーン と して は 、 まず 満足 べき 結果 を えた 、 と 、 こう 申して も よろしい か と 存じます が 、 いかがでしょう 、 自治 領主 」 壁 ぎ わ の 男 ―― 第 五 代 フェザーン 自治 領主 の アドリアン ・ ルビンスキー は 身体 ごと 室 内 に むきなおった 。
異 相 であった 。 年齢 は 四〇 歳 前後 か と 思わ れる が 、 頭部 に は 一 本 の 毛髪 も ない 。 肌 は 浅黒い 。 眉 、 目 、 鼻 、 口 など 顔 の 造作 は すべて 大きく 、 美男 子 と は 称し がたい が 他者 に 強烈な 印象 を あたえ ず に は おか ない 風貌 である 。 その 身体 は 上 背 に 恵まれて いる だけ で なく 、 肩 幅 が 広く 、 胸 郭 は たくましく 、 圧倒 的な 精気 と 活力 を みなぎら せて いる ようだ 。
在任 五 年 、〝 フェザーン の 黒 狐 〟 と 帝国 ・ 同盟 の 双方 から にがにがしく 呼称 されて いる 中継 交易 国家 の 終身 制 統治 者 、 それ が 彼 だった 。 「 そう 満足 して も い られ ん ぞ 、 ボルテック 」
皮肉 そうな 視線 と 声 を 、 異 相 の 自治 領主 は 腹心 の 補佐 官 に 投げかけた 。
「 その 結果 が もたらさ れた の は 偶然であって 、 そう なる ように 吾々 が 努力 した から で は ない 。 将来 も 幸運 ばかり を あて に して は い られ んだろう 。 情報 の 収集 分析 を いちだん と 活発に して 、 切札 の 数 を ふやして おく べきだろう な 」
黒い タートルネック の セーター に 淡 緑色 の スーツ ―― およそ 一 国 の 支配 者 らしから ぬ 軽装 の ルビンスキー は 、 悠然たる 歩調 で 操作 卓 に 歩みよった 。
ボルテック の 手 が うごいて 、 操作 卓 の 中央 ディスプレイ に 、 ある 図 を 映しだした 。
「 これ が 両軍 の 配置 図 です 。 天 頂 方向 から 俯 瞰 した もの です 、 ごらん ください 」
それ は 三 日 前 に 、 キルヒアイス が ラインハルト に しめした もの と 同一だった 。 帝国 軍 が 赤 、 同盟 軍 が 緑 。 赤い 矢印 に むかって 緑 の 矢印 が 三 本 、 前面 と 左右 から 迫って いる 。 矢印 を 点 と すれば 、 緑 点 を 頂点 と した 三 角形 の 内心 に 赤 点 が 位置 して いる ように も みえた 。
「 艦艇 の 数 は 帝国 軍 が 二万 隻 、 同盟 軍 が 合計 四万 隻 でした 。 数 的に は 同盟 軍 が 圧倒 的に 有利だった のです 」
「 位置 的に も な 。 三方 から 帝国 軍 を 包囲 する 態勢 だ 。 しかし 待てよ 、 こいつ は ……」
ルビンスキー は 太い 指 で 額 の 端 を おさえた 。
「 こいつ は たしか 、 百 年 以上 も 昔 に 、〝 ダゴン の 殲滅 戦 〟 で 同盟 軍 が 使った 陣形 じゃ ない か 。 夢 よもう 一 度 と いう わけ か 、 進歩 の ない 奴 ら だ 」
「 しかし 用 兵 学 上 は 論理 的な 作戦 です 」
「 はん ! 机上 の 作戦 は いつ だって 完璧に 決 まっとる さ 。 だが 実戦 は 相手 あって の もの だ から な 。 帝国 軍 の 総 指揮 官 は 例の 金髪 の 孺子 だった な 」
「 さ ようで 、 ローエングラム 伯 です 」
ルビンスキー は 悦 に いった ような 笑い声 を たてた 。 五 年 前 、 急死 した 前任 者 ワレンコフ の あと を ついで 、 当時 三六 歳 の 彼 が 政権 を にぎった とき 、 反対 派 は 五〇 代 の 老練な 候補 者 を 擁して 、 三〇 代 の 元首 など 若 すぎる と 騒ぎたてた もの だ 。 ところが ローエングラム 伯 と きて は 、 当時 の 彼 より さらに 一六 歳 も 若い のである 。 先例 だの 習慣 だ の を 口 に する しか 能 の ない 老 兵 ども に は 、 不愉快な 時代 が 、 どうやら 到来 し つつ ある らしい 。
「 この 危機 を 、 ローエングラム 伯 は いかに して 切りぬけた か 、 自治 領主 に は お わかり です か ? 」 ボルテック の 口調 に 、 楽しむ ような ひびき が ある 。 異 相 の 自治 領主 は 補佐 官 を ちらり と 見る と 、 ディスプレイ に 見いった 。 そして 、 こともなげに 断言 した 。
「 敵 が 分散 して いる 状況 を 利用 して 各 個 撃破 だ な 。 それ しか ある まい 」
補佐 官 は 頰 を 殴ら れた ような 表情 で 、 彼 の 政治 的 忠誠 の 対象 を 見 やった 。
「 おっしゃる とおり です 。 いや 、 ご 炯眼 おそれいり ました 」
ルビンスキー は ふてぶてしい ほど おちついた 微笑 で 、 その 讃辞 を うけとめた 。
「 専門 家 が 素人 に おくれ を とる 場合 が 、 往々 に して ある 。 長所 より 短所 を 、 好機 より 危機 を みて しまう から だ 。 この 双方 の 布陣 を みれば 、 専門 家 は 包囲 さ れた 帝国 軍 の 敗北 は 必至 と 思いこんで しまう だろう な 。 だが 、 まだ 包囲 網 が 完成 さ れた わけで は ない し 、 兵力 が 分散 して いる 同盟 軍 の ほう に むしろ 危機 的 状況 が みられる の さ 」 「 おっしゃる とおり です な 」
「 要するに 同盟 軍 は ローエングラム 伯 ラインハルト の 指揮 能力 を 過小 評価 した と いう わけだ 。 まあ 、 無理 も ない こと だ が な 。 具体 的な 状況 の 変化 を みせて もらおう か 」
ボルテック の 操作 に したがって 、 ディスプレイ に 映しださ れた 図 型 が 躍動 し 変化 して いった 。 赤い 矢 が 緑色 の 矢 の 一 本 に むけて 急速に 直進 し 、 それ を 粉砕 した あと 、 反転 して いま 一 本 の 緑 の 矢 を 消滅 さ せ 、 さらに 方向 を 転じて 三 本 目 の 緑 の 矢 に 対峙 する 状況 を 、 自治 領主 は 両眼 を 細めて 見まもった 。 操作 の 停止 を 命じ 、 ディスプレイ を 注視 した まま 歎息 する 。
「 理想 的な 各 個 撃破 だ な 。 ダイナミックで アクティブな 用 兵 だ 。 みごとな もの だ が ……」
語 を きって 首 を かしげる 。
「 しかし 、 ここ まで 状況 が 変化 すれば 、 帝国 軍 の 勝利 は ほとんど 完全な もの と なって いる はずだ 。 この 段階 から 同盟 軍 が 劣勢 を 挽回 する の は 容易で は ない ぞ 。 全軍 崩壊 、 敗走 と いう 事態 に なって 当然だ 。 同盟 軍 の 第 三 部隊 は 誰 が 指揮 して いた ? 」 「 最初 は パエッタ 中将 です 。 しかし 戦闘 開始 後 、 旗 艦 が 被弾 して 重傷 を おい 、 その後 は 次 席 幕僚 ヤン ・ ウェンリー 准将 が 指揮 権 を うけつぎ ました 」
「 ヤン ・ ウェンリー …… 聞いた こと が ある 名 だ が 」
「 八 年 前 エル ・ ファシル 脱出 作戦 を 指揮 した 男 です 」
「 ああ 、 あの とき の 」
ルビンスキー は 納得 した 。
「 なかなか おもしろい 男 が 同盟 に も いる と 思って いた が …… で 、 エル ・ ファシル の 英雄 は どう 兵 を うごかした のだ ? 」 ルビンスキー の 質問 に 応じて 首席 補佐 官 は ディスプレイ を 操作 し 、〝 アスターテ 会戦 〟 の 最終 段階 の 戦況 を 上司 に しめした 。 緑 の 矢 が 左右 に 分かれ 、 その 機先 を 制する か の ごとく 赤い 矢 が 急進 して 中央 突破 を はかる 。 左右 に 分断 さ れた か に みえる 緑 の 矢 が 、 赤い 矢 の 両 側面 を 逆 進 し 、 後 背 に でて 合流 し 、 赤い 矢 の 後方 から 襲いかかった ……。
ルビンスキー は 低く うめいた 。 これほど 洗練 さ れた 戦術 を 駆使 する 指揮 官 が 同盟 軍 に いた と は 予想外だった 。
しかも 全軍 崩壊 の 危機 に 直面 して 、 これほど 冷静に 戦況 を 把握 し 、 事態 に 対処 し うる と は 、 ローエングラム 伯 以上 に 凡物 で は あり え ない 。
第 五 代 フェザーン 自治 領主 は しばらく 、 ディスプレイ に 視線 を 凍結 さ せて いた 。
「 なかなか 興味深い 魔術 を 見た な 」
やがて 、 ルビンスキー は ディスプレイ の 映像 を 消す よう 手ぶり で 命じた 。 それ に したがった あと 、 ボルテック は 一 歩 退いて つぎの 指示 を 待った 。
「 ヤン ・ ウェンリー 、 だった な 、 その 准将 に ついて 至急 データ を 集める よう 、 ハイネセン の 高等 弁 務 官 事務 所 に 指令 を だせ 。 エル ・ ファシル の 件 が まぐれ など で ない こと が よく わかった 」
「 かしこまり ました 」
「 どんな 組織 でも 機械 でも 、 運用 する の は しょせん 、 人間 だ 。 上位 に たつ 者 の 才 幹 と 器量 しだい で 、 虎 が 猫 に も なり その 逆に も なる 。 虎 の 牙 が どちら を むく か 、 これ も また 猛獣 使い しだい だ 。 くわしく 人がら を 知って おくに しく は ない 」
それ に よって 使途 も できる 、 と 考え ながら 、 ルビンスキー は 補佐 官 を 退室 さ せた 。
恒星 フェザーン は 四 個 の 惑星 を したがえて いる 。 その 三 個 まで は 高熱 の ガス の 塊 であり 、 第 二 惑星 のみ が 硬い 地殻 を 所有 して いた 。 気体 の 組成 分 は 人類 の 故郷 である 太陽 系 第 三 惑星 と ほとんど ことなら ない 。 八 割 ちかく の 窒素 と 二 割 ちかく の 酸素 ―― 最大 の 差異 は 本来 、 二 酸化 炭素 を 欠く こと で 、 したがって 植物 が 存在 し なかった 。
水 も すくない 。 藍 藻類 から 順次 、 高等な 植物 種子 の 散布 へ と すすんだ 惑星 緑化 も 、 地表 の 全域 を 緑 の 沃野 と 化せ しめる に は いたら ず 、 水利 の よい 地域 のみ が 緑色 の 帯状 に 惑星 表面 を いろどって いる 。 赤い 部分 は 岩 砂漠 の 荒野 で 、 侵 蝕 と 風化 の すすんだ 地形 が 奇 景奇 観 を 誇って いた 。
フェザーン は 恒星 の 名 である と 同時に 、 唯一 の 有人 地 である 第 二 惑星 の 名 であり 、 星 系 全体 の 名 であり 、 それ を 領域 と して 帝国 暦 三七三 年 に 成立 した 自治 領 の 名 である 。 軍隊 は 少数 の 警備 艦隊 のみ で 、 二〇億 人 の フェザーン 人 は 帝国 ・ 同盟 間 の 交易 路 を 支配 し 、 利益 を あげる こと に 情熱 を かたむけて きた 。 かたち と して は 帝国 に 従属 し ながら 、 事実 上 は 完全に ちかい 政治 的 独立 を たもち 、 経済 力 に いたって は 両 大国 を 凌 駕 する 勢い を すら しめして いる 。
だが 今日 に いたる 道程 が 平坦で なかった の は むろん の こと で 、 初代 の レオポルド ・ ラープ 以来 、 歴代 の 自治 領主 は , その 地位 を 安泰に する ため の 政治 工作 に 腐心 して きた 。 その 国是 は 、〝 侮り を うける ほど 弱から ず 、 恐怖 さ れる ほど 強から ず 〟 であった のだ が 、〝 帝国 四八 、 同盟 四〇 、 フェザーン 一二 〟 と いう 勢力 比 の 数値 が 、 半 世紀 来 まったく 変化 し ない と いう 事実 が 、 フェザーン 為政 当局 の 苦心 を 如実に しめして いた 。
帝国 と フェザーン の 勢力 を 合 すれば 、 同盟 より 有利な 立場 と なる が 、 それ でも 同盟 を 滅ぼす の は 困難である 。 逆に 、 同盟 と フェザーン が 連合 すれば 、 帝国 を 凌 駕 する こと が 可能だ が 、 圧倒 する と まで は いか ない 。
この 芸術 的な まで に 微妙な バランス を 維持 する こと が 、 フェザーン の 政 戦 両 略 の 真骨頂 であった 。 強く なり すぎて は いけない 。