15. 無表情の 表情 - 上村 松園 むひょうじょうの|ひょうじょう|うえむら|まつぞの 15. expressionless expression - Uemura Shoen

無表情の 表情 - 上村 松園 むひょうじょうの|ひょうじょう|うえむら|まつぞの

◇ 私 は 前 かた から 謡曲 を 何より の 楽しみに して 居り まして 、 唯今 で は 家内 中 一統 で 稽古 して 居ります 。 わたくし||ぜん|||ようきょく||なにより||たのしみに||おり||ただいま|||かない|なか|かずのり||けいこ||おり ます 松 篁 夫婦 、 それ から 孫 も 仕舞 を 習って いる と いう 工 合 で 、 一 週 に 一 度 ずつ は 先生 に 来て 頂いて いる と いう 、 まあ 熱心 さ です 。 まつ|たかむら|ふうふ|||まご||しま||ならって||||こう|ごう||ひと|しゅう||ひと|たび|||せんせい||きて|いただいて|||||ねっしん|| ・・

家 の 内 の 楽しみ も いろいろ あります 。 いえ||うち||たのしみ|||あり ます 私 や 松 篁 など 、 絵 の こと は それ は 別 と し まして 、 茶 も あれば 花 も あり 、 また 唄い もの 弾き もの 、 その他 の 遊 芸 など も あります が 、 その 中 で 謡曲 、 能楽 の 道 は なんといっても 一 とう 物 深く 精神 的で も あり 、 芸術 的で も あって 飽き が きません のみ か 、 習えば 習う ほど 、 稽古 を 積めば 積む ほど 娯 しみ が 深く なって ゆき まして 、 大 業 に 申せば 、 私 ども の 生活 の すぐれた 糧 と なって 居ります 。 わたくし||まつ|たかむら||え||||||べつ||||ちゃ|||か||||うたい||はじき||そのほか||あそ|げい|||あり ます|||なか||ようきょく|のうがく||どう|||ひと||ぶつ|ふかく|せいしん|てきで|||げいじゅつ|てきで|||あき||き ませ ん|||ならえば|ならう||けいこ||つめば|つむ||ご|||ふかく||||だい|ぎょう||もうせば|わたくし|||せいかつ|||かて|||おり ます ・・

◇ 能楽 に 用いる 面 です が 、 あれ は 佳 いもの に なる と 、 よく 見れば 見る ほど 微妙な もの で 感心 さ せられます 。 のうがく||もちいる|おもて|||||か||||||みれば|みる||びみょうな|||かんしん||せら れ ます 名人 達人 の 作 に なる もの など 、 まるで 生きて いる 人間 の 魂 が 、 そこ に 潜んで いる の か と 想わ れる ほど の もの です 。 めいじん|たつじん||さく||||||いきて||にんげん||たましい||||ひそんで|||||おもわ||||| ・・

その すぐれた 面 を 着けて 、 最も すぐれた 名人 が あの 舞台 に 立つ と 、 顔 上 面 なく 、 面 裡人 なし と でも 申しましょう か 、 その 面 と 人 と が 精神 も 肉 身 も 合致 合体 、 全く 一 つ の もの に 化して しまって 、 さながら に 厳然たる 人格 と 心 格 を 築き 出します 。 ||おもて||つけて|もっとも||めいじん|||ぶたい||たつ||かお|うえ|おもて||おもて|りにん||||もうし ましょう|||おもて||じん|||せいしん||にく|み||がっち|がったい|まったく|ひと|||||かして||||げんぜんたる|じんかく||こころ|かく||きずき|だし ます この 境 涯 は 筆 紙 言 舌 の 限り では ありません 。 |さかい|がい||ふで|かみ|げん|した||かぎり||あり ませ ん ・・

この 境 涯 で は 、 人 が 面 を 着けて いる など いう 、 そんな 浅間 な 感情 など は 毛 筋 ほど も 働いて いません 。 |さかい|がい|||じん||おもて||つけて|||||あさま||かんじょう|||け|すじ|||はたらいて|いま せ ん ・・

よく 能面 の 表情 は 固定 して いて 、 死んだ 表情 であり 、 無表情 と いう に ひとしい など と 素人 の 人 たち が いう のです が 、 それ は 能楽 に も 仕舞 に も 何 等 の 徹底 した 鑑賞 心 を もって 居ら ない から の 言葉 で あり まして 、 名人 の 場合 など 、 なかなか そんな 批点 の 打ち どころ など ある もの では ありません 。 |のうめん||ひょうじょう||こてい|||しんだ|ひょうじょう||むひょうじょう|||||||しろうと||じん||||||||のうがく|||しま|||なん|とう||てってい||かんしょう|こころ|||おら||||ことば||||めいじん||ばあい||||ひてん||うち||||||あり ませ ん ・・

無表情 と 言います が 、 名人 が その 面 を つけて 舞台 に 立ちます と 、 その 無表情な 面 に 無限な 表情 を 発します 。 むひょうじょう||いい ます||めいじん|||おもて|||ぶたい||たち ます|||むひょうじょうな|おもて||むげんな|ひょうじょう||はっし ます 悲しみ 、 ほほえみ 、 喜び 、 憂い 、 その 場 その 場 に より 、 その 時 その 時 に 従って 、 無限の 表情 が 流 露 して 尽 くる ところ が ありません 。 かなしみ||よろこび|うれい||じょう||じょう||||じ||じ||したがって|むげんの|ひょうじょう||りゅう|ろ||つく||||あり ませ ん ・・

◇ 能楽 から くる 感銘 は いろいろです 。 のうがく|||かんめい|| 単なる 動作 や 進退 の 妙 と いう だけ の もの で は なく 、 衣裳 の 古 雅 荘厳 さ や 、 肉声 、 器 声 の 音 律 や 、 歴史 、 伝説 、 追憶 、 回想 、 そういう もの が 舞う 人 の 妙技 と 合致 して 成立つ もの です が 、 殊に この 能楽 と いう もの は 、 泣く 、 笑う 、 歓喜 する 、 憂い 、 歎 ずる 、 すべて の こと が 決して 露骨で なく 、 典 雅 な うち に 沈んだ 光沢 が あり 、 それ が 溢れ ず に 緊張 する と いう ところ に 、 思い 深い 、 奥床しい 感激 が ある のです 。 たんなる|どうさ||しんたい||たえ|||||||||いしょう||ふる|ただし|そうごん|||にくせい|うつわ|こえ||おと|りつ||れきし|でんせつ|ついおく|かいそう||||まう|じん||みょうぎ||がっち||なりたつ||||ことに||のうがく|||||なく|わらう|かんき||うれい|たん||||||けっして|ろこつで||てん|ただし||||しずんだ|こうたく|||||あふれ|||きんちょう||||||おもい|ふかい|おくゆかしい|かんげき||| ・・

感ずれば 激し 、 思う だけ の こと を 発露 する と いう 西 洋風 な 表現 の しかた も 、 芸術 の 一面で は あろう と 思います が 、 能楽 の 沈潜 した 感激 は 哲学 的だ と 言いましょう か 、 そこ に 何物 も 達し がたい 高い 芸術 的な 匂い が 含蓄 されて ある と 思います 。 かんずれば|はげし|おもう|||||はつろ||||にし|ようふう||ひょうげん||||げいじゅつ||いちめんで||||おもい ます||のうがく||ちんせん||かんげき||てつがく|てきだ||いい ましょう||||なにもの||たっし||たかい|げいじゅつ|てきな|におい||がんちく|さ れて|||おもい ます こういう 点 で 能楽 こそ は 、 真 の 国粋 を 誇り うる 芸術 だ と いえましょう 。 |てん||のうがく|||まこと||こくすい||ほこり||げいじゅつ|||いえ ましょう ・・

◇ 私 は 、 その 名人 芸 を 見る 度 毎 に 、 精神 的な 感動 を 受けます 。 わたくし|||めいじん|げい||みる|たび|まい||せいしん|てきな|かんどう||うけ ます どうして こう も 神秘な のであろう 、 こういう 姿 を した 、 こういう 別な 世界 は 、 果たして ある のであろう か 、 無い ようであり ながら 、 たしかに 此処 に 現われて いる 、 と いった ような 微妙な 幻想 に さえ 引きこまれて 、 息 も つけ ず に その 夢 幻 的な 世界 に 魂 を 打ちこんで しまう のです 。 |||しんぴな|||すがた||||べつな|せかい||はたして||||ない||||ここ||あらわれて|||||びみょうな|げんそう|||ひきこま れて|いき||||||ゆめ|まぼろし|てきな|せかい||たましい||うちこんで|| ・・

私 は この 能楽 の 至 妙 境 は 、 移して 私 ども の 絵 の 心 の 上 に も 置く こと が できましょう し 、 従って 大きな 益 を 受ける こと が できる と 思います ので 、 ますます 稽古 に 励む つもりで いま すし 、 また 人 に も 説く こと も あります 。 わたくし|||のうがく||いたる|たえ|さかい||うつして|わたくし|||え||こころ||うえ|||おく|||でき ましょう||したがって|おおきな|えき||うける|||||おもい ます|||けいこ||はげむ|||||じん|||とく|||あり ます ・・

私 は この頃 、 皇太后 陛下 の 思召 に よります 三 幅 対 の 制作 に 一心不乱 に なって おります 。 わたくし||このごろ|こうたいごう|へいか||おぼしめし||より ます|みっ|はば|たい||せいさく||いっしんふらん|||おり ます これ は 今 から 二十一 年 も 前 に 御 仰せ を 蒙った もの です が 、 いろいろの 事情 に 遮られて 今日 まで のびのび に なって いる こと が 畏 く 存ぜられます ので 、 他の 一切 の こと を 謝絶 して います が 、 間 々 の 謡曲 の 稽古 だけ は 娯 しみたい と 思って おります 。 ||いま||にじゅういち|とし||ぜん||ご|おおせ||かぶった|||||じじょう||さえぎら れて|きょう||||||||い||ぞんぜ られ ます||たの|いっさい||||しゃぜつ||い ます||あいだ|||ようきょく||けいこ|||ご|しみ たい||おもって|おり ます